僕《わたし》は誰でしょう

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第四章

愛情のかたち

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 死と向き合おうとした瞬間に、本物の死は一気に距離を詰めてきた。

 やはり光希くんの言っていた通りだと思う。
 人間は、自分の気持ち次第でどうとでもなる生き物だったのだ。

 少し寂しい気もするけれど、これで良かったんだ、と思う。

 僕はもう十年も前に死んでいる。
 この体は比良坂すずのもので、このままずっと借りているわけにはいかないのだ。

 本来なら今この時間だって、僕には与えられるはずのないものだった。
 沙耶や桃ちゃんと出会って、友達になって、凪と再会して。
 母にだって、伝えたかったことを自分の口で伝えられた。

 この三日間、毎日くたくたになるまで遊んで、楽しい思い出をたくさん作った。
 だからもう、思い残すことは何もない。

 僕の魂は、在るべき場所へと還っていく。
 ただそれだけのことなのだ。



「じゃあね、美波。今日も楽しかったよ」

 美波、と沙耶に言われて、一瞬誰のことだかわからなかった。
 一拍遅れて、それが自分の名前だと思い出して、慌てて返事をする。

「う、うん。僕も楽しかった。……また、明日」

 また明日、彼女たちと会えるのだろうか。
 日付が変わって朝になったとき、果たして僕は美波ぼくのままでいられるだろうか。

 沙耶と桃ちゃんとは、比良坂すずの家の近くで別れた。凪がいつも車で迎えに来てくれる定位置。二人の背中に手を振ると、その場に残されたのは僕と凪だけになった。
 街灯に照らされた公園の木が、さらさらと生温い風に揺れる。

「美波。キミは、怖くはないのか?」

 凪が言った。

 「何が?」とは聞かなかった。僕が恐怖を感じる対象は一つだけ。これから僕の身に訪れるであろう二度目の死が、すぐそこまで迫っている。

「僕はもう、十年も前に死んでいるんだよ。怖いも何も、今さらだよ」

 苦笑まじりに言った。今さら怖がったところで、幽霊が死を怖れているようなものだ。

 けれど凪は、

「俺は怖いよ」

 はっきりと、震えた声でそう言った。視線は道の先を見つめているが、まるでどこか遠くを見ているように焦点が合っていない。

「俺たち、ずっと一緒だったよな。小学六年のあの日から。中学に入ってからもずっと。部活だって、二人で演劇同好会を立ち上げたし、学校の帰りには沈み橋とかに寄ってさ。俺は、キミと一緒にいられることが幸せだった。ただ隣にいられるだけで幸せだったんだ。なのに……もう、二度と会えなくなるんだぞ。怖いのは俺だけか?」

 そこでやっと、彼の目がこちらを向いた。
 左目の下に泣きボクロがある、妖艶な瞳。この特徴的な目のおかげで、僕は彼のことを覚えていられた。

「俺は結局、キミにとっての何だったんだ? キミは、俺と会えなくなっても……何とも思わないのか?」

 今にも泣きそうな顔で彼が言う。
 そんな顔をされたら、こっちまで泣きそうになってしまう。

「……怖いよ。僕だって」

 本当は言いたくなかった。
 たとえ口にしたところでどうにもならないし、虚しいだけだと思ったから。

 けれど、こうして一度でも本音を口にしてしまえば、もう歯止めが効かなかった。

 自分という存在がなくなって、凪とも二度と会えなくなる。想像しただけで、足が竦みそうになった。

「本当は、消えたくない。僕だって、忘れたくないよ、凪のこと。ずっとここにいたい。死ぬのが怖い。……死にたくないよ」

 鼻の奥がつんとして、勝手に涙が溢れた。

 この期に及んで、僕は死にたくないと思っている。一度死んだ人間がそんなことを思うなんて、自分でも滑稽だと思った。

 体が震えて、うまく呼吸ができなくなる。ぐすぐすとはなを鳴らしていると、こちらの両肩に凪が手を置いた。

「美波。……抱きしめてもいいか?」

 比良坂すずには悪いけどな、と、彼はあくまでも紳士的に確認する。

「……うん。いいよ。きっと比良坂すずの記憶には残らないから、大丈夫」

 今ここで起こることは全部、僕たちだけが覚えている、二人だけの秘密だから。

 僕が了承すると、彼は僕よりもずっと大きな手で、こちらの体を優しく引き寄せた。少し苦しいぐらいに、力強く抱きしめられる。
 いずれ消えていく僕を離さまいとするように、背中に回された手の指先まで力がこもっている。彼の体温と、心臓の音が、触れた肌から直に伝わってくる。

 ああ、僕は愛されているんだなあ、と思った。

 彼は僕のことを、いつもありのままで受け入れてくれた。
 たとえ僕が女でなくても、男になりきれなくても。別の女の子を好きになっても。
 母とケンカをしても、学校で浮いていても。事故に遭って、体がバラバラになっても。

 あれから十年が経って、こうして姿が変わっても。
 彼はずっと、僕のことを好きでいてくれた。

 それはつまり、僕の姿形は関係ないということだ。

 たとえ僕がどんな姿をしていても、性別がどちらであっても。彼はきっと、僕のことを愛してくれる。

 僕のことを、魂そのもので愛してくれている。

 なら僕は今まで、なんてちっぽけなことで悩んでいたのだろう。

 性別なんて関係ない。

 誰かを愛することに、きっと体なんて関係なかったんだ。
 
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