竜頭――柔太郎と清次郎――

神光寺かをり

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柔太郎と清次郎

「忠」であるとか、「孝」であるとか。

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「さて、話が横道にれましたな。本題に移りましょうか」

 にこやかな顔つきのまま、しらは居住まいを正す。
 真っ直ぐな背筋で真っ直ぐな眼差しを清次郎に注いだ。

「手前に難問をお与え下さい」

 畳に両手を付いた白木屋が静かに言った。
 静かでありながら、熱く熱のこもった声だった。

 己が家の裏庭からしゃっけいにしているほどに間近なしのばずのいけべんてんどうに、己が知らぬ間に、己が好んでやまない算学にまつわる奉納物があった――。

「先を越された」

 と思うと、白木屋の胸は口惜しさのために張り裂けそうになった。
 挙げ句に、その問題を

「美しい」

 と思ったなどとは! 己の浅学がいまいましくてならない。
 同時に、白木屋は嬉しくてならなかった。楽しくてならなかった。
 我が家の裏手に、己と同じしゅこうを持つ者が、少なくとも算額を奉納する儀式の間は、存在した。同好の士が、すぐ近く、ほとんど同じ場所にいたのだ。

 白木屋は微笑んだ。
 跡取り息子が立派に育ち、そろそろ隠居を考えはじめる年頃の、皺が深くなってきた口元がにんまりと緩んだ。
 その唇の形は、清次郎が算額巡りをしているとき、見も知らぬ同好の士の存在を感じたときとそっくり同じ姿形シェイプをしている。
 当然、目の前にいる同好の士の存在を強く感じている今この時の赤松清次郎の唇も、まるで同じ姿形シェイプをしていた。
 よく似た師弟だ。
 若い師匠が、

「なるほど、やまなか鹿かのすけですか。〝我にしちなんはっを与え給え〟と」

「それそれ、赤松先生のそういうところが、大先生に勝るところなのですよ」

 白木屋は畳に付いていた両手を持ち上げて、大げさに膝を打った。

「そういうところ、とは?」

「内田の大先生はご自分の学びを突き詰める方ですから、お話はご自身が学ばれた算学と蘭学のことばかり。ああ……いいえ、大先生のお話は、どれもこれも素晴らしいお話です。手前も算学が好きで、こうして先生方に教えを請うている身で御座いますからね。大先生から為になるお話が聞けますことは、大変にけっこうなことでございます、はい」

「さてさて白木屋殿、おれも内田先生と変わりないはずですよ。いやむしろ、内田先生よりも好き嫌いが酷いくらいだ。何しろ、おれはおれの好きなことしか学ぶ気が湧いてこない。だから学ぶことが偏っている。当然、話すことも偏っているはず、なんですがねぇ」

 清次郎は小首を傾げた。

「いやいや、赤松先生と申せば、算学と蘭学以外のお話にも膝を進めて聞いて下さるじゃありませんか。しかもしっかりと返答を、それも意外な方向からご返答を下さる。算学のことばかりでなく、例えば手前どもの商売の話やらを振りましても、先ほどのように芝居や読み本の話やら、その話にちなんだ別の話が返ってくる。いやそれがもう、実に楽しい」

 先に清次郎が口にした山中やまなか鹿介かのすけ幸盛ゆきもりという人物は、戦国時代の武将だ。芸州・毛利家に滅ぼされた出雲国のあまよしひさの家臣であった鹿介は、三日月に「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈念して、主家を再興させることに尽力をしたという。
 結局、鹿介の宿願は叶えられなかった。
 むしろ、叶えられなかったからこそ、彼の活躍は高く評価されたのかもしれない。
 判官贔屓は聴衆読者の性なのだ。彼の生き様は芝居や読み本の題目となって、大きく膨らみ、後世の人々の中に広く伝えられ、物語られている。 

「あー」

 清次郎は軽く頭を掻いてから、

「その辺は、父親の影響で……。うーん……何と言いましょうかね……。
 そう、ウチの国元にいる親父というのが、忠とか考とかていとか仁とか、そういうことにとびきり詳しい人、でしてね。それで本邦のみならずからてんじくの忠臣だの孝行息子だのの逸話みたいなものを山ほど集めてまとめて書き留めて、それをおれたち兄弟やら他所のお子様連中にも語って聞かせてくれるという……」

 回りくどい言い方をした。回りくどいが、間違ったことは言っていない。
 赤松清次郎の実父・芦田勘兵衛は藩校の儒学講師なのだから、儒教の理念でもある

「忠(主君に真心をもってつくすこと)」
「孝(親を敬いつかえること)」
てい(年長者に従順であること)」
「仁(他人を愛し優しく接すること)」

 といった事柄についての知識は豊富で深い。
 その膨大とも言える知識を、勘兵衛は芦田家の家督を継ぐ……予定の長男跡取りである・柔太郎と、継ぐかも知れない次男スペアである・清次郎の二人の……男児たちに、惜しみなく、そして積極的に教え伝えようとした。
 芦田勘兵衛は、己の仕事である儒学教授を、芦田家の「家業」にしたかったのかもしれない。
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