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3話
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ジョゼフは、報告があると言って執務室にやって来た。ちょうどわたくしも聞きたいことがあったので尋ねてみた。
「ジョゼフ。一つ、気になることがあるの。あの報告書には、男爵夫人がこの屋敷へルカを連れてきたときの様子は記されていなかったわ」
「はい、奥様。屋敷周辺の証言によりますと……」
ジョゼフは言葉を選びながら報告を続けた。
「男爵夫人は、彼女自身がルカ様の手を引いて正門まで参り、使用人にルカ様を託すと、一言も告げずに立ち去ったとのことです。意図的にここにルカ様を置き去りにしたようです」
わたくしの胸の奥で、ひりつく痛みが怒りへと変わるのを感じた。
「そう……やはり」
わたくしは唇をきつく結んだ。報告書には
『若君であった頃、旦那様は男爵夫人と恋に落ちていた』とある。しかし、この非情な行動は、自分が愛した人の子、自分の実の子供にする行動ではない。
ジョゼフは分厚い封筒の底から、もう一枚の薄い報告書を取り出した。
「先程届いた追加の報告書ですが、緊急の報告がございます」
「読んでちょうだい」
「『男爵家は、昨日をもって、もぬけの殻となっている』とのことです。使用人は解雇、家財道具に至るまで、全てが運び出され、売却の準備が進められていた形跡がある、と」
その報告は、わたくしの疑念を確信へと変えた。
「つまり……彼女は、最初からこの行動を計画していたのね」
男爵夫人は、旦那様が戦地へ向かう王命が下ったことを知っていたに違いない。そして、旦那様が不在となるこのタイミングを見計らって、ルカという爆弾をこの侯爵家に投じ、自らは旦那様の元へ向かうに違いないわ。
「理由は一つよ、ジョゼフ」
わたくしは静かに結論を述べた。
「侯爵家の当主である旦那様が、新たな妻であるわたくしを迎えると知った。そして、身分も格式も整った結婚を、侯爵様として断ることができないと悟った」
だから、彼女は最も効果的なこの手段を選んだに違いないわ。
「旦那様の子の存在を、侯爵家の新妻であるわたくしに知らしめ、その家庭を内側から崩壊させるのが彼女の目的なのでしょう」
わたくしは、庭で無邪気に笑うルカに目を向けた。この子は、母親の復讐、そしてこの家を乗っ取る道具として使われたに過ぎない。
(わたくしの立場を奪うため……そんなこと絶対許さないわ)
わたくしは、侯爵夫人としての威厳を胸に、静かに命じた。
「ジョゼフ。ルカには、侯爵家の血を引く者としての適切な教育を施す手配を。そして、男爵夫人の行方を徹底的に調査させて。彼女の行動の最終目的を調べ上げるのよ」
「かしこまりました、奥様。直ちに手配を」
ジョゼフは深く一礼すると、音もなく部屋を辞した。
ルカの存在を公にすることは、侯爵家の名誉とわたくしの立場に大きな波紋を広げるだろう。しかし、侯爵家の当主たる旦那様の子を放置することは、妻であるわたくしの最大の失態となる。
わたくしは、ルカを侯爵家の血筋として認め、公明正大に育て上げることで、母親の企てを無力化する道を選んだ。
(母親は、わたくしがこの子を嫌悪し、追い出すと考えたのでしょう。そうすれば、旦那様の心はわたくしから離れ、侯爵家は混乱する。だが、そうはさせないわ)
ルカは旦那様の罪の結果かもしれない。だが、この子は無垢な命であり、侯爵家の未来の一部となる可能性を持っている。
わたくしは立ち上がり、書斎の窓から庭を見下ろした。
ルカは小さな身体で、まだ数日前に会ったばかりの庭師に叱られながらも、目を輝かせて草むしりの手伝いをしていた。その無邪気な笑顔には、確かに旦那様の面影があった。
その日の午後、わたくしはすぐに侍女長と、控えの間にいた家庭教師を呼び、ルカの教育方針を定めた。
• まず、ルカに個室を与えること。
• ルカの従者として、信頼のおける人間をつけること。
• 侯爵家の歴史、礼儀作法、読み書きを、遊びの要素を取り入れながら教え始めること。
ルカは新しい環境に戸惑うどころか、好奇心の塊だった。新しい部屋を与えられれば大喜びし、従者に読み聞かせをしてもらえば瞳を輝かせ、礼儀作法の練習ではすぐに飽きるものの、褒められれば誰よりも嬉しそうな顔をした。
一方、屋敷の中では、ささやかな噂が広がり始めていた。奥様が面倒をみている見知らぬ少年の存在。そして、その少年が『パパ』と呼んだ廊下の肖像画の主。
わたくしは、噂を沈静化させることはしなかった。むしろ、ルカが旦那様の隠し子であることを、使用人たちの間で既成事実として受け入れさせる必要があった。
公に認め、受け入れること。それこそが、ルカの母親が狙った混乱を防ぐ、最も強力な防壁となるのだ。
その日の夜、ジョゼフが静かにわたくしの私室を訪れた。
「奥様。男爵夫人の行方について、新たな情報が入りました」
わたくしは、彼をソファに座るよう促した。
「早い報告ね。流石だわ」
「恐れ入ります。男爵夫人は、家を売り払って得た資金で、東の国境に近い中規模都市へ向かったようです」
「東の国境……?」
わたくしの眉がわずかに動いた。
東の国境、それは、旦那様が出征された戦地に、最も近い大都市だ。
「やはり……彼女は、旦那様を追っているの?」
「可能性は極めて高いかと。そして、彼女が家を処分した際、複数の使用人に対して『新しい夫と、新しい人生を始める』と触れ回っていたことが確認されました」
わたくしの胸が、冷たい氷で締め付けられるように凍てついた。
(新しい夫?……彼女はまだ、旦那様との復縁を諦めていないのね。それどころか……)
彼女の最終目的は、わたくしを侯爵夫人の座から引きずり下ろし、自身が侯爵夫人となること。そして、戦地で疲弊し、心細くなっている旦那様に、ルカという愛の証を盾に接近しようとしているのだ。
「ジョゼフ」
わたくしの声は、冷たく、そして明確だった。
「調査の手を緩めてはなりません。特に、旦那様と男爵夫人について徹底して調べてちょうだい」
「御意に。奥様の命を最優先いたします」
ジョゼフは静かに立ち上がり、扉を閉めた。
侯爵家の妻として、この戦いは避けられない。
戦地で国を守る旦那様の心を、屋敷と侯爵家の名誉を、わたくしが守り抜く。
(ルカの母親。あなたが何を企もうと……この侯爵夫人であるわたくしの領域は、そう簡単に崩せないことを教えてあげるわ)
「ジョゼフ。一つ、気になることがあるの。あの報告書には、男爵夫人がこの屋敷へルカを連れてきたときの様子は記されていなかったわ」
「はい、奥様。屋敷周辺の証言によりますと……」
ジョゼフは言葉を選びながら報告を続けた。
「男爵夫人は、彼女自身がルカ様の手を引いて正門まで参り、使用人にルカ様を託すと、一言も告げずに立ち去ったとのことです。意図的にここにルカ様を置き去りにしたようです」
わたくしの胸の奥で、ひりつく痛みが怒りへと変わるのを感じた。
「そう……やはり」
わたくしは唇をきつく結んだ。報告書には
『若君であった頃、旦那様は男爵夫人と恋に落ちていた』とある。しかし、この非情な行動は、自分が愛した人の子、自分の実の子供にする行動ではない。
ジョゼフは分厚い封筒の底から、もう一枚の薄い報告書を取り出した。
「先程届いた追加の報告書ですが、緊急の報告がございます」
「読んでちょうだい」
「『男爵家は、昨日をもって、もぬけの殻となっている』とのことです。使用人は解雇、家財道具に至るまで、全てが運び出され、売却の準備が進められていた形跡がある、と」
その報告は、わたくしの疑念を確信へと変えた。
「つまり……彼女は、最初からこの行動を計画していたのね」
男爵夫人は、旦那様が戦地へ向かう王命が下ったことを知っていたに違いない。そして、旦那様が不在となるこのタイミングを見計らって、ルカという爆弾をこの侯爵家に投じ、自らは旦那様の元へ向かうに違いないわ。
「理由は一つよ、ジョゼフ」
わたくしは静かに結論を述べた。
「侯爵家の当主である旦那様が、新たな妻であるわたくしを迎えると知った。そして、身分も格式も整った結婚を、侯爵様として断ることができないと悟った」
だから、彼女は最も効果的なこの手段を選んだに違いないわ。
「旦那様の子の存在を、侯爵家の新妻であるわたくしに知らしめ、その家庭を内側から崩壊させるのが彼女の目的なのでしょう」
わたくしは、庭で無邪気に笑うルカに目を向けた。この子は、母親の復讐、そしてこの家を乗っ取る道具として使われたに過ぎない。
(わたくしの立場を奪うため……そんなこと絶対許さないわ)
わたくしは、侯爵夫人としての威厳を胸に、静かに命じた。
「ジョゼフ。ルカには、侯爵家の血を引く者としての適切な教育を施す手配を。そして、男爵夫人の行方を徹底的に調査させて。彼女の行動の最終目的を調べ上げるのよ」
「かしこまりました、奥様。直ちに手配を」
ジョゼフは深く一礼すると、音もなく部屋を辞した。
ルカの存在を公にすることは、侯爵家の名誉とわたくしの立場に大きな波紋を広げるだろう。しかし、侯爵家の当主たる旦那様の子を放置することは、妻であるわたくしの最大の失態となる。
わたくしは、ルカを侯爵家の血筋として認め、公明正大に育て上げることで、母親の企てを無力化する道を選んだ。
(母親は、わたくしがこの子を嫌悪し、追い出すと考えたのでしょう。そうすれば、旦那様の心はわたくしから離れ、侯爵家は混乱する。だが、そうはさせないわ)
ルカは旦那様の罪の結果かもしれない。だが、この子は無垢な命であり、侯爵家の未来の一部となる可能性を持っている。
わたくしは立ち上がり、書斎の窓から庭を見下ろした。
ルカは小さな身体で、まだ数日前に会ったばかりの庭師に叱られながらも、目を輝かせて草むしりの手伝いをしていた。その無邪気な笑顔には、確かに旦那様の面影があった。
その日の午後、わたくしはすぐに侍女長と、控えの間にいた家庭教師を呼び、ルカの教育方針を定めた。
• まず、ルカに個室を与えること。
• ルカの従者として、信頼のおける人間をつけること。
• 侯爵家の歴史、礼儀作法、読み書きを、遊びの要素を取り入れながら教え始めること。
ルカは新しい環境に戸惑うどころか、好奇心の塊だった。新しい部屋を与えられれば大喜びし、従者に読み聞かせをしてもらえば瞳を輝かせ、礼儀作法の練習ではすぐに飽きるものの、褒められれば誰よりも嬉しそうな顔をした。
一方、屋敷の中では、ささやかな噂が広がり始めていた。奥様が面倒をみている見知らぬ少年の存在。そして、その少年が『パパ』と呼んだ廊下の肖像画の主。
わたくしは、噂を沈静化させることはしなかった。むしろ、ルカが旦那様の隠し子であることを、使用人たちの間で既成事実として受け入れさせる必要があった。
公に認め、受け入れること。それこそが、ルカの母親が狙った混乱を防ぐ、最も強力な防壁となるのだ。
その日の夜、ジョゼフが静かにわたくしの私室を訪れた。
「奥様。男爵夫人の行方について、新たな情報が入りました」
わたくしは、彼をソファに座るよう促した。
「早い報告ね。流石だわ」
「恐れ入ります。男爵夫人は、家を売り払って得た資金で、東の国境に近い中規模都市へ向かったようです」
「東の国境……?」
わたくしの眉がわずかに動いた。
東の国境、それは、旦那様が出征された戦地に、最も近い大都市だ。
「やはり……彼女は、旦那様を追っているの?」
「可能性は極めて高いかと。そして、彼女が家を処分した際、複数の使用人に対して『新しい夫と、新しい人生を始める』と触れ回っていたことが確認されました」
わたくしの胸が、冷たい氷で締め付けられるように凍てついた。
(新しい夫?……彼女はまだ、旦那様との復縁を諦めていないのね。それどころか……)
彼女の最終目的は、わたくしを侯爵夫人の座から引きずり下ろし、自身が侯爵夫人となること。そして、戦地で疲弊し、心細くなっている旦那様に、ルカという愛の証を盾に接近しようとしているのだ。
「ジョゼフ」
わたくしの声は、冷たく、そして明確だった。
「調査の手を緩めてはなりません。特に、旦那様と男爵夫人について徹底して調べてちょうだい」
「御意に。奥様の命を最優先いたします」
ジョゼフは静かに立ち上がり、扉を閉めた。
侯爵家の妻として、この戦いは避けられない。
戦地で国を守る旦那様の心を、屋敷と侯爵家の名誉を、わたくしが守り抜く。
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