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42話
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時は少し遡る──
子供たちが「狼さんがくれた」と言って持ち帰った一本の『赤茸』。
それは直ちに村一番の老薬師の元へと運ばれ、煎じ薬として調合された。
「……」
ガインの寝室には張り詰めた空気が漂っていた。
村人たちが固唾を呑んで見守る中、エリザは震える手で薬湯の入った器を持ち父の口元へと運ぶ。
「父さん……飲んで。あの子たちが、命がけで持ち帰ってくれた薬よ」
ガインは意識が朦朧とする中、娘の声に応えるように口を開いた。
毒々しいほどに赤い液体が、乾いた喉へと流し込まれていく。
ごくりと、喉が鳴る音が静まり返った部屋に大きく響いた。 最後の一滴まで飲み干すとガインは苦しげに顔をしかめ、そして──深く、長い息を吐き出した。
「……」
変化は劇的だった。土気色だったガインの顔に見る見るうちに赤みが差していく。
呼吸は穏やかになり額に浮かんでいた脂汗が引いていく。
「あ、あなた……!」
妻がガインの手にすがりつき泣き声を上げた。 部屋の隅で見守っていた自警団の若者たちからも安堵のため息が漏れる。
助かった。村の柱であるガインが助かったのだ。誰もがそう確信した。
だが──たった一人、老薬師だけは厳しい表情を崩さなかった。
「……先生?」
エリザが不審に思い声をかける。
薬師はガインの脈を取り、瞳孔を覗き込み重く首を横に振った。
「……効いてはおる」
「なら……!」
「じゃが、足りぬ」
薬師の言葉が冷水となって部屋の熱狂を冷やした。
「足りない……?」
「病の根が深すぎるのじゃよ、エリザ。この一本で熱は下がり、意識も戻るじゃろう。だが、それは一時的なものに過ぎん。継続的に必要じゃ」
「そんな……」
エリザの手から空になった器が滑り落ちた。
あんな奇跡のような生還劇は二度は起こらない。子供たちが無事だったのは気まぐれな幸運か神の慈悲か。
もう一度森へ行けば、今度こそ食い殺されるかもしれない。
重苦しい沈黙が部屋を支配した。 その時だった。
「……う……うぅ……」
寝台の上で、ガインが呻き声を上げた。ゆっくりと瞼が開かれる。
そこには病による混濁ではなく、かつての騎士としての理知的な光が宿っていた。
「父さん!」
エリザが駆け寄る。ガインは娘の顔を見つめ掠れた声で言った。
「……聞いたぞ、エリザ。子供たちの話を」
ガインは薄い意識の中で、子供たちが興奮して語っていた「冒険譚」を聞いていたのだ。
「銀色の狼……騎士のようなゴブリン……。そしてオークや蟻までもが……」
ガインは自身の身体を起こそうとし、エリザに支えられながら上体を起こした。
その瞳は薬師でも泣き崩れる妻でもなく、窓の外──「帰らずの森」の方角を射抜いていた。
「……父さん? 横になってて……」
「いや……話さねばならん。村の命運に関わることだ」
ガインは元騎士団分隊長としての鋭い眼光で、部屋にいる全員を見渡した。
「お前たちは……子供たちが『運が良かった』と思っているな? たまたま腹の膨れた魔物に出会い、気まぐれで見逃されたのだと」
村人たちが顔を見合わせ、頷く。 それ以外の解釈などできなかったからだ。
「違う」
ガインは断言した。
「オークとリザードマンが共闘していたと言ったな。ゴブリンとウルフが連携していたと」
「え、ええ。あの子たちはそう言っていたわ」
「ありえんのだ。野生の魔物というのは、種族が違えば殺し合うのが常だ。ましてやオークのような凶暴な種族が、他の種族と足並みを揃えるなど……」
ガインは息を整え確信に満ちた声で告げた。
「──統率されている」
「え……?」
「あの森には魔物たちを束ねる『統率者』がいる。それもただ強いだけの獣ではない。軍隊のような規律と、子供をあえて助けるほどの高度な知性を持った何者かが」
ガインの言葉に、部屋の空気が凍りついた。
エリザが息を呑む中、ガインの視線は虚空を彷徨い遠い過去の記憶を手繰り寄せていた。
「昔……私がまだ駆け出しの騎士だった頃だ。辺境のダンジョンに潜ったことがある」
それは血と鉄の匂いが染み付いた若き日の記憶。 冷たい石の壁。底知れぬ闇。そしてそこに巣食う異形の群れ。
「ダンジョンの中では常識が通用しない。本来なら天敵同士であるはずの魔物たちが連携し、我々侵入者を排除しようと襲いかかってきた。そこにあるのは、種族としての本能ではない。『ダンジョンそのもの』への絶対的な忠誠のみだ」
ガインは確信を持って断言した。
「子供たちが目撃した、オークやウルフの連携。それは、あの一帯が既に『ダンジョンの領域』と化した証拠だ」
「ダンジョン……!」
エリザの声が震える。
ダンジョン。それは冒険者にとっては富の源泉だが、一般市民にとっては「災厄の火種」でしかない。
成長しきったダンジョンから魔物が溢れ出す「スタンピード」が起きれば、この村など一夜にして地図から消え去るだろう。
村人たちの間に動揺が走る。だが、ガインはそれを片手で制した。
「落ち着け。……ダンジョンそのものは、『悪』ではない」
「えっ……?」
「あれは巨大な力だ。嵐や火山と同じようなものだ。付き合い方を間違えれば災厄をもたらすが、正しく接すれば恩恵をもたらすこともある」
ガインはエリザの手を強く握りしめた。
「いいか、よく聞け。通常、生まれたばかりのダンジョンや悪意に染まったダンジョンは見境なく周囲の生命を食らい尽くそうとする。それが暴走……『悪しきダンジョン』だ」
ガインの脳裏にかつて見た滅びた村の惨状が過ぎる。
だが、今回の報告はそれとは違っていた。
「しかし……あの森のダンジョンは、子供たちを助けた。それどころか薬までくれた……。これはそのダンジョンに今のところは人間との無益な争いを避ける理性が備わっている証拠だ」
ガインの瞳に元騎士としての鋭い光が宿る。
「ならば……可能性はある」
「可能性?」
「対話の、可能性だ。……先方が助けてくれたということは、少なくとも現状、向こうから積極的に攻め込む意思はないということ。……ならば我々もそれに応えねばならん」
ガインの呼吸が次第に荒くなっていく。
一時的に意識を取り戻したとはいえ、病魔が消え去ったわけではない。限界が近づいていた。
「エリザ……村の者たちよ……。決して敵対するな。武器を向けず、礼を尽くせ。……我々に敵対の意思はないと……示すん、だ……」
「父さん!?」
ガインの手から力が抜ける。
伝えたいことは山ほどあった。だが身体が限界を訴え、強制的に意識を闇へと引きずり込んでいく。
(あとは……頼んだぞ、エリザ……)
最後の言葉は声にならずガインは糸が切れたように枕へと沈み込んだ。 再び深い眠りへと落ちていく。
しかしその寝顔は、先ほどまでの苦悶に満ちたものではなく、娘に希望を託した安らかなものだった。
「父さん……」
しかしその寝顔は、先ほどまでの苦悶に満ちたものではなく、娘に希望を託した安らかなものだった。
「父さん……」
エリザは父の布団を丁寧に掛け直すと、涙を拭い、決意の表情で振り返った。 部屋に集まっていた自警団の若者たちや、子供たちの親を見渡す。
「父さんの言う通りにするわ。……家に残っている食料、お酒、ありったけの物を集めて。これから森へ行くわよ」
その提案に対する者はいなかった。 子供たちが生きて帰ってきた事実。そして、かつて村を守り続けてくれたガインの遺言とも言える言葉。
何よりあのような強大な力を持つ「ダンジョン」がすぐ隣に生まれた以上、敵対関係になることだけは何としても避けなければならない。
「ああ、分かった。うちには塩漬けの肉がある」
「俺のところは酒だ。一番いいやつを持っていく」
「武器は置いていくぞ。敵意がないことを示さなきゃならねえ」
村人たちは恐怖を押し殺し、それぞれの家へ物資を取りに戻ろうとする。
だが、エリザの次の言葉が彼らの足を止めさせた。
「それと……私、交渉してみるつもりよ」
エリザは拳を強く握りしめ、震える声を絞り出した。
「『赤茸』を……あと数本、分けてもらえないか頼んでみる」
「な……ッ!?」
その場の空気が凍りついた。 若者の一人が信じられないものを見る目でエリザを見る。
「エ、エリザ、正気か!? お礼を持っていくのとはわけが違うぞ!」
「そうだ! 向こうは子供を見逃してくれただけで、人間と仲良くしたいわけじゃないかもしれないんだぞ!」
「貢ぎ物を捧げて許しを乞うならともかく……魔物に『物を恵んでくれ』だと!? そんな図々しい真似をしたら、それこそ怒りを買って殺されるぞ!」
村人たちの顔色は蒼白だった。 彼らにとって入り口とはいえ森へ行くこと自体が既に決死の覚悟なのだ。
そこへ来て、未知の怪物──ガインの言葉を借りれば「ダンジョン」に対して要求を行うなど、自殺行為以外の何物でもない。
「分かっているわ! 危険なのは分かってる!」
エリザが叫ぶ。
「でも、父さんを助けるにはそれしかないの! このまま指をくわえて父さんが死ぬのを待つなんて、私にはできない!」
「エリザ……」
「それに……父さんは言っていたわ。今のところは知性と理性があるって」
エリザは脳裏に焼き付いている光景を思い出す。 子供たちを背に乗せ、送ってくれた銀色の狼。
あれは単なる気まぐれや満腹だったから見逃したというレベルの行動ではない。 そこには明確な慈悲と秩序があった。
「子供たちを助け、怪我一つさせずに送ってくれた。……なら、話せば分かってくれるかもしれない。どうしても父さんを助けたいという事情を話せば……」
「甘い! 相手は魔物だぞ!」
「それでもよ!」
エリザは一歩も引かなかった。彼女の瞳には、元騎士である父譲りの折れない芯の強さが宿っていた。
「私は行くわ。みんなは荷物を運んでくれるだけでいい。交渉は私が一人でやる。……もし、それで怒りを買って私が殺されたらその時は荷物を置いて全力で逃げて」
エリザの悲壮な覚悟に男たちは言葉を失った。
村長であるガインには今まで散々世話になってきた。その娘が自分の命を賭けて父親を救おうとしているのだ。
ここで止めれば、彼らは一生後悔することになるだろう。
「……ちくしょう」
一人の男が乱暴に頭を掻いた。
「分かったよ。……村長には恩がある。それに俺の娘も助けてもらったんだ」
「エリザさん一人を行かせたりしねえよ。……俺たちも腹を括る」
重苦しい沈黙の後、村人たちは次々と頷いた。 恐怖が消えたわけではない。だが、彼らはそれ以上に義理と希望を選んだのだ。
「みんな……ありがとう」
こうして村人たちは恐怖と一縷の望みを抱き、なけなしの物資を荷車に積んで再び「帰らずの森」へと向かうことになったのだった。
子供たちが「狼さんがくれた」と言って持ち帰った一本の『赤茸』。
それは直ちに村一番の老薬師の元へと運ばれ、煎じ薬として調合された。
「……」
ガインの寝室には張り詰めた空気が漂っていた。
村人たちが固唾を呑んで見守る中、エリザは震える手で薬湯の入った器を持ち父の口元へと運ぶ。
「父さん……飲んで。あの子たちが、命がけで持ち帰ってくれた薬よ」
ガインは意識が朦朧とする中、娘の声に応えるように口を開いた。
毒々しいほどに赤い液体が、乾いた喉へと流し込まれていく。
ごくりと、喉が鳴る音が静まり返った部屋に大きく響いた。 最後の一滴まで飲み干すとガインは苦しげに顔をしかめ、そして──深く、長い息を吐き出した。
「……」
変化は劇的だった。土気色だったガインの顔に見る見るうちに赤みが差していく。
呼吸は穏やかになり額に浮かんでいた脂汗が引いていく。
「あ、あなた……!」
妻がガインの手にすがりつき泣き声を上げた。 部屋の隅で見守っていた自警団の若者たちからも安堵のため息が漏れる。
助かった。村の柱であるガインが助かったのだ。誰もがそう確信した。
だが──たった一人、老薬師だけは厳しい表情を崩さなかった。
「……先生?」
エリザが不審に思い声をかける。
薬師はガインの脈を取り、瞳孔を覗き込み重く首を横に振った。
「……効いてはおる」
「なら……!」
「じゃが、足りぬ」
薬師の言葉が冷水となって部屋の熱狂を冷やした。
「足りない……?」
「病の根が深すぎるのじゃよ、エリザ。この一本で熱は下がり、意識も戻るじゃろう。だが、それは一時的なものに過ぎん。継続的に必要じゃ」
「そんな……」
エリザの手から空になった器が滑り落ちた。
あんな奇跡のような生還劇は二度は起こらない。子供たちが無事だったのは気まぐれな幸運か神の慈悲か。
もう一度森へ行けば、今度こそ食い殺されるかもしれない。
重苦しい沈黙が部屋を支配した。 その時だった。
「……う……うぅ……」
寝台の上で、ガインが呻き声を上げた。ゆっくりと瞼が開かれる。
そこには病による混濁ではなく、かつての騎士としての理知的な光が宿っていた。
「父さん!」
エリザが駆け寄る。ガインは娘の顔を見つめ掠れた声で言った。
「……聞いたぞ、エリザ。子供たちの話を」
ガインは薄い意識の中で、子供たちが興奮して語っていた「冒険譚」を聞いていたのだ。
「銀色の狼……騎士のようなゴブリン……。そしてオークや蟻までもが……」
ガインは自身の身体を起こそうとし、エリザに支えられながら上体を起こした。
その瞳は薬師でも泣き崩れる妻でもなく、窓の外──「帰らずの森」の方角を射抜いていた。
「……父さん? 横になってて……」
「いや……話さねばならん。村の命運に関わることだ」
ガインは元騎士団分隊長としての鋭い眼光で、部屋にいる全員を見渡した。
「お前たちは……子供たちが『運が良かった』と思っているな? たまたま腹の膨れた魔物に出会い、気まぐれで見逃されたのだと」
村人たちが顔を見合わせ、頷く。 それ以外の解釈などできなかったからだ。
「違う」
ガインは断言した。
「オークとリザードマンが共闘していたと言ったな。ゴブリンとウルフが連携していたと」
「え、ええ。あの子たちはそう言っていたわ」
「ありえんのだ。野生の魔物というのは、種族が違えば殺し合うのが常だ。ましてやオークのような凶暴な種族が、他の種族と足並みを揃えるなど……」
ガインは息を整え確信に満ちた声で告げた。
「──統率されている」
「え……?」
「あの森には魔物たちを束ねる『統率者』がいる。それもただ強いだけの獣ではない。軍隊のような規律と、子供をあえて助けるほどの高度な知性を持った何者かが」
ガインの言葉に、部屋の空気が凍りついた。
エリザが息を呑む中、ガインの視線は虚空を彷徨い遠い過去の記憶を手繰り寄せていた。
「昔……私がまだ駆け出しの騎士だった頃だ。辺境のダンジョンに潜ったことがある」
それは血と鉄の匂いが染み付いた若き日の記憶。 冷たい石の壁。底知れぬ闇。そしてそこに巣食う異形の群れ。
「ダンジョンの中では常識が通用しない。本来なら天敵同士であるはずの魔物たちが連携し、我々侵入者を排除しようと襲いかかってきた。そこにあるのは、種族としての本能ではない。『ダンジョンそのもの』への絶対的な忠誠のみだ」
ガインは確信を持って断言した。
「子供たちが目撃した、オークやウルフの連携。それは、あの一帯が既に『ダンジョンの領域』と化した証拠だ」
「ダンジョン……!」
エリザの声が震える。
ダンジョン。それは冒険者にとっては富の源泉だが、一般市民にとっては「災厄の火種」でしかない。
成長しきったダンジョンから魔物が溢れ出す「スタンピード」が起きれば、この村など一夜にして地図から消え去るだろう。
村人たちの間に動揺が走る。だが、ガインはそれを片手で制した。
「落ち着け。……ダンジョンそのものは、『悪』ではない」
「えっ……?」
「あれは巨大な力だ。嵐や火山と同じようなものだ。付き合い方を間違えれば災厄をもたらすが、正しく接すれば恩恵をもたらすこともある」
ガインはエリザの手を強く握りしめた。
「いいか、よく聞け。通常、生まれたばかりのダンジョンや悪意に染まったダンジョンは見境なく周囲の生命を食らい尽くそうとする。それが暴走……『悪しきダンジョン』だ」
ガインの脳裏にかつて見た滅びた村の惨状が過ぎる。
だが、今回の報告はそれとは違っていた。
「しかし……あの森のダンジョンは、子供たちを助けた。それどころか薬までくれた……。これはそのダンジョンに今のところは人間との無益な争いを避ける理性が備わっている証拠だ」
ガインの瞳に元騎士としての鋭い光が宿る。
「ならば……可能性はある」
「可能性?」
「対話の、可能性だ。……先方が助けてくれたということは、少なくとも現状、向こうから積極的に攻め込む意思はないということ。……ならば我々もそれに応えねばならん」
ガインの呼吸が次第に荒くなっていく。
一時的に意識を取り戻したとはいえ、病魔が消え去ったわけではない。限界が近づいていた。
「エリザ……村の者たちよ……。決して敵対するな。武器を向けず、礼を尽くせ。……我々に敵対の意思はないと……示すん、だ……」
「父さん!?」
ガインの手から力が抜ける。
伝えたいことは山ほどあった。だが身体が限界を訴え、強制的に意識を闇へと引きずり込んでいく。
(あとは……頼んだぞ、エリザ……)
最後の言葉は声にならずガインは糸が切れたように枕へと沈み込んだ。 再び深い眠りへと落ちていく。
しかしその寝顔は、先ほどまでの苦悶に満ちたものではなく、娘に希望を託した安らかなものだった。
「父さん……」
しかしその寝顔は、先ほどまでの苦悶に満ちたものではなく、娘に希望を託した安らかなものだった。
「父さん……」
エリザは父の布団を丁寧に掛け直すと、涙を拭い、決意の表情で振り返った。 部屋に集まっていた自警団の若者たちや、子供たちの親を見渡す。
「父さんの言う通りにするわ。……家に残っている食料、お酒、ありったけの物を集めて。これから森へ行くわよ」
その提案に対する者はいなかった。 子供たちが生きて帰ってきた事実。そして、かつて村を守り続けてくれたガインの遺言とも言える言葉。
何よりあのような強大な力を持つ「ダンジョン」がすぐ隣に生まれた以上、敵対関係になることだけは何としても避けなければならない。
「ああ、分かった。うちには塩漬けの肉がある」
「俺のところは酒だ。一番いいやつを持っていく」
「武器は置いていくぞ。敵意がないことを示さなきゃならねえ」
村人たちは恐怖を押し殺し、それぞれの家へ物資を取りに戻ろうとする。
だが、エリザの次の言葉が彼らの足を止めさせた。
「それと……私、交渉してみるつもりよ」
エリザは拳を強く握りしめ、震える声を絞り出した。
「『赤茸』を……あと数本、分けてもらえないか頼んでみる」
「な……ッ!?」
その場の空気が凍りついた。 若者の一人が信じられないものを見る目でエリザを見る。
「エ、エリザ、正気か!? お礼を持っていくのとはわけが違うぞ!」
「そうだ! 向こうは子供を見逃してくれただけで、人間と仲良くしたいわけじゃないかもしれないんだぞ!」
「貢ぎ物を捧げて許しを乞うならともかく……魔物に『物を恵んでくれ』だと!? そんな図々しい真似をしたら、それこそ怒りを買って殺されるぞ!」
村人たちの顔色は蒼白だった。 彼らにとって入り口とはいえ森へ行くこと自体が既に決死の覚悟なのだ。
そこへ来て、未知の怪物──ガインの言葉を借りれば「ダンジョン」に対して要求を行うなど、自殺行為以外の何物でもない。
「分かっているわ! 危険なのは分かってる!」
エリザが叫ぶ。
「でも、父さんを助けるにはそれしかないの! このまま指をくわえて父さんが死ぬのを待つなんて、私にはできない!」
「エリザ……」
「それに……父さんは言っていたわ。今のところは知性と理性があるって」
エリザは脳裏に焼き付いている光景を思い出す。 子供たちを背に乗せ、送ってくれた銀色の狼。
あれは単なる気まぐれや満腹だったから見逃したというレベルの行動ではない。 そこには明確な慈悲と秩序があった。
「子供たちを助け、怪我一つさせずに送ってくれた。……なら、話せば分かってくれるかもしれない。どうしても父さんを助けたいという事情を話せば……」
「甘い! 相手は魔物だぞ!」
「それでもよ!」
エリザは一歩も引かなかった。彼女の瞳には、元騎士である父譲りの折れない芯の強さが宿っていた。
「私は行くわ。みんなは荷物を運んでくれるだけでいい。交渉は私が一人でやる。……もし、それで怒りを買って私が殺されたらその時は荷物を置いて全力で逃げて」
エリザの悲壮な覚悟に男たちは言葉を失った。
村長であるガインには今まで散々世話になってきた。その娘が自分の命を賭けて父親を救おうとしているのだ。
ここで止めれば、彼らは一生後悔することになるだろう。
「……ちくしょう」
一人の男が乱暴に頭を掻いた。
「分かったよ。……村長には恩がある。それに俺の娘も助けてもらったんだ」
「エリザさん一人を行かせたりしねえよ。……俺たちも腹を括る」
重苦しい沈黙の後、村人たちは次々と頷いた。 恐怖が消えたわけではない。だが、彼らはそれ以上に義理と希望を選んだのだ。
「みんな……ありがとう」
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