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第九章「海神編」
始祖の踊り手
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シルクは再度、老師と向き合っていた。
太陽は光を失い、砂漠に満ちる無音が耳に痛かった。
夜の青さに染まっていく空には、隠れていた無数の星が姿を表しだす。
どうする?!
シルクは思った。
老師、静寂の葬儀者と呼ばれるその人は、寡黙な死神と呼ばれた自分の師父の師父である。
レオンハルドにも未だに勝てた事がないのに、その師父たる老師に果たして自分が勝てるのか?
しかし勝たねばならない。
カイナの民として。
シルクは今、皆の意思を背負っている。
レオンハルドだけではない。
老師がトダテを仕留めた様に、クルの使者となった演舞継承者は皆、おそらくそれを望んでいる。
彼らだけじゃない。
呪いに変えられた村の民、皆、それを望んでいる。
演舞を権力者の手に渡す訳にはいかない。
それがどんな形でも、絶対に。
これは力なき民の為の舞。
権力に理不尽に踏みにじられた者たちへの弔い。
そしてその希望を切り開く為の血濡れた刃なのだ。
幾年とも続いてきた欲望という傲慢な権力を切り裂くには、並大抵の刃では歯が立たない。
だから究極の暗殺武術と呼ばれる演舞が、新しい時代を切り開くには必ず必要になる。
始祖様にはそれが見えていた。
力だけでは真の革命は果たされない。
それを知ってもなお始祖様が演舞を捨てなかったのはその為だ。
いつか時が満ち、その時が来る。
その時、全てに成り代わり、血を持って時代を清める刃となる為に、カイナの村にひっそりとそれを受け継がせたのだ。
人々に真の平和がもたらされた時、その刃は役目を終える。
「……でもまだ、その時じゃない……!!」
バキッと老師の重い攻撃をシルクは受け止める。
さんざん戦い、さすがのシルクも息が上がってきた。
素早く動き回る分、シルクの方が消耗が激しい。
師父と再会して地獄の様な修行をつけてもらっていたからここまで持ったが、これ以上あまり長引かせたら仕留められるものも仕留められなくなる。
「…………………………。」
シルクは腹を括った。
どうなろうと、短期戦で勝負をつけざる負えない。
勝てるか勝てないかじゃない。
やるしかないのだ。
(……なんか、この考え方って主みたい。)
ふとそんな事を思い笑ってしまう。
自分の選んだ主はいつだってジタバタもがいて、勝てるとか勝てないとかでなく、自分がやると決めた事に対して真っ直ぐだった。
それで死のうがどうなろうが知った事じゃないと言う人だった。
「ふふっ。一緒に居過ぎて、主が感染った。」
その事が凛とシルクの心を強くした。
たとえここで当たって砕けたって、主はよく頑張ったって言ってくれる。
だからこそ、最後までみっともなく足掻いて足掻いて足掻ききってやると心に誓う。
これまで自分の辿ってきた軌跡を思う。
カイナの隠れ里に生まれ、初めは踊り子として訓練を受けた事。
ふらりと帰ってきた師父がオルグとなり、自分を演舞継承者候補に加えた事。
それから思い出したくもない修行の日々。
そして……。
全ての継承を終える時、師父が人柱として村を去った事。
王族による村の襲撃。
魂の一部を奪われ、そして訪れた屈辱の日々。
そこから逃げ出してからの文字通り地を這う生活。
でも、あの人が新しい命をくれた。
地の底から引っ張りだし、失った全てを与えてくれた。
奪われた魂さえ取り戻してくれた。
踊る事も、戦う事も、全てを与えてくれた。
その人と共に歩み、新しい居場所ができた。
恋人も生きる意味も、全て与えてくれた。
今、自分がいるべき場所。
それは主の傍らであり、第三別宮の訓練場であり、ある一人の男の腕の中であり、中央王国なのだ。
カイナの民としての自分を捨てた訳じゃない。
だが同時に自分はシルク・イシュケなのだ。
全ては繋がっている。
どっちがどっちかなのではない。
どちらも自分なのだ。
シルクはザッと、老師との間合いをとった。
そして真っ直ぐに老師を見つめ、双剣を構え直した。
「我はシルク・イシュケ!!カイナの里に生まれ!中央王国、アズマ・サーク男爵を主とする者!!里長の老師、シジマ様に手合わせ願う!!」
シルクははっきりと名乗りを上げた。
暗殺を主とする演舞ではあり得ない事だろう。
だが、シルクに迷いはなかった。
自分はカイナの民であり、演舞継承者であり、そして中央王国の新米貴族アズマ・サーク男爵の従者なのだから。
自分を育ててくれた里のかつての長に対し、戦う前に礼儀を示す事は、今のシルクにとっては至極当然の事だった。
「……あの馬鹿者が。」
レオンハルドはその名乗りに苦笑いを浮かべた。
自分の傷を手当しながら己が弟子の戦闘を見守っていたが、まさか名乗りを上げるとは思わなかった。
グッと締め付けた止血に顔を顰める。
もしもシルクが殺られたら、自分が最終的には戦う事になると準備を進めていた。
中央王国でも試合、特に一騎討ちの際に互いに名乗りを上げる事はたまにある。
そう言った騎士の習わしに影響を受けたのか、はたまたサークの故郷である東の国の影響なのかはわからないが、暗殺武術である演舞ではありえない事だった。
シルクは選んだのだとレオンハルドは思った。
滅んだカイナの里の亡霊ではなく、カイナの民でありサークの従者である新しい道を。
どちらかではなく、どちらも背負った新しい生き方を選んだのだ。
クルの使者となった老師達にも、過去に囚われた自分にも選べなかった、新しい道を。
「……お前は本当に良い方を主に選んだ。羨ましくさえある……。」
己が弟子が選んだその人を思い浮かべる。
きっとあの方だからシルクはその道に気づき、そして迷わず選んだのだ。
自分には眩しすぎたその人を少しだけ想う。
もしももっと前に自分も出会えていたならば、同じ様にその道が選べただろうか?
否、その答えを知っていた。
「……私には選べなかっただろうな……。かつて私はあの人の視線さえ気づいていながら、選ばなかったのだから……。」
そしてそうなる事もきっと知られていた。
そういう人だ、あの人は……。
トダテに負わされた傷が深手だったせいか、やけに傷心だ。
過去と現在、そして未来が混乱している。
意識がブレるので気付け薬を口に放り込む。
「……さて、シルク。格好つけるのは勝手だが、お前にそこまでの力があるのか見せてもらおう。サーク様を悲しませ、この手負いの老兵の出番を作ると言うなら、それ相応の覚悟をしておけ……。」
毒でよく見えない片目を洗浄しながら、レオンハルドは皮肉気味にそう呟いた。
シルクの名乗りに、当然の事ながら老師は応えなかった。
特に気に求めず、シルクはスッと息を整えると彼に向かっていく。
ここまでの戦いでシルクは気づいていた。
クルの使者は確かに演舞の踊り手ではあるが、そこに個人の意志がない分、行動が機械的なのだ。
人の意識という複雑で利害だけでは読むのが難しい過程が含まれない。
村の仲間と戦わなくてはならない事、彼らが村人を犠牲に作られた呪いによって操られている事に動揺しているうちは見えなかったが、一歩引いてみれば本来の彼らよりは劣っている。
とはいえ、それがわかった所で、実力と長年の戦歴の差は計り知れず、どうにもならないのだが。
振り下ろした刀は当然、あしらわれる。
もう一つの剣をしならせたが、短刀でガードされる。
そのまま突いてこられるのを見越して、ふわりと背後に回って蹴りを入れようとするが、片足を軸にくるりと向き直られ、逆に重い刀を受け流す羽目になる。
シルクは自分の演舞を舞う事に集中した。
余計な事を考えていても仕方がない。
苦しい修行の末に作り上げた自分の踊り。
それは生まれてから今までずっと繋がるシルクの生き様そのものだった。
今、ここにいる自分の全て。
カイナの村で過ごした日々。
苦しんだその後。
そして主と共に生きた中央王国での今。
その全てが今のシルクを作っていた。
囚われの身から逃げ出してその日暮しをする中でも、シルクは生きる為に踊る事を学んでいった。
客相手に踊る事を不浄と言う者もいるだろう。
だがその踊りさえもシルクは知らず知らずのうちに貪欲に吸収したのだ。
それは始祖も踊ったであろう舞いでもあった。
長年舞いを学ぶとしても不純として避けられてきたそれを、シルクは当初、生きる為にはやむ無しと身につけた。
しかしサークと出会い、致し方なく身につけた淫靡な舞いすら、お前の武器なのだと教えられた。
お前には人を魅了する力があるのだと、真っ直ぐに向き合い胸を張れと。
そして自分自身でも心のどこかで軽蔑していたそれに真剣に向き合った時、世界が開けた。
鳴り止まぬ喝采。
舞う者として認められた事に心が震えた。
そしてそれに打ち込む事で、小手先の技術だけではなく踊る楽しさを知った。
その芸を極めれば極めるほど楽しかった。
それが他の演舞の踊り手とシルクを大きく分けた。
演舞継承者は武を極めた者。
しかしその中で、舞いをも極めた者はいない。
シルクは武と舞の双方を極めたのだ。
それは偶然にも、踊り子として舞う事を極めた始祖が、復讐の為、そして虐げられた全ての人の為、武を極めた道を逆から辿る形になった。
砂漠に夜が訪れた。
静けさの糸が、暗闇の中にピンッと糸を張り始める。
焼け付く炎を失った乾いた大地は、真逆の方向へと急速に歩みを進めだす。
跳ねるシルクの足についた砂が、ベールの様に美しく舞う。
傀儡に落ちた老師は無言でそれを見ていた。
幾度となく血を吸った双剣を、月光に煌めかせて舞踊る美しい踊り子を。
動かずともその足は、砂の大地を強く踏みしめていた。
砂漠に吹く風のように、緩やかに、時に激しく漂う踊り手からの攻撃をいつでも受け止められる様に。
そして刹那。
砂漠に刃の打ち交わされる金音が響き出す。
短時間に幾度となく響くその音を、正確に数える事ができる者はほとんどいないだろう。
数で押して隙を狙うシルク。
覚悟を決めた若き豹の迷い無き刃に、古豪の足も少しだけズレる。
しかし自分の足場にゆらぎが出た事に、すぐ様反応すると蹴りを繰り出しながら砂を巻き上げた。
蹴りの回避と砂による煙幕で、シルクはわずかだが後方に動いた。
その隙を間髪入れず、砂のカーテンを突き破って、老師のフィランギが襲いかかった。
フィランギは切るより突く事に特化した剣で、使い方によっては装甲をも貫き相手を殺す。
重心を深くする事で力強い重い踊りをする老師に合った武器だった。
返しとばかりに続く重い猛攻を、シルクは冷静にしなやかに交わす。
そして飛ぶ羽をはためかす様に、双剣のシミターを舞わせた。
何とか五分五分。
否、それは違う。
シルクはグッと奥歯を噛んだ。
一見、何とか対等に渡り合っているように見えるが、完全に自分が不利な事を理解していた。
老師はシルクの攻撃に対応しながら待っているに過ぎない。
舞う者が疲労し隙ができるのを。
このままでは埒が明かない。
何とかもう一歩、踏み込まなければ。
そしてそこで状況を好転させる一撃を掴まなければならない。
どっしりと構えた大樹。
その幹に切り目を入れたって、そう簡単に倒れることはない。
邪魔な枝を払い除けたところで、木は倒れない。
狙うなら根だ。
どんな大木でも、その根が腐れば倒れる。
その木が大きければ大きいだけ、根がやられれば自らの重さに耐える事はできなくなる。
だがどうやって?
刃を止める方法はある。
自分に突き刺させればいい。
それはわかっている。
ただ、老師の攻撃は一撃一撃が重い。
しかも確実に急所を外す事はない。
どこを突かせても致命的になるのは間違いない。
チラリと師父を見た。
だいぶ瀕死ではあるが、自分が殺られたら戦う準備はしているだろう。
演舞継承者、しかもその中でもトップクラスに秀でた五人を相手に二人でここまでやったのだ。
共倒れでもお釣りが来るほどよくやったと言うものだ。
シルクは覚悟を決めた。
そもそも老師相手に無傷で勝とうなど虫が良すぎる。
僅かに残った意識で老師はシルクを傷つけまいと努力してくれているようだが、殺すとなったらやはりそれだけでは難しい。
相討ちになろうとも、老師に決定的な一撃を与えなくてはならない。
それで自分が動けなくなっても、師父がトドメぐらいはしっかり責任をとってくれるだろう。
シルクは飛んだ。
防御はなし。
必ずその根に致命的な一撃を加える。
向かい合った老師のフィランギが、真っ直ぐに胸に向けて放たれる。
よりによって心臓、もしくは肺狙いか……。
確かに殺すには確実で面倒が少ない。
シルクは薄く笑った。
体制を低くし双剣をクロスさせ突っ込んでいく。
その体制が胸や首を守る行動だと捉えた老師は、刃の向きをすぐさま変えた。
飛び込んでくるシルクをそのまま串刺しにしようと、瞬時に上に大きく構え直したのだ。
偶然とはいえ都合がいい。
シルクは皮肉気味に笑う。
大きく空いた下腿部に2つの刃を滑り込ませて切り裂いた。
飛び散る鮮血を浴びながら、シルクは自分に突き刺さるだろう衝撃を待った。
しかし、それは訪れない。
不思議に思いながらもその僅かな好機を逃さず身を引いた。
「!!!?」
そしてそこで見た光景に言葉を失う。
低い体制で飛び込んできたシルクを突き刺そうとしていたフィランギは、老師自らの手で無理やり向きを変えさせられ、老師本人に突き刺さっていた。
驚いて固まっているシルクに、一瞬だけ柔らかい表情を取り戻した老師が微笑んだ。
「……じいちゃん。」
思わず声が漏れる。
ああ、そうか……。
じいちゃんは待っていたんだ……。
一瞬しか表に出せない己の意志で、自分を殺せるその時を……。
おそらくその意志は一瞬な上、不定期にしか浮上できなかったのだ。
だが戦いの中では浮上しやすかったのだろう。
そして同じ演舞の踊り手と戦う事で刺激を受け、さらにはっきりその意志を示す事ができたのだと思う。
見つめた老師の後ろに月が見える。
砂漠の夜に煌々と輝く月が……。
『踊れ』
誰かの声がした。
浮かぶ月の中に老師が立っている。
呪いによって傀儡に変えられ何の感情も持たない顔の中、乾いた唇だけが僅かに動いている。
シルクは静止した時間の中、それを見つめた。
『何ものにも囚われず……自由に舞え……始祖の踊り手よ……』
音ではないその言葉。
でもはっきりとシルクにはその言葉が聞こえた。
その瞬時、シルクの中に衝撃が走った。
それまで自分が経験してきた事がフラッシュバックの様に一気に流れ、何も見えなくなる。
そして何もなくなったそこに一人の舞姫を見た。
美しく、艶やかで、力強く揺るぎない。
耐え難いほどの色香と、孤高の獣のような気高さがそこにはあった。
清らかな鈴の音のようなその舞姫は、薄く開いた目でシルクを見つめ、微笑んだ。
始祖様だ……。
シルクはそう思った。
清らかで美しく、されど残忍で、淫靡でもあった。
舞姫がシルクに手を差し伸べる。
シルクはその手に触れた。
誘われるまま踊りだす。
砂漠の夜に浮かぶ妖艶な光。
その輝きの中の陰影は、どこか大きな髑髏のように見えた。
不思議とその事に嫌悪感は感じない。
自分の血が月に呼ばれているような感覚。
海の波が寄せては引くように体が動く。
その足が砂の上を跳ねる。
指がしっとりと夜の空気をなぞる。
静まり返った砂漠。
丸く輝く月光に照らされた死体。
幻想的で残忍な美しい闇。
その中をシルクは舞う。
頭の中に、サークと出会ったばかりの頃に見た月が見える。
ギルと激しく愛を交わした背後に見た月が見える。
半日以上続く死闘に疲れきっている筈のシルクの体は、流れる水のように動く。
それは息をするように、鼓動が跳ねるように、ごく当たり前の自然な事のように。
頭の中、ともに踊っていた舞姫が、やがて自分と重なる。
思い描いていたその人の幻影が自分だと気づく。
シルクは踊った。
音のない砂漠で。
誰よりも優美に。
何よりも婀娜めかしく。
そして残忍に……。
そこに言葉にできる感情は一切なかった。
あるとすれば無。
薄く開かれた悩ましい視線が月を見る。
その下に立つ、クルの使者。
かつてのカイナの里の長であり、古きオルグ。
その中にある呪いとなった人々。
老師はシルクに大腿を切り裂かれ、自分自身にフィランギを突き刺しながらもまだ生きていた。
本人の意志は僅かな間しか表に現れられない。
だからクルの使者という傀儡が抵抗したのだろう。
「……ありがと、じいちゃん。大好きだよ……。」
時間も音も、重力さえ感じさせないようなその舞いを踊りながら、シルクは彼に近づいた。
そして容赦なくその刃を突き立てる。
美しく残忍な女神の刃が、静寂の葬儀者の喉笛を切り裂いた。
鮮血を花吹雪の様に散らしながら、安心したように微笑む老師。
それはゆっくりと静寂の中に倒れ込む。
砂漠は再び無音になった。
何の音もしなかった。
レオンハルドはその戦いを見届けた。
自分の師父であった老師が砂に倒れ込み、動かなくなるのを。
そして黙ってシルクを見つめていた。
シルクは踊っていた。
一人、砂漠の夜闇の中、踊っていた。
それは鎮魂の舞いだった。
クルの使者となった仲間への。
その魂を奪う呪いにされた村の民への。
全てを見届けたレオンハルドは、ふっと息を吐いた。
そして理解した。
全てはこの為にあったのだと。
呪いとなった者。
呪われた者。
そしてそれに殺された者。
その全てが最後に思い描いた希望。
求めた救い。
それが始祖だった。
カイナの民、全てが尊ぶただ一人の武の舞姫。
それに並ぶものは長い歴史の中、ずっと存在しなかった。
レオンハルドがシルクを見た時に直感したモノ。
演舞の真の継承者となれるのはこの子だろうと。
その直感は今、真実となった。
応急処置をした腹から血が滲んで砂に落ちる。
それを片手で押さえて笑った。
やっと終わった。
過去に囚われ、今を生きる事ができなかった。
だが今、その全てが終わった。
自分を含めた過去の亡霊達の時代は終わった。
そして今、目の前には新しき時代がある。
カクン……と音もなく、レオンハルドは膝をついた。
そしてそのまま、砂漠に倒れた。
次にレオンハルドが目を覚ました時、状況が瞬時には飲み込めなかった。
はっきりしない意識を、瞼とともに何度も瞬かせる。
「……もしかして、目が覚めた?!師父?!」
「………………。その様だな??」
途端に聞こえた不貞腐れた声。
シルクが幼い頃、よく背後から聞いたものだ。
だが、今回は状況が違う。
「何だよ?!文句あるのかよ?!」
そうブー垂れる声は前から聞こえる。
ヒョイッとばかりに背負い直され、その振動が傷に響いて僅かに呻く。
「確かに師父には勝ててないけど!ちゃんと老師には勝ったんだから、背負われて文句言わないでよね!!」
そう。
レオンハルドはシルクに背負われていた。
その事をどう捉えていいのか頭が混乱していた。
「…………勝ったも何も……。あれだけ手を抜いてもらえていたなら、俺とて老師に勝てる。」
「うっさい!うっさい!!運も依怙贔屓される可愛さも!!俺の実力なの!!手を抜かれてようが!!勝った事には変わりないじゃんか!!」
あれは幻だったのだろうか?
血を流しすぎたのか、レオンハルドはよくわからない。
あの、始祖の再来の様に見えた踊り手はどこに行ったのやら、シルクはレオンハルドのよく知るシルクのままだった。
「……そう言えば、お前……。」
「何だよ?!」
「通り名がまだなかったな?」
「あるよ??」
「は??」
「さっき、じいちゃんがつけてくれた。」
「……老師は何と?」
「゛始祖の踊り手゛だってさ。」
「…………そうか。」
「うん。」
シルクはレオンハルドを背負って砂漠を歩き続けた。
昔、背負うなら自分を越えてからだと言われていたので怒られるかと思ったが、流石に瀕死の重症だけあって、文句は言われなかった。
ただ自分の中で、師父を越えたのかどうかの答えが出ない。
未だに勝てた事はないし、師父の言う通り、老師との戦いは、老師が物凄くシルクを庇ってくれていた事は戦った自分自身がよくわかっていた。
「……シルク。」
「何だよ?!」
そんな焦りから、なんとなく突慳貪に答える。
しかし師父の口から出てきた言葉は意外なものだった。
「……お前に、オルグを譲る。」
「え……っ?!」
シルクはびっくりした。
びっくりしすぎて頭が真っ白になった。
オルグを譲る……。
その意味がゆっくり頭の中に浸透していく。
シルクはグッと奥歯を噛んだ。
「……オルグって馬鹿なの?!師父?!もう誰もいないのに、そんなものもらっても意味ないじゃん!!」
「お前にはな。」
そうおかしそうに言われた。
シルクはまたレオンハルドを背負い直し、真っ直ぐ前を睨んだ。
「……隠居すんのかよ、バカ師父。」
「バカとはなんだ?絞め殺されたいのか?愚弟子が?……たとえオルグを譲っても、俺は生涯、お前の師父である事には変わりはないんだぞ?」
「……そうかよ。」
「ああ、そうだ。」
レオンハルドは静かに笑って、弟子の背に身を任せた。
シルクはそれ以上何も言わず歩き続けた。
その頬を堪えきれない涙がボロボロと伝って落ちた。
嬉しかったからじゃない。
こんな気持ちになるなんて、シルク自身も予想外だった。
グッと奥歯を噛みしめる。
いずれ越えてやると悪態をつきながら追いかけてきた背中。
それが今、自分の背にある。
やがてレオンハルドは寝たのか気を失ったのかしてしまった。
起こしてやろうと背負い直すが目覚めなかった。
それがどうしようもない気持ちにさせた。
いくら堪えても、涙が後から後から溢れてくる。
「……何だよ、クソ。……なんで思ってたより軽いんだよ……バカ師父……っ。」
それがただ、シルクには悲しくて悲しくて仕方なかった。
太陽は光を失い、砂漠に満ちる無音が耳に痛かった。
夜の青さに染まっていく空には、隠れていた無数の星が姿を表しだす。
どうする?!
シルクは思った。
老師、静寂の葬儀者と呼ばれるその人は、寡黙な死神と呼ばれた自分の師父の師父である。
レオンハルドにも未だに勝てた事がないのに、その師父たる老師に果たして自分が勝てるのか?
しかし勝たねばならない。
カイナの民として。
シルクは今、皆の意思を背負っている。
レオンハルドだけではない。
老師がトダテを仕留めた様に、クルの使者となった演舞継承者は皆、おそらくそれを望んでいる。
彼らだけじゃない。
呪いに変えられた村の民、皆、それを望んでいる。
演舞を権力者の手に渡す訳にはいかない。
それがどんな形でも、絶対に。
これは力なき民の為の舞。
権力に理不尽に踏みにじられた者たちへの弔い。
そしてその希望を切り開く為の血濡れた刃なのだ。
幾年とも続いてきた欲望という傲慢な権力を切り裂くには、並大抵の刃では歯が立たない。
だから究極の暗殺武術と呼ばれる演舞が、新しい時代を切り開くには必ず必要になる。
始祖様にはそれが見えていた。
力だけでは真の革命は果たされない。
それを知ってもなお始祖様が演舞を捨てなかったのはその為だ。
いつか時が満ち、その時が来る。
その時、全てに成り代わり、血を持って時代を清める刃となる為に、カイナの村にひっそりとそれを受け継がせたのだ。
人々に真の平和がもたらされた時、その刃は役目を終える。
「……でもまだ、その時じゃない……!!」
バキッと老師の重い攻撃をシルクは受け止める。
さんざん戦い、さすがのシルクも息が上がってきた。
素早く動き回る分、シルクの方が消耗が激しい。
師父と再会して地獄の様な修行をつけてもらっていたからここまで持ったが、これ以上あまり長引かせたら仕留められるものも仕留められなくなる。
「…………………………。」
シルクは腹を括った。
どうなろうと、短期戦で勝負をつけざる負えない。
勝てるか勝てないかじゃない。
やるしかないのだ。
(……なんか、この考え方って主みたい。)
ふとそんな事を思い笑ってしまう。
自分の選んだ主はいつだってジタバタもがいて、勝てるとか勝てないとかでなく、自分がやると決めた事に対して真っ直ぐだった。
それで死のうがどうなろうが知った事じゃないと言う人だった。
「ふふっ。一緒に居過ぎて、主が感染った。」
その事が凛とシルクの心を強くした。
たとえここで当たって砕けたって、主はよく頑張ったって言ってくれる。
だからこそ、最後までみっともなく足掻いて足掻いて足掻ききってやると心に誓う。
これまで自分の辿ってきた軌跡を思う。
カイナの隠れ里に生まれ、初めは踊り子として訓練を受けた事。
ふらりと帰ってきた師父がオルグとなり、自分を演舞継承者候補に加えた事。
それから思い出したくもない修行の日々。
そして……。
全ての継承を終える時、師父が人柱として村を去った事。
王族による村の襲撃。
魂の一部を奪われ、そして訪れた屈辱の日々。
そこから逃げ出してからの文字通り地を這う生活。
でも、あの人が新しい命をくれた。
地の底から引っ張りだし、失った全てを与えてくれた。
奪われた魂さえ取り戻してくれた。
踊る事も、戦う事も、全てを与えてくれた。
その人と共に歩み、新しい居場所ができた。
恋人も生きる意味も、全て与えてくれた。
今、自分がいるべき場所。
それは主の傍らであり、第三別宮の訓練場であり、ある一人の男の腕の中であり、中央王国なのだ。
カイナの民としての自分を捨てた訳じゃない。
だが同時に自分はシルク・イシュケなのだ。
全ては繋がっている。
どっちがどっちかなのではない。
どちらも自分なのだ。
シルクはザッと、老師との間合いをとった。
そして真っ直ぐに老師を見つめ、双剣を構え直した。
「我はシルク・イシュケ!!カイナの里に生まれ!中央王国、アズマ・サーク男爵を主とする者!!里長の老師、シジマ様に手合わせ願う!!」
シルクははっきりと名乗りを上げた。
暗殺を主とする演舞ではあり得ない事だろう。
だが、シルクに迷いはなかった。
自分はカイナの民であり、演舞継承者であり、そして中央王国の新米貴族アズマ・サーク男爵の従者なのだから。
自分を育ててくれた里のかつての長に対し、戦う前に礼儀を示す事は、今のシルクにとっては至極当然の事だった。
「……あの馬鹿者が。」
レオンハルドはその名乗りに苦笑いを浮かべた。
自分の傷を手当しながら己が弟子の戦闘を見守っていたが、まさか名乗りを上げるとは思わなかった。
グッと締め付けた止血に顔を顰める。
もしもシルクが殺られたら、自分が最終的には戦う事になると準備を進めていた。
中央王国でも試合、特に一騎討ちの際に互いに名乗りを上げる事はたまにある。
そう言った騎士の習わしに影響を受けたのか、はたまたサークの故郷である東の国の影響なのかはわからないが、暗殺武術である演舞ではありえない事だった。
シルクは選んだのだとレオンハルドは思った。
滅んだカイナの里の亡霊ではなく、カイナの民でありサークの従者である新しい道を。
どちらかではなく、どちらも背負った新しい生き方を選んだのだ。
クルの使者となった老師達にも、過去に囚われた自分にも選べなかった、新しい道を。
「……お前は本当に良い方を主に選んだ。羨ましくさえある……。」
己が弟子が選んだその人を思い浮かべる。
きっとあの方だからシルクはその道に気づき、そして迷わず選んだのだ。
自分には眩しすぎたその人を少しだけ想う。
もしももっと前に自分も出会えていたならば、同じ様にその道が選べただろうか?
否、その答えを知っていた。
「……私には選べなかっただろうな……。かつて私はあの人の視線さえ気づいていながら、選ばなかったのだから……。」
そしてそうなる事もきっと知られていた。
そういう人だ、あの人は……。
トダテに負わされた傷が深手だったせいか、やけに傷心だ。
過去と現在、そして未来が混乱している。
意識がブレるので気付け薬を口に放り込む。
「……さて、シルク。格好つけるのは勝手だが、お前にそこまでの力があるのか見せてもらおう。サーク様を悲しませ、この手負いの老兵の出番を作ると言うなら、それ相応の覚悟をしておけ……。」
毒でよく見えない片目を洗浄しながら、レオンハルドは皮肉気味にそう呟いた。
シルクの名乗りに、当然の事ながら老師は応えなかった。
特に気に求めず、シルクはスッと息を整えると彼に向かっていく。
ここまでの戦いでシルクは気づいていた。
クルの使者は確かに演舞の踊り手ではあるが、そこに個人の意志がない分、行動が機械的なのだ。
人の意識という複雑で利害だけでは読むのが難しい過程が含まれない。
村の仲間と戦わなくてはならない事、彼らが村人を犠牲に作られた呪いによって操られている事に動揺しているうちは見えなかったが、一歩引いてみれば本来の彼らよりは劣っている。
とはいえ、それがわかった所で、実力と長年の戦歴の差は計り知れず、どうにもならないのだが。
振り下ろした刀は当然、あしらわれる。
もう一つの剣をしならせたが、短刀でガードされる。
そのまま突いてこられるのを見越して、ふわりと背後に回って蹴りを入れようとするが、片足を軸にくるりと向き直られ、逆に重い刀を受け流す羽目になる。
シルクは自分の演舞を舞う事に集中した。
余計な事を考えていても仕方がない。
苦しい修行の末に作り上げた自分の踊り。
それは生まれてから今までずっと繋がるシルクの生き様そのものだった。
今、ここにいる自分の全て。
カイナの村で過ごした日々。
苦しんだその後。
そして主と共に生きた中央王国での今。
その全てが今のシルクを作っていた。
囚われの身から逃げ出してその日暮しをする中でも、シルクは生きる為に踊る事を学んでいった。
客相手に踊る事を不浄と言う者もいるだろう。
だがその踊りさえもシルクは知らず知らずのうちに貪欲に吸収したのだ。
それは始祖も踊ったであろう舞いでもあった。
長年舞いを学ぶとしても不純として避けられてきたそれを、シルクは当初、生きる為にはやむ無しと身につけた。
しかしサークと出会い、致し方なく身につけた淫靡な舞いすら、お前の武器なのだと教えられた。
お前には人を魅了する力があるのだと、真っ直ぐに向き合い胸を張れと。
そして自分自身でも心のどこかで軽蔑していたそれに真剣に向き合った時、世界が開けた。
鳴り止まぬ喝采。
舞う者として認められた事に心が震えた。
そしてそれに打ち込む事で、小手先の技術だけではなく踊る楽しさを知った。
その芸を極めれば極めるほど楽しかった。
それが他の演舞の踊り手とシルクを大きく分けた。
演舞継承者は武を極めた者。
しかしその中で、舞いをも極めた者はいない。
シルクは武と舞の双方を極めたのだ。
それは偶然にも、踊り子として舞う事を極めた始祖が、復讐の為、そして虐げられた全ての人の為、武を極めた道を逆から辿る形になった。
砂漠に夜が訪れた。
静けさの糸が、暗闇の中にピンッと糸を張り始める。
焼け付く炎を失った乾いた大地は、真逆の方向へと急速に歩みを進めだす。
跳ねるシルクの足についた砂が、ベールの様に美しく舞う。
傀儡に落ちた老師は無言でそれを見ていた。
幾度となく血を吸った双剣を、月光に煌めかせて舞踊る美しい踊り子を。
動かずともその足は、砂の大地を強く踏みしめていた。
砂漠に吹く風のように、緩やかに、時に激しく漂う踊り手からの攻撃をいつでも受け止められる様に。
そして刹那。
砂漠に刃の打ち交わされる金音が響き出す。
短時間に幾度となく響くその音を、正確に数える事ができる者はほとんどいないだろう。
数で押して隙を狙うシルク。
覚悟を決めた若き豹の迷い無き刃に、古豪の足も少しだけズレる。
しかし自分の足場にゆらぎが出た事に、すぐ様反応すると蹴りを繰り出しながら砂を巻き上げた。
蹴りの回避と砂による煙幕で、シルクはわずかだが後方に動いた。
その隙を間髪入れず、砂のカーテンを突き破って、老師のフィランギが襲いかかった。
フィランギは切るより突く事に特化した剣で、使い方によっては装甲をも貫き相手を殺す。
重心を深くする事で力強い重い踊りをする老師に合った武器だった。
返しとばかりに続く重い猛攻を、シルクは冷静にしなやかに交わす。
そして飛ぶ羽をはためかす様に、双剣のシミターを舞わせた。
何とか五分五分。
否、それは違う。
シルクはグッと奥歯を噛んだ。
一見、何とか対等に渡り合っているように見えるが、完全に自分が不利な事を理解していた。
老師はシルクの攻撃に対応しながら待っているに過ぎない。
舞う者が疲労し隙ができるのを。
このままでは埒が明かない。
何とかもう一歩、踏み込まなければ。
そしてそこで状況を好転させる一撃を掴まなければならない。
どっしりと構えた大樹。
その幹に切り目を入れたって、そう簡単に倒れることはない。
邪魔な枝を払い除けたところで、木は倒れない。
狙うなら根だ。
どんな大木でも、その根が腐れば倒れる。
その木が大きければ大きいだけ、根がやられれば自らの重さに耐える事はできなくなる。
だがどうやって?
刃を止める方法はある。
自分に突き刺させればいい。
それはわかっている。
ただ、老師の攻撃は一撃一撃が重い。
しかも確実に急所を外す事はない。
どこを突かせても致命的になるのは間違いない。
チラリと師父を見た。
だいぶ瀕死ではあるが、自分が殺られたら戦う準備はしているだろう。
演舞継承者、しかもその中でもトップクラスに秀でた五人を相手に二人でここまでやったのだ。
共倒れでもお釣りが来るほどよくやったと言うものだ。
シルクは覚悟を決めた。
そもそも老師相手に無傷で勝とうなど虫が良すぎる。
僅かに残った意識で老師はシルクを傷つけまいと努力してくれているようだが、殺すとなったらやはりそれだけでは難しい。
相討ちになろうとも、老師に決定的な一撃を与えなくてはならない。
それで自分が動けなくなっても、師父がトドメぐらいはしっかり責任をとってくれるだろう。
シルクは飛んだ。
防御はなし。
必ずその根に致命的な一撃を加える。
向かい合った老師のフィランギが、真っ直ぐに胸に向けて放たれる。
よりによって心臓、もしくは肺狙いか……。
確かに殺すには確実で面倒が少ない。
シルクは薄く笑った。
体制を低くし双剣をクロスさせ突っ込んでいく。
その体制が胸や首を守る行動だと捉えた老師は、刃の向きをすぐさま変えた。
飛び込んでくるシルクをそのまま串刺しにしようと、瞬時に上に大きく構え直したのだ。
偶然とはいえ都合がいい。
シルクは皮肉気味に笑う。
大きく空いた下腿部に2つの刃を滑り込ませて切り裂いた。
飛び散る鮮血を浴びながら、シルクは自分に突き刺さるだろう衝撃を待った。
しかし、それは訪れない。
不思議に思いながらもその僅かな好機を逃さず身を引いた。
「!!!?」
そしてそこで見た光景に言葉を失う。
低い体制で飛び込んできたシルクを突き刺そうとしていたフィランギは、老師自らの手で無理やり向きを変えさせられ、老師本人に突き刺さっていた。
驚いて固まっているシルクに、一瞬だけ柔らかい表情を取り戻した老師が微笑んだ。
「……じいちゃん。」
思わず声が漏れる。
ああ、そうか……。
じいちゃんは待っていたんだ……。
一瞬しか表に出せない己の意志で、自分を殺せるその時を……。
おそらくその意志は一瞬な上、不定期にしか浮上できなかったのだ。
だが戦いの中では浮上しやすかったのだろう。
そして同じ演舞の踊り手と戦う事で刺激を受け、さらにはっきりその意志を示す事ができたのだと思う。
見つめた老師の後ろに月が見える。
砂漠の夜に煌々と輝く月が……。
『踊れ』
誰かの声がした。
浮かぶ月の中に老師が立っている。
呪いによって傀儡に変えられ何の感情も持たない顔の中、乾いた唇だけが僅かに動いている。
シルクは静止した時間の中、それを見つめた。
『何ものにも囚われず……自由に舞え……始祖の踊り手よ……』
音ではないその言葉。
でもはっきりとシルクにはその言葉が聞こえた。
その瞬時、シルクの中に衝撃が走った。
それまで自分が経験してきた事がフラッシュバックの様に一気に流れ、何も見えなくなる。
そして何もなくなったそこに一人の舞姫を見た。
美しく、艶やかで、力強く揺るぎない。
耐え難いほどの色香と、孤高の獣のような気高さがそこにはあった。
清らかな鈴の音のようなその舞姫は、薄く開いた目でシルクを見つめ、微笑んだ。
始祖様だ……。
シルクはそう思った。
清らかで美しく、されど残忍で、淫靡でもあった。
舞姫がシルクに手を差し伸べる。
シルクはその手に触れた。
誘われるまま踊りだす。
砂漠の夜に浮かぶ妖艶な光。
その輝きの中の陰影は、どこか大きな髑髏のように見えた。
不思議とその事に嫌悪感は感じない。
自分の血が月に呼ばれているような感覚。
海の波が寄せては引くように体が動く。
その足が砂の上を跳ねる。
指がしっとりと夜の空気をなぞる。
静まり返った砂漠。
丸く輝く月光に照らされた死体。
幻想的で残忍な美しい闇。
その中をシルクは舞う。
頭の中に、サークと出会ったばかりの頃に見た月が見える。
ギルと激しく愛を交わした背後に見た月が見える。
半日以上続く死闘に疲れきっている筈のシルクの体は、流れる水のように動く。
それは息をするように、鼓動が跳ねるように、ごく当たり前の自然な事のように。
頭の中、ともに踊っていた舞姫が、やがて自分と重なる。
思い描いていたその人の幻影が自分だと気づく。
シルクは踊った。
音のない砂漠で。
誰よりも優美に。
何よりも婀娜めかしく。
そして残忍に……。
そこに言葉にできる感情は一切なかった。
あるとすれば無。
薄く開かれた悩ましい視線が月を見る。
その下に立つ、クルの使者。
かつてのカイナの里の長であり、古きオルグ。
その中にある呪いとなった人々。
老師はシルクに大腿を切り裂かれ、自分自身にフィランギを突き刺しながらもまだ生きていた。
本人の意志は僅かな間しか表に現れられない。
だからクルの使者という傀儡が抵抗したのだろう。
「……ありがと、じいちゃん。大好きだよ……。」
時間も音も、重力さえ感じさせないようなその舞いを踊りながら、シルクは彼に近づいた。
そして容赦なくその刃を突き立てる。
美しく残忍な女神の刃が、静寂の葬儀者の喉笛を切り裂いた。
鮮血を花吹雪の様に散らしながら、安心したように微笑む老師。
それはゆっくりと静寂の中に倒れ込む。
砂漠は再び無音になった。
何の音もしなかった。
レオンハルドはその戦いを見届けた。
自分の師父であった老師が砂に倒れ込み、動かなくなるのを。
そして黙ってシルクを見つめていた。
シルクは踊っていた。
一人、砂漠の夜闇の中、踊っていた。
それは鎮魂の舞いだった。
クルの使者となった仲間への。
その魂を奪う呪いにされた村の民への。
全てを見届けたレオンハルドは、ふっと息を吐いた。
そして理解した。
全てはこの為にあったのだと。
呪いとなった者。
呪われた者。
そしてそれに殺された者。
その全てが最後に思い描いた希望。
求めた救い。
それが始祖だった。
カイナの民、全てが尊ぶただ一人の武の舞姫。
それに並ぶものは長い歴史の中、ずっと存在しなかった。
レオンハルドがシルクを見た時に直感したモノ。
演舞の真の継承者となれるのはこの子だろうと。
その直感は今、真実となった。
応急処置をした腹から血が滲んで砂に落ちる。
それを片手で押さえて笑った。
やっと終わった。
過去に囚われ、今を生きる事ができなかった。
だが今、その全てが終わった。
自分を含めた過去の亡霊達の時代は終わった。
そして今、目の前には新しき時代がある。
カクン……と音もなく、レオンハルドは膝をついた。
そしてそのまま、砂漠に倒れた。
次にレオンハルドが目を覚ました時、状況が瞬時には飲み込めなかった。
はっきりしない意識を、瞼とともに何度も瞬かせる。
「……もしかして、目が覚めた?!師父?!」
「………………。その様だな??」
途端に聞こえた不貞腐れた声。
シルクが幼い頃、よく背後から聞いたものだ。
だが、今回は状況が違う。
「何だよ?!文句あるのかよ?!」
そうブー垂れる声は前から聞こえる。
ヒョイッとばかりに背負い直され、その振動が傷に響いて僅かに呻く。
「確かに師父には勝ててないけど!ちゃんと老師には勝ったんだから、背負われて文句言わないでよね!!」
そう。
レオンハルドはシルクに背負われていた。
その事をどう捉えていいのか頭が混乱していた。
「…………勝ったも何も……。あれだけ手を抜いてもらえていたなら、俺とて老師に勝てる。」
「うっさい!うっさい!!運も依怙贔屓される可愛さも!!俺の実力なの!!手を抜かれてようが!!勝った事には変わりないじゃんか!!」
あれは幻だったのだろうか?
血を流しすぎたのか、レオンハルドはよくわからない。
あの、始祖の再来の様に見えた踊り手はどこに行ったのやら、シルクはレオンハルドのよく知るシルクのままだった。
「……そう言えば、お前……。」
「何だよ?!」
「通り名がまだなかったな?」
「あるよ??」
「は??」
「さっき、じいちゃんがつけてくれた。」
「……老師は何と?」
「゛始祖の踊り手゛だってさ。」
「…………そうか。」
「うん。」
シルクはレオンハルドを背負って砂漠を歩き続けた。
昔、背負うなら自分を越えてからだと言われていたので怒られるかと思ったが、流石に瀕死の重症だけあって、文句は言われなかった。
ただ自分の中で、師父を越えたのかどうかの答えが出ない。
未だに勝てた事はないし、師父の言う通り、老師との戦いは、老師が物凄くシルクを庇ってくれていた事は戦った自分自身がよくわかっていた。
「……シルク。」
「何だよ?!」
そんな焦りから、なんとなく突慳貪に答える。
しかし師父の口から出てきた言葉は意外なものだった。
「……お前に、オルグを譲る。」
「え……っ?!」
シルクはびっくりした。
びっくりしすぎて頭が真っ白になった。
オルグを譲る……。
その意味がゆっくり頭の中に浸透していく。
シルクはグッと奥歯を噛んだ。
「……オルグって馬鹿なの?!師父?!もう誰もいないのに、そんなものもらっても意味ないじゃん!!」
「お前にはな。」
そうおかしそうに言われた。
シルクはまたレオンハルドを背負い直し、真っ直ぐ前を睨んだ。
「……隠居すんのかよ、バカ師父。」
「バカとはなんだ?絞め殺されたいのか?愚弟子が?……たとえオルグを譲っても、俺は生涯、お前の師父である事には変わりはないんだぞ?」
「……そうかよ。」
「ああ、そうだ。」
レオンハルドは静かに笑って、弟子の背に身を任せた。
シルクはそれ以上何も言わず歩き続けた。
その頬を堪えきれない涙がボロボロと伝って落ちた。
嬉しかったからじゃない。
こんな気持ちになるなんて、シルク自身も予想外だった。
グッと奥歯を噛みしめる。
いずれ越えてやると悪態をつきながら追いかけてきた背中。
それが今、自分の背にある。
やがてレオンハルドは寝たのか気を失ったのかしてしまった。
起こしてやろうと背負い直すが目覚めなかった。
それがどうしようもない気持ちにさせた。
いくら堪えても、涙が後から後から溢れてくる。
「……何だよ、クソ。……なんで思ってたより軽いんだよ……バカ師父……っ。」
それがただ、シルクには悲しくて悲しくて仕方なかった。
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