あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第1章-4

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 その後、若い子たちが買うような服飾関係の店を見てみたいと客の二人がいうので、地下鉄に乗って西単(シーダン)へ移動した。
 窓口に並んで切符を買うのは当然のように孝弘がする。
 列に並ぶときは隙間があるとすぐに割り込まれるので、前の人にぴったり肩をくっつけて並ぶのだ。見知らぬ他人に接触されるなんて、日本人なら驚くか嫌悪感をもつ距離感だ。
 ペラペラの紙の切符は買った直後に改札に立っている駅員に回収されて、ぞろぞろと階段を下りる。
「けっこう普通だね」
 ホームの様子は日本の地下鉄とさほど変わらない。
「まだできたばかりですよ。というか、まだまだ延長工事中というか、延々と作ってるところです」 」 

「へえ。案外、きれいなんだ」
 乗ってみれば車両の中は心配したほどでもなかったのか、三人はきょろきょろと車内を見ている。ステンレスの車両はぴかぴかで、地上を走るバスやトロリーバスよりよほど清潔だ。
「市内の移動には環状線はけっこう便利ですよ。渋滞しないし、タクシーとちがって道を指示しなくていいし。一律2元で安いですし」
 駐在員が安さを求めるとは思えなかったが、道について心配しないでいいのは気が楽だろう。
 あの列に並んで切符さえ買えれば言葉も必要ない。

「タクシーなのに道を教えないといけないのか?」
 ふしぎそうな顔をする客に向かって、孝弘が説明する。
「特に言わなくても大体着きますけど、外国人とか道を知らなさそうな相手だとすぐに遠回りするんで、どの道で行くか指示したほうがいいんです」
「うわ、そういうこと?」
「はい。一度間違ったふりでどこかに行って、それからまた目的地に行くとかもよくあります」
「はー、なんか気が抜けない国だな」
 客がげっそりした顔で言う。
「地下鉄環状線って、二環路の真下なんだね」
 路線図を見ていた祐樹に「そう、だから便利だよ」と孝弘はうなずいた。

 西単に到着して地上に出れば、狭い路地に迷路のように露店がひしめき合っていた。呼び込みの声がひっきりなしにかかり、ずらりと並ぶ露店の竹竿や吊り紐に所狭しとたなびく商品陳列方法に感心するやら驚くやら、三人はきょろきょろと周囲を見回している。 
「スリに気をつけてくださいね。カバンは前に持って、人前で財布ださないように。お金は俺が出しますから」
 孝弘のアドバイスに三人は素直にうなずいた。
「わかった。お任せするよ」
 日本人より地声が大きいので、売り子と買い物客の交渉する声で露店周辺はたいへんな喧噪だった。パッと見、怒鳴りあっているようにも見えるが、これが普通のやり取りだ。

「中国語ってケンカしてるみたいに聞こえるよな」
「わかります。声が大きくて勢いがいいからそう聞こえるだけで、ケンカじゃないですよ」
「あれって、なんて言ってるの?」
「このシャツが15元ってちょっと高すぎる、負けてよ。ものがいいんだよ、お買い得だけど3枚買うなら負けとくよ。じゃあ3枚でいくら? あんたの言い値はいくらだい? 3枚40元なら買ってもいいよ、って感じです」
「どこでも値段交渉ってするんだっけ?」
「こういう露店では絶対します。野菜や肉の市場もそうですね。500グラムいくらって訊き方をして、欲しいだけ量りではかって買います。あとは家電とか家具も交渉次第だし、うーん、交渉しないほうが少ないかも」
 首をかしげながらあらためて考えてみれば、黙って買い物をすることがほとんどない気がした。


 西単に到着して地上に出れば、狭い路地に迷路のように露店がひしめき合っていた。呼び込みの声がひっきりなしにかかり、ずらりと並ぶ露店の竹竿や吊り紐に所狭しとたなびく商品陳列方法に感心するやら驚くやら、三人はきょろきょろと周囲を見回している。 
「スリに気をつけてくださいね。カバンは前に持って、人前で財布ださないように。お金は俺が出しますから」
 孝弘のアドバイスに三人は素直にうなずいた。
「わかった。お任せするよ」
 日本人より地声が大きいので、売り子と買い物客の交渉する声で露店周辺はたいへんな喧噪だった。パッと見、怒鳴りあっているようにも見えるが、これが普通のやり取りだ。

「中国語ってケンカしてるみたいに聞こえるよな」
「わかります。声が大きくて勢いがいいからそう聞こえるだけで、ケンカじゃないですよ」
「あれって、なんて言ってるの?」
「このシャツが15元ってちょっと高すぎる、負けてよ。ものがいいんだよ、お買い得だけど3枚買うなら負けとくよ。じゃあ3枚でいくら? あんたの言い値はいくらだい? 3枚40元なら買ってもいいよ、って感じです」
「どこでも値段交渉ってするんだっけ?」
「こういう露店では絶対します。野菜や肉の市場もそうですね。500グラムいくらって訊き方をして、欲しいだけ量りではかって買います。あとは家電とか家具も交渉次第だし、うーん、交渉しないほうが少ないかも」
 首をかしげながらあらためて考えてみれば、黙って買い物をすることがほとんどない気がした。

「食品スーパーでは定価がついてるからないかな、店頭とか屋台で売ってる食べ物も交渉なしですね。そもそも安いんで。でもそれも量と交渉次第なのかもしれないです」
 周囲のやかましさに圧倒されて、三人はおとなしく孝弘について、あちこちの商店や露店を見て回った。来たついでに夏服が欲しかった孝弘はTシャツとジーンズを買うことにする。
「試着できるんだね」
 露店に試着室などはもちろんなく、店主が適当に広げた布で隠すだけの試着場所をささっと作ってくれる。
「絶対したほうがいいです。あとから返品交換ってできないんで」
 8元のTシャツに20元のジーンズ。特に安すぎるということもない。交渉してTシャツ3枚20元にしてもらい、ジーンズは寮内で気軽にはけるハーフ丈を2本選んだ。

「Tシャツはあんまり安いと色落ち激しいから要注意ですけどね。質が悪いから最初からひと夏で捨てるつもりで、安いのを何枚か買うんです。貧乏学生はだいたいこんなもんです」
 話しながら孝弘はTシャツとジーンズを広げ、どこかに穴は開いていないか、ボタンが取れていないか裾やファスナーがほつれていないかを手早くチェックする。
 その様子を三人が感心したように見ていた。
 ポケットがほつれていたので指摘すると店主はぞんざいな手つきでそれを売り場に投げて戻し、新しいものを孝弘に寄越した。それをもう一度確認してOKを出す。
 チェックを終えて金を払った孝弘に、店主がうすっぺらいビニール袋に買ったものを入れて投げてよこした。
「再来あ!(また来てよ)」
 怒っているわけでもなく、ごく普通のやりとりだが、日本人からしたらかなり乱暴に見えるだろう。

「こういう露店じゃない外資系のショッピングセンターに行けば、もっとちゃんとした服もありますよ。値段も桁違いですけど。そっちも見ますか?」
「いや、いいんだ。街中のごく普通のレベルが見たいんだ。中国人がどんなものを使っているのか知りたいから」
「お金払うから、ぼくらの頼む服を買ってもらえる?」
 メーカーの二人は参考資料に日本に買って帰りたいというので了解するが、孝弘の財布にはそんなに大金は入れていない。
「あの、手持ちの人民元がそんなにないんですけど」
 孝弘がいいよどむ。

 祐樹が思案気に首を傾げた。
「こういう場所ではFECは使えないんだっけ。どうしたらいいかな。銀行?」
「日本円か米ドル、持ってます?」
「あるよ。使えるのかい?」
 二人が持っていたのは一万円札だったので、直接店で使うには高額すぎた。相当大量に買い付けしない限りそんな金額の買い物にはならない。
 仕方ないなと孝弘はちらりと露店に目をやる。とすぐにその目線に気づいた店の男が親指と人差し指をすり合わせて、合図を送ってきた。

「ちょっとチェンマネしてきます」
 三人を待たせて、孝弘は男の元へ行き、今日のレートを訊ねた。
 孝弘の言葉を聞いて留学生だと判断したのだろう、男はごまかすことなく適正レートを示し、人民元を渡した。偽札が混ざっていないか、破れた札はないか、金額はあっているかをしっかり確認してから三人のもとへ戻る。

「いまの……、闇チェンジってこと?」
「まあそうですね。留学生は大体みんなやってますけど、駐在員はどうなのかな。あまりお勧めはしません。偽札が本当に多いらしいので」
「もらったことある?」
「今まではないです。新札は断るし、古い札だけもらいます」
「なるほどね」
「とりあえず、これできょうの買い物は大丈夫だと思うんで。どれがいりますか?」
 その後は四人であちこちの店をまわって、服やら靴やらカバンやら、頼まれるままに孝弘は買い物することになった。

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