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深夜の捜索
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彼は今、非常に焦っている。その為勤務復帰初日で疲れているという言い訳を繰り返し、21時から3時間程だけ妻をジュルジュルに愛した後、寝入ってしまった妻を寝台に1人置いて廊下に出る。自販機を見ると無意識に足元を覗き込んでしまう賽銭泥棒予備軍のように這うように歩く。
決して彼は賽銭泥棒ではない。その経験は捕縛をした事はあってもされた事はない。
なぜ彼がそんな奇行をしているのかと言うと、今朝愛妻と離れたくなくて気持ちも体も屋敷にアメーバのように貼りついてしまいたいと出勤時間が遅れた。
その為、実際出勤を始めるととてつもなく馬に鞭を入れねばならぬ羽目になったのだ。
この時点で彼の【通常】は少しだけズレてしまった。
彼の通常。それは出勤をする過程で間違いなくかなり遠回りになるのにわざわざフォンゼ伯爵家の周りを3周程するのである。婚約者になる前も、婚約者となった後も欠かさずである。(遠征時除く)
捜索魔法は使えるが透視魔法を使えない彼は、もてる魔力を駆使してエトランゼを監視、いや、のぞき、いや見守るのである。
ほとんどは侍女であったが時折エトランゼが出窓に並べている花鉢に水をやり、「今日もいい天気ね」と【花鉢】に声をかけるのだが、「そうだな。帽子を忘るな」と会話を交わす事もあった。
そんなやりとりや、無理に時間を作ってエトランゼを自称専属警備と言って断りもなく見守った記録を彼は手帳に私情と妄想の中に少しの事実だけを混ぜ込んで記録していった。。
その手帳が無くなっていたのである。
今朝、隊服のいつもの位置にあったのは判っている。厩舎でポケットのジッパーを締めた事も覚えている。
復帰初日だというのに、御前会議が朝イチで組まれており彼は地団太を踏んだ。
午前中のエトランゼは可愛くて思わず全身をブルってしまうほどである。モグモグとパンやサラダを食べる様は、まさに神ではないかと彼は信じてやまない。
御前会議が終わると彼は一目散に厩舎に向かい、街中警備と言う名で妻を護衛と言う名の観察に出る。
サロンで使用人達とキャッキャと話をしているエトランゼを記録しようとポケットに手を置いた。
【なかった】
彼は慌てた。冷静沈着。獲物を確実に仕留めるまでその場に擬態する全盛期のアリグモとも言われた彼は慌てたのである。門外不出でもある彼の手帳がないのである。
数々の妻の行動が書かれている手帳には、【彼女】【妻】などと言う言葉ではなくしっかりと名前を書き込んである。人に見られるわけにはいかない。
どうやらなくしたのは屋敷の中らしいと結論付けて、執務室から厩舎までの動線を確認しているのである。捜索魔法を使ったがあまりにもエトランゼへの執着が酷く、執念の塊とも言える手帳はどんなに捜索魔法の痕跡をたどってもエトランゼに行きついてしまう。
明け方5時半まで続いた彼の大江戸捜査網、いやお屋敷大捜査網は成果をあげられずに終わる。
しかしここで諦めるわけにいかない。彼は呟く。
【退かぬ!媚びぬ 省みぬ!】
退いて捜索を諦めて他者の手に渡る事は許されない。
媚びて他者に手を借りる事も許さない。
省みて、自分のして来た事のよしあしを考えようにも彼自身だけは間違った事をしていないと断言する。
「一体どこに…屋敷の中に薄っすらと気配は感じるんだが」
そして再捜索を始めようとしたその時!
「何をされてますの?」
「ンギャァァ!!」
油断をしていたのは間違いない。屋敷の中だからと言う事もあったし、使用人がまだ出勤してきていない時間でもあったからだ。
「ど、どうした?こんな朝早く」
「それはアル様も同じです。まだパジャマ。お布団は冷たいですしどこにお出かけを?」
彼は答えに窮した。間違いない。長時間寝台を真夜中に抜け出す。
浮気を疑われていると!手帳がない焦りも相まった彼は蒼白である。
元々が白い肌なのであるが、今は血の気がなく冷や汗を流すタラン将軍並みの青さである。
「は、母上を探しにブエノスアイレスへ…」
エトランゼの眉間に皺が寄る。彼は間違えたのである。
ブエノスアイレスまでは三千里以上あり往復は到底出来ない時間の上、彼の母は公爵家にいる。
すぐにバレる嘘は吐くものではない。
思わず【何年私の副官をしている】と総統からお叱りを受けるのではないか!?
ますます彼の顔色は悪くなる一方である。
しかし、彼の妻は優しかった。
「アル様がこんな時間に何をされようと構いませんが、驚きますよ?」
「そうだな。すまない」
「で?どうされたのです?眠っておられないのでしょう?」
「それが…その…大事なものを失くしたんだ」
――やはり!あの手帳を探しておられたのね?今度は何を書くつもりで?――
「そんなに大事なものでしたの?」
「そうだな‥‥だが僕だけで見つけねばならないんだ」
「お手伝いは…」
「誰の手を借りるわけにもいかない。最高の機密だからな」
――間違い御座いません!もう処分しましたけどね!――
「ですが、少しだけでもお休みくださいまし。騎士のお仕事は休息も取らねば」
「そうだな。諫言耳が痛い」
――わたくしはあの手帳を見て頭が痛くなりましたが――
「とりあえずは食事室へ参りましょう。珈琲を淹れますわ。ノンカフェインですのよ」
「えっ?ダメだそんな事はさせられない」
「あら?伯爵家ではいつもわたくしが淹れていましたのよ?」
「そうなのか?」
「えぇ。是非アル様にも飲んで頂きたいのです」
暖炉に火を入れて、調理室からまだ燃やしきれない絵姿を放り込んで徐々に温かくなる部屋。
コポコポと珈琲の良い香りが漂う中、愛妻の淹れた珈琲を味わう。
「旨い!こんな珈琲飲んだ事がない」
「えぇ。初めてアル様にお出ししましたもの」
「こんな幸せがあっていいんだろうか」
「いいのではないですか?飲んだら少しでも眠ってくださいましね」
暖炉を火箸でツンツンしながら絵姿を放り込む妻。
手帳が跡形もなく灰になるまであと少し。
ゆっくりと珈琲を味わいながら飲む夫。
今日は帰りに新しい手帳を買って、この事を書きたくてたまらない。
勿論過大すぎる妄想の中に少しの真実を混ぜた彼の記録としてである。
決して彼は賽銭泥棒ではない。その経験は捕縛をした事はあってもされた事はない。
なぜ彼がそんな奇行をしているのかと言うと、今朝愛妻と離れたくなくて気持ちも体も屋敷にアメーバのように貼りついてしまいたいと出勤時間が遅れた。
その為、実際出勤を始めるととてつもなく馬に鞭を入れねばならぬ羽目になったのだ。
この時点で彼の【通常】は少しだけズレてしまった。
彼の通常。それは出勤をする過程で間違いなくかなり遠回りになるのにわざわざフォンゼ伯爵家の周りを3周程するのである。婚約者になる前も、婚約者となった後も欠かさずである。(遠征時除く)
捜索魔法は使えるが透視魔法を使えない彼は、もてる魔力を駆使してエトランゼを監視、いや、のぞき、いや見守るのである。
ほとんどは侍女であったが時折エトランゼが出窓に並べている花鉢に水をやり、「今日もいい天気ね」と【花鉢】に声をかけるのだが、「そうだな。帽子を忘るな」と会話を交わす事もあった。
そんなやりとりや、無理に時間を作ってエトランゼを自称専属警備と言って断りもなく見守った記録を彼は手帳に私情と妄想の中に少しの事実だけを混ぜ込んで記録していった。。
その手帳が無くなっていたのである。
今朝、隊服のいつもの位置にあったのは判っている。厩舎でポケットのジッパーを締めた事も覚えている。
復帰初日だというのに、御前会議が朝イチで組まれており彼は地団太を踏んだ。
午前中のエトランゼは可愛くて思わず全身をブルってしまうほどである。モグモグとパンやサラダを食べる様は、まさに神ではないかと彼は信じてやまない。
御前会議が終わると彼は一目散に厩舎に向かい、街中警備と言う名で妻を護衛と言う名の観察に出る。
サロンで使用人達とキャッキャと話をしているエトランゼを記録しようとポケットに手を置いた。
【なかった】
彼は慌てた。冷静沈着。獲物を確実に仕留めるまでその場に擬態する全盛期のアリグモとも言われた彼は慌てたのである。門外不出でもある彼の手帳がないのである。
数々の妻の行動が書かれている手帳には、【彼女】【妻】などと言う言葉ではなくしっかりと名前を書き込んである。人に見られるわけにはいかない。
どうやらなくしたのは屋敷の中らしいと結論付けて、執務室から厩舎までの動線を確認しているのである。捜索魔法を使ったがあまりにもエトランゼへの執着が酷く、執念の塊とも言える手帳はどんなに捜索魔法の痕跡をたどってもエトランゼに行きついてしまう。
明け方5時半まで続いた彼の大江戸捜査網、いやお屋敷大捜査網は成果をあげられずに終わる。
しかしここで諦めるわけにいかない。彼は呟く。
【退かぬ!媚びぬ 省みぬ!】
退いて捜索を諦めて他者の手に渡る事は許されない。
媚びて他者に手を借りる事も許さない。
省みて、自分のして来た事のよしあしを考えようにも彼自身だけは間違った事をしていないと断言する。
「一体どこに…屋敷の中に薄っすらと気配は感じるんだが」
そして再捜索を始めようとしたその時!
「何をされてますの?」
「ンギャァァ!!」
油断をしていたのは間違いない。屋敷の中だからと言う事もあったし、使用人がまだ出勤してきていない時間でもあったからだ。
「ど、どうした?こんな朝早く」
「それはアル様も同じです。まだパジャマ。お布団は冷たいですしどこにお出かけを?」
彼は答えに窮した。間違いない。長時間寝台を真夜中に抜け出す。
浮気を疑われていると!手帳がない焦りも相まった彼は蒼白である。
元々が白い肌なのであるが、今は血の気がなく冷や汗を流すタラン将軍並みの青さである。
「は、母上を探しにブエノスアイレスへ…」
エトランゼの眉間に皺が寄る。彼は間違えたのである。
ブエノスアイレスまでは三千里以上あり往復は到底出来ない時間の上、彼の母は公爵家にいる。
すぐにバレる嘘は吐くものではない。
思わず【何年私の副官をしている】と総統からお叱りを受けるのではないか!?
ますます彼の顔色は悪くなる一方である。
しかし、彼の妻は優しかった。
「アル様がこんな時間に何をされようと構いませんが、驚きますよ?」
「そうだな。すまない」
「で?どうされたのです?眠っておられないのでしょう?」
「それが…その…大事なものを失くしたんだ」
――やはり!あの手帳を探しておられたのね?今度は何を書くつもりで?――
「そんなに大事なものでしたの?」
「そうだな‥‥だが僕だけで見つけねばならないんだ」
「お手伝いは…」
「誰の手を借りるわけにもいかない。最高の機密だからな」
――間違い御座いません!もう処分しましたけどね!――
「ですが、少しだけでもお休みくださいまし。騎士のお仕事は休息も取らねば」
「そうだな。諫言耳が痛い」
――わたくしはあの手帳を見て頭が痛くなりましたが――
「とりあえずは食事室へ参りましょう。珈琲を淹れますわ。ノンカフェインですのよ」
「えっ?ダメだそんな事はさせられない」
「あら?伯爵家ではいつもわたくしが淹れていましたのよ?」
「そうなのか?」
「えぇ。是非アル様にも飲んで頂きたいのです」
暖炉に火を入れて、調理室からまだ燃やしきれない絵姿を放り込んで徐々に温かくなる部屋。
コポコポと珈琲の良い香りが漂う中、愛妻の淹れた珈琲を味わう。
「旨い!こんな珈琲飲んだ事がない」
「えぇ。初めてアル様にお出ししましたもの」
「こんな幸せがあっていいんだろうか」
「いいのではないですか?飲んだら少しでも眠ってくださいましね」
暖炉を火箸でツンツンしながら絵姿を放り込む妻。
手帳が跡形もなく灰になるまであと少し。
ゆっくりと珈琲を味わいながら飲む夫。
今日は帰りに新しい手帳を買って、この事を書きたくてたまらない。
勿論過大すぎる妄想の中に少しの真実を混ぜた彼の記録としてである。
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