殿下、それは私の妹です~間違えたと言われても困ります~

由良

文字の大きさ
15 / 29

15.名前

しおりを挟む
  馬車に揺られること二日。ようやく国境が見えてきた。
 一昔前には、王都から国境まで馬車で移動するにはそれなりに時間がかかったらしい。町と町を繋ぐ道を舗装したりと工夫を重ね、だいぶ時間を短縮できるようになったとはいえ、まだまだ時間はかかる。
 揺れが止まったのを確認してからぐっとこわばった体を伸ばす。

 道中は宿に泊まりはしたけど、慣れないベッドでは満足に休めていなかったようで、少しだけ疲労感がある。

「国境を抜ければあと少しですので、もう少し我慢してくださいね」

 向かいに座るアシュトン卿に頷いて返す。
 国境を隔てる高い壁。その先にはクラルヴェインの国土が広がっている。まず最初に滞在するのは、クラルヴェインのミドガルド領だそうだ。アシュトン卿の親戚が統治しているわけではないが、仮住まいを構えているのでそこに世話になるのだとか。
 そうして旅の疲れを癒してから、クラルヴェインの王都に向かう手筈になっているらしい。

 ――というのを、この二日で教えてもらった。

「まもなく国境警備の方が回ってくると思うので、こちらを出してください」

 そう言って渡されたのは、身分を証明するための印。大き目の金貨のようなものにアルデルク侯爵家の家紋が刻まれ、隅のほうに個人の名前が掘られている。
 だけど私の名前はそこにはない。あるのは――当然といえば当然だけど――エミールの名前。アシュトン卿の手の中にも似たようなものがあり、そこにはクリストフ家の家紋と彼の名前が記されているのだろう。

 オリヴィアは今、城にいる。その彼女が国境を超えるはずがないのだから、エミールの証明書が渡されるのは当たり前だ。
 だけどそれを実感すると、胸の奥に鈍い痛みが広がる気がした。

「昨日もお話したように、あなたのことは友人として先方に伝えてあります。侯爵家の――次期王妃を輩出する家の令嬢が来ると知られたら、驚かせてしまうと思うので」
「え、あ、はい。存じております」

 私の胸の痛みに気づいたのか、気づいていないのか、くるりと話の方向性を変えたアシュトン卿に相槌を打つ。

「わざわざ隠す必要はありませんが、わざわざ言う必要もない、程度に覚えておいていただければ。下手に騒がれるのも面倒でしょうし」

 そこで、コンコンと馬車の扉が叩かれる。警備が巡回してきたようだ。
 アシュトン卿が差し出した身分証を確認し、私のも確認すると、警備の人は「よい旅路を」と言って去っていった。

「そこでお聞きしたいことがあるのですが」

 扉を完全に閉めてから、アシュトン卿がちらりと私に視線を送った。
 少し悩むようにさまよっている琥珀色の瞳に、なんだろうと首を傾げる。

「名前はどうしますか? オリヴィア……とはさすがに名乗れませんが、それ以外でしたらご希望の名前であちらに紹介しますよ」
「……名前、ですか」
「はい。エミールと呼ばれても、とっさには反応できないでしょう? 馴染みのある名前のほうが、なにかと都合がいいと思うので……呼ばれてすぐ反応のできるものであればなんでも構いませんよ」

 馴染みのある名前と言われても、とっさには思いつかない。
 何かないだろうかと考えて――ふと、幼少期の思い出がよみがえる。

「それでは……リヴィ、と呼んでいただければ。子供のころはよく、そう呼ばれていました」

 たとえば家族や家老――親しい間柄の人には「リヴィ」や「リヴィお嬢さま」と呼ばれていた。
 アルベルト殿下の婚約者になってからは、二歳も上の彼に見合うように大人びた呼び方をされることを望んだので、そう呼ばれる機会はめっきり減ったけど。

「そうですか……それでは、リヴィ嬢と……いえ、リヴィとお呼びしても? 一応、親しい友人ということになっているので」
「ええ、構いませんよ。それでは私も……アシュトン、と呼んだほうがいいですか?」
「そうですね。そのほうが、旅の道連れにするぐらい親しくみえると思います」

 アシュトン卿が頷いたところで、ガタンと馬車が揺れた。
 どうやら動き出したようだ。国境を越えるために。
しおりを挟む
感想 282

あなたにおすすめの小説

えっ「可愛いだけの無能な妹」って私のことですか?~自業自得で追放されたお姉様が戻ってきました。この人ぜんぜん反省してないんですけど~

村咲
恋愛
ずっと、国のために尽くしてきた。聖女として、王太子の婚約者として、ただ一人でこの国にはびこる瘴気を浄化してきた。 だけど国の人々も婚約者も、私ではなく妹を選んだ。瘴気を浄化する力もない、可愛いだけの無能な妹を。 私がいなくなればこの国は瘴気に覆いつくされ、荒れ果てた不毛の地となるとも知らず。 ……と思い込む、国外追放されたお姉様が戻ってきた。 しかも、なにを血迷ったか隣国の皇子なんてものまで引き連れて。 えっ、私が王太子殿下や国の人たちを誘惑した? 嘘でお姉様の悪評を立てた? いやいや、悪評が立ったのも追放されたのも、全部あなたの自業自得ですからね?

婚約破棄? 結構ですわ。私は領地を立て直します

鍛高譚
恋愛
――婚約破棄? むしろ好都合ですわ! 王太子エドワード殿下の婚約者として完璧な淑女教育を受けてきた伯爵令嬢ルシア。 だがある日、殿下は彼女を公衆の面前で一方的に婚約破棄し、新たな婚約者として平民出身の令嬢レイラを選んだ。 「あなたのような冷たい女より、愛に生きるレイラのほうがふさわしい!」 突然の屈辱に、一時は落ち込むルシアだったが――すぐに吹っ切れる。 「王太子妃になるための苦労をしなくて済むなんて、むしろ幸せでは?」 伯爵家の一員として新たな人生を歩むことを決意したルシアは、父の領地の改革に取り組みはじめる。 不作にあえぐ村を助け、農業改革や商業振興に奔走するうちに、村人たちから慕われるように。 そして、彼女の努力はやがて王宮にまで届き―― 「君のような女性こそ、王国に必要だ。」 そんな彼女のもとを訪れたのは、まさかの第二王子・アルベルト殿下!? 婚約破棄で人生が終わるどころか、むしろ最高の人生が始まった!? 元婚約者が没落する一方、ルシアは国を動かす存在へと成長していく――!

両親から謝ることもできない娘と思われ、妹の邪魔する存在と決めつけられて養子となりましたが、必要のないもの全てを捨てて幸せになれました

珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたユルシュル・バシュラールは、妹の言うことばかりを信じる両親と妹のしていることで、最低最悪な婚約者と解消や破棄ができたと言われる日々を送っていた。 一見良いことのように思えることだが、実際は妹がしていることは褒められることではなかった。 更には自己中な幼なじみやその異母妹や王妃や側妃たちによって、ユルシュルは心労の尽きない日々を送っているというのにそれに気づいてくれる人は周りにいなかったことで、ユルシュルはいつ倒れてもおかしくない状態が続いていたのだが……。

婚約破棄の翌日に謝罪されるも、再び婚約する気はありません

黒木 楓
恋愛
 子爵令嬢パトリシアは、カルスに婚約破棄を言い渡されていた。  激務だった私は婚約破棄になったことに内心喜びながら、家に帰っていた。  婚約破棄はカルスとカルスの家族だけで決めたらしく、他の人は何も知らない。  婚約破棄したことを報告すると大騒ぎになり、私の協力によって領地が繁栄していたことをカルスは知る。  翌日――カルスは謝罪して再び婚約して欲しいと頼み込んでくるけど、婚約する気はありません。

婚約者を奪われた私が悪者扱いされたので、これから何が起きても知りません

天宮有
恋愛
子爵令嬢の私カルラは、妹のミーファに婚約者ザノークを奪われてしまう。 ミーファは全てカルラが悪いと言い出し、束縛侯爵で有名なリックと婚約させたいようだ。 屋敷を追い出されそうになって、私がいなければ領地が大変なことになると説明する。 家族は信じようとしないから――これから何が起きても、私は知りません。

政略結婚だからと諦めていましたが、離縁を決めさせていただきました

あおくん
恋愛
父が決めた結婚。 顔を会わせたこともない相手との結婚を言い渡された私は、反論することもせず政略結婚を受け入れた。 これから私の家となるディオダ侯爵で働く使用人たちとの関係も良好で、旦那様となる義両親ともいい関係を築けた私は今後上手くいくことを悟った。 だが婚姻後、初めての初夜で旦那様から言い渡されたのは「白い結婚」だった。 政略結婚だから最悪愛を求めることは考えてはいなかったけれど、旦那様がそのつもりなら私にも考えがあります。 どうか最後まで、その強気な態度を変えることがないことを、祈っておりますわ。 ※いつものゆるふわ設定です。拙い文章がちりばめられています。 最後はハッピーエンドで終えます。

両親に溺愛されて育った妹の顛末

葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。 オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。 「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」 「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」 「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」 妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。

双子の妹は私に面倒事だけを押し付けて婚約者と会っていた

今川幸乃
恋愛
レーナとシェリーは瓜二つの双子。 二人は入れ替わっても周囲に気づかれないぐらいにそっくりだった。 それを利用してシェリーは学問の手習いなど面倒事があると「外せない用事がある」とレーナに入れ替わっては面倒事を押し付けていた。 しぶしぶそれを受け入れていたレーナだが、ある時婚約者のテッドと話していると会話がかみ合わないことに気づく。 調べてみるとどうもシェリーがレーナに成りすましてテッドと会っているようで、テッドもそれに気づいていないようだった。

処理中です...