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第1章 言えなかった言葉
1-5 記憶の渚
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僕は雪野の記憶に深く意識を向けた。彼の心の奥にある春香への想いを感じ取りながら、僕の中で何かが動き始める。
これが、記憶式の能力。
最初は、微かな振動のようなものを感じた。心の奥底で、何かが共鳴し始める。雪野の記憶と、僕の中にある「記憶を繋ぐ力」が、少しずつ重なり合っていく。
「あ……」
雪野が小さく声を上げた。彼にも何かが起きているのが分かる。
僕の視界がぼんやりと霞み始めた。部屋の輪郭がゆらゆらと揺れて、まるで水の中から世界を見ているみたいに。夏希や琴音さん、明星の顔も、だんだん遠くなっていく。
雪野の呼吸が深くなる。僕と同じように、彼の意識も別の場所に向かい始めている。
そして僕は、雪野の記憶の中に入っていく感覚を味わった。まるで温かい水の中に静かに沈んでいくような、不思議で心地よい感覚。
現実の音が遠ざかっていく。波音堂のかすかな音も、風鈴の音も、すべてが薄れていく。代わりに、別の音が聞こえ始めた。
波の音。
でも、それは現実の海の音じゃない。もっと静かで、もっと神秘的な音。
僕の足元がふわりと浮くような感覚がして、気がつくと——
記憶の渚が現れた時、僕は思わず息を呑んだ。
薄暗い海辺。でも恐ろしい暗闇じゃなく、夕暮れみたいに温かくて優しい薄闇。砂浜は柔らかそうで、波は静かに寄せては返している。空には大きな満月が浮かび、その銀色の光が波に反射してキラキラと美しくきらめいている。
「ここが……」
雪野の驚いたような声が聞こえた。僕たちは今、彼の記憶の奥深く、普段は決して思い出すことのない心の底に大切にしまわれた記憶の世界にいるのだ。
そして、雪野がゆっくりと振り返った時——
「え……?」
雪野の目が大きく見開かれた。初めて、僕の姿をはっきりと見ることができたのだ。
「君が……記憶式の……」
雪野は驚きながら僕を見つめた。その表情には驚きと、どこか畏敬のような感情が混じっているのが分かった。
「本当に、いたんだ。本当に存在するんだ」
雪野が震え声で呟く。
「はい」
僕は静かに答えた。今度は、雪野にも僕の声がちゃんと聞こえる。
「僕が記憶式です。ずっと、あなたの記憶を感じ取っていました」
「見えなかったけど、確かに何かを感じてた」
雪野は興奮したように言った。
「君だったんだ」
雪野は恐る恐る立ち上がって、砂浜にそっと足を踏み入れた。サラサラとした心地よい感触が、足に伝わってくる。
「ここは…?」
「記憶の渚です」
僕は説明した。
「あなたの記憶の奥深くにある、特別な場所。ここでは、僕たちは同じ世界にいることができます」
「不思議だ」
雪野が感動したように呟いた。僕の姿を見ながら。
「とてもリアルなのに、どこか夢みたいでもある」
まさにその通りだった。記憶の渚は、現実と夢の境界にある特別な場所。人の心の中にしか存在しない、でも確かにある世界。
波の向こう、薄い霧の中に、人影がゆらりと見えてきた。最初はぼんやりとしていたが、だんだんはっきりしてくる。
女の子の姿をした、優しい光。
「春香……」
雪野が震え声で呼んだ。その声には、一年間ずっと抱え続けてきた切ない想いがすべて込められていた。
春香の記憶は、彼に向かってゆっくりと歩いてきた。肩までの艶やかな茶色い髪、大きくて優しい瞳、いつものあたたかい笑顔。生前と全く変わらない、愛らしい姿だった。まるで昨日まで一緒にいたかのように。
「冬馬」
春香の声が、波の音に混ざってそっと聞こえてきた。懐かしくて、温かくて、雪野がずっと恋しがっていた声。
「春香、本当に春香なの?」
雪野の瞳に涙がじわりと浮かんだ。信じられないという気持ちと、嬉しいという気持ちが混じり合って。
「うん」
春香の記憶は優しく微笑んでいた。まるで雪野の不安を全部包み込むような、温かな笑顔。
「会いたかった」
「僕も。ずっと、ずっと会いたかった」
二人は砂浜で向かい合った。月光が二人を柔らかく照らして、この世のものとは思えないほど幻想的で美しい光景を作り出している。
「春香、俺は……」
雪野が必死に言いかけた時、春香の記憶がそっと彼を制止した。
「待って、冬馬」
雪野は驚いたような顔をした。春香がこんなに積極的になることは、生前にはあまりなかったようだ。
「私ね」
春香の記憶がゆっくりと、でも確信を持って話し始めた。
「冬馬のこと、好きだったの」
その瞬間、雪野の体がビクッと震えた。
「え……?」
「ずっと前から。中学生になった頃から、もしかしたらもっと前から」
春香の記憶は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。頬がほんのり桜色に染まって。
「でも、言えなかった」
「どうして?」
雪野の声が裏返った。
春香の記憶は、少し悲しそうな顔をした。
「私、心臓が悪かったの。冬馬も薄々気づいてたでしょう?」
雪野の表情がはっとして変わった。記憶の奥底に押し込めていた光景が蘇ってくる。
「え……でも君は大丈夫だって……」
「体育の時、いつも息切れしてたでしょ? 小さな薬を飲んでるのも見てたよね? お母さんが迎えに来ることが多かったのも」
雪野の顔が青ざめた。その表情を見て、僕は雪野の記憶から様々な光景を感じ取った。確かに春香の息切れを心配そうに見つめていた記憶。小さな薬を飲む春香に「大丈夫?」と聞く記憶。でも春香が「ちょっと貧血気味なの」「大丈夫」と軽く流すと、それ以上は踏み込めずにいた記憶。
「本当はいつ倒れてもおかしくない状態だった」
春香が静かに続けた。
「だから冬馬に告白できなかった。もし付き合って、私が先に死んだら、冬馬を悲しませることになる」
僕は驚いた。こんな重い事情があったなんて。そして雪野の記憶からも、彼が薄々何かを感じ取っていたのに、真実と向き合うのが怖くて見て見ぬふりをしていた気持ちが伝わってきた。
「そんな……」
雪野が震え声で言った。
「俺は……君の息切れも、薬も、全部見てたのに……なぜ聞いてあげなかったんだろう」
「本当?」
春香の記憶の瞳がぱっと輝いた。
「俺も、君のこと好きだったのに。君がどんな状況でも、一緒にいたかった」
雪野は涙を流しながら答えた。
「病気のことも、何もかも知った上で、君を支えたかった」
春香の記憶は笑った。涙を流しながら、でも心から嬉しそうに。
「私たち、馬鹿ね」
「本当に馬鹿だった」
雪野も涙を拭きながら笑った。
「もっと早く、伝えていれば」
「でも」
春香の記憶が優しく言った。
「今、分かったから。お互いの本当の気持ち」
二人は静かに見つめ合った。月明かりの下で、ついに想いが通じ合った瞬間だった。病気という壁を越えて結ばれた、切なくて美しい告白。
「ごめんね、冬馬」
春香の記憶が申し訳なさそうに言った。
「私が病気のこと、ちゃんと話せばよかった」
「ううん、俺の方こそ」
雪野が首を振った。
「俺が気づいていたのに、聞いてあげられなくて。君を一人で抱え込ませてしまって」
「冬馬のせいじゃないよ」
春香の記憶は、優しく首を振った。
「私が隠そうとしてたんだから」
「でも、もし病気で死ななくても、結局事故で……」
春香の記憶が悲しそうに呟いた。
「それより」
春香の記憶がふんわりと微笑んだ。
「今度生まれ変わる時は、もっと素直になる。冬馬も、そうして」
「春香……」
「冬馬に、素敵な人ができるといいな」
春香は消えそうな声でとても優しく言った。
「その時は、遠慮しないで。ちゃんと想いを伝えて」
雪野は泣きながら頷いた。
「でも、君を忘れない。ずっと、大切な思い出として心の中に持ってる」
「ありがとう」
春香の記憶が光り始めた。まるで天使の羽みたいに、柔らかく美しい光で。
「私も、冬馬のこと、ずっと覚えてる」
春香の記憶が、だんだん光の粒子に変わっていく。でも、その光は消えるんじゃなく、雪野の胸の中に温かく吸い込まれていった。
「さよなら、冬馬」
「さよなら、春香。愛してる」
「私も愛してる」
春香の記憶が完全に光となって空に舞い散っていく。でも、その光は雪野の心の中で生き続ける。記憶として、愛として、永遠に。
記憶の渚がゆっくりと消えて、私たちは現実の世界に戻った。
雪野は涙を拭いながら、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に、ありがとうございました」
僕の声は雪野には聞こえないが、気持ちは伝わったと思う。
これが僕にとって初めての案内だった。そして僕は、初めて「恋」という感情に触れた。雪野と春香の、美しくて切ない愛情。それは僕の心に深く、深く刻まれた。人間の感情って、こんなにも温かくて、こんなにも切ないものなんだ。
これが、記憶式の能力。
最初は、微かな振動のようなものを感じた。心の奥底で、何かが共鳴し始める。雪野の記憶と、僕の中にある「記憶を繋ぐ力」が、少しずつ重なり合っていく。
「あ……」
雪野が小さく声を上げた。彼にも何かが起きているのが分かる。
僕の視界がぼんやりと霞み始めた。部屋の輪郭がゆらゆらと揺れて、まるで水の中から世界を見ているみたいに。夏希や琴音さん、明星の顔も、だんだん遠くなっていく。
雪野の呼吸が深くなる。僕と同じように、彼の意識も別の場所に向かい始めている。
そして僕は、雪野の記憶の中に入っていく感覚を味わった。まるで温かい水の中に静かに沈んでいくような、不思議で心地よい感覚。
現実の音が遠ざかっていく。波音堂のかすかな音も、風鈴の音も、すべてが薄れていく。代わりに、別の音が聞こえ始めた。
波の音。
でも、それは現実の海の音じゃない。もっと静かで、もっと神秘的な音。
僕の足元がふわりと浮くような感覚がして、気がつくと——
記憶の渚が現れた時、僕は思わず息を呑んだ。
薄暗い海辺。でも恐ろしい暗闇じゃなく、夕暮れみたいに温かくて優しい薄闇。砂浜は柔らかそうで、波は静かに寄せては返している。空には大きな満月が浮かび、その銀色の光が波に反射してキラキラと美しくきらめいている。
「ここが……」
雪野の驚いたような声が聞こえた。僕たちは今、彼の記憶の奥深く、普段は決して思い出すことのない心の底に大切にしまわれた記憶の世界にいるのだ。
そして、雪野がゆっくりと振り返った時——
「え……?」
雪野の目が大きく見開かれた。初めて、僕の姿をはっきりと見ることができたのだ。
「君が……記憶式の……」
雪野は驚きながら僕を見つめた。その表情には驚きと、どこか畏敬のような感情が混じっているのが分かった。
「本当に、いたんだ。本当に存在するんだ」
雪野が震え声で呟く。
「はい」
僕は静かに答えた。今度は、雪野にも僕の声がちゃんと聞こえる。
「僕が記憶式です。ずっと、あなたの記憶を感じ取っていました」
「見えなかったけど、確かに何かを感じてた」
雪野は興奮したように言った。
「君だったんだ」
雪野は恐る恐る立ち上がって、砂浜にそっと足を踏み入れた。サラサラとした心地よい感触が、足に伝わってくる。
「ここは…?」
「記憶の渚です」
僕は説明した。
「あなたの記憶の奥深くにある、特別な場所。ここでは、僕たちは同じ世界にいることができます」
「不思議だ」
雪野が感動したように呟いた。僕の姿を見ながら。
「とてもリアルなのに、どこか夢みたいでもある」
まさにその通りだった。記憶の渚は、現実と夢の境界にある特別な場所。人の心の中にしか存在しない、でも確かにある世界。
波の向こう、薄い霧の中に、人影がゆらりと見えてきた。最初はぼんやりとしていたが、だんだんはっきりしてくる。
女の子の姿をした、優しい光。
「春香……」
雪野が震え声で呼んだ。その声には、一年間ずっと抱え続けてきた切ない想いがすべて込められていた。
春香の記憶は、彼に向かってゆっくりと歩いてきた。肩までの艶やかな茶色い髪、大きくて優しい瞳、いつものあたたかい笑顔。生前と全く変わらない、愛らしい姿だった。まるで昨日まで一緒にいたかのように。
「冬馬」
春香の声が、波の音に混ざってそっと聞こえてきた。懐かしくて、温かくて、雪野がずっと恋しがっていた声。
「春香、本当に春香なの?」
雪野の瞳に涙がじわりと浮かんだ。信じられないという気持ちと、嬉しいという気持ちが混じり合って。
「うん」
春香の記憶は優しく微笑んでいた。まるで雪野の不安を全部包み込むような、温かな笑顔。
「会いたかった」
「僕も。ずっと、ずっと会いたかった」
二人は砂浜で向かい合った。月光が二人を柔らかく照らして、この世のものとは思えないほど幻想的で美しい光景を作り出している。
「春香、俺は……」
雪野が必死に言いかけた時、春香の記憶がそっと彼を制止した。
「待って、冬馬」
雪野は驚いたような顔をした。春香がこんなに積極的になることは、生前にはあまりなかったようだ。
「私ね」
春香の記憶がゆっくりと、でも確信を持って話し始めた。
「冬馬のこと、好きだったの」
その瞬間、雪野の体がビクッと震えた。
「え……?」
「ずっと前から。中学生になった頃から、もしかしたらもっと前から」
春香の記憶は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った。頬がほんのり桜色に染まって。
「でも、言えなかった」
「どうして?」
雪野の声が裏返った。
春香の記憶は、少し悲しそうな顔をした。
「私、心臓が悪かったの。冬馬も薄々気づいてたでしょう?」
雪野の表情がはっとして変わった。記憶の奥底に押し込めていた光景が蘇ってくる。
「え……でも君は大丈夫だって……」
「体育の時、いつも息切れしてたでしょ? 小さな薬を飲んでるのも見てたよね? お母さんが迎えに来ることが多かったのも」
雪野の顔が青ざめた。その表情を見て、僕は雪野の記憶から様々な光景を感じ取った。確かに春香の息切れを心配そうに見つめていた記憶。小さな薬を飲む春香に「大丈夫?」と聞く記憶。でも春香が「ちょっと貧血気味なの」「大丈夫」と軽く流すと、それ以上は踏み込めずにいた記憶。
「本当はいつ倒れてもおかしくない状態だった」
春香が静かに続けた。
「だから冬馬に告白できなかった。もし付き合って、私が先に死んだら、冬馬を悲しませることになる」
僕は驚いた。こんな重い事情があったなんて。そして雪野の記憶からも、彼が薄々何かを感じ取っていたのに、真実と向き合うのが怖くて見て見ぬふりをしていた気持ちが伝わってきた。
「そんな……」
雪野が震え声で言った。
「俺は……君の息切れも、薬も、全部見てたのに……なぜ聞いてあげなかったんだろう」
「本当?」
春香の記憶の瞳がぱっと輝いた。
「俺も、君のこと好きだったのに。君がどんな状況でも、一緒にいたかった」
雪野は涙を流しながら答えた。
「病気のことも、何もかも知った上で、君を支えたかった」
春香の記憶は笑った。涙を流しながら、でも心から嬉しそうに。
「私たち、馬鹿ね」
「本当に馬鹿だった」
雪野も涙を拭きながら笑った。
「もっと早く、伝えていれば」
「でも」
春香の記憶が優しく言った。
「今、分かったから。お互いの本当の気持ち」
二人は静かに見つめ合った。月明かりの下で、ついに想いが通じ合った瞬間だった。病気という壁を越えて結ばれた、切なくて美しい告白。
「ごめんね、冬馬」
春香の記憶が申し訳なさそうに言った。
「私が病気のこと、ちゃんと話せばよかった」
「ううん、俺の方こそ」
雪野が首を振った。
「俺が気づいていたのに、聞いてあげられなくて。君を一人で抱え込ませてしまって」
「冬馬のせいじゃないよ」
春香の記憶は、優しく首を振った。
「私が隠そうとしてたんだから」
「でも、もし病気で死ななくても、結局事故で……」
春香の記憶が悲しそうに呟いた。
「それより」
春香の記憶がふんわりと微笑んだ。
「今度生まれ変わる時は、もっと素直になる。冬馬も、そうして」
「春香……」
「冬馬に、素敵な人ができるといいな」
春香は消えそうな声でとても優しく言った。
「その時は、遠慮しないで。ちゃんと想いを伝えて」
雪野は泣きながら頷いた。
「でも、君を忘れない。ずっと、大切な思い出として心の中に持ってる」
「ありがとう」
春香の記憶が光り始めた。まるで天使の羽みたいに、柔らかく美しい光で。
「私も、冬馬のこと、ずっと覚えてる」
春香の記憶が、だんだん光の粒子に変わっていく。でも、その光は消えるんじゃなく、雪野の胸の中に温かく吸い込まれていった。
「さよなら、冬馬」
「さよなら、春香。愛してる」
「私も愛してる」
春香の記憶が完全に光となって空に舞い散っていく。でも、その光は雪野の心の中で生き続ける。記憶として、愛として、永遠に。
記憶の渚がゆっくりと消えて、私たちは現実の世界に戻った。
雪野は涙を拭いながら、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。本当に、ありがとうございました」
僕の声は雪野には聞こえないが、気持ちは伝わったと思う。
これが僕にとって初めての案内だった。そして僕は、初めて「恋」という感情に触れた。雪野と春香の、美しくて切ない愛情。それは僕の心に深く、深く刻まれた。人間の感情って、こんなにも温かくて、こんなにも切ないものなんだ。
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