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九皿目 エゴイズム幸福論
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しおりを挟む久しぶりに触れられた。
嬉しい。嬉しい。凄く嬉しい。
温かい、体温。お前の、温度。
嬉しい。
「……殴り飛ばしたりするわけないじゃないか。あまりたくさんはいろいろと困るが、好きにしていいぞ」
「ッ」
俺がニコニコと笑顔でそんなことを言い首筋をそらせると、アゼルは予想外に驚いた様子で少し目を丸くした。
それから返事をせずに、握っていた俺の腕を持ち上げて、シャツとセーターの袖をグッとおし上げる。
腕には案の定、薄く痕がついていた。
それを見つけて、アゼルは苛立ちを増して歯噛みする。痛くないのに。
少し焦って俺は明朗に、掴まれたままのその手を何度かグーパーと動かしてみせた。
「ははは、気にしないでくれ。俺は城から出ないので肌が白いから、目立つだけだ。ほらほら、ぜーんぜんだろう? よく動く」
「っあぁ? ……チッ、これだから弱いヤツは大嫌いなんだよ、興醒めだ。失せろ」
「っぇ、あ、っ……」
パシッ、と掴まれていた腕が振り払われて、アゼルの手のぬくもりが離れていった。
俺は名残惜しく、咄嗟に物欲しそうな目をして追いかけてしまう。
もっと触れてほしいのに、なんで。
……弱いから、か。
本当はお前の隣にいるには、強くなくてはならないのだ。
それが弱いままの俺がそばにいることを許されていたのは、アゼルが許してくれたからだ。
足枷になるのにそれでも諦められないと泣いた俺を、お前のワガママが嬉しいと言ってくれたからだ。
更に図々しくも、それを生涯ずっととしてもいいか、なんて願ったことも許してくれたからだ。
強くなくてはならない。
俺はあーあ! と肩をすくめて、軽い足取りで浴室へ向かって歩き出す。
「残念だ。魔王様と一緒にいいものを食べさせてもらっているから、俺の血はそれなりに美味しいのにな~」
「ハッ、別に種族共通の好物なだけで、なくても死なねぇ。一滴も必要ないからさっさと行け」
「ふふ、かしこまりました」
後ろ手に手を振ってバタン、と浴室に入り扉を閉める。
ゆっくりとセーターを脱ぎ、シャツと、インナーを二枚とも脱ぐ。
今日はもうアゼルとしか会わないので、これはもういいな。
裸になって、鏡の前に置いてある小さな籠に黒いピアスを外して置く。
コレは初めてデートに行った時の贈り物。
「…………」
鏡に映った自分の顔は、なにかがごっそりと抜け落ちた生き物らしさのないものだった。
あぁ、そういえば元々こんな顔だったな。出会ってから変わったのは、アゼルだけじゃない。
薬指から指輪をはずす。そのリングの内側にはアゼルの名前が彫ってある。
俺は指輪にそっと口付ける。
毎日やること。一日のうちに一度は必ず。
あの日彼が外してからずっとつけ忘れているもう一つの指輪には、俺の名前が彫ってある。
それは洗面所の隅に置きっぱなしで、手を伸ばせばすぐに届いた。
「もう、もしかしたら……、……いや。……首輪は、返そうか」
自分のそばにアゼルの指輪を。
そして気がつくよう、洗面台の目立つところに自分の指輪を置く。
別に諦めたわけじゃない。
俺の取り柄は前向きにどうにか頑張ることだけだから、いつまでだって頑張る。
だけど、罪悪感に苛まれる。
アゼルはそれらしく見えるように振る舞うと言ってくれているが、俺を愛しているわけじゃない。
もしも、もしもアゼルの記憶が戻らなかったら、俺ではない、子どもも残せて強く美しい誰かを、愛するかもしれないのだ。
本当に愛する人ができた時、知らない男の名が刻まれた指輪なんて渡せないだろう?
それから少しだけ。
意地悪をしてもいいかと思った。
俺と誓ったあの日のアゼルなら、俺以外を選んだりしないと思う。
そう思えるくらい愛されていたから。
これはあの日のアゼルへの、祈り。
俺はもう一度その指輪を、できれば渡してほしいと思ってこれを返すんだ。
バチンッ、と頬を叩く。
大丈夫、ご機嫌麗しいぞ俺は。
アイツに好かれるくらい強くなくてはいけないからな、些細なことで折れたりしない。
「よし! とびきり冷たいシャワーを浴びよう。気分は滝業、強さは修行だな」
顔を上げて前を見据えて歩き出す。
手首の痣に、俺は自分で噛みついた。
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