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決戦 対ソ邀撃作戦
帝国海軍の意地
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一九四五年九月二日、午前二時。
空からの航空隊による苛烈な蹂躙によって、稚内沖のソ連太平洋艦隊は
すでに統制を失いつつあった。炎上する輸送船、爆発を起こす護衛艦。
黎明の空を焦がす火柱が海面を赤く染める中
その混乱の極致にある戦域へと、もう一つの巨大な死神が音もなく近づいていた。
大日本帝国海軍、第一艦隊。それは、かつての連合艦隊が最後に振り絞った
最強にして最後の水上打撃部隊であった。 艦隊の先頭に立つのは
歴戦の重巡洋艦「妙高」である。その重厚な艦影は
数々の海戦を生き抜いてきた者だけが持つ、独特の威圧感を放っていた。
妙高の背後には、同型艦の「羽黒」、そして古強者の「古鷹」
さらに戦時急造ながらも最新の設計思想を盛り込んだ未完の重巡「伊吹」が
一列縦陣を形成して続く。
艦隊の左右を固めるのは、水雷戦隊の精鋭たちである。
「不沈艦三羽烏」としてその名を全軍に轟かせる「雪風」「霞」「朝霜」を筆頭に
松型、橘型といった二等駆逐艦たちが、鋭い刃のように波を切り裂きながら進んでいく。
妙高の艦橋、防弾ガラス越しに広がる戦場を
古賀峯一連合艦隊司令長官は凝視していた。
彼の視界の先では、ソ連艦隊が不規則な砲火を空に向けて放ち
目に見えない空の敵に怯えている。
「……航空部隊だけに戦果を独占させるなよ。
この戦争、最後の大立ち回りだ。大日本帝国海軍、水雷屋の意地を見せてくれよう」
古賀の言葉は、静かではあったが、艦橋内にいた士官たちの
胸に深く突き刺さった。彼らは、ワシントンで死を賭して戦っている
高倉という男の存在こそ知らないが、自分たちが今
日本の歴史の最後の一頁を書き換えるために
ここにいるという事実は、肌身で感じ取っていた。
「主砲右砲戦。弾種、一式徹甲弾。目標、敵巡洋艦群。詳細測距始め」
妙高の砲術長による、冷徹な号令が発せられた。
艦橋頂部に据えられた六メートル測距儀が、重量感のある音を立てて旋回を始める。
射撃指揮所内では、熟練の計算手たちが、入力される膨大なデータと格闘していた。
敵巡洋艦との距離、自艦および敵艦の航進速度、進路の方位。
それだけではない。大気の状態、風向風速、気温
さらには地球の自転が生み出す偏流、緯度による重力差。
あらゆる物理的変数が、機械式計算機の中で統合され
射撃諸元へと変換されていく。
「距離一万四〇〇〇。一万三七四〇……。仰角九・一度。右砲戦三九度」
伝声管から流れる観測員の報告は、一切の動揺を感じさせない。
ソ連艦隊はレーダーを装備してはいたが
それを効果的に運用する訓練が不足しており
日本艦隊の接近を、光学的な火線が走るまで察知できずにいた。
「撃て!」
午前二時三十分。妙高の二〇センチ連装砲五基、計十門が一斉に咆哮した。
凄まじい衝撃波が海面を叩き、巨大なマズルフラッシュが
夜の海を真昼のように照らし出す。放たれた一式徹甲弾は
美しい放物線を描きながら、ソ連艦隊の中心へと突き進んでいった。
「目標、敵クリーブランド級巡洋艦。初弾から当てるつもりで行け」
砲手たちの練度は、極限に達していた。レーダーという文明の利器を
盲信するのではなく、己の目と、長年の訓練で培った感覚を
信じるプロフェッショナルたちが、そこにはいた。
第一斉射は、敵艦の周囲に巨大な水柱を上げる至近弾となった。
ソ連艦隊の旗艦、クリーブランド級巡洋艦の艦橋では、パニックが巻き起こっていた。
「どこだ! どこから撃ってきている! レーダーには何も映っていないぞ!」
ソ連の艦長が叫ぶ。彼らにとって、日本軍はすでに死に体であり
水上戦闘を仕掛けてくるなど、想定の外であった。
しかし、現実は残酷であった。日本海軍の伝統である
「初弾挟差」は、第二斉射で現実のものとなった。
「夾差! 次、修正なしで行け!」
妙高の放った第二、第三斉射が、ついに敵巡洋艦を捉えた。
一式徹甲弾がクリーブランド級の艦橋を貫通し、後部砲塔付近で大爆発を起こした。
最新鋭の米国製巡洋艦は、その優れた火力を発揮する間もなく
内部から噴き出す炎によって、巨大な鉄の棺桶へと変貌していった。
だが、ソ連側も無抵抗ではなかった。盲滅法に放たれた反撃の砲弾のうち
二発が妙高に命中する。一発は装甲を弾いたが
もう一発が後部の四番砲塔を直撃した。
「四番砲塔、大破! 給弾室で火災発生!」
「消火を急げ。戦闘継続に支障なし。全門、目標を次弾へ移行せよ」
中瀬艦長の命令は揺るがない。
旗艦の負った傷は、そのまま日本艦隊の闘志へと変換された。
重巡戦隊が砲戦の火花を散らす中、その背後から海面を滑るように影が動いた。
雪風を先頭とする駆逐隊である。
「駆逐隊、全速! 距離三〇〇〇まで詰めろ。露助どもに
水雷屋の本当の恐ろしさを叩き込んでやるんだ」
雪風の艦長、寺内中佐は、荒れる波を裂く艦首を見つめながら叫んだ。
雪風、霞、朝霜の三隻は、三五ノットを超える快速で
ソ連艦隊の懐深くへと潜り込んでいく。敵の駆逐艦が慌てて
機銃の水平射撃で応戦してくるが、雪風はその弾幕の間を
まるで自意識を持っているかのように翻り、回避していく。
「魚雷戦、用意」
雪風の発射管が旋回し、九三式酸素魚雷がその凶悪な頭部を向けた。
酸素魚雷。それは、航跡を残さず、圧倒的な射程と破壊力を誇る
日本海軍が世界に誇った秘密兵器である。
ソ連兵たちがどれほど海面を凝視しようとも
死の使いは水の底を音もなく忍び寄り、彼らの横腹を狙っている。
「魚雷、発射ッ!」
圧縮酸素が放出される特有の音と共に、次々と魚雷が海中へと解き放たれた。
数分間の、静寂に近い待機。そして、戦場の喧騒をすべてかき消すような
巨大な衝撃音が夜の海を震撼させた。 ドォォォォォォォン!
ソ連の大型巡洋艦一隻と、駆逐艦二隻が、ほぼ同時に大爆発を起こした。
酸素魚雷の巨大な弾頭が、敵艦の弾薬庫を誘爆させたのだ。
数百メートルの高さまで噴き上がった火柱が
艦体を中央から真っ二つに折り
巨艦たちは一瞬にして海中へと引きずり込まれていった。
「魚雷発射完了。全艦、一度離脱せよ。巡洋艦戦隊、掩護射撃を開始せよ」
寺内艦長の命令により、駆逐隊は一斉に反転し
煙幕を展開しながら敵の射程外へと退いた。
しかし、彼らの戦いはここで終わりではなかった。
日本軍の駆逐艦の甲板では、欧米の海軍関係者が目にすれば
驚愕するであろう光景が繰り広げられていた。
「急げ! 次の獲物が待っているぞ! 手を休めるな!」
揺れる甲板、冷たい飛沫を浴びながら、水雷員たちが
数トンもある巨大な魚雷を再装填装置へと押し込んでいた。
次発装填。それは、予備魚雷を艦上に保持し
短時間で再び攻撃態勢を整えるという、日本海軍独自の執念が生んだ技術である。
欧米の駆逐艦は、一度魚雷を撃てば基地に戻るまで再攻撃は不可能だが
日本の駆逐艦は、戦場の真っ只中で牙を研ぎ直すことができるのだ。
「再装填完了。第二次突入を敢行する」
わずか二十分後、牙を揃えた駆逐隊が再び煙幕から姿を現した。
今度の戦場は、すでに崩壊し、逃げ場を失ったソ連艦隊との「砲乱戦」であった。
「当たる、当たるぞ! あんな鈍い動き
米軍の回避運動に比べれば止まっているのも同然だ!」
妙高の砲術長が、歓喜に近い声を上げた。
日本海軍がそれまでの数年間、太平洋で戦い続けてきた米海軍は
圧倒的な機動力と正確な電探射撃を備えた、最強の敵であった。
その地獄を生き抜いてきた日本の将兵にとって
ソ連太平洋艦隊の練度は、あまりにも稚拙に感じられた。
霞が敵駆逐艦の側面を並走しながら
一二・七センチ連装砲をゼロ距離の平射で叩き込む。
砲弾が敵艦の舷側を直接食い破り、内部の機関部を粉砕する。
朝霜は、沈みかけながらもなお機銃を放ち続ける輸送船に対し、容赦のない止めを刺した。
そして雪風は、炎上し、断末魔の叫びを上げるソ連旗艦の周囲を
まるで嘲笑うかのような航跡を描きながら駆け抜け
残る魚雷をその深奥へと送り込んだ。
夜が明ける頃、稚内沖の海面は、かつてないほどの惨状を呈していた。
一面に広がる重油の黒い膜、漂流する艦艇の残骸、そして救助を求めて叫ぶソ連兵の声。
ソ連が北海道という獲物を手に入れるために用意した
その壮大な夢の象徴であった太平洋艦隊は
今や北の海の底へと沈み、あるいは消えることのない炎となって漂っていた。
妙高の艦橋に立つ古賀は、昇る朝日に照らされた海面を、無言で見つめていた。
周囲の兵士たちは、燃えながら沈んでいくソ連艦に対し、静かに敬礼を捧げている。
そこには、勝利への熱狂というよりも、己に課せられた過酷な使命を完遂したという
深い達成感と、ある種の寂寥感が漂っていた。
「……高倉提督。聞こえますか。あなたの繋いだ時間が
今、北の海を日本の色に染めましたよ」
古賀は、ワシントンにいるであろう一人の男の名を、心の中で呟いた。
彼らがこの極北の海で手に入れた勝利は、単なる一つの海戦の勝利ではない。
それは、日本という国家が
自らの意志で未来を選択するための、血で購われた「時間」であった。
しかし、海の上での完全な勝利とは対照的に
陸の大地では凄惨な報告がもたらされつつあった。
「電信。音威子府の第七師団、ソ連軍第二波の猛攻を受け壊滅。
残存部隊は旭川に向けて撤退を開始した模様」
艦橋の通信士が、沈痛な声で報告した。 音威子府での防衛戦において
第七師団はソ連軍六万という圧倒的な兵力に対し
文字通り全滅を厭わぬ戦いを繰り広げた。
彼らは渓谷に仕掛けた航空爆弾の大威力地雷
そして村の家々を爆破する焦土作戦によって
ソ連軍に八千人以上の死傷者という甚大な損害を与えたのである。
しかし、兵数に勝るソ連側は、スターリンからの
「何としても九月三日までに北海道を制圧せよ」という苛烈な圧力を受け
死体の山を築きながらも前進を止めなかった。
ソ連軍は傷つきながらも、その矛先を旭川へと向けていた。
一方、稚内市内では、戦艦「伊勢」から発進した義烈空挺隊が、影のように暗躍していた。
彼らはソ連軍の野戦基地、弾薬集積所、そして航空拠点に対する
破壊活動を徹底して行い
海上の補給を断たれたソ連軍の足を、内側から確実に蝕んでいた。
そして、北海道の心臓部、旭川。
ここには、日本軍の最後にして最大の反撃戦力が集結しつつあった。
音威子府から命からがら撤退してきた第七師団の生き残りを核とし
青森、岩手、宮城、山形、福島といった東北各県の師団が
青函航路を通じて続々と北海道へ送り込まれていた。
旭川の駅舎や練兵場は、迷彩服に身を包んだ兵士たちと
大量の軍需物資で埋め尽くされている。その中には
本来なら本土決戦のために温存されていた、最新鋭の「三式中戦車(チヌ)」を含む
機甲部隊の姿もあった。さらには、宮城を守護する
近衛歩兵師団の一部までもが、この北の決戦場に姿を現していた。
補給を断たれ、背後を空挺隊に脅かされながらも
死に物狂いで進撃するソ連軍。 それに対し、全国から集結した精鋭部隊を盾に
反撃の牙を研ぐ日本軍。 稚内沖の勝利によって
戦場の天秤は激しく揺れ動き始めていた。
ワシントンの地下室で、高倉義人はこの戦報をどのように受け取るのか。
彼が蒔いた「日米共闘」という奇妙な種は
今、北海道の大地と海で、歴史を覆す巨大な花を咲かせようとしていた。
古賀は妙高の艦橋から、夜明けの光に白く光る稚内の海岸線を、もう一度深く見つめた。
「戦いは、まだ終わっていない。……ここからが、本当の正念場だ」
朝日を背に受けて、第一艦隊はゆっくりと針路を南へと向けた。
旭川へ、そして日本の未来へと続く、長く険しい道程が、そこには広がっていた。
一九四五年九月二日、稚内沖。大日本帝国海軍が最後に見せた「意地」は
ソ連の極東野望を一時的に粉砕した。
しかし、その勝利の代償として、北の大地はより深い血の赤に染まろうとしていた。
スターリンの焦燥、高倉の暗躍、そして現場で散っていく無数の命。
運命の歯車は、もはや誰にも止められない速度で、旭川へと向かって回転を始めていたのである。
空からの航空隊による苛烈な蹂躙によって、稚内沖のソ連太平洋艦隊は
すでに統制を失いつつあった。炎上する輸送船、爆発を起こす護衛艦。
黎明の空を焦がす火柱が海面を赤く染める中
その混乱の極致にある戦域へと、もう一つの巨大な死神が音もなく近づいていた。
大日本帝国海軍、第一艦隊。それは、かつての連合艦隊が最後に振り絞った
最強にして最後の水上打撃部隊であった。 艦隊の先頭に立つのは
歴戦の重巡洋艦「妙高」である。その重厚な艦影は
数々の海戦を生き抜いてきた者だけが持つ、独特の威圧感を放っていた。
妙高の背後には、同型艦の「羽黒」、そして古強者の「古鷹」
さらに戦時急造ながらも最新の設計思想を盛り込んだ未完の重巡「伊吹」が
一列縦陣を形成して続く。
艦隊の左右を固めるのは、水雷戦隊の精鋭たちである。
「不沈艦三羽烏」としてその名を全軍に轟かせる「雪風」「霞」「朝霜」を筆頭に
松型、橘型といった二等駆逐艦たちが、鋭い刃のように波を切り裂きながら進んでいく。
妙高の艦橋、防弾ガラス越しに広がる戦場を
古賀峯一連合艦隊司令長官は凝視していた。
彼の視界の先では、ソ連艦隊が不規則な砲火を空に向けて放ち
目に見えない空の敵に怯えている。
「……航空部隊だけに戦果を独占させるなよ。
この戦争、最後の大立ち回りだ。大日本帝国海軍、水雷屋の意地を見せてくれよう」
古賀の言葉は、静かではあったが、艦橋内にいた士官たちの
胸に深く突き刺さった。彼らは、ワシントンで死を賭して戦っている
高倉という男の存在こそ知らないが、自分たちが今
日本の歴史の最後の一頁を書き換えるために
ここにいるという事実は、肌身で感じ取っていた。
「主砲右砲戦。弾種、一式徹甲弾。目標、敵巡洋艦群。詳細測距始め」
妙高の砲術長による、冷徹な号令が発せられた。
艦橋頂部に据えられた六メートル測距儀が、重量感のある音を立てて旋回を始める。
射撃指揮所内では、熟練の計算手たちが、入力される膨大なデータと格闘していた。
敵巡洋艦との距離、自艦および敵艦の航進速度、進路の方位。
それだけではない。大気の状態、風向風速、気温
さらには地球の自転が生み出す偏流、緯度による重力差。
あらゆる物理的変数が、機械式計算機の中で統合され
射撃諸元へと変換されていく。
「距離一万四〇〇〇。一万三七四〇……。仰角九・一度。右砲戦三九度」
伝声管から流れる観測員の報告は、一切の動揺を感じさせない。
ソ連艦隊はレーダーを装備してはいたが
それを効果的に運用する訓練が不足しており
日本艦隊の接近を、光学的な火線が走るまで察知できずにいた。
「撃て!」
午前二時三十分。妙高の二〇センチ連装砲五基、計十門が一斉に咆哮した。
凄まじい衝撃波が海面を叩き、巨大なマズルフラッシュが
夜の海を真昼のように照らし出す。放たれた一式徹甲弾は
美しい放物線を描きながら、ソ連艦隊の中心へと突き進んでいった。
「目標、敵クリーブランド級巡洋艦。初弾から当てるつもりで行け」
砲手たちの練度は、極限に達していた。レーダーという文明の利器を
盲信するのではなく、己の目と、長年の訓練で培った感覚を
信じるプロフェッショナルたちが、そこにはいた。
第一斉射は、敵艦の周囲に巨大な水柱を上げる至近弾となった。
ソ連艦隊の旗艦、クリーブランド級巡洋艦の艦橋では、パニックが巻き起こっていた。
「どこだ! どこから撃ってきている! レーダーには何も映っていないぞ!」
ソ連の艦長が叫ぶ。彼らにとって、日本軍はすでに死に体であり
水上戦闘を仕掛けてくるなど、想定の外であった。
しかし、現実は残酷であった。日本海軍の伝統である
「初弾挟差」は、第二斉射で現実のものとなった。
「夾差! 次、修正なしで行け!」
妙高の放った第二、第三斉射が、ついに敵巡洋艦を捉えた。
一式徹甲弾がクリーブランド級の艦橋を貫通し、後部砲塔付近で大爆発を起こした。
最新鋭の米国製巡洋艦は、その優れた火力を発揮する間もなく
内部から噴き出す炎によって、巨大な鉄の棺桶へと変貌していった。
だが、ソ連側も無抵抗ではなかった。盲滅法に放たれた反撃の砲弾のうち
二発が妙高に命中する。一発は装甲を弾いたが
もう一発が後部の四番砲塔を直撃した。
「四番砲塔、大破! 給弾室で火災発生!」
「消火を急げ。戦闘継続に支障なし。全門、目標を次弾へ移行せよ」
中瀬艦長の命令は揺るがない。
旗艦の負った傷は、そのまま日本艦隊の闘志へと変換された。
重巡戦隊が砲戦の火花を散らす中、その背後から海面を滑るように影が動いた。
雪風を先頭とする駆逐隊である。
「駆逐隊、全速! 距離三〇〇〇まで詰めろ。露助どもに
水雷屋の本当の恐ろしさを叩き込んでやるんだ」
雪風の艦長、寺内中佐は、荒れる波を裂く艦首を見つめながら叫んだ。
雪風、霞、朝霜の三隻は、三五ノットを超える快速で
ソ連艦隊の懐深くへと潜り込んでいく。敵の駆逐艦が慌てて
機銃の水平射撃で応戦してくるが、雪風はその弾幕の間を
まるで自意識を持っているかのように翻り、回避していく。
「魚雷戦、用意」
雪風の発射管が旋回し、九三式酸素魚雷がその凶悪な頭部を向けた。
酸素魚雷。それは、航跡を残さず、圧倒的な射程と破壊力を誇る
日本海軍が世界に誇った秘密兵器である。
ソ連兵たちがどれほど海面を凝視しようとも
死の使いは水の底を音もなく忍び寄り、彼らの横腹を狙っている。
「魚雷、発射ッ!」
圧縮酸素が放出される特有の音と共に、次々と魚雷が海中へと解き放たれた。
数分間の、静寂に近い待機。そして、戦場の喧騒をすべてかき消すような
巨大な衝撃音が夜の海を震撼させた。 ドォォォォォォォン!
ソ連の大型巡洋艦一隻と、駆逐艦二隻が、ほぼ同時に大爆発を起こした。
酸素魚雷の巨大な弾頭が、敵艦の弾薬庫を誘爆させたのだ。
数百メートルの高さまで噴き上がった火柱が
艦体を中央から真っ二つに折り
巨艦たちは一瞬にして海中へと引きずり込まれていった。
「魚雷発射完了。全艦、一度離脱せよ。巡洋艦戦隊、掩護射撃を開始せよ」
寺内艦長の命令により、駆逐隊は一斉に反転し
煙幕を展開しながら敵の射程外へと退いた。
しかし、彼らの戦いはここで終わりではなかった。
日本軍の駆逐艦の甲板では、欧米の海軍関係者が目にすれば
驚愕するであろう光景が繰り広げられていた。
「急げ! 次の獲物が待っているぞ! 手を休めるな!」
揺れる甲板、冷たい飛沫を浴びながら、水雷員たちが
数トンもある巨大な魚雷を再装填装置へと押し込んでいた。
次発装填。それは、予備魚雷を艦上に保持し
短時間で再び攻撃態勢を整えるという、日本海軍独自の執念が生んだ技術である。
欧米の駆逐艦は、一度魚雷を撃てば基地に戻るまで再攻撃は不可能だが
日本の駆逐艦は、戦場の真っ只中で牙を研ぎ直すことができるのだ。
「再装填完了。第二次突入を敢行する」
わずか二十分後、牙を揃えた駆逐隊が再び煙幕から姿を現した。
今度の戦場は、すでに崩壊し、逃げ場を失ったソ連艦隊との「砲乱戦」であった。
「当たる、当たるぞ! あんな鈍い動き
米軍の回避運動に比べれば止まっているのも同然だ!」
妙高の砲術長が、歓喜に近い声を上げた。
日本海軍がそれまでの数年間、太平洋で戦い続けてきた米海軍は
圧倒的な機動力と正確な電探射撃を備えた、最強の敵であった。
その地獄を生き抜いてきた日本の将兵にとって
ソ連太平洋艦隊の練度は、あまりにも稚拙に感じられた。
霞が敵駆逐艦の側面を並走しながら
一二・七センチ連装砲をゼロ距離の平射で叩き込む。
砲弾が敵艦の舷側を直接食い破り、内部の機関部を粉砕する。
朝霜は、沈みかけながらもなお機銃を放ち続ける輸送船に対し、容赦のない止めを刺した。
そして雪風は、炎上し、断末魔の叫びを上げるソ連旗艦の周囲を
まるで嘲笑うかのような航跡を描きながら駆け抜け
残る魚雷をその深奥へと送り込んだ。
夜が明ける頃、稚内沖の海面は、かつてないほどの惨状を呈していた。
一面に広がる重油の黒い膜、漂流する艦艇の残骸、そして救助を求めて叫ぶソ連兵の声。
ソ連が北海道という獲物を手に入れるために用意した
その壮大な夢の象徴であった太平洋艦隊は
今や北の海の底へと沈み、あるいは消えることのない炎となって漂っていた。
妙高の艦橋に立つ古賀は、昇る朝日に照らされた海面を、無言で見つめていた。
周囲の兵士たちは、燃えながら沈んでいくソ連艦に対し、静かに敬礼を捧げている。
そこには、勝利への熱狂というよりも、己に課せられた過酷な使命を完遂したという
深い達成感と、ある種の寂寥感が漂っていた。
「……高倉提督。聞こえますか。あなたの繋いだ時間が
今、北の海を日本の色に染めましたよ」
古賀は、ワシントンにいるであろう一人の男の名を、心の中で呟いた。
彼らがこの極北の海で手に入れた勝利は、単なる一つの海戦の勝利ではない。
それは、日本という国家が
自らの意志で未来を選択するための、血で購われた「時間」であった。
しかし、海の上での完全な勝利とは対照的に
陸の大地では凄惨な報告がもたらされつつあった。
「電信。音威子府の第七師団、ソ連軍第二波の猛攻を受け壊滅。
残存部隊は旭川に向けて撤退を開始した模様」
艦橋の通信士が、沈痛な声で報告した。 音威子府での防衛戦において
第七師団はソ連軍六万という圧倒的な兵力に対し
文字通り全滅を厭わぬ戦いを繰り広げた。
彼らは渓谷に仕掛けた航空爆弾の大威力地雷
そして村の家々を爆破する焦土作戦によって
ソ連軍に八千人以上の死傷者という甚大な損害を与えたのである。
しかし、兵数に勝るソ連側は、スターリンからの
「何としても九月三日までに北海道を制圧せよ」という苛烈な圧力を受け
死体の山を築きながらも前進を止めなかった。
ソ連軍は傷つきながらも、その矛先を旭川へと向けていた。
一方、稚内市内では、戦艦「伊勢」から発進した義烈空挺隊が、影のように暗躍していた。
彼らはソ連軍の野戦基地、弾薬集積所、そして航空拠点に対する
破壊活動を徹底して行い
海上の補給を断たれたソ連軍の足を、内側から確実に蝕んでいた。
そして、北海道の心臓部、旭川。
ここには、日本軍の最後にして最大の反撃戦力が集結しつつあった。
音威子府から命からがら撤退してきた第七師団の生き残りを核とし
青森、岩手、宮城、山形、福島といった東北各県の師団が
青函航路を通じて続々と北海道へ送り込まれていた。
旭川の駅舎や練兵場は、迷彩服に身を包んだ兵士たちと
大量の軍需物資で埋め尽くされている。その中には
本来なら本土決戦のために温存されていた、最新鋭の「三式中戦車(チヌ)」を含む
機甲部隊の姿もあった。さらには、宮城を守護する
近衛歩兵師団の一部までもが、この北の決戦場に姿を現していた。
補給を断たれ、背後を空挺隊に脅かされながらも
死に物狂いで進撃するソ連軍。 それに対し、全国から集結した精鋭部隊を盾に
反撃の牙を研ぐ日本軍。 稚内沖の勝利によって
戦場の天秤は激しく揺れ動き始めていた。
ワシントンの地下室で、高倉義人はこの戦報をどのように受け取るのか。
彼が蒔いた「日米共闘」という奇妙な種は
今、北海道の大地と海で、歴史を覆す巨大な花を咲かせようとしていた。
古賀は妙高の艦橋から、夜明けの光に白く光る稚内の海岸線を、もう一度深く見つめた。
「戦いは、まだ終わっていない。……ここからが、本当の正念場だ」
朝日を背に受けて、第一艦隊はゆっくりと針路を南へと向けた。
旭川へ、そして日本の未来へと続く、長く険しい道程が、そこには広がっていた。
一九四五年九月二日、稚内沖。大日本帝国海軍が最後に見せた「意地」は
ソ連の極東野望を一時的に粉砕した。
しかし、その勝利の代償として、北の大地はより深い血の赤に染まろうとしていた。
スターリンの焦燥、高倉の暗躍、そして現場で散っていく無数の命。
運命の歯車は、もはや誰にも止められない速度で、旭川へと向かって回転を始めていたのである。
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蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか?
それともオロシャになるのか?
西洋帆船は導入されるのか?
幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
対ソ戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。
前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。
未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!?
小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
大和型重装甲空母
ypaaaaaaa
歴史・時代
1937年10月にアメリカ海軍は日本海軍が”60000トンを超す巨大戦艦”を”4隻”建造しているという情報を掴んだ。海軍はすぐに対抗策を講じてサウスダコタ級戦艦に続いてアイオワ級戦艦を4隻建造することとした。そして1941年12月。日米は戦端を開いたが戦列に加わっていたのは巨大戦艦ではなく、”巨大空母”であった。
日英同盟不滅なり
竹本田重朗
歴史・時代
世界は二度目の世界大戦に突入した。ヒトラー率いるナチス・ドイツがフランス侵攻を開始する。同時にスターリン率いるコミンテルン・ソビエトは満州に侵入した。ヨーロッパから極東まで世界を炎に包まれる。悪逆非道のファシストと共産主義者に正義の鉄槌を下せ。今こそ日英同盟が島国の底力を見せつける時だ。
※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
以上をご理解の上でお読みください
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