もっと早く、伝えていれば

嶌田あき

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第1章 言えなかった言葉

1-4 言えなかった言葉

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「僕、春香のことが好きだったんです」
 雪野の告白は、静かな波音堂に重く響いた。その言葉には、一年間抱え続けてきた想いのすべてが込められているようだった。
「幼なじみで、小さい頃からずっと一緒で」
 雪野の瞳に、遠い記憶がゆらゆらと浮かんでいる。まるで古いアルバムのページをめくるみたいに。
「最初は、ただの友達だと思ってた。でも、中学生になった頃から、何か違うって気づき始めて」
 僕は雪野の記憶を通じて、春香という少女の姿をより鮮明に感じ取ることができた。いつも雪野の隣にいて、一緒に笑って、時々恥ずかしそうに頬を染めて。そして雪野も、彼女を見つめる時の表情が、ただの友達を見る顔じゃなかった。特別な優しさと、どこかもどかしそうな切なさが混じっていた。
「でも、言えなかったんです」
 雪野は拳をぎゅっと握りしめた。その手が小刻みに震えているのが分かる。
「幼なじみだから、もし告白して断られたら、今までの関係がなくなってしまうかもしれない。それが怖くて」
 夏希が深く共感するように頷いた。
「分かる気がする。大切な人だからこそ、失いたくなくて」
「高校に入学した時、今度こそって思ったんです」
 雪野の声に、当時の決意が蘇る。
「環境も変わったし、二人とも大人になったし。でも、やっぱり言えなくて」
 僕は雪野の記憶の中に、たくさんの機会があったことを感じ取った。文化祭で一緒に回った時の、夕焼け空の下での帰り道。春香の誕生日に贈り物を渡した時の、彼女の嬉しそうな笑顔。でも、その度に雪野は大切な言葉を飲み込んでいた。
「春香の誕生日が来るって分かってたんです」
 雪野は震え声で続けた。
「事故の一週間後に。だから僕は思ったんです。誕生日に告白しようって。プレゼントと一緒に、ちゃんと気持ちを伝えようって」
 でも、その前に春香は事故で亡くなってしまった。
「最後の最後まで、言えませんでした」
 雪野の瞳に涙がじわりと浮かんだ。
「春香がどんな気持ちでいたのかも知らないまま」
 僕は雪野の記憶の中に、春香の複雑な表情を見つけた。時々、雪野を見つめる時の彼女の瞳。そこには確かに、友情以上の何かがあったように思える。照れたような微笑み、何かを言いかけて止める仕草。
 でも僕の声は雪野には聞こえない。僕の存在も見えていない。
 僕は夏希の方を見た。夏希は僕の表情をしっかりと読み取って、小さく頷いた。
「雪野くん」
 夏希が静かに言った。
「実は…ここには、記憶式っていうあやかしがいるの」
 雪野は驚いて目を大きくした。
「あやかし?」
 琴音さんが穏やかな声で割って入る。
「雪野さん、私は普段、大学で物理学を研究しているんです」
 雪野は意外そうな顔をした。
「物理学者の方が?」
「はい。そんな私がこんなことを言うのも変かもしれませんが」琴音さんは優しく微笑んだ。「多くの心霊現象は、確かに脳の機能で科学的に説明がつきます。睡眠障害、記憶の錯覚、幻覚など…でも、それでは説明できない現象も確実に存在するんです」
「科学では説明できない?」
「ええ。データを客観的に見れば見るほど、むしろ、あやかしの存在を否定することの方が矛盾してしまう事例があまりにも多い」
 琴音さんの声には、学者としての確信がしっかりと込められている。
「あやかしというものは、まだ科学的にすべて解明されたとは言い切れない分野なんです」
 雪野はゆっくりと頷いた。
「それで、ここでは…」
「あやかしの力を使って、亡くなった方との記憶をつなぐお手伝いをしています」
 明星がコトンと音を立てながら立ち上がった。
「わちきも、実はあやかしじゃよ」
 雪野の目がさらに大きく見開かれた。
「え?ロボットじゃなくて?」
「からくり童子という、江戸時代の人形から生まれたあやかしじゃ。二七〇年、ここにおる」
 明星が古風な口調で説明すると、雪野は茫然とした。
「二百七十年…本当に?」
「この関節部分を見てみい」
 明星が手首をそっと見せる。真鍮の歯車がカチカチと小さな音を立てている。
「本物のからくり機構じゃろう?これは江戸時代の職人が作った、本当のからくり人形の体なのじゃ」
 雪野は明星の手首の精巧な歯車を見つめて、息を呑んだ。
「すごい…本当にあるんだ、こんな世界が」
「そして、記憶式という、人の強い記憶から生まれるあやかしが、今ここにいます」
 夏希が説明する。
「その子があなたの記憶を見ているの」
 雪野はきょろきょろと周りを見回した。僕がいる方向も見たけれど、やっぱり僕の姿は見えていない。
「見えないけれど…何かを感じる。温かいような、懐かしいような」
 雪野は正直に言った。
「記憶式の子が言ってるの」
 夏希が僕の言葉を丁寧に伝える。
「春香ちゃんも、あなたと同じ気持ちだったかもしれないって」
 雪野の瞳に希望の光がぱっと宿った。
「本当に?」
「強い想いを持つ者同士の記憶は、つながることがあるのじゃ」
 明星が優しく言った。
「わちきも、これまで多くの記憶式を見送ってきたが、皆そうじゃった」
 僕は目を閉じて、雪野の記憶により深く集中した。すると、春香の記憶の断片が少しずつ見えてきた。雪野を見つめる時の照れたような表情。何かを言いかけて、慌てて口をつぐむ瞬間。
「春香さんも、雪野くんに何か伝えたいことがあったみたい」
 僕が夏希に話すと、夏希がそれを雪野に伝える。
「記憶の渚で、確認できるって」
 雪野の手が震えた。
「本当に、春香に会えるんですか?」
「会えると言うより…」
 琴音さんが丁寧に説明する。
「あなたの中の春香さんの記憶と対話できます。完全な再現ではありませんが、心の奥にある真実を知ることができるんです」
「でも、もし春香ちゃんが—」
 夏希が慎重に付け加えようとすると、雪野は決意を固めたような表情で口を開いた。
「構わないよ。どんな答えでも。っていうか、たぶん俺は、春香の本当の気持ちよりも、俺の想いを伝えたいって気持ちの方が大きくて」
 その真剣な決意に、僕も心を強く動かされた。結果がどうであれ、伝えたいことを伝えたいという純粋な想い。それこそが、記憶の渚への扉を開く鍵になる気がした。
「では」
 琴音さんが静かに立ち上がった。
「準備をいたしましょう」
 明星もコトンと音を立てて立ち上がる。
「記憶の渚は、初めての者には少し驚くかもしれぬ」
 明星が雪野を真剣に見つめて言った。
「じゃが、恐れることはない。わちきも、夏希も、そして記憶式の子も一緒におる」
 雪野は深く頷いた。
「お願いします」
 私たちは奥の部屋に向かった。厚い布で仕切られた神秘的な空間。中央の円形畳に座る前に、琴音さんが最後の説明をしてくれた。
「記憶の渚では、時として思いがけない真実を知ることになります。心の準備はよろしいですか?」
 雪野の声に迷いはなかった。
「はい。春香に、ちゃんと伝えたいんです」
 私たちは円形の畳に座った。僕は雪野と向かい合う位置に、隣に夏希が座る。琴音さんと明星も円を作るように腰を下ろした。雪野には僕の存在は見えないが、確かに感じ取っているようだった。
「春香さんのことを思い浮かべてください」
 琴音さんが優しく言った。
「楽しかった記憶、大切な瞬間を。心を開いて、春香さんとの思い出に意識を向けてください」
 雪野が目をそっと閉じる。僕も目を閉じて、彼の記憶に意識を向けた。
 すると、様々な記憶が波のように流れてきた。小学生の頃の春香。中学時代の春香。高校生になった春香。その中で特に鮮やかなのは、春香の笑顔の記憶だった。彼女がくしゃっと笑う時の、目尻に寄る小さなしわ。頬を染める淡いピンク色。
「記憶の波動が強くなってきた」
 僕が夏希にそっとささやく。夏希は小さく頷いて、雪野に伝える。
「大丈夫。記憶式が、あなたの記憶をしっかりと感じ取ってる」
 雪野の呼吸が深くなる。記憶の波動がさらに強くなっていく。そして、僕は春香の記憶の断片も感じ取り始めた。雪野を見つめる春香の視点。そこには確かに、特別な感情があった。
 明星が静かに立ち上がる。カタンコトンという音が、神聖な空間に響く。
「始まるぞ」
 世界が変わる瞬間が来た。
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