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第六話 再生
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誰かが、私の名前を呼んでいた。
それは水の音みたいに、清らかで、優しく耳に届いた。
ゆっくりと瞼を上げると、サイラス様がいた。
不安そうで、どこか無防備な顔のまま、ベッドの端に腰かけて。
「大丈夫か? うなされていたぞ」
声が、心の奥まで届いて、胸がひりついた。
うまく答えられない。心のどこかが、まだ凍ったままだから。
「あ……夢を、見ていたんです。この国が……滅びる夢を」
サイラス様は少しだけ眉を寄せた。
「俺などが王太子だから、不安になったか?」
「違います。魔女に……」
お腹にそっと手を当てた。
そこに、確かに……命があった。
「あ……あ……戻ってきた。私……」
言葉にならないまま、私は彼の胸に飛び込んだ。
あたたかい。まだ、失っていない。サイラス様も、この子も。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
「何を謝っている? 俺を寝室から追い出したことか?」
「ええ。今日からまた、一緒に寝てくれる?」
「もちろん。……でも、悪阻は大丈夫か?」
「平気よ」
夫の腕の中で、私はようやく、生きていることを思い出す。
この世界に戻ってきたんだ。
***
――お前だけが止めることができた――
そう言われた。
なら、止めなければいけない。この国の終わりを。
それが私の罰であり、役目であり、希望だ。
サイラス様を守る。
この子を、守る。
それが、破滅を食い止める鍵にもなる。
そのために、まずは一人。
強力な味方が必要だった。
兄――ヘイワードを呼んだ。
すぐに現れた兄は、挨拶もそこそこに、こう言った。
「なんだ。忙しいんだが」
この人は昔からこうだ。冷たくて、理詰めで、でも――国のことだけは真剣だった。
「王妃から毒薬を受け取ったの。あの部屋に、隠してあるわ」
そう言うと、兄は表情を微かに歪めた。
滅びの魔女に魅了されたこと、王妃と魔女が私の子を狙っていることを打ち明けた。
巻き戻ったことは省いた。どうせ信じてもらえない。
「サイラス様が亡くなったら、ペアード国が黙っていますか?」
私がそう問うと、兄は唸った。
「同盟は破棄される。戦になるだろうな」
そう、それが彼の本分。
感情じゃなく、事実で答える。
「薬は、私が預かる。それで……魅了は本当に解けているのか?」
「ええ。私はもう、サイラス様しか見ていない。……この命に、誓って」
「ならいい。サイラス殿下に尽くせ。我が公爵家は、お前たちの盾になろう」
そこへ、サイラス様が現れた。
「義兄殿、ご無沙汰しています」
「殿下、わざわざ恐縮です」
形式的な挨拶を交わしたあと、兄は急ぎ足で去っていった。
――毒薬を回収するために。
「義兄殿とは、どんな話を?」
「兄の結婚についてよ。いい年なんだから、そろそろ考えるべきって」
「そんなことで呼び出したのか?」
「大事なことよ」
私は笑って誤魔化した。
本当は、夫に王妃のことを打ち明けようかと何度も迷った。
けれど、話したらきっとサイラス様は――王妃を殺してしまう。
そしてその先に待つのが、どういう結末か、想像したくなかった。
だから私は兄を呼んだ。
他に、相談できる人もいない。
兄のことは、半分だけ信じている。
白じゃないけど、黒でもない──グレー。
それでも、愛国心だけは信じたかった。
それから次に、王家の書蔵で魔女について調べた。
倒せるとは思っていない、神だってそんな力は与えてくれなかった。
それでも何か知識を、頭に入れておきたかった。
***
夜が、息をひそめていた。
──来る。そんな気がしていた。
王妃と魔女が現れた。
音もなく、ただ空気を切り裂いて。
王妃の身体から立ちのぼるのは、滅びの匂い。
熟し腐ったその気配に、魔女はこの国に現れた。
私はそっと、枕の下から短剣を抜いた。
手が震えた。けれど、すぐに呼吸を整える。
隣ではサイラス様が静かに寝息を立てている。
短剣を後ろ手に、ベッドを抜け出す。
「おや。魅了が解けてるとは……ひひっ」
魔女が、笑った。
「なるほど、神の試練を受けたか。いい目だよ」
私は、ふたりの前に出た。
「……滅びを止める。ジルナード様を、王にするわけにはいかない」
王妃が怒りに満ちた声を上げた。
「ジルナードを愛しているのでしょう!? 約束したじゃない!」
「もう一度言います。ジルナード様を、王にするわけにはいきません!」
「裏切り者……っ! 魔女! サイラスを殺しなさい! 対価は……フィリスのお腹の子よ!」
……背筋が、ぞくりとした。
でも、魔女は嘲笑した。
「王妃よ。フィリスが望まなければ、契約は成立しない」
そうだ、私が取引しない限り、この子は無事だ。
魔女の金色の目が、まっすぐ私を射抜いてきた。
一度だけ。
あの時、私は契約を結んでしまった。
魅了が解けた反動……だったのかもしれない。でも、理由がどうあれ、それは罪だった。
激しい後悔に心の奥が、また、じくりと痛む。
迂闊に言葉を発すると、魔女に都合のいい取引が、発生してしまう。
慎重に選ばなくては。
「私の願いは、この国と、サイラス様と……そして我が子の平和。
それが叶ったあとなら、命は……差し出します」
口に出すと、意外なほど冷静な声だった。
戻ってきた時から、ずっと決めていた。
この命で、全部を守るって。
それは水の音みたいに、清らかで、優しく耳に届いた。
ゆっくりと瞼を上げると、サイラス様がいた。
不安そうで、どこか無防備な顔のまま、ベッドの端に腰かけて。
「大丈夫か? うなされていたぞ」
声が、心の奥まで届いて、胸がひりついた。
うまく答えられない。心のどこかが、まだ凍ったままだから。
「あ……夢を、見ていたんです。この国が……滅びる夢を」
サイラス様は少しだけ眉を寄せた。
「俺などが王太子だから、不安になったか?」
「違います。魔女に……」
お腹にそっと手を当てた。
そこに、確かに……命があった。
「あ……あ……戻ってきた。私……」
言葉にならないまま、私は彼の胸に飛び込んだ。
あたたかい。まだ、失っていない。サイラス様も、この子も。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
「何を謝っている? 俺を寝室から追い出したことか?」
「ええ。今日からまた、一緒に寝てくれる?」
「もちろん。……でも、悪阻は大丈夫か?」
「平気よ」
夫の腕の中で、私はようやく、生きていることを思い出す。
この世界に戻ってきたんだ。
***
――お前だけが止めることができた――
そう言われた。
なら、止めなければいけない。この国の終わりを。
それが私の罰であり、役目であり、希望だ。
サイラス様を守る。
この子を、守る。
それが、破滅を食い止める鍵にもなる。
そのために、まずは一人。
強力な味方が必要だった。
兄――ヘイワードを呼んだ。
すぐに現れた兄は、挨拶もそこそこに、こう言った。
「なんだ。忙しいんだが」
この人は昔からこうだ。冷たくて、理詰めで、でも――国のことだけは真剣だった。
「王妃から毒薬を受け取ったの。あの部屋に、隠してあるわ」
そう言うと、兄は表情を微かに歪めた。
滅びの魔女に魅了されたこと、王妃と魔女が私の子を狙っていることを打ち明けた。
巻き戻ったことは省いた。どうせ信じてもらえない。
「サイラス様が亡くなったら、ペアード国が黙っていますか?」
私がそう問うと、兄は唸った。
「同盟は破棄される。戦になるだろうな」
そう、それが彼の本分。
感情じゃなく、事実で答える。
「薬は、私が預かる。それで……魅了は本当に解けているのか?」
「ええ。私はもう、サイラス様しか見ていない。……この命に、誓って」
「ならいい。サイラス殿下に尽くせ。我が公爵家は、お前たちの盾になろう」
そこへ、サイラス様が現れた。
「義兄殿、ご無沙汰しています」
「殿下、わざわざ恐縮です」
形式的な挨拶を交わしたあと、兄は急ぎ足で去っていった。
――毒薬を回収するために。
「義兄殿とは、どんな話を?」
「兄の結婚についてよ。いい年なんだから、そろそろ考えるべきって」
「そんなことで呼び出したのか?」
「大事なことよ」
私は笑って誤魔化した。
本当は、夫に王妃のことを打ち明けようかと何度も迷った。
けれど、話したらきっとサイラス様は――王妃を殺してしまう。
そしてその先に待つのが、どういう結末か、想像したくなかった。
だから私は兄を呼んだ。
他に、相談できる人もいない。
兄のことは、半分だけ信じている。
白じゃないけど、黒でもない──グレー。
それでも、愛国心だけは信じたかった。
それから次に、王家の書蔵で魔女について調べた。
倒せるとは思っていない、神だってそんな力は与えてくれなかった。
それでも何か知識を、頭に入れておきたかった。
***
夜が、息をひそめていた。
──来る。そんな気がしていた。
王妃と魔女が現れた。
音もなく、ただ空気を切り裂いて。
王妃の身体から立ちのぼるのは、滅びの匂い。
熟し腐ったその気配に、魔女はこの国に現れた。
私はそっと、枕の下から短剣を抜いた。
手が震えた。けれど、すぐに呼吸を整える。
隣ではサイラス様が静かに寝息を立てている。
短剣を後ろ手に、ベッドを抜け出す。
「おや。魅了が解けてるとは……ひひっ」
魔女が、笑った。
「なるほど、神の試練を受けたか。いい目だよ」
私は、ふたりの前に出た。
「……滅びを止める。ジルナード様を、王にするわけにはいかない」
王妃が怒りに満ちた声を上げた。
「ジルナードを愛しているのでしょう!? 約束したじゃない!」
「もう一度言います。ジルナード様を、王にするわけにはいきません!」
「裏切り者……っ! 魔女! サイラスを殺しなさい! 対価は……フィリスのお腹の子よ!」
……背筋が、ぞくりとした。
でも、魔女は嘲笑した。
「王妃よ。フィリスが望まなければ、契約は成立しない」
そうだ、私が取引しない限り、この子は無事だ。
魔女の金色の目が、まっすぐ私を射抜いてきた。
一度だけ。
あの時、私は契約を結んでしまった。
魅了が解けた反動……だったのかもしれない。でも、理由がどうあれ、それは罪だった。
激しい後悔に心の奥が、また、じくりと痛む。
迂闊に言葉を発すると、魔女に都合のいい取引が、発生してしまう。
慎重に選ばなくては。
「私の願いは、この国と、サイラス様と……そして我が子の平和。
それが叶ったあとなら、命は……差し出します」
口に出すと、意外なほど冷静な声だった。
戻ってきた時から、ずっと決めていた。
この命で、全部を守るって。
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