【完結】断頭台で処刑された悪役王妃の生き直し

有栖多于佳

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第35話  マリアとフランツの日常

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前女帝マリアと前王配フランツ夫妻が、長男へと皇帝の座を譲り渡した後、終のすみかと決めて移り住んだのは、フランツの故郷モントス公国にある周囲を深い森に囲まれた、青く清んだ湖畔の傍に建つ離宮であった。



そこに気心の知れた少数の側仕えと護衛と使用人に囲まれて、マリアは少女時代のような、ゆったり穏やかな日常を最愛の夫と仲睦まじく暮らしていた。



マリアが身を包むのは、カロリーナがリンネ王国へと去り落ち込んでいたマリアンナを慰めようと、長男が農村風な離宮を建造し贈った離宮で過ごす為に、マリアンナ自らデザインした木綿のシュミーズドレスであった。



木綿とはいえ、その布は薄く軽やかに織られていて、それをたっぷりと何枚も重ね色のグラデーションも楽しめ、しかもコルセットの締め付けの無い着心地の良さをマリアはとても好ましく思っていた。



湖畔の離宮は、特別大きくも無く派手さも無いが森や湖に溶け込むように建っていて、その窓枠一つとっても洒落ていた。

庭も凝った植栽で四季折々美しく見えるように整えられていた。



「ああ、此処にいたのか。」

フランツが角から顔を覗かせて、真剣に作業に耽るマリアに声をかけた。



「あら、フランツどうしたの?」

マリアが顔を上げてフランツに問いかけた。



「王宮から手紙が届いたから、一緒に読もうと思ってね。お茶にしないかい?」

そう言うと、広いガラス製の温室に設えてあるガーデンテーブルに侍従がお茶の仕度を始めたのを横目に見ながら、ガーデンソファに腰掛け自分の横の席を手で叩いた。



「手紙、フンッどうせカールがまたフリードの事でフランツを焚き付けるようとしてるんじゃないの?」

マリアは眉間にシワを寄せながら、不機嫌そうな声で返事をして席に座った。



「いや、今回はマリアンナからだよ。」

「…」

「どうやら、こっちにやって来るらしい。」

「…」

「農学から薬学へ興味関心を広げていったらしく、マリアに薬草について教えて欲しいそうだ。」

「…薬師のネクロを呼べば良いかしら?」

「そうだね、彼に師事することは有意義だ。しかし、先ずは君が教えてあげなよ。」

「マリアンナはわたくしと話すのは気苦労だろうから、フランツがネクロと共に教えてあげて。」

マリアは顔からごっそりと表情を無くして、小さな声でそう答えた。



フランツはこの不器用な愛しの妻を優しい眼差しで眺めながら、

「もう君は皇帝じゃない、ただの母親だ。末の娘と単なる趣味の話をするのに何を気負う必要がある。マリアンナは優しい娘だ、大丈夫、私も一緒に居るから親子の語らいをしようじゃないか。」

そう諭すように言った。



予てよりマリアは決して空気が読めない、愚か者ではない。

女の自分が皇帝を継ぐなどとは考えても居なかった。

マリアの父の先皇帝も、次代は甥のフリードと早くから決めていた。



だから、フリードとその父親が喧嘩をし、フリードを殺そうと幽閉塔に閉じ込めてしまった王太子時代、わざわざ兵を率いて救済に向かい弟のフリードの父を説得し仲裁して、一命を助けたこともあった。



一人娘のマリアは遠縁のフランツへ嫁ぎ、大公夫人として家政と社交を仕切る、凡そそんな話が早くから決まっていた。



この決定を最初に覆したのは、フリードだった。



フリードが突然、新教徒へと改宗してしまった。神聖帝国皇帝は神聖教の祭祀も司る、新教徒では決してバジガン聖国の教皇が皇帝と認めない。



それなのにフリードは、

「皇帝に必要なのは教皇からの認定じゃない。為政者としての決意だ。ロンド王国はロンド国教会の祭祀に教皇の許可無しに国王が就く。帝国も同じようにしたら良い。」

そんなことを言い出した。

この話は直ぐ様バジガン聖国に伝わり、先皇帝にフリードの破門を進言してきた。



間に入った先皇帝は、祭祀は娘マリアにさせ、皇帝として政治をフリードにさせることを教皇に願い出た。

フランツとの婚姻を破棄して、帝国の為にフリードに泣く泣く嫁ぐ、皇女の矜持を勿論マリアは持ち合わせていたから、先皇帝の提案を受け入れたのに、当のフリードがその提案も拒否したのである。

当時はもう、王太子妃は儚くされて、独身であったのに。



「宗教と政治を分けること、バジガンからの干渉を受けないこと、政治と宗教の分離がこれからの帝国には必要だ。」

今でこそ大陸一の賢王と呼ばれているが、当時は鼻っ柱が強く独善的、革新的なフリードは危険だと、バジガンとその周辺から批判的な冷たい目で見られていたのだ。



頑ななフリードの態度に先皇帝はフリードを後継とするのを諦め、バジガン聖国教皇の後押しもあり、慣習を無視して娘マリアを女帝とすることを決めた。勿論、言うことを聞くフランツを王配として。婚姻後しばらく自分が皇帝で居続け、マリアに跡継ぎとなる王子が生まれたら皇位を王子へ継がせつつ母親のマリアをその摂政とすることで、世間的には女帝マリアが帝国を率いるように見せ、神聖教的にはマリアの生まれたばかりの息子に継がせることで、男子継承とする離れ業ウルトラCを使って。



マリアを後押ししたはずのバジガン聖国がこの事を公にすることを認めなかったため、相続や戦争、帝国を割った批判は全て先皇帝とマリアに集中してしまった。

況してや、皇位継承戦争をフリードがマリアに仕掛けたことで、周辺国も巻き込んだ神聖帝国の正統性を問う一大戦争へと発展してしまったのだ。

どうやらフリードは早々に自分の支配地域に鉱物資源のあるシロスク地方を組み入れたいと構想していたようで、その戦争の大義名分に皇位継承を掲げただけのようだったのだが。



この戦争の影響で、臣下も含む周囲からは、マリアは欲深な我が儘女帝と、偽物女帝と、陰口を叩かれるようになった。

その事をマリアは良くわかっていて傷ついてもいたが嘆いてばかりもいられない。

彼女には政治を行う為政者としての重圧と、必ず王子を自分自身が生まねばならないと言う更なる重圧を背負わされ、マリアの心はいつも悲鳴を上げ血の涙を流していたのだった。



結局王子はカール以外、育たなかった。



スペアの王子が居なければ、長女か次女がハデス王位を継がねばならず、自分と同じような批判と重圧を背負わねばならない。

こんな辛い思いを娘に背負わせる訳にいかない、そんな気持ちで何度も妊娠と出産を繰り返さしたがスペアの王子が育たなかった。

さすがにもう出産は無理だろうと医師に止められ、長女か次女に自分の歩みと同じ道を歩ませる苦渋の選択をした。

その時、為政者の重圧の中頼れる者は唯一自分の連れ合いだけ。であれば、せめて好いている同士を番わせ心の一助としてやりたい、マリアがこう思っていたことは誰にも知られることは無かった。実はフランツはマリアの不器用な親心を慮って口を挟むことはしていなかったが、長男から告げられたマリアンナの予知夢の話を知り、心を鬼として人生で初めてマリアの決定に否を突き付けたのであった。



上の王女たちに無理を強いる決断をしたマリアは、せめてカロリーナとマリアンナだけは王女としての穏やかな人生を歩ませてあげたい。あの子たちには、為政者という重圧を背負せたくない、ただ美しいもの楽しいことに囲まれて健やかに育って欲しい。



そのマリアの思いをフランツは、正しいと思った。

要らぬ苦労を下の王女には背負わせたくないのは、フランツの願いでもあったから。

しかし、思ったように子は育たず、カロリーナなど勝手に宿敵フリードの元へ遊学したと思ったらちゃっかりと王妃に収まってしまったのだが。



マリアと子供たちの関係は次女の婚姻に関することがきっかけで、子供たちからの絶縁宣言を突き付けられてしまい、マリアは自分の人生、歩んだ道に絶望してしまった。

越した先の離宮で死んだように生きているマリアの姿に、フランツは寄り添う他思い至らなかった。



だが、時しばらくして、マリアが

「乳幼児の死亡を防ぐには、病気予防は、どうしたら良いと思う?」

と、突然呟いた。



それは、長女が初孫を妊娠したと知らせを受けた時だった。



フランツはマリアに気力が戻る予感に、生家のモントス公国の大学で薬学を教えていた薬師でもある高名なネクロを口説き落としてマリアが師事するように取り計らった。

すると生来真面目で勉強家のマリアは良く学んだ。そうして長女が無事出産を終えたという知らせが届くと、ネクロの教えの通りに育てた薬草を自ら摘み煎じて、乳幼児の病気予防の注意書を丁寧に記し、それと一緒に贈ったのだった、フランツの名前で。



それは、長男の嫁の出産の時も、三女の出産の時も。



マリアの注意書か煎じ薬のおかげか、孫たちは今、欠けることみな無く育っていた。



「マリア、君の心根の美しさを私は知っている。私たちの子供もきっとわかるはずさ。だって彼ら彼女らは私たちの愛の全てなのだから。」

フランツがそう言って、マリアの肩を抱きしめた。



マリアは少女のようにはにかんで、潤んだ瞳にフランツを映して笑ったのだった。
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