防空戦艦大和        太平洋の嵐で舞え

みにみ

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大東亜の快進

大和第一改装

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フィリピン攻略戦への参加を見送られ
シンガポールでの陸上砲撃戦の戦果を胸に
戦艦「大和」以下、連合艦隊の艦艇は、日本の瀬戸内海、柱島泊地へと帰港した。
広大な泊地には、他の艦艇もひしめき合っており
大和はその中で、その圧倒的な存在感を放っていた。

帰港後、大和以下の艦隊は、束の間の休息を得る間もなく
柱島泊地沖で連日の訓練に励んだ。シンガポールでの成功は
大和の巨砲主義者たちに自信を与えたが、フィリピンでの出番なしという経験は
航空戦力の重要性を再認識させるものであった。対空戦闘指揮官である井上少佐は、
今回の帰港を好機と捉え、対空砲員たちの練度向上と、
新たな戦術の模索に余念がなかった。主砲員たちもまた、
来るべき艦隊決戦に備え、発砲訓練を繰り返した。

そんな折、大和に新たな命令が下された。
それは、呉海軍工廠への入渠である。
この命令は、単なる定期整備や損傷修理のためではなかった。
大和の能力をさらに向上させるための、大規模な改装を意味していたのである。
その目的は、艦の弱点を克服し、未来の海戦に対応しうる
「究極の戦艦」へと進化させることにあった。

今回の改装の目玉の一つは
新型の対空電探「試製二式二号電波探信儀一型」を搭載することであった。
電探、すなわちレーダーは、電波を用いて遠方の目標を探知する
画期的な技術であり、航空機が主要な脅威となりつつある海戦において
その重要性は日増しに高まっていた。

大和は、すでに初期型のレーダーを搭載していたものの
その性能はまだ限定的であった。探知距離や精度に課題があり
特に高速で飛来する航空機を正確に捕捉するには
更なる改良が必要とされていた。ブルネイ沖での初の実戦で
井上少佐は、レーダーの性能不足が対空戦闘における大きな障害となることを
痛感していたのである。

この「試製二式二号電波探信儀一型」は
それまでのレーダーとは一線を画す性能を持っていた。
陸上用のものが試験的に使用されていた「一式三号電波探信儀四型」のような
巨大なものではなく、はるかに小型化が図られていたのである。

「これは、まさに我々が求めていたものだ!」

井上少佐は、新型電探の設計図を前に、興奮を隠せなかった。
彼は、この新型電探が大和の対空能力を飛躍的に向上させると確信していた。

探知能力の向上: 新型電探は、より高出力の電波を発し
より感度の高い受信機を備えることで、敵機の探知距離が
大幅に延伸される予定であった。これにより、敵機を早期に発見し
より余裕をもって対空戦闘態勢に移ることが可能になる。
照準精度への貢献: 従来の光学照準の限界を補うため
電探が捉えた目標情報を直接対空射撃指揮装置に連動させ
夜間や悪天候下でも正確な射撃を可能にするシステムが構築される計画であった。
これは、井上少佐がブルネイ沖の空襲で痛感した最大の課題の一つであった。
トップヘビーの軽減: 大和は、その巨大な船体ゆえに、建造当初からトップヘビー
(上部構造が重すぎることで重心が高くなる傾向)の問題を抱えていた。
旧来の大型レーダーは、この問題をさらに悪化させる可能性があったが
新型電探の小型化は、艦全体の重心を低く保ち
安定性を向上させることに貢献するはずであった。
呉工廠の技術者たちは、新型電探の搭載に向け
大和の艦橋頂部に設けられていた主砲測距儀の周辺を大きく作り直す作業に着手した。
これは、電探の設置スペースを確保し、かつその性能を最大限に引き出すための
慎重かつ大規模な工事であった。巨大なクレーンが
大和の艦橋上部を覆い、溶接の火花が夜空を彩った。技術者たちは
限られた時間の中で、この最新鋭の電子機器を、日本の象徴たる戦艦へと
組み込むべく、昼夜を問わず作業に当たった。


しかし、今回の改装は、対空電探の搭載だけではなかった。
大和が設計段階から抱えていた、もう一つの深刻な弱点を克服するための
重要な装置が導入されることになったのである。それは
主砲発砲の衝撃で測距儀が損傷するのを防ぐための「揺動防止装置」の搭載であった。

大和の46cm主砲は、世界最大の口径と威力を誇るがゆえに
その発砲時には、艦全体に甚大な衝撃と振動をもたらす。この衝撃は
精密な光学測距儀や射撃指揮装置に悪影響を与え
時にはその機能を「イカれさせる」、すなわち損傷させる可能性を秘めていた。
シンガポールでの陸上砲撃戦でも、この問題は完全に解決されていなかった。
特に、長距離砲戦や夜間砲戦において、測距儀の故障は致命的な問題となる。

この揺動防止装置は、主砲発砲時の振動を吸収・緩和し
測距儀を含む精密機器への影響を最小限に抑えることを目的としていた。
その構造は極めて複雑で、油圧ダンパーや特殊な緩衝材を組み合わせた、
当時としては最先端の技術が投入される予定であった。

「これで、心置きなく巨砲を撃てるというものだ」

主砲砲塔の整備状況を確認していた田辺中佐は
揺動防止装置の搭載計画を聞き、満足げに頷いた。彼にとって
主砲の性能を最大限に引き出し、いかなる状況下でも正確な砲撃を可能にすることは
最優先事項であった。この装置の搭載は、大和が「巨砲戦艦」としての真価を
さらに高めることを意味していた。

揺動防止装置の搭載には、大和の艦橋頂部
特に主砲測距儀が配置されている部分の構造を、一度大きく作り直す必要があった。
既存の構造物を撤去し、新たな基部を設置し、その中に複雑な
緩衝機構を組み込んでいく作業は、極めて緻密な技術を要した。
呉海軍工廠の熟練工たちは、設計図と睨めっこしながら
慎重に作業を進めていった。彼らは、自らが日本の命運を左右する巨艦の
「脳」を再構築しているという、重い責任を自覚していた。


呉工廠での入渠作業は、連日徹夜で行われた。
巨大な艦体がドックに収まり、無数の足場が組まれ
溶接の閃光と金属を叩く音が響き渡る。大和は、その静かなる姿の下で
新たな能力を獲得し、さらなる進化を遂げようとしていた。

新型電探の搭載は、大和の「目」を強化し
航空脅威への対処能力を格段に向上させるはずであった。
これにより、井上少佐のような航空主兵論者たちは、
大和が真に「防空戦艦」としての役割を果たせると、確信を深めていった。
敵機の早期発見と正確な照準は、対空戦闘の成否を分ける決定的な要素となるからである。

一方、揺動防止装置の搭載は、大和の「巨砲」の精度と
信頼性を保証するものであった。田辺中佐のような大艦巨砲主義者たちは
これでいかなる激しい砲戦においても、大和の主砲が常に
最高の性能を発揮できると信じていた。彼らにとって
これは「海の怪物」たる大和が、その牙を研ぎ澄ますための不可欠な進化であった。

大和の艦橋頂部が大きく作り直される様子は、この艦が持つ二つの顔
すなわち「巨砲」と「防空」の双方を、最高のレベルで融合させようとする
日本海軍の試みを象徴していた。それは、従来の戦艦の概念を超え
未来の海戦に対応しうる「究極の兵器」を目指す、壮大な挑戦であった。

しかし、技術の進歩は、常に新たな課題を生み出す。
どれほど高性能な電探を搭載しても、それを活用する
乗員の練度が伴わなければ意味がない。揺動防止装置が搭載されても
長時間の戦闘で機械が故障しない保証はない。そして何よりも
これらの改良が、敵の航空戦力の爆発的な進化に
果たしてどこまで追いつけるのかという、根本的な問いは、まだ解決されていなかった。

呉のドックの中で、大和は静かにその姿を変えていった。その巨体は
新たな「目」と、研ぎ澄まされた「牙」を手に入れ
来るべき激戦へと向かう準備を着々と進めていたのである。
日本の希望と、計り知れない重圧を背負いながら
大和は、その誕生以来、常に進化を求められ続ける運命にあった。
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