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第二章 白神桂
殺してあげる
しおりを挟む「な、何なの。刀が勝手に……!」
桜さんが怯えた声を上げました。
彼女にはハーベストの姿が見えていません。
刀はひとりでに持ち上がったかのように、彼女の目に映っているのでしょう。
私は鈍色の刃が揺らめくのをただ呆然と見つめていました。
「何やってんのよ、桂! そこから離れて!」
言うが早いか、桜さんはこちら側へと駆け出しました。
「いけません! こちらに来ては……!」
私の訴えも空しく、彼女の足は止まりません。
ハーベストは冷たい表情を変えぬまま、両手で刀を構えました。
「桂。二人一緒なら、寂しくないよね」
「待ってください、ハーベスト!」
駆け寄った桜さんの身体を、私は真正面から抱き留めました。
そうして彼女を庇うように背中を丸めましたが、意味がないことはわかっていました。
刀の切れ味は、十五年前に祖父が証明しています。
二人分の人間の身体など、一太刀で両断できてしまうでしょう。
ひゅっと風を凪ぐ音がして、私は刃の迫るのを感じました。
もうだめだと固く目を瞑ったとき、
「『アストラル』!」
どこかで声がしたかと思うと、次の瞬間、激しい熱気がものすごい速度でやってきました。
強い光と熱を感じて、私は弾かれたように目を開きました。
目の前で、青い炎が上がっていました。
「ハーベスト……!」
私は思わず叫びました。
燃え盛る炎の中に、ハーベストのシルエットを見つけたのです。
彼女は熱から逃げるように身体を捩りますが、効果はありません。
火は収まる気配を見せず、小さな身体をみるみる焼き尽くしていきます。
「よお、二人とも。怪我はないか?」
不意に声が聞こえて、私はハッと廊下の奥を見ました。
呑気な足取りでやってきたのはギルバート様でした。
「ギルバート様……あなたがやったのですか?」
私が聞くと、彼は妖しげに口角を上げました。
それを肯定と取った私は、
「何てことをするのです。このままでは、ハーベストが死んでしまう……!」
私が訴えると、彼は至極落ち着いた様子で、
「心配しなくても、俺はこいつを殺さない。だからお前がトドメを刺すんだ、桂」
「私が……? 何を言っているのです」
「いいから離れて!」
桜さんが叫び、私は手を引かれました。
彼女に引っ張られて後方へ下がると、一瞬前まで私のいた空間を、刀が一閃しました。
炎に包まれながら、ハーベストは生きていました。
その表情は変わらず、冷静な眼差しを私にまっすぐ向けています。
「桂、どうしたの。死にたいんじゃなかったの? 」
「ハーベスト……」
「私が殺してあげるよ?」
尚も燃え続ける細い足を動かして、彼女は宙に浮いたままこちらへ一歩を踏み出します。
刀が近づくのを怖れ、桜さんは私の手を握ったまま、後ろへ一歩下がりました。
そこへ、
「桂」
と、ギルバート様が私の名を呼びました。
彼はハーベストを挟んだ向こう側から、私をまっすぐに見て言います。
「この祟り神は、お前の言葉に従順だ。お前が死にたいと言えば、望み通りに殺してくれるだろう」
祟り神、という呼び名に私は反感を抱きました。
「ですから、ハーベストは祟り神ではないと何度も言っているではないですか。彼女はこの家の守り神なのですよ」
「守り神ね……。確かにこいつは、お前の心を守る存在かもしれない。でも、そのためにお前を殺してしまうというのなら、それは祟り神以外の何者でもないだろう。それに――」
彼は顔を上げ、ハーベストの後頭部を見つめて言いました。
「桂の親父さんや爺さんを殺したのも、お前なんだろう? ハーベスト」
その言葉に、私は一度頭が真っ白になりました。
ハーベストは何も答えません。
代わりに私が反論します。
「な、何を言うのです。ハーベストがそんなことをするはずがありません。それに、祖父にいたっては自殺なのですよ。わざわざハーベストが殺す必要なんて……」
「本人が死にたいと言ったからこそ、望み通りに殺してやったんだろう。なあ、ハーベスト?」
ギルバート様の声は自信に溢れていました。
未だ納得のいかない私は、縋るような思いでハーベストを見上げます。
すると、
「……あの人は」
と、彼女はついに口を開きました。
「あの人は、死にたいって言ってた。おばあちゃんと同じ所に行きたいって。おばあちゃんのことが、大好きだったから……。だから、わたしが殺してあげたんだよ」
その告白に、私は目を見開きました。
「婆さんが病で死んだのは、二十年前の十月二十九日だったな」
ギルバート様はそう、変わらない調子で言います。
「おじいちゃんは、ずっと後悔してたよ。ずっと苦しんでた。あの日、おばあちゃんと一緒に死んでいればよかったのにって。だから、わたしが同じ日に殺してあげたんだよ」
「十五年前の、十月二十九日だな」
私は全身が震えるのを感じました。
「そんな……。では、父の命もあなたが?」
「その前に犬が死んでいる。十年前の、十月二十九日に」
ギルバート様が言いました。
彼の言う通り、父よりも先に愛犬が命を落としています。
呪われたその日に、庭を赤く染めて。
「犬を殺したのは、おとうさんだよ」
ハーベストは淡々と続けます。
「おとうさんは、おかあさんに戻ってきてほしかったの」
「……どういう意味です?」
私は訳がわからずに尋ねました。
母に戻ってきてほしいから、父は犬を殺した──その二つは、まるで結びつけることができません。
「おかあさんは……怯えてた。次の十月二十九日に、また不吉なことが起こるんじゃないかって。だから、その日がやってくる前に、家を出ていったんだよ」
その事実は、確かに私の記憶している通りでした。
もともとこの家の財産だけが目当てで嫁いできた母は、祟りを目の当たりにして怖気づき、父と私を捨てたのです。
「……それがどうして、犬を殺すことになるのですか?」
「おとうさんは、証明したかったの。十月二十九日に、犬が死んだ。だから、これでもう大丈夫。今回の祟りは去った。これから五年先までは、もう誰も死ぬことはないんだよって」
「その場しのぎだな。それで安心させたつもりだったのか」
ギルバート様は呆れたように溜息を吐きました。
「おとうさんは、ずっとつらそうだった。おじいちゃんもおばあちゃんも死んで、おかあさんはいなくなって、自分は犬を殺して、もう、自分が何をしているのかわからない。こんなにつらい思いをするのなら、もっと早くに──あの呪われた日に、自分が死んでいればよかったのにって」
「だから……あなたが殺したのですか?」
ハーベストはこくりと小さく頷いて、それから私の顔を見下ろしました。
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