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11 黒衣の兄
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その日の夕刻、公爵の館にもう一人の来客があった。
グスタフの腹違いの兄で修道院にいるコルネリウスである。都で生まれた彼は毎年夏しかレームブルックに来たことがない。しかも十三年前に修道院に入ったので、当時6歳だったグスタフは木陰で本を読んでいる姿しか覚えていない。
「修道院長様の使いでこちらの司教様を訪ねたついでに寄ったまでのこと。明日には戻ります」
挨拶ついでに語ったコルネリウスは父に似た微笑を浮かべた。グスタフは安堵した。公爵夫人に命を狙われているとか、王位を争うとか、生臭い話ばかりの後で、世俗と離れて暮らしている兄の穏やかな顔を見ていると、冬至の日以来のことが悪夢のように思われた。
「そうそう、修道院で作っている葡萄酒を持ってきました。バックハウスに預けたので、後で一緒に飲みましょう」
兄のいる修道院で作る葡萄酒は身体によいと評判だった。
夕食は館の小食堂でとることになった。大食堂は公爵一家が帰って来た時だけ使うことになっており、グスタフはいつも小食堂でとっている。
コルネリウスは修道院に入る前は大食堂で食事をしていたので、小食堂にはほとんど入ったことがなかった。
「こじんまりとしてよい部屋ですね」
そう言って、グスタフの向かい側に座った。
食前の祈りを終えると、ノーラが料理の載ったワゴンを押して来た。いつもなら食堂の女中がする仕事だった。
食前酒は葡萄酒ではなく、リンゴの発泡酒だった。
「ノーラ、兄上の持って来た赤葡萄酒は」
「後ほど肉料理とともに持って参ります」
そう言ってノーラは発泡酒をグラスに注いだ。
「リンゴ酒か、なつかしい」
コルネリウスは機嫌よくグラスを傾けた。前菜、スープ、サラダと修道院暮らしのコルネリウスに敬意を表した料理人の料理はいつもよりおいしかった。いつもグスタフが食べている薄いスープと硬いパンと筋だらけの肉料理の夕食とは大違いだった。
いよいよ肉料理が運ばれて来た。分厚いステーキだった。これにはコルネリウスも驚いた。
「こんな贅沢なものをいただいていいのでしょうか」
そこへノーラが赤ワインを持って来た。だが、グラスが三つあった。ノーラは平然と三つのグラスにワインを注ぎ、グスタフとコルネリウスの前に置いた。
「グラスが一つ多い」
「これは執事殿に。近頃、胃がもたれやすいとうかがいました」
ノーラはそう言ってお盆の上に置いたグラスを執事に勧めた。
それまで黙って控えていたバックハウスはとんでもないことと固辞した。
「そういえば、バックハウスも忙しかったからな。飲んでもいいんじゃないか」
グスタフがそう言ったのは、ごく自然なことだった。馬に飛び乗って一睡もせずに伯爵領と往復するような無茶なことをした自分もバックハウスの胃もたれの原因のように思えたのだ。
「使用人ごときが飲むわけには参りません。コルネリウス様、グスタフ様、お二人で」
あくまでも丁重に断るバックハウスだった。
「これはグスタフへの土産。グスタフから飲めばいい」
コルネリウスの言葉にグスタフは違和感を覚えた。なんだかおかしい。
「兄上、一緒に飲みましょう」
グスタフはグラスをかかげた。兄の視線がグラスと自分を交互に移動するのに気付いた。なんだか嫌な感じがする。
「兄上?」
「ああ、私も飲むとしよう」
コルネリウスもグラスをかかげた。
「乾杯」
そう言ってグラスを口に近づけた。が、次の瞬間、バックハウスが叫んだ。
「なりません! グスタフ様」
そう言うが早いか、執事はグスタフからグラスを奪い取った。何がなんだかわからず、グスタフは葡萄酒を飲み干そうとする執事をただ見ているしかできなかった。飲み終わらぬうちにグラスが執事の手から滑り落ち、床にぶつかり割れた。赤い液体が広がる中に執事の身体が沈んでいく。
「お許しを……裏切りは、死をもって償い……」
執事の小さくなっていく声にグスタフの背筋は凍った。
「なんだ……これは……」
グスタフはグラスを持ったまま蒼白となった表情で向かい側に座る黒衣の男を見つめた。コルネリウス、腹違いの兄、彼が持ってきた葡萄酒は何なのだ?
「くっ、田舎者の執事め、五男坊に情が移ったか」
修道僧とも思えぬ口調だった。
「兄上、これはどういうことですか」
グスタフは立ち上がり、コルネリウスを見下ろした。
「コルネリウス様はアデリナ様に唆されたのでしょう。グスタフ様を殺せば、教会内での出世を約束すると。アデリナ様の母方の従兄には大司教がいますから。そのために執事に毒を混ぜさせたのでしょう」
ノーラの指摘にコルネリウスはうなずいた。
「ああ、その女の言う通りだ。だが一つ付け加えることがある。執事は昔からおまえの行動を逐一公爵夫人に伝えていたぞ。裏切りは今に始まった話じゃない」
コルネリウスは言い終るや、ワインをあおった。
ワイングラスが床に落ちて粉々になり、また一人絶命した。
グスタフはただ立ちすくむしかなかった。
グスタフの腹違いの兄で修道院にいるコルネリウスである。都で生まれた彼は毎年夏しかレームブルックに来たことがない。しかも十三年前に修道院に入ったので、当時6歳だったグスタフは木陰で本を読んでいる姿しか覚えていない。
「修道院長様の使いでこちらの司教様を訪ねたついでに寄ったまでのこと。明日には戻ります」
挨拶ついでに語ったコルネリウスは父に似た微笑を浮かべた。グスタフは安堵した。公爵夫人に命を狙われているとか、王位を争うとか、生臭い話ばかりの後で、世俗と離れて暮らしている兄の穏やかな顔を見ていると、冬至の日以来のことが悪夢のように思われた。
「そうそう、修道院で作っている葡萄酒を持ってきました。バックハウスに預けたので、後で一緒に飲みましょう」
兄のいる修道院で作る葡萄酒は身体によいと評判だった。
夕食は館の小食堂でとることになった。大食堂は公爵一家が帰って来た時だけ使うことになっており、グスタフはいつも小食堂でとっている。
コルネリウスは修道院に入る前は大食堂で食事をしていたので、小食堂にはほとんど入ったことがなかった。
「こじんまりとしてよい部屋ですね」
そう言って、グスタフの向かい側に座った。
食前の祈りを終えると、ノーラが料理の載ったワゴンを押して来た。いつもなら食堂の女中がする仕事だった。
食前酒は葡萄酒ではなく、リンゴの発泡酒だった。
「ノーラ、兄上の持って来た赤葡萄酒は」
「後ほど肉料理とともに持って参ります」
そう言ってノーラは発泡酒をグラスに注いだ。
「リンゴ酒か、なつかしい」
コルネリウスは機嫌よくグラスを傾けた。前菜、スープ、サラダと修道院暮らしのコルネリウスに敬意を表した料理人の料理はいつもよりおいしかった。いつもグスタフが食べている薄いスープと硬いパンと筋だらけの肉料理の夕食とは大違いだった。
いよいよ肉料理が運ばれて来た。分厚いステーキだった。これにはコルネリウスも驚いた。
「こんな贅沢なものをいただいていいのでしょうか」
そこへノーラが赤ワインを持って来た。だが、グラスが三つあった。ノーラは平然と三つのグラスにワインを注ぎ、グスタフとコルネリウスの前に置いた。
「グラスが一つ多い」
「これは執事殿に。近頃、胃がもたれやすいとうかがいました」
ノーラはそう言ってお盆の上に置いたグラスを執事に勧めた。
それまで黙って控えていたバックハウスはとんでもないことと固辞した。
「そういえば、バックハウスも忙しかったからな。飲んでもいいんじゃないか」
グスタフがそう言ったのは、ごく自然なことだった。馬に飛び乗って一睡もせずに伯爵領と往復するような無茶なことをした自分もバックハウスの胃もたれの原因のように思えたのだ。
「使用人ごときが飲むわけには参りません。コルネリウス様、グスタフ様、お二人で」
あくまでも丁重に断るバックハウスだった。
「これはグスタフへの土産。グスタフから飲めばいい」
コルネリウスの言葉にグスタフは違和感を覚えた。なんだかおかしい。
「兄上、一緒に飲みましょう」
グスタフはグラスをかかげた。兄の視線がグラスと自分を交互に移動するのに気付いた。なんだか嫌な感じがする。
「兄上?」
「ああ、私も飲むとしよう」
コルネリウスもグラスをかかげた。
「乾杯」
そう言ってグラスを口に近づけた。が、次の瞬間、バックハウスが叫んだ。
「なりません! グスタフ様」
そう言うが早いか、執事はグスタフからグラスを奪い取った。何がなんだかわからず、グスタフは葡萄酒を飲み干そうとする執事をただ見ているしかできなかった。飲み終わらぬうちにグラスが執事の手から滑り落ち、床にぶつかり割れた。赤い液体が広がる中に執事の身体が沈んでいく。
「お許しを……裏切りは、死をもって償い……」
執事の小さくなっていく声にグスタフの背筋は凍った。
「なんだ……これは……」
グスタフはグラスを持ったまま蒼白となった表情で向かい側に座る黒衣の男を見つめた。コルネリウス、腹違いの兄、彼が持ってきた葡萄酒は何なのだ?
「くっ、田舎者の執事め、五男坊に情が移ったか」
修道僧とも思えぬ口調だった。
「兄上、これはどういうことですか」
グスタフは立ち上がり、コルネリウスを見下ろした。
「コルネリウス様はアデリナ様に唆されたのでしょう。グスタフ様を殺せば、教会内での出世を約束すると。アデリナ様の母方の従兄には大司教がいますから。そのために執事に毒を混ぜさせたのでしょう」
ノーラの指摘にコルネリウスはうなずいた。
「ああ、その女の言う通りだ。だが一つ付け加えることがある。執事は昔からおまえの行動を逐一公爵夫人に伝えていたぞ。裏切りは今に始まった話じゃない」
コルネリウスは言い終るや、ワインをあおった。
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グスタフはただ立ちすくむしかなかった。
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