19 / 38
第三章
第三章 ~『演技が得意なヴェルスタン』~
しおりを挟む午後、シュトラール辺境領に涼しい風が吹きつける頃、ヴェルスタンはクラウスの屋敷を訪れていた。
重厚な玄関扉が激しく開け放たれ、屋敷の中に足を踏み入れる。怒気を孕んだ足音が、廊下の奥へと突き進んでいく。
「お、お待ち下さい、ヴェルスタン様!」
「待たぬ!」
慌てて駆け寄る執事が制止の声をかけるが、ヴェルスタンは従わない。その背中を追いかけるマルコも、上官の無礼を申し訳なさそうに肩を落としている。
「ここかっ!」
ヴェルスタンは重厚な執務室の扉を乱暴に押し開ける。中には書類に目を通すクラウスと、椅子の背に体重を預けながら読書を楽しんでいるエリスの姿があった。
目的の人物を発見したヴェルスタンは笑みを浮かべる。一方、執事は慌てて、事情を説明する。
「申し訳ございません、閣下。止めようとしたのですが止めきれず……」
「構わん。私に任せておけ」
「閣下……ありがとうございます」
執事が頭を下げると執務室を去っていく。静寂が場を支配する中、クラウスが口を開く。
「それで? いきなり執務室へ押しかけるくらいだ。よほどの急用か、それとも礼儀を忘れるほど焦っているのかどちらだ?」
皮肉とも怒りとも取れる言葉に、ヴェルスタンのこめかみがぴくりと動く。
「余裕の態度ですが、これを見ても尚、同じことが言えますか?」
合図を送ると、後ろに控えていたマルコがずかずかと前へ出てくる。そしてその手には、麻袋が抱えられていた。
「……それは?」
「昨日、貴殿の領内で買い求めた麦ですよ」
マルコは無言のまま、勢いよく袋を床に叩きつける。
鈍い音とともに袋の口がほつれ、そこから乾いた麦粒がばらばらとこぼれ出す。その中には、黒くうごめくものが混ざっていた。
「虫ですね……」
エリスが小さく呟く。
うねるように蠢く虫たちが、麦の隙間から這い出している。数匹どころではない。執務室に、かすかに酸味を帯びた異臭が漂う。
「買ったばかりの麦が、たった一晩でこの有り様です!」
「折角の麦が勿体ないですねー」
怒りを撒き散らすヴェルスタンに対し、エリスが純粋な感想を口にする。その反応に毒気を抜かれながらも、彼は一歩も退かなかった。
「この領地では麦の生産に魔道具を利用しているとか……もしかしたら麦に変な影響を与えていたのではありませんか?」
「それならヴェルスタン様以外の麦も傷んでないとおかしいですよね?」
「きっと他の者たちは泣き寝入りしているのですよ。なにせ生産元は鬼将軍のクラウス辺境伯だ。苦情など言えるわけがない」
無理のある主張だが、ヴェルスタンは力で押し通そうとする。そんな彼の言葉をクラウスは眉一つ動かさずに、冷静に受け止める。
「当領の麦の品質には絶対の自信を持っている。収穫から乾燥、出荷まで、衛生管理を徹底しているからな」
「だ、だが、それでも魔道具との因果関係がないとは言い切れないはずです!」
苛立ちを顕にするヴェルスタン。そんな時だ。ふと、張りつめた空気の中で、エリスが笑みを零し始める。
「ヴェルスタン様は演技がお上手ですね」
「……は?」
思わずヴェルスタンの目が細くなる。理解が追いつかないといった表情でエリスを見返すが、彼女はにこりと笑ったまま、首を傾げる。
「先ほどの『被害者』の演技。とても堂に入ってましたよ」
その言葉に、クラウスもふっと口元をほころばせる。
「確かに、君にそんな才能があるとは思わなかった」
「閣下まで何を……」
「では、確認しよう」
クラウスが手を叩いて合図を送る。すると、執務室の扉が開かれ、先日、ヴェルスタンが手を組んだ若い商人カヌーレが姿を現す。
「き、貴様、なぜここに!」
「もちろん、真実を話すためです」
「な、なんだとっ!」
カヌーレはぺこりと頭を下げたあと、まっすぐにヴェルスタンを見つめる。
「その傷んだ麦は私がヴェルスタン様にお売りしたものです。領主様を陥れるために、古くなった麦を演出用として売ったものですから。弁済の必要もありませんよ」
「貴様っ、裏切ったな!」
ヴェルスタンは鋭い目を向けるが、カヌーレは毅然とした態度を貫く。
「こんなにも誠実で民思いの領主に背を向ける理由が、私にはありませんから」
ピシャリとした言葉に、ヴェルスタンの顔がみるみる紅潮していく。だが彼は罪を認めない。まだ抗えると反論する。
「だがな、私は貴様からただ麦を買っただけだ。証言だけでは物的証拠にはならん。まだ私には賠償を求める権利があるはずだ!」
「そういうと思いましたので……」
カヌーレは胸元から一通の書類を取り出し、クラウスへと差し出す。
「こちら、傷んだ麦の購入契約書と、ヴェルスタン様の直筆サイン入りの証文です」
クラウスが受け取り、中身に目を通した瞬間、顔を上げてわずかに目を細める。
「間違いなく本人の筆跡だな。ご丁寧に、『虫食いや傷みありのため、価格は通常の半額で提供』とも書いてある」
「後ほど、証拠として利用するつもりでしたので」
「さすがは商人。抜け目ないな」
クラウスが感心したように頷くと、カヌーレはにっこりと微笑み、まるで悪戯を打ち明けるかのような軽やかさで続ける。
「傷んだ麦を処分できて助かりました。ヴェルスタン様、本当に、お買い上げありがとうございます」
「……っ!」
その瞬間、ヴェルスタンの顔が真っ赤に染まり、怒鳴り声を上げる。
「これは侮辱だ! 貴様らは王家を愚弄する気だな!」
その場の空気が一瞬で張りつめる。だがエリスは一歩進み出て、淡く微笑んだまま静かに言葉を重ねる。
「むしろ、あなたのその行動こそが、王家の品格を貶めているのでは?」
「う、うるさいっ!」
ヴェルスタンは歯を噛みしめる。恥辱と怒り、そして敗北の混ざった苦い表情を浮かべて身を翻す。
「覚えていろ!」
低く唸るように吐き捨てて去っていく。重たく閉じられた扉の音が、室内に虚しく響く中、カヌーレがぱちぱちと拍手を打つ。
「いやぁ、お見事でした。エリス様は本当に素敵な方ですね」
「ふふ、なにせ私の自慢の婚約者だからな」
クラウスの賞賛にエリスの頬が赤くなる。勝利の余韻が、執務室に柔らかく満ちていくのだった。
190
あなたにおすすめの小説
醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした
きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。
顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。
しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——
偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています
黒崎隼人
ファンタジー
「君に触れると、不幸が起きるんだ」――偽りの呪いをかけられ、聖女の座を追われた少女、ルナ。
彼女は正体を隠し、辺境のミモザ村で薬師として静かな暮らしを始める。
ようやく手に入れた穏やかな日々。
しかし、そんな彼女の前に現れたのは、「王国一の不運王子」リオネスだった。
彼が歩けば嵐が起き、彼が触れば物が壊れる。
そんな王子が、なぜか彼女の薬草店の前で派手に転倒し、大怪我を負ってしまう。
「私の呪いのせいです!」と青ざめるルナに、王子は笑った。
「いつものことだから、君のせいじゃないよ」
これは、自分を不幸だと思い込む元聖女と、天性の不運をものともしない王子の、勘違いから始まる癒やしと幸運の物語。
二人が出会う時、本当の奇跡が目を覚ます。
心温まるスローライフ・ラブファンタジー、ここに開幕。
【完結】辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~
深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。
偽聖女と追放された私は、辺境で定食屋をはじめます~こっそり生活魔法で味付けしていたら、氷の騎士団長様が毎日通ってくるんですけど!?~
咲月ねむと
恋愛
【アルファポリス女性向けHOTランキング1位達成作品!!】
あらすじ
「役立たずの偽聖女め、この国から出て行け!」
聖女として召喚されたものの、地味な【生活魔法】しか使えず「ハズレ」の烙印を押されたエリーナ。
彼女は婚約者である王太子に婚約破棄され、真の聖女と呼ばれる義妹の陰謀によって国外追放されてしまう。
しかし、エリーナはめげなかった。
実は彼女の【生活魔法】は、一瞬で廃墟を新築に変え、どんな食材も極上の味に変えるチートスキルだったのだ!
北の辺境の地へ辿り着いたエリーナは、念願だった自分の定食屋『陽だまり亭』をオープンする。
すると、そこへ「氷の騎士団長」と恐れられる冷徹な美形騎士・クラウスがやってきて――。
「……味がする。お前の料理だけが、俺の呪いを解いてくれるんだ」
とある呪いで味覚を失っていた彼は、エリーナの料理にだけ味を感じると判明。
以来、彼は毎日のように店に通い詰め、高額な代金を置いていったり、邪魔する敵を排除したりと、エリーナを過保護なまでに溺愛し始める。
最強の騎士団長と騎士たちに胃袋を掴んで守られながら、エリーナは辺境で幸せなスローライフを満喫中?
虐げられた聖女は精霊王国で溺愛される~追放されたら、剣聖と大魔導師がついてきた~
星名柚花
恋愛
聖女となって三年、リーリエは人々のために必死で頑張ってきた。
しかし、力の使い過ぎで《聖紋》を失うなり、用済みとばかりに婚約破棄され、国外追放を言い渡されてしまう。
これで私の人生も終わり…かと思いきや。
「ちょっと待った!!」
剣聖(剣の達人)と大魔導師(魔法の達人)が声を上げた。
え、二人とも国を捨ててついてきてくれるんですか?
国防の要である二人がいなくなったら大変だろうけれど、まあそんなこと追放される身としては知ったことではないわけで。
虐げられた日々はもう終わり!
私は二人と精霊たちとハッピーライフを目指します!
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
婚約破棄された宮廷薬師、辺境を救い次期領主様に溺愛される
希羽
恋愛
宮廷薬師のアイリスは、あらゆる料理を薬学と栄養学に基づき、完璧な「薬膳」へと昇華させる類稀なる才能の持ち主。
しかし、その完璧すぎる「効率」は、婚約者である騎士団の副団長オスカーに「君の料理には心がない」と断じられ、公衆の面前で婚約を破棄される原因となってしまう。
全てを失ったアイリスが新たな道として選んだのは、王都から遠く離れた、貧しく厳しい北の辺境領フロスラントだった。そこで彼女を待っていたのは、謎の奇病に苦しむ領民たちと、無骨だが誰よりも民を想う代理領主のレオン。
王都で否定された彼女の知識と論理は、この切実な問題を解決する唯一の鍵となる。領民を救う中で、アイリスは自らの価値を正当に評価してくれるレオンと、固い絆を結んでいく。
だが、ようやく見つけた安住の地に、王都から一通の召喚状が届く。
婚約破棄された竜好き令嬢は黒竜様に溺愛される。残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ
水無瀬
ファンタジー
竜が好きで、三度のご飯より竜研究に没頭していた侯爵令嬢の私は、婚約者の王太子から婚約破棄を突きつけられる。
それだけでなく、この国をずっと守護してきた黒竜様を捨てると言うの。
黒竜様のことをずっと研究してきた私も、見せしめとして処刑されてしまうらしいです。
叶うなら、死ぬ前に一度でいいから黒竜様に会ってみたかったな。
ですが、私は知らなかった。
黒竜様はずっと私のそばで、私を見守ってくれていたのだ。
残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる