《完結》 どうぞ、私のことはお気になさらず

ヴァンドール

文字の大きさ
1 / 22

1話

しおりを挟む
「あ、大丈夫ですよ、私のことはどうぞお気になさらずお続け下さい」

「そうだ気にすることはない、アリーシャのことは居ない者として扱ってくれ。どうせ元々、影が薄いのだからな」

「そう言われましても、やはり側に居られると気になりますわ」

「そうか、だったらアリーシャ、お前はこの夫婦の寝室から出て行ってくれ」

「承知しました。まあ、気には、なるのですね。今度の方は常識があって何よりです。では失礼いたします」

 と言って扉の外に出ると、侍女のカンナがちょうど通りかかった。

「奥様、どちらに行かれるのですか?」

「旦那様から夫婦の寝室から出て行けと言われましたので私はお散歩にでも行こうかと」

「もしかしてまた、中に女性が居るのですか? このお屋敷の奥様はアリーシャ様なのですよ」

カンナは憤慨した様子で拳を握りしめた。
 その姿に私はふっと笑みが溢れた。

「カンナ、怒ってくれてありがとう。でも私は大丈夫。さあ、一緒にお散歩にでも行きましょうか」

 と誘うと、彼女は深いため息をついた。

「まったく、奥様はいつもそうして笑っておられるのですから」

 と呆れたように言った。

しばらくして屋敷へ戻ると、旦那様が居間でくつろいでいた。
 私は旦那様に尋ねてみた。

「先程のご夫人は、もうお帰りになられたのですか?」

「ああ、先ほどな」

「そうですか……では旦那様、突然のお願いなのですが、離れの小屋を改装して、私の住まいにしてもよろしいでしょうか?」

「ん? 急だな。別に構わんが、無駄遣いはするなよ」

「はい。できるだけ節約いたしますが、まあ、必要経費というものですわ」

「必要経費? なぜそうなる」

「だって、ご婦人方がお見えになるたび、同じ寝室に私がいれば、旦那様に妙な趣味がおありだと誤解されかねませんもの」

「なるほど、ふむ。確かに、それは一理あるな」

 旦那様は軽く頷き、それから少し笑みを浮かべて言った。

「変な趣味、か。はは、なるほど。そう見えるのか」

 私は心の中で小さく呟いた。

(ええ、旦那様、世間ではそれを《悪趣味》と呼ぶのですよ)

 そして翌日、私は早速、離れの小屋の改装に取りかかった。

(湯浴みだけは本宅に行かないと無理ね。でも、それ以外は大抵のものが揃っているわ)

 独り言を漏らしながら掃除をしていると、カンナが黙々と手伝ってくれた。
 けれど建て付けとなると素人では手に負えないので、業者を呼ぶことにした。

「まあ、この程度なら必要経費の範囲内よね」

 と私が言うと、カンナが突然、真剣な顔で問いかけた。

「奥様‥‥本当に悔しくないのですか? 旦那様が毎回、別の女性を連れ込むなんて!」

 私は微笑みながら、静かに彼女を見つめた。

「カンナ、あなたには話しておいた方がいいわね」

 そう言って、私はこれまで語らなかった自分の過去を少しずつ話し始めた。

 実家の伯爵家では、継母の虐げに耐える日々だったこと。
 使用人同然に扱われ、その上、食事を抜かれることもしばしばだったこと。
 そして何より、湯浴みを禁じられ、寒い冬の日も冷たい水で身体を拭いていたこと。

 話し終えると、カンナの顔は怒りに染まっていた。

「そんなこと、出るところに出れば何とか、いいえ、私が代わりに言いふらしてやります!」

「もういいのよ、過ぎたことだから。それに、今はあなたがいてくれる。それだけで幸せなの」

「いいえ! こんなの、幸せだなんて言えません!」

 カンナは涙をこらえるように唇を噛みしめていた。
 私は苦笑して肩をすくめた。

「それにね、この結婚は最初から条件付きなの。旦那様のなさることには一切口を出さない。その代わり、支度金もいらない、むしろ援助金を頂いたの」

「援助金? それは奥様が直接受け取ったのですか?」

「ええと……まあ、正確には違うのだけど……」

 言葉を濁すと、カンナは眉をひそめた。

「つまり、援助金は誰か別の人が受け取り、旦那様は世間の目を欺くためだけに奥様と結婚なさった、そういうことですね!」

「……まあ、そうなるのだけれど、でも全ては承知の上での結婚なのよ」

 私は穏やかに微笑み、続けた。

「だって今は、好きなだけ本が読めるの。図書室がある屋敷にいられるなんて、夢のようじゃない?」

「奥様がそう仰るなら、私はそれを尊重いたします。でもそれでも、奥様はこのお屋敷の立派な女主人です。その自覚だけはお忘れなく」

 そう言って、カンナはようやく渋々ながらも納得してくれた。

「ありがとう、カンナ。私のことなのに、いつも本気で怒ってくれて。でもね、今は本当に幸せなのよ、あなたが側にいてくれるから」

「もう、奥様は、いつもそうやって話を逸らすのですから」

 カンナが微笑むと、私の胸の奥にも温かいものが灯った。

 けれど彼女は、すぐに真剣な眼差しを向けて言う。

「でも、悔しいんです。奥様、本当はお化粧をして着飾れば誰よりも美しいのに。その黒縁の大きな眼鏡、どうにかなりませんか?」

 私は思わず吹き出してしまった。

「駄目よ。もし旦那様にその気になられたら、それこそ大変だもの」

「たしかに。それもそうですね。では奥様の身を守るためと思って我慢いたします」

「ふふっ。ありがとう、カンナ」

 私は少し声を弾ませた。

「ねえ、これから街へ買い物に行きましょう。離れで使うものを色々揃えたいの」

「でしたら、最近評判のアムール商会がよろしいかと。お洒落で素敵な品が揃っております」

「まあ、楽しみね。では決まりね」

 そう言って、私たちは仲良く並んで屋敷を後にした。
 穏やかな午後の日差しの中、風が二人のスカートをやさしく揺らしていた。








しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

あなたにわたくしは相応しくないようです

らがまふぃん
恋愛
物語の中だけの話だと思っていました。 現実に起こることでしたのね。 ※本編六話+幕間一話と後日談一話の全八話、ゆるゆる話。何も考えずにお読みください。 HOTランキング入りをしまして、たくさんの方の目に触れる機会を得られました。たくさんのお気に入り登録など、本当にありがとうございました。 完結表示をしようとして、タグが入っていなかったことに気付きました。何となく今更な感じがありますが、タグ入れました。

【完結】遅いのですなにもかも

砂礫レキ
恋愛
昔森の奥でやさしい魔女は一人の王子さまを助けました。 王子さまは魔女に恋をして自分の城につれかえりました。 数年後、王子さまは隣国のお姫さまを好きになってしまいました。

偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて

奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】 ※ヒロインがアンハッピーエンドです。  痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。  爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。  執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。  だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。  ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。  広場を埋め尽くす、人。  ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。  この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。  そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。  わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。  国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。  今日は、二人の婚姻の日だったはず。  婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。  王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。 『ごめんなさい』  歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。  無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。

【完結】私の愛する人は、あなただけなのだから

よどら文鳥
恋愛
 私ヒマリ=ファールドとレン=ジェイムスは、小さい頃から仲が良かった。  五年前からは恋仲になり、その後両親をなんとか説得して婚約まで発展した。  私たちは相思相愛で理想のカップルと言えるほど良い関係だと思っていた。  だが、レンからいきなり婚約破棄して欲しいと言われてしまう。 「俺には最愛の女性がいる。その人の幸せを第一に考えている」  この言葉を聞いて涙を流しながらその場を去る。  あれほど酷いことを言われってしまったのに、私はそれでもレンのことばかり考えてしまっている。  婚約破棄された当日、ギャレット=メルトラ第二王子殿下から縁談の話が来ていることをお父様から聞く。  両親は恋人ごっこなど終わりにして王子と結婚しろと強く言われてしまう。  だが、それでも私の心の中には……。 ※冒頭はざまぁっぽいですが、ざまぁがメインではありません。 ※第一話投稿の段階で完結まで全て書き終えていますので、途中で更新が止まることはありませんのでご安心ください。

巻き戻ったから切れてみた

こもろう
恋愛
昔からの恋人を隠していた婚約者に断罪された私。気がついたら巻き戻っていたからブチ切れた! 軽~く読み飛ばし推奨です。

その程度の愛だったのですね

青葉めいこ
恋愛
愛している。貴方だけを。 愛する貴方がいない世界では生きていけない。 だから、貴方の跡を追うのは、わたくしにとって当然の成り行きなのだ。 前編はジュリア視点、後編はピーター視点になります。 小説家になろうにも投稿しています。

(完結)美貌の妹にねだられた聖女の私は妹の望みを叶えてあげました(全2話)

青空一夏
恋愛
妹はいつも思考が後ろ向きというか、私と比べて少しでも損をしていると感じると駄々をこねる。私は我が儘な妹が苦手で、なにかと譲ってしまう。妹の望みをできるだけ叶えてあげたのよ。そうしたら・・・・・・ 青空異世界(独自の設定です)お金の単位は1ダラ=1円。現代日本的表現や調味料、機器など出てくる場合あります。ざまぁ、復讐。前編後編の2話。

処理中です...