僕《わたし》は誰でしょう

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!

文字の大きさ
61 / 62
終章

夏が明けて

しおりを挟む
 
 夏が明けて、今年も彼岸の時期がやってきた。

 九月の中旬。氷張川の土手にはヒガンバナが咲き始め、ぽつぽつと赤い色が存在を主張している。
 沈み橋の上に立ってそれらを眺めていると、ここは何年経っても変わらないな、と思った。

「さて。今日も出勤かぁ」

 大きく伸びをして、体にスイッチを入れる。

 祖父が院長を務める病院での勤務は、身内の特権で色々と自由にやらせてもらっている。
 けれど、そのぶん周りからの目は冷たかった。表面上は院内の誰もが俺に丁寧に接してくれるが、内心では立場に甘えて遊んでいると思われているのは明白だった。

 この夏は特に、七月の半ばから一ヶ月ほど仕事を休み続けてしまったので、弁解の余地もない。研修医の立場で、ここまでワガママを突き通せるのは身内の特権以外の何ものでもなかった。

 けれど、後悔はしていない。
 その一ヶ月の間で、俺は何よりも大切なもののために時間を使ったのだから。

 好きな人のために使う時間としては、あまりにも短すぎたけれど。


          ◯


「え。講習会?」

 出勤早々、俺は祖父から手渡された紙に目を落として呟いた。

 祖父に呼び出されて向かった院長室。そこで待っていた彼から告げられたのは、とある講習会への参加命令だった。

「ああ。私の後輩の松江まつえくん。お前も何度か会ったことがあるだろう。彼が講師を務めるので顔を出しに行きたいんだが、あいにく私は忙しくてな。代わりに行ってきてほしいんだ」

 開催は本日の十三時からと、えらく急な話だった。大方、先方に出席すると伝えた後に忘れていたのだろう。
 祖父にとってはよくあることだった。誰にでも良い顔をしようとするからそんなことになるのだ。

「いや、ちょっと待てよ。この会場って、ここからかなり遠いじゃないか」

 住所を確認して、すかさずスマホの地図アプリで検索してみると、車で三時間はかかる距離にある。現在は朝の八時過ぎなので、今すぐ出発しても到着は昼ごろになる。

「お前は私と違って暇だろう。先月は一ヶ月近くも勝手に休みを取ったそうじゃないか」

「うっ……」

 それを言われてしまうと反論ができない。
 結局、俺は急遽車を出して講習会へ向かうことになった。



 奇しくも、会場は比良坂すずの家の方角にあった。
 もう二度と近寄ることはないと思っていたその場所に向かって、俺はひとり車を走らせる。

 途中、先日一度だけ訪れた美波の墓の近くを通りがかった。
 あまり時間に余裕はなかったが、せっかくなので手を合わせに行こうと思い、そちらへ寄る。

 のどかな田園風景の中にある、山の斜面を利用した霊園。雛壇状に並んだ墓石の中央付近に、それはあった。

 愛崎家之墓。
 ここに美波が眠っている。

 墓石の両脇に飾られた花はまだ枯れていない。誰かが定期的に取り替えているのだろうか。
 俺は持参した花束を墓石の手前に供え、その場にしゃがんで手を合わせた。

「……凪くん?」

 と、不意に名前を呼ばれたのはそのときだった。

 驚いて見ると、傍らにはいつのまにか一人の女性が立っていた。年齢は五十代くらいで、薄手のカーディガンを羽織っている。後ろで一つに束ねた髪は白髪混じりで、どこかくたびれた印象があった。

「あなたは……」

 見知った顔だった。前に顔を合わせたのは、ちょうど一ヶ月ほど前だったか。
 痩せ細った腕に花束を抱えたその女性は、美波の母親だった。

「凪くん。どうしてここに」

「いや。ちょっと、美波に挨拶していこうと思って」

 どうやら花の取り替えをしていたのは彼女らしい。以前、夏の真っ盛りであるお盆の頃に訪れたときも、花は枯れていなかった。それを考えると、かなり頻繁にここへ通っているのがわかる。

「その……このあいだは、ごめんなさい。私、取り乱してしまって」

 母親はその場に佇んだまま、わずかに視線を下げてそんなことを言った。先月のことを言っているのだろう。

「あ、いや……。俺たちも急に家に押しかけたりして、ご迷惑でしたよね」

 先月、俺は美波と二人で彼女の祖父母の家を訪ねた。そこで思いがけずこの母親に会ったのだ。
 そのときの美波と母親との間で交わされた会話は、あまり穏やかなものではなかった。

「今日は、あの子は一緒じゃないの?」

 ためらいがちに、母親が聞く。
 比良坂すず、もとい美波のことだろう。
 あのときは拒絶反応を起こしていた母親も、やはり気にはなっているのか。

「あの子は……」

 俺はどう答えたものか悩んだ。
 事実を口にしたところで、信じてもらえるかはわからない。前回のように、また彼女を混乱させてしまうだけかもしれない。

 けれど、美波がここにいた事実をなかったことにはしたくない。
 たとえこちらの真意が伝わらなかったとしても、嘘でその場を誤魔化すようなことはしたくなかった。
 だから、俺は正直に言った。

「あの子は……美波はもう、この世にはいません」

 母親はしばらく俺の顔を見て固まっていた。
 俺の言葉を理解しようとして、けれどうまく処理できないのかもしれない。

 俺は構わず続けた。

「美波は、最後にあなたに会いに行ったんです。会って、自分の口からあなたに伝えたかったことを伝えたんです」

 それから俺は、この夏の出来事をすべて彼女に話した。

 美波の角膜を移植された女の子が、美波の記憶を持っていたこと。俺たちと一緒に桜ヶ丘へ向かったこと。十年前の事故は自殺じゃなかったこと。それを伝えに、母親の元へ向かったこと。

 とても現実的ではない、空想のような出来事。
 まるで白昼夢のような思い出。

 俺の話を聞きながら、母親の目には涙が浮かんでいた。ここで話したことを、どこまで信じてくれたのかはわからない。

 けれど美波は、確かにここに存在した。
 十年の時を越えて、この夏の短い間だけ、彼は俺たちのもとへ帰ってきてくれたのだ。

「凪くん。美波は幸せだったと思う……? 私が母親じゃなければ、もっと良い人生を歩んでいけたんじゃないかって思わない……?」

「美波の死は、自殺じゃなかったんですよ。そして、その事実をあなたに伝えようとした……。美波のその気持ちを、どうか忘れないでやってください」

 母親が心から納得できる日は、まだ少し先のことかもしれない。

 けれど、あきらかに変化は起こっている。

 美波の残した思いと言葉は、母親のもとへ確かに届いていた。
 
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

その距離は、恋に遠くて

碧月あめり
青春
高校二年生の沙里の好きな人は、母親の再婚相手で、義理の父親。親友にも話せない苦しい恋を、否定せずに受け止めてくれたのは、沙里の高校で非常勤講師をしている葛城だった。 優しい葛城に少しずつ気を許して懐くようになった沙里。ある雨の日に、葛城が彼女とケンカしているところに遭遇した沙里は、彼の秘密を知ってしまう。

Marry Me?

美凪ましろ
恋愛
 ――あの日、王子様があたしの目の前に現れた。  仕事が忙しいアパレル店員の彼女と、王子系美青年の恋物語。  不定期更新。たぶん、全年齢でいけるはず。 ※ダイレクトな性描写はありませんが、ややそっち系のトークをする場面があります。 ※彼の過去だけ、ダークな描写があります。 ■画像は、イトノコさまの作品です。 https://www.pixiv.net/artworks/85809405

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

神楽囃子の夜

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
ライト文芸
※第6回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。  年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。  四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。  

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

あばらやカフェの魔法使い

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
キャラ文芸
ある雨の日、幼馴染とケンカをした女子高生・絵馬(えま)は、ひとり泣いていたところを美しい青年に助けられる。暗い森の奥でボロボロのカフェを営んでいるという彼の正体は、実は魔法使いだった。彼の魔法と優しさに助けられ、少しずつ元気を取り戻していく絵馬。しかし、魔法の力を使うには代償が必要で……?ほんのり切ない現代ファンタジー。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

処理中です...