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第二章
3-2
しおりを挟む暫くすると重厚な足音が近づいてきた。
振り向けば、王とクローヴィスが並んで歩いてくるところだった。
王はいつもと変わらぬ威厳を漂わせていたが、隣を歩くクローヴィスは、どこか顔色が悪い。
テーブルの傍らまでやって来たクローヴィスが、無言のまま椅子に腰を下ろす。
レンツィオとシオンは思わず視線を交わした。
「……どうやら、話が済んだようですね」
レンツィオの声に王が頷き、椅子を引く。
「うむ。先程、捕えた闇魔法の使い手に尋問を行った。……結果は、芳しいものではなかったがな」
王の口調には静かな怒気が滲んでいた。
闇魔法の使い手――。
先の襲撃で捕えられた、黒き瘴気を纏う男。
あれから王城に送られ、すぐに尋問が行われたという。
その結果、奴が「フォルシェンド公爵家を標的にした計画的な襲撃の一員」であることが明らかになったのだ。
シオンはふと目を瞬かせた。
(……あれが、“襲撃”……?)
彼にとって、あの出来事は“鬼ごっこ”だった。
黒い影はただの鬼で、走るのも跳ぶのも、ただの遊び。
だが人は、それを“襲撃”と呼ぶ。
命を狙われる出来事として、重く、恐ろしく語る。
――人の世の常識とは、かくも違うものなのか。
その落差に、淡く胸の奥がざわついた。
クローヴィスはシオンの頭を撫でた。
「……首謀者の名は?」
レンツィオの問いに、王はわずかに目を伏せる。
「聞き出す前に……奴は自ら舌を噛み切って死んだ。死の魔法の痕跡は無かった。魔法封じの手錠をかけておったからな。おそらく事前に仕込まれた“逃げ道”だろう。名前すら分からぬまま……」
その言葉が放たれた瞬間、シオンの手がピクリと止まった。
紅茶の入ったカップを持ったまま、ほんの一拍、動きを止める。
(……死、んだ……?)
この世界に降り立ってから、初めて直面した「人の死」。
それも、自らの関わった一件の果てに起きた死。
たとえ直接手にかけたわけではないとしても、そこに生じる“結果”は避けがたく、彼の胸に影を落とした。
その気配に、クローヴィスとレンツィオは小さく眉をひそめた。
だが、シオンはすぐに表情を持ち直し、そっと目を伏せて紅茶を口に運ぶ。
……表面上は、何も変わらぬように見えたかもしれない。
けれど、確かにその瞳の奥に揺れたものがあった。
暫くしてクローヴィスがその口を開く。
「――陛下は、シオンを王城に住まわせてはどうかと提案してくださったが…。」
そう言うと、クローヴィスは自分のこめかみを押さえながら、苦しげに目を閉じた。
それは、王城での生活を想像しただけで頭痛を誘うかのような仕草だった。
王は続ける。
「王城ならば警備は万全だ。すでにレンツィオの婚約者として名を連ねているのだ。いずれは住むことになる場所だろう?」
理屈はごもっともだった。
しかし――クローヴィスは、即座にその申し出を断ったという。
なにしろ、今のシオンを王城に住まわせるというのは……無理があった。
人前でお菓子をつまみ食いし、馬車を空に浮かせようとし、庭を一瞬で改造し、人形が歩き出し……。
その自由奔放な行いは、公爵家の使用人達ですら未だに対応に四苦八苦している。
この王城の格式と緊張感の中で、どんなことをやらかすかなど、想像するのも恐ろしい。
クローヴィスは頭を抱えながらも、最善を尽くしたのだ。
そして――苦肉の策として提案したのが、王都にあるフォルシェンド公爵家の屋敷への移住だった。
王城から馬車で二〇分。
遠すぎず近すぎず、必要とあらばすぐに駆けつけられる距離だ。
当然、王都の中心に近いため、人目は多く、好奇の視線も避けられない。
それでも、安全を優先するなら、これしかなかった。
青白い顔をしたクローヴィスは、再びシオンの方を見やる。
どうか、どうか……と願うような、熱のこもった視線を送った。
――どうか大人しくしてくれ。目立たず、騒がず、日々を穏やかに……!
「……?」
その視線に、シオンは首をかしげて、どこか体調の優れない様子のクローヴィスに、すっと一枚の札を差し出した。
見たことのある札、癒しの御札だった。
違う、そうじゃない。
クローヴィスは無言で御札を受け取り、素早く懐へと仕舞い込んだが、その一連のやり取りを――王と王子は、しっかり見ていた。
「今の紙って、前にシオンが使っていたもの?」
レンツィオが問いかける。
「種類は、違いますが、似たようなもの…ですね」
そう答えながら、シオンは一枚の札を机に置く。何もない空間から突如現れた紙には、見慣れぬ筆致で文字が記されている。
「な……なんだこれは」
王が声を低くして言う。
「結界札です」
あくまで当然のように答えるシオン。
「結界….ふだ……?」
聞き慣れぬ言葉に顔を見合わせる王と王子。そのとき、レンツィオが思い出した。
――あの時のことを。
初めて出会った日、暴走した自らの火魔法が、四角く囲まれた透明な壁に封じ込められたことを。あれは防御障壁ではなかった。魔法では説明できない、まるで異質な“力”だった。
「その紙…ふだ?、で……あの時、私の魔法を封じたのか」
呟くようにそう言ったレンツィオの言葉に、王は息を呑み、クローヴィスは机に突っ伏した。王族の前で、不敬などと考える余裕もなかった。
シオンは再び心配そうにクローヴィスを見つめると、今度は静かに彼の頭に癒しの御札を一枚――ぺたり。
その瞬間、札に記された文字が赤黒く浮かび上がり、まるで生きているかのようにクローヴィスの身体を一周したあと、すう、と彼の体へ吸い込まれていく。
「……今のは……」
クローヴィスがハッと顔を上げた。以前に体験した体の奥に響くような温かな感覚。
王と王子は目を見開いたまま動けずにいる。
「勝手に使うなと言っただろう!!」
「使えるものは、使わなければ。癒されたでしょう?」
シオンはきょとんとした顔で返す。
「そういう問題じゃない!!」
ふたりのやり取りを見て、レンツィオはふと何かを察した。
――そうか。先程、シオンが言っていた「魔法の鍛錬」。
毎日欠かさず“紙を作っている”と彼は言っていた。てっきり冗談か、あるいはものの例えかと思っていたが――まさか、この“札”を指していたのか。あれほど繊細かつ強力な力を秘めた札を、日々創り出しているというのか。
納得とともに、深い驚嘆が胸に広がる。
一方、王は冷や汗を滲ませていた。
クローヴィスが「王城に住まわせることはできない」と断った理由が、今ようやく理解できた。
この札――これは魔法の範疇ではない。見たことも、聞いたこともない異質な“力”。それを幼い少年が無造作に使っているのだ。
しかもそれを、まるで傷薬でも差し出すように、気軽に人へと手渡す。
これは……あまりにも危うい。
王は目で合図し、背後に控える側近を呼び寄せる。
今日ここにいた使用人たちすべてに、口外を禁ずることを命じるためだ。
静かに肩を落としたクローヴィスに、王は心の中で同情を送る。
……確かに、これを王城に住まわせるのは酷というものだろう。
だが――その王自身も、まだ知らない。
これから巻き起こる数々の“事件”に、最も深く巻き込まれていくのが自分であるということを……。
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