嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

文字の大きさ
55 / 83

02

しおりを挟む

 連れられてきたユーダレウスの家は、アラキノの予想よりも小さく、そしてありふれた家だった。

 無駄な抵抗によって力を使い果たし、ユーダレウスの腕に揺られてぐったりと目を閉じていたアラキノだったが、途中で何度か土地の匂いが変わったことには気が付いていた。
 自分が捨てられていた場所から、とんでもなく遠いところに来たのかもしれないと、ぼーっとする頭で漠然と考えていると、背後でドアが開く音がした。

 穏やかで、温かな光に満ちた家だと思ったのもつかの間。
 アラキノはまず全身まるごと風呂で洗われた。怪我には丁寧な手当を施され、温かな食事を食べ終わって、気が付いたときには既に、アラキノは柔らかなベッドに腰かけていた。

 ベッドを与えられたのは、言わずもがな初めてだった。それどころか、満足な掛布すら与えられたことがなかった。手首に巻かれた包帯はまっさらで、その下の傷に塗られた薬も安価とは言い難い。温かな食事だって、アラキノは初めて食べたのだ。

 普通ならば何か怪しいと警戒したり、困惑しているところだが、正直なところ、今すぐにでも横になりたかった。腰かけているベッドが尚更眠気を誘う。

 アラキノがそれをしないのは、目の前のユーダレウスが木の椀にいくつかの液体を少しずつ測り入れ、混ぜ合わせてなにかを用意しているからだった。

「骨が折れていなくてよかった。後に残りそうな傷はないけど、随分な怪我だったから、今晩は熱が出るだろうね」

 そう言って、ユーダレウスは戸惑うアラキノの額に手を当てた。はっとなって、確かめるように手のひらを額に押し当てると「もうこんなにあったかくなってきた」と悲し気な顔をした。

 アラキノは、目の前のこの人が悲しい顔をする理由がわからなかった。熱を出しているのは自分であって、この人が苦しいわけではない。
「他人の心配をする」という心をアラキノが知るのは、まだ先のことだ。


「はい。痛み止めと、熱さましの薬だ。飲みなさい」

 ユーダレウスから差し出された椀の中には、澄んだ液体が入っていた。匂いは何もない。
 これが薬なのだろうか。アラキノは首をかしげる。ただの何の変哲もない水に見えた。
 何はともあれ、飲まなければ横になる許しを得られないだろうと、アラキノは受け取った椀に口をつけ、中身を呷る。

「っぐ!?」

 液体が舌に触れた瞬間。舌がもげそうなほどの鋭い苦みを感じた。思わず吐き出してしまいそうなところを、何とか堪える。そんなことをしたら、この魔術師の不興を買うかもしれないという考えがちらりと脳裏をよぎった。

 椀を傾けたまま無理やりゴクリと飲み込めば、空になった口の中には当たり前のように次が入ってきた。その暴力的な苦みは、どれほど飲んでも慣れるということはなく、身体が強張り、震える程のそれにとうとう涙が滲んでくる。
 しかし、アラキノは何も言わず、必死の思いで薬を飲み干した。

「おやおや。この薬、大人でもひと口で勘弁してくれと泣いて縋るのに、よく飲んだね」

 ユーダレウスは、驚いた顔で二、三度パチパチと手を叩いた。死にそうなほど渋い顔のアラキノを見て、慌てて水差しを取り上げ、空になった椀に正真正銘ただの水を注いだ。
 差し出された水を一息に飲みほしたアラキノだったが、口の中はびりびりと苦みに痺れており、通り過ぎていった災禍を忘れてくれそうにない。

 しかめっ面のままのアラキノの頭に、ユーダレウスの手が乗った。次は何だと内心戦々恐々としながら大人しくしているアラキノの頭の上で、温い手はそっと左右に動いた。

 本当に、何だろう。
 きょとんとするアラキノをよそに、上機嫌なユーダレウスはどこからともなく小さな壺と木の匙を取り出した。

「偉かったね。口直しの時間だ」

 ユーダレウスは、ふんふんと鼻歌を歌いながら匙を壺の中に入れ、とろりとした赤いものを掬いとる。血の塊にも見えるそれに、アラキノは思わず眉を寄せた。

「大丈夫大丈夫、今度は美味しいよ。私が作ったんじゃないから」

 血生臭さはなく、花のような良い香りがする匙の先で急かすように唇をつつかれ、アラキノはおそるおそる唇を開く。
 その隙を見逃さず、ユーダレウスは匙をアラキノの口の中へ、えいやと突っ込んだ。

 発熱のせいで熱くなった口の中に、ひんやりとした感触が心地良い。次第に匙に載っていたどろりとした物体の味が広がっていく。

「今年採れたアルイマベリーのジャムだよ。甘いだろう?」

 これが甘いという感覚なのだと、アラキノは初めて知った。甘い物など、その日一日食べ物にありつけるかすらわからない奴隷に与えられるわけがない。
 苦みでじんじんと痺れていたアラキノの舌が蕩けるような甘味と、そして少しの酸味に癒されていく。酸味に関しては、食べると腹を壊すものと理解していたが、これは食べても大丈夫なものだと不思議と信じられた。

 ユーダレウスの問いかけには何も答えずに、アラキノは匙をくわえたままジャムとやらの余韻を夢中で味わっていた。
 ふと気が付けば、青い瞳がこちらをじっと見ていた。何が面白いのか、また笑っている。

 ふいに、アラキノは強制的に意識が遠のく感覚を覚えた。急に瞼が重たくなり、開けていられずにまばたきを繰り返す。

「あの薬はね、とんでもない味だけど効き目は早いし、良く効くんだ」

 静かにそう言ったユーダレウスは、アラキノの口から味のしなくなった匙を引っこ抜いた。眠気のせいで左右にふらふらしているアラキノを慣れた手つきでベッドに仕舞うと、火照る額に冷たく濡らした布をのせた。

「さあ、もうおやすみ」

 瞼の上に温い手が乗り、反射的にアラキノは目を瞑る。目を瞑った瞬間、今宵はもう瞼を開けることはできないことを悟った。

 おやすみ。その言葉は、どういう意味なのだろうか。それを尋ねる時間はなく、アラキノは夢も見ない深い眠りへと落ちていった。

 起きたらすべてがまやかしだったりしないだろうかという不安を、アラキノは一度も抱かなかった。
 ずっと昔、それこそ生まれたその日からこの人が側にいて、こうして世話を焼いてくれていたのではないか。そう思うくらいに、ゆったりとした声も、触れる手のひらの温度も、しっくりと身体に馴染んでいたからだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ずっとヤモリだと思ってた俺の相棒は実は最強の竜らしい

空色蜻蛉
ファンタジー
選ばれし竜の痣(竜紋)を持つ竜騎士が国の威信を掛けて戦う世界。 孤児の少年アサヒは、同じ孤児の仲間を集めて窃盗を繰り返して貧しい生活をしていた。 竜騎士なんて貧民の自分には関係の無いことだと思っていたアサヒに、ある日、転機が訪れる。 火傷の跡だと思っていたものが竜紋で、壁に住んでたヤモリが俺の竜? いやいや、ないでしょ……。 【お知らせ】2018/2/27 完結しました。 ◇空色蜻蛉の作品一覧はhttps://kakuyomu.jp/users/25tonbo/news/1177354054882823862をご覧ください。

勇者召喚の余り物ですが、メイド型アンドロイド軍団で冒険者始めます

水江タカシ
ファンタジー
28歳独身、一般事務の会社員である俺は、勇者召喚に巻き込まれて異世界へと転移した。 勇者、聖女、剣聖―― 華やかな肩書きを持つ者たちがもてはやされる中、俺に与えられたのは聞いたこともないスキルだった。 【戦術構築サポートAI】 【アンドロイド工廠】 【兵器保管庫】 【兵站生成モジュール】 【拠点構築システム】 【個体強化カスタマイズ】 王は落胆し、貴族は嘲笑い、俺は“役立たず”として王都から追放される。 だが―― この世界には存在しないはずの“機械兵器”を、俺は召喚できた。 最初に召喚したのは、クールな軍人タイプのメイド型戦闘アンドロイド。 識別番号で呼ばれる彼女に、俺は名前を与えた。 「今日からお前はレイナだ」 これは、勇者ではない男が、 メイド型アンドロイド軍団と共に冒険者として成り上がっていく物語。 屋敷を手に入れ、土地を拠点化し、戦力を増強しながら、 趣味全開で異世界を生きていく。 魔王とはいずれ戦うことになるだろう。 だが今は―― まずは冒険者登録からだ。

莫大な遺産を相続したら異世界でスローライフを楽しむ

翔千
ファンタジー
小鳥遊 紅音は働く28歳OL 十八歳の時に両親を事故で亡くし、引き取り手がなく天涯孤独に。 高校卒業後就職し、仕事に明け暮れる日々。 そんなある日、1人の弁護士が紅音の元を訪ねて来た。 要件は、紅音の母方の曾祖叔父が亡くなったと言うものだった。 曾祖叔父は若い頃に単身外国で会社を立ち上げ生涯独身を貫いき、血縁者が紅音だけだと知り、曾祖叔父の遺産を一部を紅音に譲ると遺言を遺した。 その額なんと、50億円。 あまりの巨額に驚くがなんとか手続きを終える事が出来たが、巨額な遺産の事を何処からか聞きつけ、金の無心に来る輩が次々に紅音の元を訪れ、疲弊した紅音は、誰も知らない土地で一人暮らしをすると決意。 だが、引っ越しを決めた直後、突然、異世界に召喚されてしまった。 だが、持っていた遺産はそのまま異世界でも使えたので、遺産を使って、スローライフを楽しむことにしました。

追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発

ハーフのクロエ
ファンタジー
 アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...