11 / 45
4-1
しおりを挟む翌日、コーヒーを淹れてウォーマーの上に置くと、壱月は家を出た。時間はまだ八時前で、少し早い。それでもまだ楽が怒ってるかもしれないと思うと、顔を合わせる勇気がなかった。そのまま何か墓穴を掘って嫌われたりしたら立ち直れない。ひとまず様子を見よう、と決めた。
学校に着き、ホールの掲示板を眺めているとそこへ駆け寄る足音が響いた。
「壱月」
その声に振り返ると亮平が手を振っている。まだ講義の時間まで三十分以上ある。ほとんど講義の入ってない亮平がこの時間に学校に居るのは珍しかった。
「早いね、亮平」
「いや、昨日は研究室泊まり。で、さっき窓から壱月見つけて」
「そうなんだ、お疲れ様」
壱月が微笑むと、亮平は頷いて壱月の指先を掴む。周りに人が居ないとはいえ、その行動に驚いて亮平を見上げ、口を開く。
「何?」
「いいから、ちょっとこっち」
亮平に引かれ向かったのは教室のひとつだった。まだ講義が始まっていないそこは人も居らず、静かだ。壁際に壱月を連れてくると、そのままぎゅっと抱きしめる。
「なっ、に……亮平、離して」
それに驚いた壱月が訴える。いくら誰も居ないとはいえ、学校のような公共の場でこんなことはしたくなかった。けれど亮平はその訴えを聞いてはくれない。それどころかその両手は壱月の衣服の端から素肌を求めて入り込んでくる。
「もう少しだけ、先に進ませて」
亮平はいつも強引だが、関係を進めることについてはとても慎重にしてくれていた。だから、こんな事は滅多にない。壱月は亮平を宥めるように背中に腕を廻した。ぎゅっと抱き寄せて、亮平、と呼びかける。
「亮平、なんかあったの?」
問いかけると、亮平の手が止まった。長いため息が壱月の肩口に掛かる。
「……卒論のデータ、全部消えた。研究室の奴らの分も俺が預かってたのに……就活もまたダメだったし」
亮平は壱月に身を預けるようにしながら話した。その話に、壱月の心臓は射抜かれたように痛む。やっぱり自分のせいなのではないか、と思った。
「亮平……」
壱月が何か言葉をかけようと思った時、壱月のカバンからスマホの着信音が響いた。
慌てて取り出すと楽の名前が見えた。それを見た亮平が咄嗟に口を開く。
「出るな。おれと居ろ。なあ、おれのことだけ考えてろよ、壱月」
すっかり弱っている亮平の様子に、壱月は頷いてそのままスマホをカバンに戻した。
楽からの着信を無視したのは初めてだった。心の中で何度もごめんね、と謝る。
「亮平、研究室戻った方がいいんじゃない? 忙しいでしょ、データ消えたとかなら」
「やる気なんか起きるかよ……修復かけるったって明日だよ。今日はもういい」
壱月を抱きしめたまま亮平はため息を吐く。
「じゃあ、帰って休んだ方がよくない? 疲れた顔してるし」
壱月は亮平の顔を見上げて言った。すると、亮平は、そうか? と小さく笑う。
「だったら、壱月も来てよ。抱き枕になって」
「僕は、これから講義あるから……」
「いいだろ、こんな時くらい。慰めてよ」
耳朶にキスをして、亮平が囁くように言う。 それに壱月はうーんと唸って悩んだ。必修が詰まっている今日はあまり休めない。代返もきかない講義もあったはずだ。
「もうすぐ学祭だし、レポートも増えるからあまり休みたくないんだけど……」
「学祭、一緒に廻れるように卒論進めたいんだよ。頑張るために壱月が必要なんだよ」
そんなふうに言われてしまっては、今の亮平を放っておくことは出来なかった。もし卒論が消えたなんて不運が自分のせいならば、自分にだって責任はある。学祭を一緒に廻りたいとは思ってないのだが、亮平が望むのなら、ついていくのが壱月にできる責任の取り方なのかもしれない。
「昼まででもいい? 午後から外せない講義あるから」
「いいよ。その頃には寝ちゃうと思うし」
じゃあ行こう、と亮平は嬉しそうに壱月の手を引いた。壱月は仕方なくそれについていく。ホールまで来ると、さすがに手は離したが、亮平はずっと傍を歩いていた。嫉妬深い恋人は、いつも必要以上に近くを歩く。これが牽制なのだと彼は言うが、壱月は正直恥ずかしいし歩きにくくて嫌だった。
「壱月、先来てたのか?」
亮平との距離に気を取られていると、目の前からそんな声が飛んできた。顔を上げるとそこには楽が立っている。
「楽……うん、ちょっと用があって」
「電話、出なかったから心配した。で、その用って、コイツ?」
楽は切れ長の鋭い目を更に鋭くして亮平を見やった。うんまあ、と壱月は曖昧に返事をする。
「行くよ、壱月」
楽のことをよく思っていない亮平は会話を断とうと壱月の背中をぽん、と叩いた。
「行くって何? 今日必修だろ」
亮平の言葉に驚いた楽は壱月に怪訝な表情を見せる。
「うん、ちょっと、ね……午後には戻るから」
「午後って、午前の授業はどうすんだよ」
楽が壱月の目を見つめる。壱月はその真っ直ぐな目を見ていられなくて目を伏せた。
「壱月の同居人、だよね? 友達なら代返してやればいいだろ。それ以外は口出すような場面じゃないの、わかるだろ」
亮平は楽を見つめ、居丈高に言い放った。そして、そっと壱月の指を自分のそれに絡める。楽の表情が険しく変わった。心なしか空気がひんやりと冷たくなった気がする。
「ちょっ、亮平!」
驚いた壱月が手を離そうとするけれど、しっかりと繋がれたそれは離すことが出来なかった。
「壱月、そいつ、何?」
楽には、亮平のことは話したことがない。ただ、亮平の態度と雰囲気で察するものはあるのだろう。でも、亮平を『恋人だ』と楽に紹介したくなかった。
「行こう、壱月」
いつまでも答えない壱月の手を亮平が引く。
壱月はそのまま亮平に手を引かれホールを後にした。振り返った先に見えた背中がどこか悔しそうに見えたのは、壱月の願望だったのかもしれない。
23
あなたにおすすめの小説
【完結】少年王が望むは…
綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。
15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。
恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか?
【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム
死神に狙われた少年は悪魔に甘やかされる
ユーリ
BL
魔法省に悪魔が降り立ったーー世話係に任命された花音は憂鬱だった。だって悪魔が胡散臭い。なのになぜか死神に狙われているからと一緒に住むことになり…しかも悪魔に甘やかされる!?
「お前みたいなドジでバカでかわいいやつが好きなんだよ」スパダリ悪魔×死神に狙われるドジっ子「なんか恋人みたい…」ーー死神に狙われた少年は悪魔に甘やかされる??
きっと世界は美しい
木原あざみ
BL
人気者美形×根暗。自分に自信のないトラウマ持ちがはじめての恋に四苦八苦する話です。
**
本当に幼いころ、世界は優しく正しいのだと信じていた。けれど、それはただの幻想だ。世界は不平等で、こんなにも息苦しい。
それなのに、世界の中心で笑っているような男に恋をしてしまった……というような話です。
大学生同士。リア充美形と根暗くんがアパートのお隣さんになったことで始まる恋の話。少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。
ふた想い
悠木全(#zen)
BL
金沢冬真は親友の相原叶芽に思いを寄せている。
だが叶芽は合コンのセッティングばかりして、自分は絶対に参加しなかった。
叶芽が合コンに来ない理由は「酒」に関係しているようで。
誘っても絶対に呑まない叶芽を不思議に思っていた冬真だが。ある日、強引な先輩に誘われた飲み会で、叶芽のちょっとした秘密を知ってしまう。
*基本は叶芽を中心に話が展開されますが、冬真視点から始まります。
(表紙絵はフリーソフトを使っています。タイトルや作品は自作です)
三ヶ月だけの恋人
perari
BL
仁野(にの)は人違いで殴ってしまった。
殴った相手は――学年の先輩で、学内で知らぬ者はいない医学部の天才。
しかも、ずっと密かに想いを寄せていた松田(まつだ)先輩だった。
罪悪感にかられた仁野は、謝罪の気持ちとして松田の提案を受け入れた。
それは「三ヶ月だけ恋人として付き合う」という、まさかの提案だった――。
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
【完結】腹黒王子と俺が″偽装カップル″を演じることになりました。
Y(ワイ)
BL
「起こされて、食べさせられて、整えられて……恋人ごっこって、どこまでが″ごっこ″ですか?」
***
地味で平凡な高校生、生徒会副会長の根津美咲は、影で学園にいるカップルを記録して同人のネタにするのが生き甲斐な″腐男子″だった。
とある誤解から、学園の王子、天瀬晴人と“偽装カップル”を組むことに。
料理、洗濯、朝の目覚まし、スキンケアまで——
同室になった晴人は、すべてを優しく整えてくれる。
「え、これって同居ラブコメ?」
……そう思ったのは、最初の数日だけだった。
◆
触れられるたびに、息が詰まる。
優しい声が、だんだん逃げ道を塞いでいく。
——これ、本当に“偽装”のままで済むの?
そんな疑問が芽生えたときにはもう、
美咲の日常は、晴人の手のひらの中だった。
笑顔でじわじわ支配する、“囁き系”執着攻め×庶民系腐男子の
恋と恐怖の境界線ラブストーリー。
【青春BLカップ投稿作品】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる