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第二章
第三話 その重さを、まだ知らずにいた
しおりを挟むあれから一日が経った。
闇魔法の使い手を捕らえた翌朝、宿泊地へ王城からの使者が到着した。第3騎士団――主に王都周辺の治安を預かる彼らが、罪人の身柄を引き取り、そのままシオン達の王城までの護衛を担うこととなった。
道中、クローヴィスは苦労していた。というのも、シオンがまたも馬車を浮かせようとしていたからである。
クローヴィスは必死に止め、ついには菓子で釣った。
「……ほれ、クッキーだ。二枚あるぞ」
「! わたくし、それ、いただきます!!」
ニコニコと頬を緩めるシオンに、クローヴィスはひとり、冷や汗を拭っていた。
そして正午を少し過ぎた頃。
一行はようやく王都に辿り着き、王城の一角――来賓室へと案内された。
ほどなくして扉が開いた。
入ってきたのは、国王陛下と、そして第一王子レンツィオである。
クローヴィスがすぐさま膝を折り、シオンもそれに倣う。
「無事で良かった……」
王は穏やかに言葉をかけると、続いてレンツィオがすぐさまシオンの前に歩み寄り、心配そうに彼の体を見つめた。
「大丈夫か、シオン! 怪我は……怪我は? 本当に無事か?」
心配で仕方がないという様子で、シオンの肩や手首、指先に至るまで念入りに確認している。
「だいじょうぶ、です。でも……鬼ごっこで鬼役をやらせてもらえなか――むぐっ」
言いかけたところで、すかさずクローヴィスが後ろからその口を塞ぐ。
「鬼ごっこ?」
首を傾げる王とレンツィオ。
「いえ、気にしないでください。こちらの事情でして」
渋い顔で誤魔化すクローヴィスは、そのまま態勢を立て直すように、話題を襲撃事件へと切り替えた。
国王とクローヴィスが緊迫した表情で話を交わすその傍ら、シオンとレンツィオは少し距離をとって、気楽な話題を交わしていた。
「魔法は安定しましたか?」
「ああ、君のお陰だ。本当にありがとう。あれからより高度な魔法も練習中だ」
少し照れたように微笑んだレンツィオが、逆に問い返す。
「君の方はどうなんだ?」
そう尋ねるレンツィオに、シオンは一拍置いてから朗らかに頷いた。
「わたくしは……紙を作っております!」
「……か、紙?」
「はい! とても、難儀な工程ではございますが、力の制御の鍛錬には、これが、一番でして!」
朗らかに断言するシオンの笑顔に、レンツィオは小さく頷いて見せた。
(……紙を、作る? いや、それが魔法の……制御の……鍛錬?)
彼の脳裏には、白い繊維をふやかしてこねる場面が浮かび、それを魔力制御と結びつけようと試みるが、どの道筋を辿っても理解の及ばぬ迷路に迷い込むばかりであった。
──結局、彼にできたのは、困惑を押し隠したまま「すごいな」と相槌を打つことだけだった。
二人は来賓庭園の奥へと移り、白布が掛けられた小さな丸卓でアフタヌーンティーを楽しんでいた。
シオンは湯気の立つ紅茶をひと口啜り、満ち足りた表情を浮かべる。眺めるだけで幸せが伝わってくるようだった。
そんなシオンの様子に目を細めながら、レンツィオは内心で過去の自分を褒めていた。
(やはり取り寄せておいて正解だったな……)
本日用意された茶葉は、紅茶の名産地として知られるアルカット領から、特別に入手したものだった。限られた生産量と気候条件ゆえに、市場には滅多に出回らない希少品。だが、こうしてシオンが心から嬉しそうに味わっている姿を見ると、その手間も苦労も全て報われる気がした。
「シオンは普段、どこの紅茶を飲んでいるんだい?」
ふと、レンツィオが尋ねる。
シオンは食べていたスコーンを飲み込み、少し首を傾げながら答えた。
「煎茶や、抹茶が、多い…です」
「……せん、ちゃ? まっ、ちゃ……?」
聞き慣れぬ単語にレンツィオが眉を寄せると、シオンは少し考えるようにして言葉を継いだ。
「小夜が、いつも淹れてくれます。……緑色の、お茶です」
その一言で、レンツィオは目を見開いた。
このランテッド大陸では、緑色の飲み物など薬草湯くらいのものだ。飲用として常時淹れる文化はなく、ごく稀に医師が薬として処方する程度。それもあまり一般的とは言えない。
ただ、かつて異国の書物で、遥か海の向こうに、緑茶を嗜む文化を持つ国があると読んだ記憶が、ふと脳裏をよぎった。
「……他の大陸から取り寄せているのか?」
「……? いえ、うちの庭です」
「……うちの庭!?」
思わずレンツィオが聞き返すと、シオンは至極当然のように頷いた。
「はい、小夜が、いつも、摘んで、淹れて…くれています」
フォルシェンド公爵家の庭に茶の木があると聞き、レンツィオは一瞬絶句する。が、すぐに「なるほど、庭に植えて栽培しているのか」と脳内で整理した。
「フォルシェンド家の庭に、茶の木を……? 凄いな。異国の茶を自分たちで栽培しているとは。
それに、君にお茶を淹れられるその“メイド”も、よほど優秀なんだろう」
「メイド……?」
シオンは不思議そうに小さく呟いたが、それ以上は口にせずに、再び紅茶に視線を落とした。
「……今度、私にも飲ませてくれるか?」
「ええ、もちろんです!」
満面の笑みで頷くシオンに、レンツィオはまた、自然と口元が緩んでしまうのだった。
談笑の合間、ふとシオンがぴたりと動きを止めた。
カップを口元に運ぶ手が途中で止まったまま、庭の奥、花々の揺れる一角をじっと見つめている。
その瞳には警戒や驚きではなく、ただひたすらに「何かを見定める」ような静けさが宿っていた。
その様子に、レンツィオだけでなく、控えていた数人の使用人たちも目を丸くする。
猫や犬が、誰もいないはずの空間を見つめているときの、あの奇妙な静けさ。
そんな感覚を覚えさせる眼差しだった。
「……シオン? どうかしたかい?」
恐る恐るレンツィオが問いかけると、シオンはしばらくそのまま視線を外さずにいたが、やがてゆっくりと顔をこちらに向けた。
「ちょっと……気になっただけです」
その答えはあまりにも普通すぎて、逆に胸の奥がざわついた。
レンツィオは再びシオンの視線の先を追う。しかし、そこにあるのは、背の高い白い花が風に揺れているだけの、平穏な植え込みだった。
(……珍しい花でも咲いていたのか?)
そう思い込もうとした。そう、思い込もうとしたのだ。
だが、それはどこか違う気がしてならなかった。
そのとき、レンツィオの脳裏に、あの日の光景が蘇る。
初めて彼と――シオンと出会った、あの日のことだ。
「――うむ、力の澱みがあると来てみれば、これは随分と綺麗な魂よの」
王の話では、あのときシオンは王族の来賓室にいたという。
だが、レンツィオがいたのは、離れた第一王子専用の庭園。
物理的にも、魔力的にも、そう容易く感知できる距離ではない。
魔力感知に長けた魔導士であっても、せいぜい半径100メートルといったところ。
シオンが見せたあの能力は、それを遥かに超えていた。
しかも、レンツィオはあのとき魔法を使っていたわけではない。ただ、心の内が不安定だっただけ。
そうした精神的原因による体内の澱んだ魔力など、普通は感知すらできない。
そんなものを、まるで当然のように感じ取り、言葉にする存在――。
(……さっき、シオンが見つめていた先には、何があったんだ?)
もし、かつての自分のように、苦しんでいる誰かがいたとしたら。
シオンは、またあのときのように、迷わず手を差し伸べるのだろうか。
そう考えると、胸の奥がざわついた。
それは尊敬すべきものだ。誰かの痛みに気づき、手を差し伸べられるその優しさ、王子妃に相応しい強さ。
けれど――。
(……その優しさが、自分だけに向いてくれたらいいのに)
それはあまりにも幼稚な、独占欲。
けれど消しきれず、じわじわと心の中に広がっていく。
レンツィオは小さく紅茶を口に含み、湯気の向こうにいるシオンを、再び静かに見つめた。
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