あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第1章-3

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「へえ、マクドナルドがあるんだな」
 ガラス張りの店内も大混雑だが、外にも人だかりができている。
 スーツやワンピースでばっちり気合の入った中国人たちが行列を作って、ベンチに座った作りもののドナルド人形と肩を組むようにポーズをとって何枚も写真を撮っているのだ。
「あれが店の名前?」
「はい。麦当労マイタンラオって読みます。マクドナルドの音からの当て字です。庶民にはけっこう高いですけどね」
 店内ではまるで高級レストランでディナーでも食べているような光景が広がっている。
「資本主義の象徴って感じの店なのに流行ってるんだ」
「まだ洋食がめずらしいんです。去年できたばっかりだからいつもこんな感じですっごく混んでますよ」
「へえ、去年? 最近なんだな」

「はい。味はまあ、日本とは違う気もするけど、普通かな。上海にはケンタッキーもあるらしいけど北京にはまだなくて」
「やっぱり上海のほうが進んでる?」
「たぶん都会度から言えば上海のほうが断然上ですよ。北京は古都って感じで、商業都市っていうより政治の街なんじゃないかな」
「なるほどね。やっぱり沿岸部のほうが発展してるんだろうな」

「ファーストフードってあんまりないの?」
「日本のファーストフードなら吉野家がありますよ。個人的には牛肉があまりおいしくないので、牛丼はおすすめしません。鳥丼はまあまあです」
「吉野家に鳥丼?」
 スーツ姿の三人は怪訝な顔をする。
「日本にはないんですか?」
 日本では吉野家に行ったことがない孝弘がそう訊けば、メーカーの二人は「ないよ」と首を横に振って面白いねと笑っていた。

 なんだかんだで2時間近く歩き回って疲れただろうと「座って休憩しますか?」と祐樹に訊いてみるとうなずいたので、マクドナルドの向かいの北京飯店のカフェに入った。
「喫茶店とかカフェみたいな、ちょっと座って休憩する店っていうのがホテル以外にあんまりないんですよ」
「そうなんだ。コーヒー飲んで話するっていうことはないのか?」
「コーヒーがそんなに一般的な飲み物じゃないです。インスタントは売ってますけど、庶民はお湯か花茶ホァチャをよく飲みますね。あ、ジャスミン茶のことです」
「え、お湯を飲むの?」
「はい。白湯をよく飲みます。家に遊びに行っても白湯が多いです」
「ふーん。そうなんだ」

 三人はメニューに目を落とした。
 たとえ五つ星ホテルといえども、まともなコーヒーにありつける可能性はほとんどない。
「コーラが安心ですけど、せっかくだから中国コーヒーを試してみるのもいいかもしれません」
 孝弘の注意に三人は顔を見合わせたあと、漢字表記のメニューの中から橙汁、珈琲、可楽を選んだ。オレンジジュース、コーヒー、コーラだ。

「うわ、あっま」
 ホットコーヒーを一口飲んでの祐樹の感想に、孝弘はにやりと笑う。
「たいていの店でコーヒーや紅茶は砂糖入りです。ペットボトルや缶のドリンクも砂糖が入ってることが多いので、買うときは无糖ウータン(無糖)って書いてあるかチェックしてください」
「基本、砂糖入りなの? お茶も?」 
「大体は。砂糖入りは加糖ジャータンです。烏龍茶や緑茶もです。ちなみにホテルのカフェなのでこの店はFECが使えますよ」
「なるほどね。外国人用の場所では問題ないわけか」
「はい。友諠商店や免税店でも使えます」

 それからメーカーの二人は初めての北京だということで、祐樹とあれこれ情報交換を始めた。
「事前レクチャーは受けたけど、サービス精神のなさにはほんとびっくりするな」
「社会主義のせいだろ。それよか首都なんだし、もっと都会だと思ってたけどまだこんな感じなんだな」
「ところで工場からサンプル上がってきたけど、B品多すぎだろ、技術指導するだけでも相当時間かかるんじゃないの」
「合弁まで立ち上げても資金回収まで何年かかる? いやそれよりも流通が問題になるんじゃない。あんまり内陸だとどうなんだろ」
「人件費の安さは魅力的だけどさ、工場の立地がカギなんじゃない。開発特区見せてもらったけど、空き地ばっかで誘致もそんなにうまくいってなさそうだったし、やっぱ上海とか大連のほうがいいかもな」
 会社員ってこんなふうに現地視察をして合弁企業を立ち上げていくのかと、孝弘は会話を聞き流しながら新鮮な思いでいた。

 1989年の天安門事件から4年がたち、中国経済は外に向けての改革開放政策が推し進められ、日本企業の進出もめざましい。
 世界的な中国語の需要が高まるのを見越しての北京留学だったわけだが、この1年間授業を受けていても孝弘にその実感はなかったのだ。
 でも実際にこうやって海外進出を図る企業があり、偶然にもその一端に自分が触れたのだとふしぎな気分でスーツ姿の三人をながめた。
 いつかこんなふうに仕事をするのだろうか。

「高橋さん、こんなんでほんとにいいの?」
「こんなんって?」
 メーカーの二人がトイレに立った隙に、孝弘は祐樹に確認した。
 ほこりだらけの商品とか店員の雑な対応とかトイレとかお金の話とかで、本当に役に立っているのだろうか。
 事前打ち合わせで、祐樹からは普通の観光では見られない北京を見せてとリクエストされたのだが、客の二人はこれでいいのか心配になったのだ。

「いや、もっと北京観光っていうか、すぐ目の前が天安門広場だし故宮博物館とか毛沢東記念館とか色々あるけど」
 今いるホテルから、歩けば5分とかからずに着く。北京観光のメッカと言ってもいい場所にいるのだ。
 そっちのほうがよっぽど喜ばれるのでは?
「いいんだ。市内観光に来てるわけじゃないから」
 でも祐樹はあっさり言って、今までのところ上野くんのガイドは完ぺきだよ、と人の悪い笑みを浮かべる。
 そんな表情をすると王子さまが悪だくみをしているようだ。

「観光客向けじゃない北京を知りたいんだ。ごく普通の中国人の感覚をね。日本人にはよく知られていない一般人の生活というか、価値観というか」
「今日のガイドでわかりました?」
「うん。色々びっくりした。少なくとも常識というか、感覚がまったく違うんだってことは理解できたよ。それを踏まえて色々検討することになるだろうね。責任者に日本人が派遣されても、現地で働くのは中国人だから彼らの感覚をわかっていないと仕事にならない」
 なるほど、それでごく普通の中国を知りたいと言うリクエストだったのだ。
「あの二人もきっとそう思ったと思うよ。だからあそこで留学生の上野くんに出会えたのは、本当にラッキーだったな」
 今度は天使の笑みを浮かべるから、孝弘は困惑した。
 表情一つで、こんなに印象が変わるって詐欺だろ。


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