異邦人と祟られた一族

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第一章 白神健

道後温泉駅

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 やがて列車がたどり着いたのは、街一番の名所――道後温泉駅だった。

 ホームを出ると、ちょうど正面に幼稚園児の群れが見えた。
 色鮮やかな帽子とリュックサックとが、遠足に来たことを告げている。

 彼らの群がっているのはカラクリ時計の前だった。
 時刻は午後二時を指したところで、時計台は和風の音楽とともにせり上がり、中から多くの人形が姿を現す。

「あっ……すごい。すごいですよ健様。時計の裏から女の人が出てきました。あっ、それに下からも、横からも――」

 園児たちに混じって、凛が感嘆の声を上げた。
 よほど嬉しかったのか、控えめではあるけれど、明らかにテンションが上がっている。

 カラクリ時計に仕掛けられた人形たちは、これまた坊っちゃんの登場人物だった。
 松山の街は何かと坊っちゃんにあやかっているところが多い。

「よかったら、そっちの商店街も見ていくか? 土産物屋がいっぱいあるんだ」

 俺が聞くと、

「はい。見ますっ」

 と、間髪入れず凛が返した。
 心なしか、その瞳はキラキラと輝いて見える。
 もはや坊っちゃんの虜となっているのだろう。

 そんな彼女の姿が段々と可愛く思えてきて、俺は苦笑した。
 まるで妹でもできたかのような気分だった。

(……俺も昔は、こんな風にはしゃいでいたのかな)

 今となってはこの街の景観にも慣れてしまって、純粋に楽しむことはできなくなってしまったけれど。
 でも、生前の母がここに連れて来てくれたときは、幼かった俺は無邪気にこの辺りを走り回っていたはずだ。

 そのとき母は、一体どんな気持ちで俺のことを見つめていたのだろう……。





       ★





「温泉には寄らないのですか?」

 西日が赤みを帯び、そろそろ帰ろうかという段になって、凛が言った。

 もともとそのつもりのなかった俺は、ちょっと悩んだ。
 別に寄っても良かったのだが、そろそろ『ギルバート様』が起きる時間かもしれない。
 その旨を伝えると、途端に凛はハッとしたような顔をして、

「す、すみません。私……浮かれていました」

 しゅんとした彼女の様子に、思わず苦笑した。

 松山を観光するにあたり、一番の目玉となるのは道後温泉だ。
 ここまで来たからには、やはり訪れておきたいスポットだろう。

 けれど今は時間がない。
 かといって、ただお預けというのもちょっと可哀想だったので、

「じゃあ、代わりに何か買って帰ろうか。そうだ、そこの団子はどうだ? あれなら小さいし、歩きながら食べられるだろ」

 ある店の入口に、『坊っちゃん団子』と銘打たれた幟が立っていた。

 それを何気なく指差したとき、俺は反射的に歩みを止めた。

「あ……」

 幟の手前に、母が立っていた。

 母は無言のまま、こちらを見つめていた。
 その口元には微笑が浮かんでいるが、瞬きをしない目はまるで笑っていない。
 ガラス玉のような冷たい二つの眼球が、静かに俺を射止めている。

 周りを行き交う温泉客たちは、そんな母の存在に見向きもしない。
 この世ならざる母の姿は、俺の目だけに映っているらしい。

「そこにいるのですか?」

 俺の様子に、凛が察したらしい。
 彼女もまた同じように、俺の視線の先を見る。

 見えるのか、と俺が聞くと、彼女は頭を振った。

「私には見えません。けれど、きっとギルバート様なら」

 彼にならきっと見えるのだと凛は言う。

 俺は未だ半信半疑だった。

 昼間は眠り、夜にだけ活動するというあの奇妙な子ども。
 日中はほとんど会話すらできないはずなのに、そんな子どもに対して、なぜそこまでの信頼が生まれるのかはちょっと疑問だった。

 けれど、俺をまっすぐに見返してくる凛の瞳には、強い光が宿っている。
 『ギルバート様』を心から信じている――そんな思いを物語るような、揺るぎのない眼差しだった。

 そのうち、前方にあった母の姿は再びどこかへと消えてしまった。

 何とかその場はやり過ごせたのだと胸を撫で下ろし、俺は改めて凛を向き直る。

「凛は、信じているんだな。『ギルバート様』のこと」

「もちろんです。ギルバート様には先代の頃からお世話になっていますし、それに……私の命の半分は、ギルバート様のものですから」

「半分?」

「はい。……おかしいですか?」

 きょとん、とした表情で聞かれて、俺は「いや……」と言葉に詰まった。

「えっと、なんていうか……。それだけ忠誠心があるのなら、半分と言わずに、身も心もすべて捧げてるのかと思ったからさ」

「半分ですよ。私たちは、命を分け合いましたから」

 分け合った、という言葉の意味はよくわからなかった。
 けれど、彼女が『ギルバート様』を信頼しているのは確かだった。

「健様。これを」

 そう言って彼女が懐から取り出したのは、一見封筒のようなものだった。
 長方形の白い型紙に、薄い和紙を巻いたものだ。

 型紙の中央には赤い色で何かが点々と描かれていて、それが薄紙越しに透けて見えるのだが、ぼんやりとしてよくわからない。
 赤い何かは不等間隔に散らばっていて、文字というよりは星座絵のようにも見える。

「これは『星札ステラ・タロット』。白神家の血を引く者だけが使うことのできる、秘伝の呪符です。きっと、あなたの助けになるでしょう」

 そう言って、凛は手にしたそれを俺に差し出す。
 御守りのようなものだろうか。

 手渡されたそれをしばらく眺めてから、俺は改めて空を見上げた。

 赤く染まった西の空。

 もうじき、日が暮れる。
 夜がくる。

 祟り神との対決は、すぐそこまで迫っていた。
 
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