僕《わたし》は誰でしょう

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第一章

退院まであとわずか

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          ◯


 退院の前日。
 井澤先生の姿を捜して、ぼくはふらふらと院内を彷徨っていた。

 時折二十代くらいの男性を見かけては、もしやと思ってその顔をじっと見つめる。しかし本人ではないとわかるとすぐに興味を失って再び歩き始める。
 側から見ればあきらかに不審者で、これではぼくも人のことは言えないなと思った。

 と、階段に差し掛かったところで、ある人物の姿に目を留めた。
 青い病衣を纏った、十歳くらいの小さな男の子だった。彼は壁際の手すりに体重を預け、ゆっくりゆっくり階段を上ってくる。

「あ。このあいだのお姉ちゃん?」

 こちらが声を掛けるよりも先に、彼の方がぼくに気づいた。
 先日、同じ場所でたまたま見かけた男の子だ。あのときは確か、彼の落とした御守りを拾ったんだっけ。

「何日かぶりだね。覚えててくれたんだ?」

「そりゃあ覚えてるよ。お姉ちゃん、キレイだし」

 まるでナンパのような言い回しに、年齢の割にませたことを言う子だなと思った。
 そして例によって自分が女性扱いされる現実に、内心嫌気が差す。

「お姉ちゃんは、もうすぐ退院するの?」

「え? ああ、うん。明日の朝には退院する予定だけど」

「そっか。よかったね」

 その口ぶりからすると、彼の退院はまだ先になるのだろう。怪我か、病気か、一体どんな理由で入院しているのかはわからない。
 もしかすると、不治の病に冒されているのかもしれない。そう思うと、安易に「キミは?」と聞き返すこともできない。

「明日、お見送りに行くよ。一階のロビーで待ってるから」

「えっ。いや、いいよ、そんな。下まで行くの大変でしょ?」

「しんどかったらエレベーターを使うから大丈夫だよ。それに、お見送りしたいんだ。そうすると元気がもらえるから」

 人の退院を見送って、元気をもらう。その感覚はぼくにはわからなかった。

 もしも逆の立場なら、ぼくは他人の門出に嫉妬してしまうような気がする。

 自分だけが取り残されてしまうという感覚は、想像しただけで胸を締め付けるほどの焦燥感を駆り立てた。


          ◯


「ねー、すず。まだ何も思い出せないの? あたしたちと一緒に積み重ねてきた思い出。何物にも代え難い青春の日々! それこそ映画化待った無しの輝かしい記憶だよ?」

 病室へ戻ると、いつものように沙耶と桃ちゃんの二人が待っていた。彼らは毎日欠かさずここを訪れ、ひとしきり騒いで満足したら帰っていく。

 お見舞いに来てくれるのはもちろん嬉しいけれど、あまりにもテンションが高すぎて時々ついていけていない自覚がある。

「すず。オレはいつまでも待ってるぞ。お前がオレを思い出してくれるまで。そして、お前がお前自身を取り戻すまで。オレは絶対に諦めないからな!」

 ビデオカメラを片手に、感極まった桃ちゃんは滝のような涙を流す。
 そんな彼に苦笑するぼくの隣で、沙耶は「うーん」と何やら思案げに唸った。

「それなんだけどさあ。記憶喪失ってのはまだわかるとして、なんですずは自分のことを男だと錯覚してるんだろうね?」

 彼女の疑問は最もだった。実際、当事者であるぼく自身が誰よりも気になっている部分である。

「記憶を失っただけなら、さすがに性別の違和感までは抱かないんじゃないかなあ。もともと心が男ってわけでもない限り」

「すずは女の子だぞ。身も心もずっと女の子だった。オレが保証する!」

「わかってるって。だから不思議なの。すずが自分を男だと感じる原因……それって、記憶を失ったこと以外にも何かあるんじゃないかなぁ?」
 
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