防空戦艦大和        太平洋の嵐で舞え

みにみ

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旭日の翳り

戦斗終了

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珊瑚海海戦の激闘を終えた日本艦隊は、一応の目的である
「敵母艦部隊の撃破」を成し遂げたという報を胸に
一路トラック泊地へと針路を取った。熱帯の陽光が降り注ぐ広大なラグーンに
鋼鉄の巨艦群が次々と入港していく。その姿は、勝利を収めた凱旋艦隊に他ならなかった。

大和の艦橋からは、荒波を乗り越えてきた僚艦たちの姿が確認できた。
戦艦「長門」「陸奥」「比叡」「霧島」は、その巨体を堂々と横たえ
戦闘の傷跡をほとんど見せていない。重巡洋艦や駆逐艦たちも
所々に対空砲火の薬莢の汚れや、被弾した航空機の破片による軽微な損傷はあるものの
大きな被害は見受けられなかった。

しかし、その中で、空母部隊の状況は対照的だった。
前日沈んだ「祥鳳」の喪失は、艦隊全体に重くのしかかっていた。
そして、主力空母の一翼を担った「翔鶴」は
米軍機の執拗な攻撃をしのぎきったものの、その飛行甲板には痛々しい被弾の跡が残っていた。
黒焦げになった部分、陥没した甲板、そして応急処置で塞がれた穴が
激戦の記憶を雄弁に物語っていた。

大和の対空戦闘指揮官、井上少佐は、トラック泊地に投錨した大和の艦橋から
損傷した翔鶴を複雑な面持ちで見つめていた。
彼の新型電探と対空砲員たちの奮闘が、翔鶴の沈没を回避したことは確かだ。
しかし、祥鳳を守りきれなかったという事実
そして翔鶴が爆弾2発とはいえ被弾したという事実は、彼に安堵以上の課題を突きつけていた。

「我々の防空能力は、確かに向上している。
 だが、敵の攻撃はさらに激しくなるだろう。このままでは、いずれ……」

彼の脳裏には、空から降る爆弾と魚雷の雨、そして炎上する空母の姿が焼き付いていた。

トラック泊地は、熱帯特有の湿気を帯びた空気に満ちていたが、
活気は尋常ではなかった。補給艦や工作艦が多数集結し、
艦艇への燃料補給、食料や弾薬の積み込み、そして緊急を要する
修理作業が開始された。各艦の医務室では、
負傷した兵士たちの手当てが急ピッチで行われていた。

大和の艦内でも、戦闘で疲弊した乗員たちは
わずかな休息を取る間もなく、次の任務に備えていた。
主砲員たちは、発砲訓練で消耗した砲身の点検を行い
対空砲員たちは、熱線で焼かれた機銃の銃身を交換していた。
田辺中佐もまた、主砲測距儀の最終チェックを行っていた。
揺動防止装置のおかげで、発砲時の測距儀への影響は最小限に抑えられたが
さらなる改良の余地はないかと、彼は常に考えていた。


トラック泊地に帰港後、連合艦隊司令部から
ある重要な命令が下された。それは、損傷した「翔鶴」を、直ちに呉へと帰還させる
というものであった。翔鶴は、先の海戦で爆弾2発を被弾し
飛行甲板に穴が開き、格納庫で火災も発生した。航行自体は可能であったが
本格的な修理と搭載機の補充、そして何よりも練度の高い搭乗員の補充が不可欠であった。

「翔鶴には、駆逐艦二隻を護衛につけて、呉へ向かわせる」

司令長官の言葉に、大和の艦長は無言で頷いた。
翔鶴は、日本海軍の航空戦力の中核を担う貴重な存在であり
その早期の復帰は、来るべき戦いを乗り切る上で極めて重要であった。

数日後、トラック泊地の広大な海面に、ゆっくりと旋回を始める翔鶴の姿があった。
その飛行甲板には、痛々しい応急修理の跡が生々しく残っていた。
翔鶴は、護衛の駆逐艦二隻、「夕暮」と「有明」を従え、静かにトラック泊地を離れていった。

「翔鶴よ、無事に呉へ戻り、再びこの海で我々と共に戦ってくれ……」

井上少佐は、遠ざかる翔鶴の姿に、心の中でそう呟いた。
彼の胸中には、祥鳳を失った悔しさと、翔鶴の無事な帰還への安堵が入り混じっていた。


翔鶴が呉へと去った後、大和以下、主要艦艇はトラック泊地に留まり
来るべき次なる作戦に備えることになった。トラック泊地は
その広大さゆえに「太平洋の真珠」とも呼ばれる日本海軍の最重要拠点であった。
しかし、その広大な海面は、時として将兵たちに
終わりの見えない戦いへの不安と、未来への思索を促す場所でもあった。

大和の艦橋では、連日、今後の作戦に関する会議が重ねられた。
珊瑚海海戦の結果は、日本海軍の航空戦力と艦隊防空のあり方に
大きな問いを投げかけていた。

「空母の重要性は、もはや議論の余地がない。
 しかし、その空母を守る術は、まだ確立されていない」

司令長官の言葉は重かった。大和の対空能力は確かに有効であったが
航空機による集中攻撃の前には
いかに堅牢な艦も無傷ではいられないという現実を突きつけられた。

井上少佐は、この期間中、新型電探の更なる改良案を練り続けた。
彼は、敵機の早期発見だけでなく、敵機の編隊の構成や
攻撃の意図までをも読み解くことができるような
より高度な電探システムが必要だと考えていた。
また、対空砲員たちの練度向上も、継続的な課題であった。
彼らは、実戦を通じて多くの経験を積んだが、さらなる訓練を重ね
どのような状況下でも冷静に、そして正確に対空射撃を行えるよう
その技量を磨き続ける必要があった。

一方で、田辺中佐のような大艦巨砲主義者たちは
空母の重要性が増す中で、戦艦の役割が相対的に低下していくのではないかという
漠然とした不安を抱き始めていた。珊瑚海海戦では
大和の巨砲が火を噴く機会は訪れなかった。彼らにとって
戦艦の存在意義は、あくまで敵艦隊との砲戦であり
そのためにこそ、これほどの巨艦が建造されたはずであった。

「やはり、次こそは、敵艦隊との決戦を望む……」

田辺中佐は、整備された46cm主砲を見上げながら、
静かにそう呟いた。揺動防止装置のおかげで、主砲の発砲精度は維持される。
彼らは、その時を待ち望んでいた。

しかし、大和の将兵たちが過ごすトラック泊地での日々は
単なる待機期間ではなかった。それは、来るべきより大規模な戦いに向けた
静かなる準備期間であった。将兵たちは、故郷からの手紙を読み
故郷の家族に思いを馳せながら、再びこの海で戦うための気力と体力を養っていた。

太平洋戦争は、既に泥沼化の様相を呈し始めていた。
日本の緒戦の快進撃は、確実に連合国の反攻を招き、米国の圧倒的な物量と
航空技術の進歩は、日本海軍の想定を遥かに超える速さで現実のものとなっていた。
トラック泊地の穏やかな波音は、しかし、遠くで響く戦いの足音を
隠すことはできなかった。大和は、その巨体に日本の希望と
そして来るべき戦いの重圧を背負いながら、この太平洋の要衝で
静かにその時を待っていたのである。
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