僕《わたし》は誰でしょう

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第四章

一日目

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          ◯


 翌日から、慌ただしい日々が始まった。

 朝七時に僕の家、もとい比良坂すずの家の前に集合して、凪の車に四人で乗り込む。

「って、俺はキミらの専属運転手か? 美波はともかく、他の二人まで当然のように俺をこき使ってくれてるわけだが」

「まあまあ、そんな固いこと言わずに。優しい井澤さんなら、あたしたちのお願いを聞いてくれるでしょ?」

 沙耶は凪の扱いが上手い。というより、凪が押しに弱いのだろうか。

 なんだか凪の新しい一面を発見したような気がして、思わず嬉しくなる。
 彼とは小学校の頃からずっと一緒に過ごしてきたけれど、こうして僕以外の誰かと親しくしている姿を見るのは新鮮だった。

「で、どこまで行けばいいんだ? 行き先は決まってるんだろ?」

「んー、どうしよっか。美波はどこか行きたいとこある?」

「っておい、まだ決まってないのかよ!」

 初日は、本当に何も決めていなかった。

 『夏の思い出を作ろう』なんて勢いで始めたものの、行き先については何も話し合っていない。
 もとより沙耶と桃ちゃんは僕の意思に委ねるつもりらしく、僕が行きたいと思った場所へ二人はついてきてくれる。そして車は凪が文句を言いつつも出してくれる。

 しかし当の僕がなかなかこれといった案を出せなかったので、結局「夏といえば海でしょ!」という沙耶の一声で、初日の行き先は海に決まった。車で一時間ほどの所に、そこそこ人気の海水浴場があるのだ。

「でも僕、海には入らないよ。女物の水着を着るのは嫌だし。だからって男物の水着を着れるわけじゃないし……」

「わーかってるって! 別に海に入らなくても、海辺で楽しめることはいっぱいあるんだから!」

 そうして向かった海水浴場では、沙耶の言った通り様々なアクティビティが用意されていた。
 クルージングにバーベキュー、釣りやビーチバレーなど。必要な道具の貸し出しは多くの海の家で行われており、僕らのように手ぶらで訪れた客でもすぐに楽しめるようになっている。

 真っ白な砂浜には、やはり多くの人が訪れていた。天気も申し分なく、青い海の向こうには立派な入道雲が立ち上っている。頭上ではウミネコやトンビが飛び交い、辺り一帯に鳴き声を響かせていた。

「なあ、なあ! スイカ割りしようぜ! ほら、でっかいスイカが売ってる!」

 昼食にバーベキューを楽しんだ後。桃ちゃんは店頭で売られていた大ぶりのスイカを指差し、興奮気味に言った。「もちろん井澤の奢りで!」という文言を付け加えるのも忘れない。

 ベタな遊びではあるけれど、思い返してみれば、僕はスイカ割りをしたことは過去に一度もなかった。
 実際にやってみると、これが意外と難しい。凪も、沙耶も、桃ちゃんも、惜しいところまではいくのだが、あと数センチという差で失敗してしまう。タオルで目隠しをされただけで、こうも方向感覚が混乱するものなのか。

「美波ー! もうちょい右!」
「おい美波! そっちじゃねえって! 戻れ!」
「そこだ、美波。思いっきり振り下ろせ!」

 三人の声に翻弄されながらも、ここだと思った場所で、手にした棒を力の限り振り下ろす。すると、確かな手応えとともに、足元で何かがぱっくりと割れる音がした。と同時に、三人の歓声が一斉に上がる。

 目隠しを外すと、形は歪ではあったものの、スイカはしっかりと割れていた。たまらず嬉しくなって、僕は湧き上がる達成感に思わずガッツポーズをした。



 その後も僕らは砂浜で原始的な遊びを続けた。
 砂を盛った山にトンネルを掘ってみたり、四人の名前を足元に書いてみたり、波打ち際のギリギリの所を歩くチキンレースをしてみたり、たまたま見つけた小さなカニをひたすら追いかけてみたり。

 そんな様子を、桃ちゃんは熱心にビデオカメラにおさめていた。そういえばショートムービーのコンテストがあるんだっけ、と僕は思い出す。

「桃ちゃんのそれ、コンテスト用に撮ってるの?」

 僕が聞くと、彼は「ああ」と言って視線をカメラから離した。

「夏の終わりに締め切りがあるからな。それまでに編集も終わらせなきゃいけねえ」

「大変だね。でもそれって確か、『比良坂すず』を被写体にするって言ってなかったっけ?」

 僕がまだ入院していた頃、彼は言っていた。

 ——オレの受賞第一作目の被写体は、すず、お前だ! これは絶対に譲れない条件だからな。この夏はずーっとお前にくっついてるぞ。

 彼は自分の想い人を被写体にした作品を作っていた。本来ならここに映るのは僕ではなく、比良坂すずであるはずだったのに。

「なんか、ごめんね。せっかく比良坂すずの映像を撮ってるはずなのに……中身が僕じゃ、たぶん違和感があるだろうし、思い通りのにはならないよね」

 彼の作品の邪魔をしてしまっている。それを改めて意識すると、途端に罪悪感が込み上げてくる。
 けれど、

「謝るなよ」

 桃ちゃんはそう言うと、今度は沖の方へと目をやった。
 空はいつのまにか、ほんのりと夕暮れの色を見せ始めている。水平線に向かって、白い太陽がゆっくりと落ちてくる。昼間より少しだけ涼しくなった潮風が、僕らの髪を撫でる。

「あんたは確かにすずじゃねえけど、だからって赤の他人ってわけじゃないだろ。オレたちはその……もう、友達になったわけだし。友達に謝られるの、オレは嫌なんだ」

 友達。
 まさか彼の口から、そんな言葉が零れるなんて。

 思わず呆気に取られたまま彼の顔を見つめていると、彼は居た堪れなくなったのか、急にそっぽを向いてぶっきらぼうに言い放った。

「す、すずの映像なら、これからいくらでも撮れるしな! それこそオレがいつか本物の映画監督になったら、すずが主演の作品をいくらでも世に送り出してやるよ。だから今だけは、あんたで我慢してやるって言ってんだ!」

 大事な想い人の体を乗っ取った僕のことを、友達として受け入れてくれた。
 そんな彼の懐の深さを思うと、彼に愛された比良坂すずは本当に幸せ者なんだろうなと思う。
 そして、こうして友達になれた僕も。

「ありがとう……桃ちゃん」

 十年の時を越えて、まさかこんな友達ができるなんて。

 僕の人生も捨てたもんじゃないなと、改めて思った。
 
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