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序話 狼煙を上げろ
02
しおりを挟む魔王の結婚。
ただ結婚しただけなら、さほど重要ではない。過去の魔王たちもまちまちで、結婚をするもしないも人によりけりだ。
だが、自分の世界を倦怠で染め上げた嘆きの魔王の結婚は──その溺愛ぶりが異常だと報告を受けた。
それも初代魔王と遜色ないほどの陶酔だと。
怒らず、悲しまず、笑わない?
馬鹿な。
些細なことで唸り、離れがたいと眉を垂らして、愛の言葉に頬を染めながら、生娘のように悶えるあれが?
天魔会合にやってくる嘆きの魔王は、いつもとまるで変わらなかったのに、まさかと信じられるわけがないだろう。
愛想笑いも浮かべずに目を細め、つまらなそうに報告だけを交わす。
友好を兼ねた食事会も、決してものを食べず、飲まない。心を決して開かない。
それが妃の関わることだと別人のようなのだ。警戒心なんて皆無。底抜けの信頼を妃に向けている。
天界の王族は初め、誰一人信じなかった。
しかし人が変わったような報告書を読みすすめていくにつれて、そこに嘆きの魔王の隙を見つけたのだ。
〝魔王城一棟全壊時の証言からの報告〟
〝魔王の私室に侵入者があったが、妃が人質に取られていたために、魔王は身動きが取れず魔力ごと暴走状態へ〟
〝侵入者を排斥する際、誤って攻撃を受けた妃が重体に陥ると、魔王は茫然自失となり、心身ともに疲弊し、日常もままならないほど弱体化〟
〝──彼の妃は、人間である〟
あぁ、なんということだ。
やはり天族は神に愛されていた。
歴代魔王にもそんな存在がいればよかったが、人質に取れるような存在はあまりいない上に、いても侮りがたい強力な魔族であるばかり。
それがどうだ。
民衆に脅しをかけるほど溺愛している存在が、あの人間だと?
知恵を持つ種族の中で、最も下等な種族じゃないか。
最強の存在のコントローラーは、脆くか弱いただの人間。天族に逆らうすべを持たない、脆弱な生き物。
で、あれば。
『奪ってしまおう』
これは当然の帰結だろう?
心が砕けるほど大切な者なら、奪ってしまって壊すことのできない枷としよう。
愛する人の代わりに国を差し出す、哀れで愚かな王とするのだ。
勝利の展望を見据えた欲望塗れの会議室に、口々と笑みが溢れ出す。
世界の頂点は天族にこそ相応しい。
天下取りに興味のない種族だとしても、魔族が力を持つなんてナンセンス。
だが不安があるのも確かだ。
慎重派の者たちが万全を喫するべきだと問題点を口にする。
嘆きの魔王は歴代トップクラスの魔力を持つ、本物の化け物。
枯れ果てない魔力を内包し、傷を負わせるのは難しい。
防御に優れた天族では、守りはできるが足止めをすることはできない。
正面から盗りに行けば諸共潰されるだろうし、みすみす奪われないよう、そうそう傍を離れてはいないだろう。
そもそも城から出すことはないと聞く。
隠密に忍び込むことはできても、敵の力が最も高まる本拠地で魔王と相対するのは、不可能だ。
理解し難いが、妃は大事な宝物なのだろう。
危機が訪れれば即座に気づく。あの化け物から奪うことは容易ではない。
それでもこの無二のチャンスをモノにしたい天族達は、頭を捻って考える。
どうしよう。
どうしよう。
あぁ、まて、あれがある。
あれ? あれか。
あれは貴重なものだ。
しかしあれしかあるまい。
数十年効けば事足りる。
チャンスは一回きりだがあれならば。
あれなら確かに。
『ではそうしよう』
愛しているから大事ならば、愛していないものなら簡単に奪えるだろう。
愛していなければ。
愛する前ならば。
一度キリのいいところまで巻き戻し、忘れられた妃を奪って、その後元通りに早送りするのだ。
そうしてやれば、また恋い焦がれて愛する者を見殺しにはできず、身動きできまい。
奪おう。
奪おう。
奪おう。
奪おう。
魔王が妃と過ごした記憶を、まるごと全部奪ってしまおう。
『さぁ、狼煙を上げろ』
『お前の大事な宝物を』
『蹂躙するぞ──ナイルゴウン』
せいぜい嘆け、魔王らしく。
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