トリムルティ~まほろばの秋津島に まろうどの神々はよみがえる~第二部 日沈む国から来たる彗星は光輪を蝕む

清見こうじ

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第12章 不知火の夏空

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『泣けば何とかなるって思っているなら、お前は相当間抜けだな』

 辛辣な言葉に、緩み切ったエイトの涙腺は、さらに止めどなく涙を流す。

『やめてよ! エイトが泣いてるのは僕のせいなんだから!』

 そうやってかばってくれるイエットにも向ける冷たい一瞥は、淡い青色。
 研究所に設けられた小さな運動場代わりの中庭から見える空よりも淡い霞んだ空色の瞳。
 細められた眼を長い睫毛が影を落とす。まだやっと少年期に差しかかったばかりの幼い子供が宿すには不似合いなほどの色香。
 小麦色の肌は張りがあり、頬にかかる栗色というには明るいけれど金髪というには暗い色合いの髪の毛は柔らかそうにカールしている。
 子供心にも、研究所の女性研究員よりもよっぽどきれいだ、とエイトは思っていた。
 けれど、いつも不機嫌そうにしている少年が、エイトは苦手だった。少年の言う通り、研究員の仕打ちにすぐ泣いてしまう自分がいけないのだと思いながらも、涙を止められない。エイトが泣く理由は、自分が虐げられることよりもイエットに絡む事柄の方が多かったから、必ずというくらいイエットがかばってくれる。そうすると、ますます少年は不機嫌そうに二人を睨みつける。

 自分達よりも、多分2つか3つ年上の、4番目のナンバーズフォー
 
 そんなフォーが、思うような研究結果を出せずに研究員に責められている姿を、エイトは何度も見かけていた。
 ただ、自分と違うのは、そんな時にフォーは不機嫌な顔も見せず、眉を顰め、涙をにじませた瞳で研究員を見上げていた。
 
 自分には泣くなって言うくせに……。

 けれど、フォーがそんな顔をして涙をこらえていると、あれほど責め立てていた研究員の何人かは、決まりの悪い顔をして、『仕方ないな』と怒りを収めたり、何にはポケットからキャンディーを出してフォーの手に握らせてたりする者もいた。

『なんだよ? 欲しいのか?』

 エイトの視線に気が付いたフォーがキャンディを分けようと差し出した時もあったが、決まってエイトは『いらない』と逃げるように離れた。

 フォーのような泣き顔ならいいっていうの?

 当時、やっと4歳か5歳になろうという幼さではあり、感情の制御もままならなかったが、幸か不幸か人並み以上に聡い子だったエイトは、咲き始めた美貌を使って大人に媚びを売るさまを『ズルい』と感じていた。
 その分け前に預かることで自分も同じ『ズルい』子になることが許せない、年相応でない誇り高さも相まって、ますますフォーが苦手になった。

 秋のはじめ、普段は元気なイエットが熱を出して寝込んだことがあった。
 まだナンバーズになれないイエットに、研究員たちは通り一遍の投薬を行うと、あとはベッドに放置し、見舞うこともしなかった。

 研究員が見た時は微熱だったが、夜中に熱が上がり、荒い息であえぐイエットに、エイトはなすすべもなく見守るしかできなかった。
 
 このままイエットが死んじゃったらどうしよう?!

 なすすべもなく涙ぐんでいるエイトを、そっと撫でる手があった。

『唇がかさついている。水分を取らせなくちゃだめだ』

 そう言って、持ってきたボトルの水をイエットの口にあてがったのは、フォーだった。
 コクン、とゆっくり水を嚥下し、徐々に飲む量が増えていった。フォーの持ってきたボトルの半分ほどを飲んだ頃には、イエットの呼吸もわずかだが穏やかになった。
 別に持ってきていた水を張ったベースンにタオルを入れて絞り、イエットの額や首筋をぬぐう。気持ちよさそうに微笑むイエットを見て。エイトはホッとした。

『ありがとう。フォー』
『そう思うなら、アイツ等に泣いてすがって、水くらいもらって来いよ。イエットにかばってもらってばかりで。お前みたいなきれいな顔をしていたら、ちょっと甘えれば騙されてくれるのに』
『……そんなこと、よくないことだよ』
『それで体を壊していたら意味ないじゃないか。バカだな』

 そう言って、いつものように不機嫌そうに眼を細めたフォーだったが、エイトを睨むわけでもなく、目を逸らしていた。
『フォー?』
『仕方ないな。お前らはまだ小さいからな』
『フォーだって子供だよ』
『2つも年上だよ』

 エイトを見下ろす眼差しは、いつもより優しいと感じた。
 この夜から、エイトはフォーが以前ほどは苦手ではなくなった。


 けれど。

『いやだ!! 誰か!!』
 
 エイトとイエットがその声を聞きつけたのは偶然で。

 以前だったら近付かない小さな研究室。

 最近新しい研究員が来てから、エイトたちナンバーズや、それ以外のイエットのような子供達の扱いが格段に良くなった。
 食事はきちんと与えられ、精神的・身体的な暴力も振るわれなくなった。
 何より、研究所内に限られてはいるが行動制限が大幅に緩められ、危険な機材がある場所以外は中庭も含めて自由に出入りできるようになった。
 
 その日も、まだ行ったことのない場所に行ってみようと二人で施設内をそぞろ歩いていた、その時だった。

 切れ切れに聞こえる声は、よく知る、フォーのものだった。

『こっちだ』

 耳の良いイエットが、部屋を探り当てる。
 その小さな部屋のドアノブをそっと回すと、難なくドアは開き。

『やだ! 嫌だ! やめて!』

 二人が目にしたのは、いつもの媚びておもねるような泣き顔ではなく、本気で泣きじゃくるフォーと……そこに覆いかぶさる、見覚えのある研究員の男。

 診察台の上で、フォーのシャツは半ばはだけて肩を露出している。男の手はフォーの腰辺りを撫でまわしていた。
『……何、してるの?』
 尋ねるというより責めるようなイエットの声より先に、フォーの泣き顔に反応したエイトは、自分でも驚くほど大きな悲鳴を上げた。

 すぐに他の研究員が駆け付け、その中には最近やってきた例の研究員――シンヤがいた。
 エイトの悲鳴に慌てて逃げ出そうとした男を取り押さえ、室内で震えているフォーの姿を目にし。
『お前! 何てことを!』
 そう叫びながら、シンヤは男を殴りつけた。

 泣きじゃくるフォーとそれを慰めるすべもなくそばで佇むエイトとイエット。困り果てていると、シンヤが毛布をフォーに被せた。嫌がるフォーから離れて、シンヤは椅子に座る。少したってから、他の研究員が持ってきたワゴンを受け取る。カチャカチャ音を立てて、やがてほんのり甘いココアの香りが広がった。

『飲む? あったまるよ?』

 そう言って、シンヤは自分の分のカップに口づけ、飲んで見せた。
 テーブルの上にはカップが他に3つ置かれていた。
 エイトとイエットは、目を合わせてうなづきあうと、それぞれカップを手に取り、ゆっくり口に含む。甘くてほんのり温かなココアが、舌に広がる。

『フォー、飲もうよ』
 
 エイトがフォーの分のカップを持ち上げようとしたが、シンヤが笑ってワゴンごと運ばせる。
 診察台の脇にワゴンを置き、エイトはフォーの隣に座る。フォーを挟むようにして、イエットも座り、自分の分のカップを手に取って、再びココアを飲み始めた。
 
『おいしいね』
『うん』
 
 イエットが嬉しそうに言い、エイトも応える。

 二人でフォーを見つめると、おずおずとカップに手を伸ばした。

『……おいしい』 
 そうつぶやいたフォーの目から、涙が零れ落ちる。

『フォー、泣かないで』
『もう大丈夫だよ、フォー』

 そう言って左右からフォーを抱きしめるエイトとイエットを、シンヤが優しく見つめていた。



 フォーに無体を強いた男は、その日のうちに姿を見なくなった。
 シンヤは、あの後も自分からフォーに近付こうとはしなかったが、いつの間にかフォーの方がシンヤにまとわりつくようになっていた。
 不機嫌そうな顔は鳴りを潜め、気が付けば子供らしい笑顔のフォーを見るようになった。
 シンヤになついていたのはエイトもイエットも、他の子供達も同じで、シンヤはそれぞれに丁寧に向き合ってくれた。
 年長のフォーはシンヤを真似て、年少の子供達の面倒を見るようになり、それをシンヤに褒められるのがまた、嬉しくてたまらないようだった。

 子供達の幾人かは、どこかに引き取られていき、だんだん人数が減っていった。
 どうやら、新しい家族……『お父さん』や『お母さん』と暮らすために研究所を出ていったらしい、ということが何となく分かった。

 自分達も、いつかは?

 あんなにも研究所を出ていきたいと願っていたのに、今はその日が少しでも遅くなって欲しい、とさえ思うようになっていた。

 そんな穏やかな時が……突然、失われた。

 シンヤの姿が、突然研究所から消えた。
 
 『もし、僕が突然いなくなっても、必ず迎えに来るから』
 
 そんな予言めいた言葉を残して。

 そして、イエットの姿も、消えてしまった。

 ナンバーズの待遇は、シンヤが来てからの状態が維持されていた。もう、不当な暴力を奮う者はいなかったし、衣食も配慮されていた。

 けれど、シンヤがいない。

 そのことが、子供達の、ナンバーズの心に影を落とした。

 その最たるは、フォーだった。
 シンヤが来る前のように、それ以上に冷たい眼差しと不機嫌を通り越した無表情で、ただ黙々と日々を送り……いつの間にか、研究所から消えていた。
 時置かず、エイトも新しい家族に引き取られ……井川英人になった。




「フォー……フォーなのか?」
「ええ。けれど今は、違う名前をいただきましたので、もうその名は、呼ばないでいただきたいですね、エイト」



 嫣然と微笑みながら、少し不機嫌そうに眉を顰める、小麦色の肌と淡い空色の瞳の男性には、幼い日の面影がそのまま残されていた。
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