異邦人と祟られた一族

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第一章 白神健

坊っちゃん列車

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 父に勧められるまま、俺は凛と二人で散歩に出かけた。

 駅前まで歩いてくると、ちょうどそこに路面電車が停まっているのが見えた。
 蒸気機関車を模した形の、緑色をした小型の列車だ。

 凛はそれを指差して「あれは何ですか」と尋ねてきた。

「あれは、坊っちゃん列車だよ。……じゃなくて、『ですよ』」

 うっかりタメ口になってしまい、慌てて言い直す。

「坊っちゃん列車?」

 指を差したまま、凛は小首を傾げた。

「うん。夏目漱石の『坊っちゃん』っていう小説に登場する列車です。普通の路面電車よりは観光客向けかな。雰囲気はあるけど、本数も少ないし、割高なんです」

 俺はそう説明しながら、そういえば以前これに乗ったのはいつのことだったかな、と考えた。

 思い出せるのは、母と一緒に乗ったときのことだ。
 もしかすると、それが最後だったかもしれない。
 となると、かれこれ十年以上も前のことになる。

「乗りませんか」

 凛が言った。
 彼女にとっては、観光の一環にもなるだろう。

 俺も折角だからと、その申し出に乗った。





       ★





 狭い車両は俺たち二人だけを乗せて、すぐに動き出した。

 隣の車両との連結部分に立つ車掌が、坊っちゃん列車についての歴史を語り始める。
 マイクを持たない地声でのアナウンスだったけれど、たった二両しかない客車には十分なほど響き渡った。

 ぽおっと甲高い汽笛が鳴って、やがて窓の向こうには松山城が姿を現した。

 市の中心部に聳える大きな山の、その頂きに天守閣が見える。
 外堀の脇では桜が花を咲かせ、さらにその隣では柳の葉が青々と揺れている。

 この春の景色を、かつては母と一緒に眺めた。

 当時のことを振り返りながら、俺は記憶の中の母を思った。

「……母さんはもともと、身体が弱かったんだ」

 凛は窓から目を離して、俺の方に注意を向けた。

「俺を出産するときは、周囲から反対があったそうです。その忠告通り、俺を産んでからは特に病気がちになって、ほとんど寝たきりで、最終的には……」

 脳裏で、母の最期の姿が蘇る。

 つらい身体に鞭を打って、俺と一緒に出掛けた母は、最期――路上に倒れ込み、そこへちょうど車が通りがかって……。

「亡くなったのですね」

 俺が黙っていると、代わりに凛が言った。

「……そう。俺を産まなければ――俺さえ生まれてこなければ、母さんは今でも生きていられたはずなのに……」

「お母様があなたを怨んでいるというのは、それが理由ですか?」

 俺は頷いた。

 すると凛は、

「本当に、そうなのでしょうか」

 と、妙な疑問を投げかける。

「え?」

「本当にそんな理由で、お母様はあなたを殺そうとしたりするでしょうか」

 どこか腑に落ちないといった様子で彼女は言う。

「そんな理由、だって?」

 彼女の発言は、俺の心を乱すのには十分だった。

 『そんな理由』――そんなくだらない理由、とでも言いたいのだろうか。
 まるで母の死が軽視されたような気がして、俺は腹が立った。

 凛は続けた。

「あなたのお母様は、ご自分の意思であなたを産んだのでしょう? それなのに、今はあなたを殺そうとするなんて……そんなことが本当にできるのでしょうか」

「……何がわかるんだよ」

 つい、感情が声に漏れてしまう。

「別に何もおかしいことはないだろ。俺のせいで母さんは死んだんだから。俺を殺そうとしたって、何もおかしくはない」

 次第に語気が荒々しくなる俺に対し、凛は冷静に、顔色一つ変えることなく俺の言葉を聞いていた。

「母さんは俺を怨んでるんだ。だから殺しにきたんだ」

「そうでしょうか」

「何が言いたいんだよ?」

 尚も食い下がる凛に対して、俺もムキになる。

 けれど、

「あなたを殺すことを望んでいるのは、お母様ではなく……あなた自身ではないのですか?」

「なっ……」

 思わぬ方向へ話が飛んできて、俺は面食らった。

「……なんで、そうなるんだよ?」

 訳がわからず、狼狽えてしまう。

「あなたの言葉を聞いていると、まるであなたは、自ら死ぬことを望んでいるかのように思えます」

「死ぬことを望む? どういうことだよ。別に俺は……」

 死にたいだなんて、思うわけがない。
 ただ、母に殺されるのならそれは仕方がないと思うだけで。

「俺は、できることなら……死にたくなんかない、けど」

「なら、……――よかった」

 ほっと息を吐くように、凛が言った。

「あなたはあくまでも、生きることを望んでいるのですね」

 そう言った彼女の顔は、それまでの緊張が解れたかのように、やわらかな笑みを浮かべていた。

 その可憐さに、つい見惚れてしまった。

 もともと白神家の血を引く家系は美形が多いと聞いていたけれど、それにしたって彼女は別格だと思う。

 そして、初めて見る彼女の笑顔。
 心なしか、瞳が潤んでいるようにも見える。
 今にも泣き出してしまいそうな、寂しげな笑みだった。

 俺は、彼女もこんな人間らしい表情もできるのだなと、妙な感心を覚えた。

「あなたの生きる意志が確認できて、よかった。……白神家の人間は、自殺を望む者が多いのです。祟りに遭って、こんなにも辛い思いをするのなら、いっそ死んでしまった方がずっと楽だと言うのです」

「自殺? って、そんなの極論じゃないか」

 俺は咄嗟に反論した。
 いくら辛い思いをするからといっても、それで自殺をするような考え方は理解できなかった。

「生きることを否定したら、辛いことだけじゃなくて、楽しかったことまで全部否定することになる。それじゃあ自分を生んでくれた親にだって失礼じゃないか」

 脳裏で母を思いながら、俺は言った。

 凛は満足げにこくりと一つ頷いてみせると、

「そう言ってもらえて、安心しました。あなたが生きることを否定しない限り、あなたはきっと大丈夫でしょう。だから、その思いを決して忘れないでください。もしもあなたが自殺を考えてしまったら、そのときは……今度こそ祟り神に殺されてしまうでしょうから」

 そら恐ろしいことを言われて、俺は背が寒くなった。

「自殺願望があると、俺は死ぬのか? それは、祟りとは関係がないじゃないか。祟り神に殺されるのと、自殺するのとは違うんだから」

「いいえ」

 凛は淀みのない声で、はっきりと言った。

「祟りは、──祟り神は、私たちの心から生まれるのです」
 
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