僕《わたし》は誰でしょう

紫音みけ🐾書籍発売中

文字の大きさ
55 / 62
第四章

二日目

しおりを挟む
 
          ◯


 二日目は、流しそうめんを体験しに行くことになった。

 例によって朝七時に家の前で集合し、近くに停めてある凪の車へ四人で乗り込む。

 昨日のスイカ割りで味を占めた僕は、その日も何か新しいことに挑戦しようと思っていた。
 せっかくだから夏らしいものをと考えたときに、そういえば本格的な流しそうめんを経験したことはなかったなと気づいたのだ。

「流しそうめんなら、川床かわどこへ行ってみるか? ここから二時間ぐらいの距離だし、山の上の川沿いだから、この季節でもかなり涼しいんだ」

 凪はどうやら行ったことがあるようで、彼に案内されるまま、僕らはそこへ向かった。

 避暑地として人気があるというその場所は、本当に山の上にあった。
 川沿いの舗装された坂道を上っていくと、大型バスや観光客の集まるスポットが見えてくる。道の脇には老舗の旅館や料亭が並び、川と緑に囲まれた清涼な空間で、多くの人がお茶や料理を楽しんでいた。

「うっわ、すっご! なんか良い感じの空間!」

「すげえ高そうな店だな! これもぜんぶ井澤の奢りってエグすぎだろ!」

「いや言ってないが!? 勝手にぜんぶ勘定させるな!」

 凪は否定しつつも結局奢ってくれる。さすがに学生にお金を出させるのは気が引けるのか。
 まあ、医者の家系で経済的には困っていなさそうだし、と僕もそれに甘えた。

 地元では気温が三十五度を超える猛暑日だったが、ここら一帯は凪の言っていた通り涼しかった。麓と比べると十度以上低いようで、半袖だと少し肌寒いくらいに感じる。

 目的の店は料理旅館だったが、この時期に限り特別に流しそうめんもやっているらしい。店の前には開店前から列ができていて、整理券をもらったが三十分待ちだった。
 もしも開店後に来ていたら数時間は待たされていた可能性がある。それくらい人気の店のようだ。

 やがて順番が迫ってくると、僕らは案内にしたがって階段を降り、川へと近づいていった。
 川の上には広い桟敷さじきが設けられており、食事はそこでできるようになっている。

 まだ呼ばれるまで少し時間があったので、僕と沙耶は桟敷の端まで歩き、すぐ下に見える川面を見下ろした。縁に腰かけて足を下ろせば、川の水に触れることもできる。

「うはー! 冷たくて気持ちいい!」

 川と滝の轟音が響く中、沙耶の嬉しそうな声が上がった。彼女は川面に足先を浸して恍惚の表情を浮かべている。

 「美波もやってみなよ」と言われて、僕も同じように裸足になって足を伸ばしてみる。すると、結構な勢いのある水流が指先を弾いて、思わず「ひゃっ」と声を上げた。

「あはっ。良い反応だねぇ」

 にやにやと笑う沙耶の顔がすぐ隣にあって、僕はどきりとした。毎度のことではあるが、彼女は基本的に距離が近すぎる。

 かあっと耳が熱くなった気がして、咄嗟に彼女から目を逸らした。
 それを見た沙耶は「んんー?」と怪訝な声を漏らす。

「なに? あたしにドキドキしちゃった? 美波って、あたしみたいなのがタイプだったりするの?」

 揶揄からかわれているだけなのはわかっているが、僕は満更でもなかった。

 薄々気づいてはいたが、沙耶は、僕が好きだったあの子に少し似ている。見た目は全然違うのだけれど、なんというか、雰囲気が近いのだ。

 元気で明るくて、ちょっと強引で。屈託なく笑う顔が太陽みたいに眩しい。

 思い出しただけで、鼓動が高鳴る。それを悟られたくなくて、僕は慌てて沙耶に反撃する。

「そ、そういう沙耶はどうなのさ? 沙耶だって、桃ちゃんみたいな男子がタイプなんじゃないの?」

 以前もこういう話になったとき、彼女は言っていた。好きな人はいるけれど、それは叶わない恋なのだと。その話ぶりから、彼女の想い人はきっと桃ちゃんなのだろうと思っていた。

 当の桃ちゃんは今、少し離れた所で凪と話し込んでいる。周りは滝の轟音が響いているので、こちらの声はおそらく届かないだろう。

 さて沙耶の反応は、と僕は改めて彼女を見た。
 しかし当の彼女は、

「え? 桃ちゃん? なに言ってんの?」

 きょとん、と不思議そうな顔で首を傾げていた。

 予想外の反応に、僕は拍子抜けする。

「え? だ、だって。キミは前に言ってたじゃないか。好きな人の幸せそうな姿を見てるのが好きだって。それって、桃ちゃんのことじゃないの?」

 包み隠さずに僕が言うと、それを聞いた彼女はやっと何かを理解した様子で、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた。

「ふぅん。なーんだ。意外と気づかないんだね。自分だってある意味似たような境遇のくせに」

「へ?」

 発言の意図がわからない。
 僕が困惑していると、彼女は仕方ないなあと言わんばかりに説明してくれる。

「残念だけど、あたしが好きなのは桃ちゃんじゃないよ。もちろん、友達としては大好きだけどね。でも恋愛対象とは違う。女性の恋愛対象が必ずしも男性ってわけじゃないことは、あんたならわかってくれると思ってたんだけどなぁ」

 恋愛対象は、必ずしも男性ではない。
 苦笑するように言った彼女の言葉で、僕はやっとその真意に気づく。

「もしかして、沙耶の好きな人って……」

 僕が言いかけたその時、後方から凪の呼ぶ声が聞こえた。どうやら流しそうめんの順番が回ってきたらしい。

「おっ。やーっとお待ちかねのご飯の時間だね。てわけで、いざ出陣!」

 沙耶はいつもの調子でそう言うと、すぐに腰を上げて桃ちゃんたちのもとへと向かう。

「ほら、美波も。早く行こ!」

 促されて、僕も腰を上げる。

 こちらに笑みを向ける彼女の顔には、一点の曇りも見当たらなかった。



 初めての流しそうめんは、何メートルもある竹筒の表面を滑って僕らのもとへ届いた。
 麺の束が次から次へと流れてくるので、受け皿はすぐにいっぱいになる。後ろの客もつかえているので、食べる時間は十分程度しかない。

 あっという間にタイムリミットがきて、僕らは慌ただしく店を後にした。余韻に浸る暇もなかったけれど、

「はーっ! 面白かったね!」

 満面の笑みを浮かべた沙耶に言われると、確かに面白かったな、と思う。

 彼女の笑顔はきっと、周りの人を幸せにする。
 桃ちゃんも、比良坂すずも、きっと沙耶の存在に支えられてきたのだ。

 そして、僕も。

 彼女とこうして友達になれたことを思うと、僕は良い友達に恵まれているんだなと、改めて実感した。
 
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

神楽囃子の夜

紫音みけ🐾書籍発売中
ライト文芸
※第6回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。  年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。  四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。  

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

処理中です...