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第二章
悪女の囁きと初心な青年
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午後七時を過ぎた頃。
その場の全員が食事を終えたのを見届けてから、御影は「少し早いけどお開きにしようか」と言った。
栗丘が祖母の見舞いで病院に向かうだろうから、その時間に間に合うようにとの計らいだった。
その心遣いには大いに感謝しているし、会計の際もとんでもない金額をポケットマネーから出してもらったことで栗丘は恐縮しっぱなしだったが、一つだけ、どうしても胸に引っかかっていることがあった。
「あの、御影さん。俺の父親のことなんですけど」
店を出て少し歩き、そろそろ解散という雰囲気になってきたところで、栗丘は恐る恐るそれを口にした。
先日の斉藤の件を無事に解決できた暁には、父親のことで御影から情報をもらえるという約束だった。
しかし鬼を退治したあの日から今日まで、そういった話をする機会は一度もなく、歓迎会である今日こそはと期待していたのだ。
御影は「ああ、それね」と軽く受け止めると、
「あれは機密情報だから、人目のある場所では話せないよ。また庁舎の会議室かどこかを借りて、二人きりで話そうか」
警察の機密情報ともなれば、さすがに公の場でそれに触れるわけにもいかないのだろう。
頭では理解しているものの、実質おあずけを食らった栗丘は密かに肩を落とした。
その後は絢永が仕事のことで御影にいくつか質問をし、彼らが話し込んでいる間、栗丘とマツリカの二人は手持ち無沙汰になった。
栗丘は明日から御影の下で働くことになる自分の姿をぼんやりと想像する。
と、完全に気を抜いていた彼の耳元で、マツリカは声を潜めて言った。
「あんたさぁ、ミカゲに良いように使われてるよ」
「えっ?」
不意打ちでそんな言葉を投げかけられて、栗丘は目を丸くした。
マツリカはちらちらと御影の様子を窺いながら続ける。
「あんたの父親がどうとかって話、たぶん当分の間は教えてもらえないと思うよ。ミカゲは意地悪だし、どんな汚い手でも使うような奴だから。あんたが知りたがっている情報ってのを人質にして、あんたを自分の思い通りに使おうとしてるんだと思う」
「そ、そうなのか!? でも御影さんは……そんな人だとは思えないけど」
いつも飄々として掴みどころのない人物ではあるが、御影は栗丘の能力を認めて自らの部署へと引き抜き、さらには生意気な後輩である藤原に苦言を呈した男でもある。
今まで落ちこぼれ警察官として周りから扱われてきた栗丘にとって、彼は救世主といっても過言ではない存在なのだ。
「あんた、チョロすぎ。そうやってあんたが犬みたいに尻尾を振り続けてる限り、あいつは好き放題にやるよ。これは絶対」
「こ、根拠は?」
「あたしが言うんだから絶対。必然! あたしは誰よりもあいつの素顔を知ってるんだから」
マツリカは御影に世話になっている身であり、本人も言うように誰より御影のそばにいる人物のはずである。
そんな彼女がそこまで言うのなら……と、栗丘も段々と御影に対して疑念を抱き始める。
「じゃ、じゃあさ。どうすりゃいいんだよ。御影さんが俺の上司である以上、俺は逆らえないし、下手な態度を取ればこの部署から外されて、欲しい情報ももらえなくなるかも」
従順なままでは駄目だと言われても、だからといって反抗的な態度を取るのはどう考えても悪手である。
手詰まりで困惑する栗丘に、マツリカは「そんなこともわかんないの?」と目を細め、小ぶりな八重歯を覗かせて笑う。
その小悪魔っぽい表情がやけに蠱惑的に見えて、栗丘はついドキリと胸を高鳴らせてしまった。
「いい? ミカゲは実力主義なの。たとえどれだけ立場が下の相手でも、実力があると見込めば敬意を表すの。つまり、あんたみたいな下っ端でも『有能で必要不可欠な人間』だと思わせることができれば、あいつは態度を改めるってこと」
「有能で、必要不可欠な人間?」
「正直、今のあんたは完全になめられてる。ミカゲより実力が上……とまではいかなくても、対等に渡り合えるような人間だと思わせられれば、あいつも手のひらを返すはずだよ」
わかった? と流し目で確認するマツリカに、栗丘は腕組みをしてうーんと唸る。
「でもさ、御影さんはさっき俺のこと、『優秀で将来有望な警察官』だって言ってたぞ。これ以上どうしろっていうんだ?」
真顔でそんなことを言う栗丘に、マツリカは「マジかこいつ」といわんばかりの顔で固まる。
「あんた、本当にチョロすぎ。ミカゲはね、そういう適当なことを簡単に口走る人間だから真に受けない方がいいよ」
どこかで聞いたようなフレーズが彼女の口から漏れた瞬間、
「うん? なんだか私の悪口を言われたような気がするなぁ」
と、御影の白々しい声が届く。
栗丘は慌てて「や、やだなあ御影さん。気のせいですって!」と笑って誤魔化す。
やがて再び絢永と話し始めた御影を尻目に、栗丘は細心の注意を払いながらマツリカに耳打ちする。
「で、結局のところどうすりゃいいんだよ。何か具体的な策はあるんだろうな?」
「当然でしょ。あたしを誰だと思ってんの?」
言いながら、マツリカは懐からスマホを取り出して微笑む。
「これ、あたしのアカウント。後でここに連絡してよ」
そう言って示された画面には、SNSのアカウントが表示されていた。
「え。それって、もしかして……」
「あんたみたいなおバカさんには、あたしが直々にレクチャーしてあげる❤︎」
連絡先の交換だった。
十代半ばの少女との、秘密のやり取り。
どこか背徳感さえある未成年からの誘いに、栗丘は思わず顔面を赤くさせてしまった。
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