僕《わたし》は誰でしょう

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第二章

故郷

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          ◯


 再び車に乗り込んで山の方を目指していると、目に飛び込んでくるもの全てが懐かしさで溢れていた。

 あの頃から何も変わらない氷張川。ぼくが生まれる前からあったショッピングモール。沈み橋。S字坂の途中に見える、低木で形作られた『さくらがおか』の文字。

 やがて坂を上り切ると、町の中心を通る主要道路の脇にはいくつもの店が並ぶ。

「凪。そこの信号、右に曲がってくれる?」

「ああ」

 ぼくがお願いすると、凪はハンドルを切る。この方角は、ぼくが通り慣れた道——おそらくは自宅への帰り道だ。

 十年前に住んでいた家が、この先にある。母校である小学校の脇を通り過ぎ、小さい頃に友達とかくれんぼをしたバスターミナルの手前を左へ曲がる。
 そして、

「そこの交差点を右に曲がって、すぐ左に入って。それから……」

 細かい道順が、自転車の感覚と共に蘇る。住宅街の細い道をジグザグに曲がっていく。

 そうだ。この先に、ぼくの帰る家がある。

「凪、停まって!」

 ぼくの一声で、車は停止した。

 進行方向の、右手側。舗装された坂道に沿って並ぶ家々の中に、その場所はあった。
 けれど、

「あれ……?」

 十年前にぼくの住んでいた家があったはずのその場所は、すでに空き地になっていた。
 雑草が生え放題になっていて、おそらくここ数年はこのままの状態だったのだろうと思われる。

「あれー? 空き地じゃん。ここに昔何かあったの?」

 後部座席から沙耶の声が飛んでくる。
 ぼくはまるで狐につままれたような心持ちで、目の前の何もない空間を見つめていた。

「そんな。どうして……。ここにぼくの家があったはずなのに」

「キミの家族なら、キミが亡くなった後にここを引っ越していったよ」

 凪が言って、思わずぼくは彼を見る。

「そうなの? 今はどこに」

「さすがにそこまでは調べてないな。捜そうと思えば手がないわけじゃないが、キミは会いたいのか?」

「……いや」

 今さら会ったところで、どうなるというのだろう。
 今のぼくは記憶を取り戻しつつあるとはいえ、体は比良坂すずのものなのだ。こんな状態で会いにいったところで、きっと相手を困らせてしまうだけだろう。

 それに、

(なんだか、会うのが怖い……ような)

 できることなら、両親とは顔を合わせたくない——そんな気がしてくる。

「ふーん。ここにあんたの住んでた家があったってこと? せめて家だけでも残ってたら、何か思い出せたかもしれないのにね」

 沙耶の声を耳にしながら、ぼくはなんとか記憶を掘り起こす。

 この場所に建てられていた、二階建ての一軒家。壁は白く、屋根は黒っぽい灰色。そして、門柱に掲げられていた表札は、

「……『愛崎あいざき』」

 その名を口にした瞬間、ハンドルを握っていた凪の指がぴくりと反応した。

「あいざき? 何それ。もしかして、あんたの苗字?」

 沙耶に聞かれて、ぼくは曖昧に首を傾げる。

 記憶の中にある家の表札には、確かに『愛崎』という文字がある。
 けれど、十年前の凪はぼくのことを『みなみ』と呼んでいたはずだ。

(どういうことだ?)

 何かが引っ掛かる。違和感とともに何か、不安のような、嫌な予感のようなものが胸に広がる。

「みなみ」

 隣から、凪が実際にこちらの名を呼ぶ。記憶の中の声よりもずっと低い、大人になった彼の声。

「もう一度聞くが……キミは全てを思い出したら後悔するかもしれない。それでも真実を知りたいのか?」
 
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