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10 宮廷の腐敗

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 我ら。グスタフにとって、「王になる」よりも衝撃的な言葉だった。
 エルンストもノーラも、グスタフと運命を共にする覚悟をしているのだ。
 けれど、グスタフにとって、それは過酷な選択だった。王になれなければ、グスタフだけでなくエルンストもノーラも命を落とすかもしれぬ。王になれば生き延びられ、姉弟も無事でいられる。ただし、その確率は恐ろしく低い。
 なぜなら、貴族にしろ王家にしろ、跡継ぎは妻の子である嫡出子でなければならないのだから。
 公爵家の嫡出の男子が全員死亡しない限り、グスタフが王になるのは無理である。いや、それでも皆が認めるとは思えない。

「ラグランドに行くという道はないのか」

 グスタフは父の言葉を思い出した。
 ノーラはかぶりを振った。

「すでに国境の警備は厳しくなっています。旅券の発行審査も厳しくなっています。銀行でも他国への送金業務に対する財務官の監視が厳しくなっています。すべてコンラート子爵の差し金かと思われます」
「兄上が……」

 ゲオルグは公爵家の跡取りというだけで、まだ継承者と決まったわけではない。

「子爵は外務大臣の令嬢と婚約の予定です。大臣としては将来の国王に恩を売っておきたいのでしょう」

 ノーラは大商人の家の奉公人とは思えぬほどの情報を持っていた。きょうだいの婚約の話など、グスタフはいつも決まってから知らされていた。
 それにしても、腹違いとはいえ兄である。それがグスタフが国外に出るのを妨げようとするとは。少し買いかぶり過ぎではないかとグスタフは思った。

「俺などとうてい兄上達の競争相手になどなれぬというのに」

 ノーラはまたもかぶりを振った。

「十分、若様は競争できる力をお持ちです。ゴルトベルガーは若様を高く評価しています」

 それはエルンストにも意外な話だった。

「姉さん、どういうことだ」
「いつだったかしら、あなたからの頼みで農業関係の書物を探したことがあった。私にはわからないからゴルトベルガーの若旦那様に選んでいただいたの。誰が読むか聞かれたので、若様の話をしたら大層驚いていたわ。以来、若旦那様は若様のことを気にかけておいでで」
「なんで、俺なんか」

 グスタフには理解しがたい話だった。

「貴族の子弟で、農書を読んで、領民に肥料の配合を教えたりするような者はいない。しかも、それ以後、公爵領の小麦や大麦の収穫量が増えている。商人としては大いに興味を惹かれる話ね」
「俺はただ、皆が困ってるから教えただけで」
「領民が困っているのを助けようとすぐ動く領主はなかなかいない。それを領主でも跡継ぎでもない妾腹の五男がやったと知れば、放っておけるものですか。ゴルトベルガーはそういう国王を望んでいる」

 ノーラの話はあまりに途方もなかった。
 大体、見も知らぬゴルトベルガーという商人の評価など、グスタフにとっては無意味だった。グスタフの世界は領地の中だけであった。領民の喜ぶ顔を見れさえすればそれでいいのだ。

「若様、王となって、苦しむ国民を救ってください。領内でしたように」
「苦しむ国民だと?」

 グスタフは国民が苦しんでいると言われても理解できなかった。ノーラは続けた。

「レームブルックは公爵がきちんとしておいでですから、必要以上に領民から税を取り立てることはありません。けれど他の貴族領や王家直轄領では、酷い税の取り立てが行なわれているのです。領民の暮らしは生きていくだけで精一杯。他の領地へ逃亡する者もいます」
「なぜ、税の取り立てが酷いんだ? 国も貴族も予算を立てて領地を経営しているはずなのに」

 グスタフは王家や他の貴族の話に興味を持ったことがなかったので、意味がわからなかった。

「贅沢を好む者が多いのです。国王陛下が幼少のため、それを止めることができないのです」
「後見の御生母や宰相がいるだろうに」
「その御生母が贅沢を好まれるのです。前の陛下がおいでの時は夜会や舞踏会を頻繁に催されることはありませんでした。けれど、近頃は月に幾度も。御召し物をそのたびに新調されるので、それだけでも大層な額になります。当然のことながら出席する貴族の夫人や令嬢も新調します」
「誰も止めないのか」
「止められる者がいないのです。ディアナ様とそりの合わないアデリナ様までが近頃は張り合って贅沢なドレスを新調されています。ゴルトベルガー銀行から金を借りてまで」
「宰相も止められぬというわけか」
「宰相ライマンは御生母様ととかくの噂がございます」

 前国王未亡人と若く切れ者の宰相の醜聞の噂は、グスタフも耳にしたことがあった。さほど関心のない話だったので忘れかけていた。ノーラが言うからには、単なる噂ではあるまいとエルンストにも思われた。

「つまり宮廷は腐敗しているということか」

 それがグスタフの理解した現状だった。腐敗した今の宮廷は病の8歳の国王にはどうにもできない。後継者に希望を託すのは当然だろう。とはいえ王は8歳。まだ未来がある。

「しかし、陛下の病気は治らぬと決まったわけではないだろう。宮殿には名医もいるはず」

 ノーラはあたりをはばかるかのように声を低めた。

「都を出る時に、陛下はすでに御隠れになっていると若旦那様が」

 衝撃的な話の連続だった。グスタフもエルンストもしばし口をきけなかった。

「若様、一刻も早く都へお出ましください。領内にいたら、アデリナ様の手の者が何をするかわかりません」
「だが、それは敵陣のまっただなかに行くようなものだ」

 エルンストの言うことも一理あった。都にはアデリナもゲオルグも次兄のカスパルもいる。アデリナが領地に刺客を送ってきたということは父の公爵にはもはや妻を止める力がないということだ。

「ゴルトベルガーは若様を支援する用意があります。領地脱出の手筈は整っています。都での安全な滞在先も確保しています」

 そこまでお膳立てされているとは、あまりにも手回しが良過ぎだった。
 ノーラを信用していないわけではない。だが、ゴルトベルガーという会ったこともない商人を信じていいものか。グスタフは迷った。

「1月5日に大臣の会議があります。恐らくそこで後継者が決められます。混乱を避けるために決定の後に、陛下の訃報が発表されるとのこと。大臣の会議に間に合うように2日に領地を出る予定です」
「姉さん、どうして会議のことを知ってるんだ」

 エルンストはそら恐ろしくなってきた。

「ゴルトベルガー家はそういう話まで知っているんだな」
「御明察です」

 グスタフの言葉にノーラはそう言ってわずかに微笑んだ。グスタフはその目が笑っていないことに気付きぞっとした。



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