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しおりを挟む精霊とは、この世界のすべてのものに存在する。
彼らは、いのちの子――人間を含むすべての生きとし生けるものを愛している。彼らが魔術師と契約する理由はわかっていないが、魔術師というものは精霊に愛された存在であるとされる。
ただ、それを上回る程に、珍しい色をその身に宿して生まれた人間は、精霊に好かれる。
月の色によく似た銀の髪に、研ぎ澄まされた刃物のような銀の瞳。
二つの稀有な色彩をその身に持っていた魔術師はひとつ、解に辿りついた。
『精霊は、本能として、自らが生まれ持った本当の名を呼ばれることを渇望している存在である』
辿りついてしまったその魔術師は、精霊がそれぞれに持つ名を知り、そして呼んだ。畏怖でも、使役でもなく。ただ、生を共にする隣人として、その名を呼んだ。
愛おしい色をふたつも持ち、友のように対等に、精霊の真の名を呼んでくれるいのちの子。
精霊たちにとって、アラキノ以上に完璧で、手放しがたい存在は他になかった。
手放したくないからこそ、アラキノに名を呼ばれた精霊たちは、盲目的にその望みを全て叶える。
その力の及ぶところは、たとえば「現存する人間の文明すべてを手中に収めたい」という、物語の巨悪のようなことを望んだとしても、あっさり叶ってしまうことだろう。
そもそも、魔術師に向けられる精霊の愛とは、ときに、飢えた獣の獲物への執着よりも深い。
彼らにその自覚はない。それもまた本能だからだ。生まれ持った性質のままに、ただ一途に、気に入った人間に彼らなりの純粋な愛を注いでいるだけだ。
そして、その愛ゆえに、気に入った人間を少しでも長くこの世界に留まらせようとする。そのため魔術師は人間の範疇を超えて長命となる。
そうだというのに、精霊に特別愛された魔術師は、加えて自らに不老不死の術をかけた。
アラキノをこよなく愛する精霊たちは喜んでそれに応えた。
この魔術を切り崩せるものは存在しない。たとえアラキノ自身が死を望んだとしても。
なぜなら、精霊には人間が抱く希死念慮の概念が存在しない。理解できないことを叶えることは誰にもできない。
それ以前に、精霊が持つ『気に入った人間を死なせない』という性質が邪魔をする。これは、希死念慮の種すら消し去ってしまうものだ。
精霊の愛は、死へと近づく可能性のあるすべてから、愛しい子を隔絶させる。
精霊の加護によって、アラキノが本気で心の底から死を望むことはない。そして、アラキノがそれに気が付くこともない。
もはや、アラキノは完全に『死』から切り離されていた。
***
朝の気配がして、アラキノは目を覚ます。見覚えのある天井が目に入り、もう一度目を閉じた。
かつて弟子として暮らし、そして師を見送った部屋は、すっかり埃の積もった物置になっていた。とてもじゃないが寝られるような状態にないという姉弟子の勧めで、アラキノはこの数日、客間を借りていた。
アラキノは身を起こし、青白い早朝の部屋を見渡した。家具や調度品のない、ベッドがかろうじて入っているだけの部屋だ。
久方ぶりにベッドに横になった日。アラキノは目を覚まして初めて、自分がまだ人並に眠れたことに驚いた。
長年横になってはいたが、ほとんど眠っていない状態にあった身体だが、寝すぎるということもなかった。
この数日、寝入った時間はこの家で生きた頃と変わりなく、そして、同じように起きる時間も早朝と呼ぶには早すぎる時間に目が覚めた。自分の身体は、あの頃から本当に何一つ変わっていなかった。
何をしようと思うこともなくぼーっとしているうちに、カーテンの縁が金色に染まっていく。
それを見る度、体温で温まったベッドの中にいるというのに、背骨の中を冷たい物がじわじわと流れていくような感じがした。
それは恐怖という名が付くものだと、アラキノは知っている。
――親しい者をたくさん作りなさい。
――愛する者を作りなさい。
師の言葉は、喪って数十年の時を経ても、未だに鮮やかにアラキノの脳裏に蘇る。
ほんとうに、呪いのようだ。アラキノは手のひらを目元に押し付けると大きく息をついた。
――私はあの馬鹿を止められなかった。世界から魔術師を奪ったも同然。
昨夜のジルの言葉。
師も、姉弟子も、アラキノに非はないという。
当の本人だけが、そうは思えないでいる。
あるいは、無関係だと認めてしまえば繋がりが切れてしまうようで、そう思いたくないだけなのかもしれない。
昨夜、ジルに告げられなかった精霊にまつわる答え。それを口にするのを躊躇った理由。これから自分が相対するもの、そしてすべきこと。
その輪郭は朝の清浄な光に照らされて、否が応でもはっきりと目に映された。
日が昇ってから、アラキノは身支度を整えて部屋を出た。
台所にいた姉弟子は、朝食を用意しているようだった。パンの焼ける香ばしい匂いに、アラキノの喉が思わずごくりと鳴る。
人の動く気配に気が付いたのだろう。昨夜の残りの汁物を温め直していたジルがわずかに振り返る。皺の寄った眦がふっと緩んだ。
「おはようアラキノ」
「おはよう。ジル」
当たり前のように交わされる挨拶。自分以外の人間がいるということ。それがこんなにも安堵を与えてくれる。
けれど、アラキノはそれを手放す覚悟を、とうに決めていた。
「ジル、俺はここを出る……少なくとも、生きているうちには帰らん」
急なことを言う弟弟子をいぶかるように、ジルは黒っぽい色の瞳をそちらに向ける。
「ここを出て行くのは構わない。お前にも都合があるだろうから。けど……何をする気、アラキノ」
「世界で救いを求めるもの全てを救って廻る」
その簡潔な答えは、酔っ払いが言う冗談のように傲慢だった。アラキノの真剣そのものの顔を見ていなければ、ジルとて悪ふざけだと思ったことだろう。
静かな眼差しが物言いたげにアラキノを見た。刃物のような銀色の瞳はそれを真正面に受けた。
「ロタンを止められなかっただけのジルに責があるんなら、原因を作った俺にも負うべき責はあると、俺は思う」
しばらく、くつくつと鍋の中身が煮える音だけが台所に響いた。
姉弟子が口を開きかけたのを見計らって、アラキノは続く言葉を発した。
「第一、まじない師だけでは今までの魔術師の仕事を補えん」
弟弟子を言いくるめるための言葉を飲み込んだジルは「その通りだ」と悔しそうに肩をすくめた。不完全な術しか使えないまじない師たちだけでは、助けを求める人々に手が回りきらないのは明らかだった。
窓の外を見れば、目が覚めるほど鮮やかな青が見えた。だというのに、鳥の鳴かない静かな朝だった。
「……それに、ジル。
俺はもう『ユーダレウス』だ」
その名が持つ意味を知っているのかいないのか。アラキノに背を向け、汁物を器によそっていた姉弟子は、皺に縁取られた目を一瞬だけ見開く。
数瞬の沈黙の後、しわがれた声が「そうだったな」とだけ答えた。
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