公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳

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32 別れの予感

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 これでよかったのだ、そう思いながらもエルンストは目の前の光景を直視できなかった。年若い国王と公爵令嬢のダンスはお似合いという言葉しか浮かばなかった。それが人々に何を想像させるか、エルンストとてわからないわけではない。女官長と侍従長の嬉しそうな顔を見ていれば、この後、彼らが何を計画するかは手に取るようにわかる。老獪な彼らの手にかかれば、グスタフは彼らの敷いた道から大聖堂の赤い絨毯の上まで王妃とともに歩かざるを得まい。

「お手柄だな」

 同僚の秘書官補佐のエメリヒが背後から声を掛けた。騎士階級の出身の彼は庶民にも等しいエルンストのことを最初は無視していたが、この頃は親しく話しかけてくるようになっていた。

「おそれいります」
「彼女に頼むなんて俺にはできないよ。見ろよ、フランク王は少々おかんむりだ」

 彼の視線の先の王は不機嫌そうな顔で踊っていた。相手の子爵令嬢はそんな様子に気付かず、ただ踊りに夢中になっていた。

「気を付けろよ。あの王は我が国の陛下とは違う」

 それはエルンストにもわかる。グスタフは自分では意識していないようだが、家臣たちに対する気配りが普通の貴族とは違う。公爵領の農民たちと親しく接していた経験のたまものだろう。
 エメリヒもよく知っていた。彼が腹痛を堪えて仕事をしているのに気づいたのは直属の上司ではなく国王だった。書類箱を持つ彼の様子がいつもと違うと気付いたのである。すぐに帰宅しろと言われたおかげで医者に診せることができた。医者は適切な薬を処方したので翌日出勤できた。国王はまだ無理をするなと言って書類箱をエメリヒの手から取り上げた。その瞬間、エメリヒは国王について行こうと思った。
 この一年の間にエメリヒと似たような経験をした側近らは少なくない。彼らは経験の少ない王のために誠心誠意尽くしていた。エルンストはそれが嬉しかった。グスタフの味方が多いに越したことはない。何より彼は愛されている。
 一方ラグランドのフランク王は生まれた時から王位を継ぐことを約束された身の上であり、亡き先代の王から直々に帝王学を伝授されているという。国の中では思い通りにならぬことはない身分であり、国の外ではその生まれ故誰からも崇敬されている。堂々とした振舞を見ればそれがうなずける。
 公爵家の妾腹の五男として生まれたグスタフとはまったく違う境遇だった。
 だが、二人とも国王である。グスタフもまたフランク王と同じく崇敬されなければならないはずだった。
 だからこそ、エルンストはグスタフのダンスパートナーを探さねばならなかった。パートナーがいないばかりにグスタフが物笑いになるなど、もってのほかだった。
 パートナーはこの大舞踏会参加者の中でも飛びきり高貴で美しい女性でなければならない。エルンストは勇気を出してアレクサンドラに国王陛下と踊ってくださいと言った。
 フランク王がパートナーに選んだことはわかっていた。ラグランドの王は賓客だから尊重せねばならないが、エルンストの主人はグスタフである。同じくアレクサンドラにとってもグスタフは主である。彼女ならわかってくれるとエルンストは信じていた。
 そしてアレクサンドラはフランク王に断りを入れ、グスタフの元に走った。エルンストは必死の思いでグスタフに懇願した。
 
「陛下、シュターデン公爵令嬢に申し込みを」

 その後の次第は見ての通りである。これでよかったのだ。
 曲が変わりフランク王は踊りの輪から離れ、外務大臣と何やら話していた。外務大臣は恐らくダンスのパートナーの件で謝罪しているようだった。フランク王は腕組みをして頷いていた。彼の機嫌が少しでもよくなればよいのだが。彼も国王である。グスタフの体面を慮ってくれるはずである。



 これでよかったのだと思う一方で心の奥底に沈む黒い感情にエルンストは気付いていた。
 エルンストとグスタフの関係は誰にも知られてはならぬものだった。忙しい公務の間をぬって宮殿の庭園の奥の温室や四阿あずまやで人知れず逢瀬を重ねるのは月に一度か二度のこと。深い歓びは一瞬のことで、後は何事もなかったような顔でそれぞれ公務に戻る。
 そんなことが繰り返される一方で、宮殿で傍に仕える人々は陛下のお相手探しを始めていると聞けば、エルンストの心は乱れる。
 決して二人の関係は知られてはならない。もし知られたら恐らくエルンストは宮殿から追放されるだろう。そしてグスタフの元には美しい王妃がやってくる。彼女がグスタフの心の中を大きく占めるようになったら。きっとエルンストのことは忘れられるだろう。
 二人の関係が知られなくともグスタフが王妃を娶ったらエルンストとの時間は減るだろう。いや世継ぎを生すためになくなるかもしれない。エルンストとの間に子は生せないのだから。
 どちらにせよ、エルンストとグスタフの関係の終わりは近い。このダンスが関係の終わりを加速するのは間違いない。それを思うとエルンストは気がおかしくなりそうだった。理性でこの黒い感情が抑えられなくなったとしたら……。

「秘書官補佐、だそうだな」

 物思いにふけるエルンストの目の前が急に暗くなった。堂々たる体格のフランク王が立っていた。外務大臣と話していたはずだが。王の側近らしい者たちもエルンストを取り囲んでいた。近くにいたエメリヒはいつの間にかいなくなっていた。
 エルンストは何かおかしいと思いながらも相手が相手なので恭しく頭を下げた。

「陛下、先ほどはまことにありがとうございました。急なこととはいえ、シュターデン公爵令嬢をお借りしたこと、まことに……」
「フッ……。何を殊勝げな顔をして言ってる」

 グスタフと話す時は古風なローテンエルデ語を話していたのに、今は庶民の話すような言葉を使うフランク王だった。

「公爵領からずっとついてきた忠臣だそうだな」

 外務大臣から聞いたのだろうか。

「調子に乗っていられるのも今のうちだ。あの令嬢が妃になればおまえの尻はお払い箱だ」

 全身がかあっと熱くなった。もしここが宮殿ではなくこの男がラグランドの王でなければ殴っていた。激情を抑えてエルンストは言った。

「陛下、お戯れも大概に」
「戯れついでに、おまえの尻を貸せ。さぞかしいい具合であろうよ」

 楽団の音楽がなければ近くの人々にも聞こえる声量で発せられた下品な言葉にエルンストは言葉を失った。




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