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第11章-1 立ち聞き
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きょうは昼食のとき、前任者がおいていった雑誌や小説がたくさんあるからよかったら持って行ってと祐樹が声をかけてくれた。
5時の定時には祐樹の仕事はまだ終わりそうになかったので、先に事務所を出た孝弘はスーパーで買い物をしてからマンションに来た。もう帰っているだろう。
待ち合わせはマンションのロビーだったが、予定より早く着いた孝弘は部屋まで上がっていった。祐樹の部屋にはすでに何度も来ていて、もう慣れていた。
部屋の前まで来て、チャイムを押そうとするとドアが細く開いていた。
見ると玄関のドアのしたにキーホルダーが挟まっている。祐樹の鍵だった。不用心だなと思いながら、それを拾い上げた。
ドアを開いて声をかけようとしたところで、祐樹の声が聞こえて、孝弘はかけようとした声を引っ込めた。
誰か客が来ているのか。
「よかったじゃないですか。希望通りになったんでしょう」
聞こえた声に孝弘は思わず目を瞬いた。
めずらしくいらだったような感じの話し方だった。
いつも落ち着いて穏やかな祐樹が感情を見せる相手ということだろうか。
「何いってんですか、こんな時期に。そんなのつき合いませんよ、もうすぐ辞令が出るはずでしょう」
どこか皮肉な響きの声に驚いた。祐樹がこんな言い方をするのを聞いたのは初めてだ。
「わかってますか? そんなことを言ったらどうなるのか。彼女と別れる気はないんですよね? 余計な心配をかけることはしないほうがいいですよ」
孝弘にはしたことがない、丁寧語なのにすこし投げやりな感じの、でもそれが許される親密さがにじみ出るような声で。
初めて聞いたその声に、孝弘は思わず息を殺す。
相手の声は聞こえない。どうやら電話で話しているようだ。
立ち聞きなんてよくないとわかっていたが、そこから動くことができなかった。祐樹の声がふだんとまったく違っていたから。
いつものやさしい声ではなく、感情のこもった声。
どんな人を相手にこんな話し方をするんだろう。
「彼女と結婚して帯同して行くべきですよ。ヨーロッパならなおのことでしょ。彼女だってそのつもりでいるのに、この時期に別れるなんてありえない」
会社の同僚だろうか。
通話相手に海外転勤の話が出て、結婚するか迷っているという相談なのかもしれない。海外赴任をきっかけに結婚話を確認されると祐樹が言っていたことを思い出す。
「ええ、体の相性は悪くなかったです。おれが全部、初めてだったって知ってるくせに。でもこれ以上のつき合いを続けるつもりはないですよ」
体の相性? おれが全部初めてだった?
「バカなことを。おれは既婚者とはつき合わない主義なんです、知ってるでしょ。奥さんのいる人と不倫なんてする気はないですよ」
おかしなフレーズに、孝弘は眉をひそめた。
どういう会話だ。通話の相手は男だと思っていたが、何かがかみ合わない。相手は祐樹と彼女を取り合った仲とか、そういう話? いやでも体の相性がどうとか言うんだから、通話相手は元カノなのか?
「今はだれもいませんし、探そうとも思ってません。でもあなたとは、もう寝ません。あなたは女性と結婚できるんだから、そうしたほうがいいに決まってる。こんないいチャンスを棒に振るつもりですか」
いらだちを隠さない祐樹の声が、孝弘の耳を通り抜けていく。
あなたとはもう寝ません?
通話相手と?
なんとも不可解な会話だった。
そこからしばらくは混乱しすぎて、祐樹の声もまともに耳に入ってこなかった。電話のやり取りは続いていたが、頭が理解を拒否していた。
あなたは女性と結婚できる? じゃあ高橋さんはできないってことなのか。
……つまり女性に興味がないってこと?
急激に心臓がバクバク音を立てはじめる。
やっぱり通話の相手は男なのか? その男と祐樹は関係があった?
いやいや、これは本当にそんな話なのか。もしかしたら、なにか誤解しているのかもしれない。だって相手の声は聞こえないのだ。
「相変わらずですね、そういう押しの強いところ。でも会いませんよ、いまさら会ってもしょうがないし」
玄関を上がった壁からそっと覗くと、祐樹は孝弘が想像したこともない表情をしていた。切ないような苦しそうな、なにかを振り切るような冷たい横顔。
通話の相手はそんな顔をさせることができるのだと思うと、かっと体温が上がった。なぜか腹の底が焦げるように熱くなる。
祐樹がふうと短いため息をついて、相手に言い聞かせるように告げる。
「まあともかく、ご栄転なんですから、おめでとうございます。バカなことは考えないでくださいね。何でもできる人だから何の心配もしてませんけど、今後のご活躍をお祈りしますよ」
音を立てないようドアを閉めて、そっと廊下まで引き返す。頭が熱くなっていて、心臓が耳元で鳴っているみたいだ。
何だったんだ、今の会話は。
混乱した頭を落ち着かせないと、祐樹の顔を見られそうもない。廊下の壁にもたれかかって、孝弘は深呼吸して思考を整理しようとする。
5時の定時には祐樹の仕事はまだ終わりそうになかったので、先に事務所を出た孝弘はスーパーで買い物をしてからマンションに来た。もう帰っているだろう。
待ち合わせはマンションのロビーだったが、予定より早く着いた孝弘は部屋まで上がっていった。祐樹の部屋にはすでに何度も来ていて、もう慣れていた。
部屋の前まで来て、チャイムを押そうとするとドアが細く開いていた。
見ると玄関のドアのしたにキーホルダーが挟まっている。祐樹の鍵だった。不用心だなと思いながら、それを拾い上げた。
ドアを開いて声をかけようとしたところで、祐樹の声が聞こえて、孝弘はかけようとした声を引っ込めた。
誰か客が来ているのか。
「よかったじゃないですか。希望通りになったんでしょう」
聞こえた声に孝弘は思わず目を瞬いた。
めずらしくいらだったような感じの話し方だった。
いつも落ち着いて穏やかな祐樹が感情を見せる相手ということだろうか。
「何いってんですか、こんな時期に。そんなのつき合いませんよ、もうすぐ辞令が出るはずでしょう」
どこか皮肉な響きの声に驚いた。祐樹がこんな言い方をするのを聞いたのは初めてだ。
「わかってますか? そんなことを言ったらどうなるのか。彼女と別れる気はないんですよね? 余計な心配をかけることはしないほうがいいですよ」
孝弘にはしたことがない、丁寧語なのにすこし投げやりな感じの、でもそれが許される親密さがにじみ出るような声で。
初めて聞いたその声に、孝弘は思わず息を殺す。
相手の声は聞こえない。どうやら電話で話しているようだ。
立ち聞きなんてよくないとわかっていたが、そこから動くことができなかった。祐樹の声がふだんとまったく違っていたから。
いつものやさしい声ではなく、感情のこもった声。
どんな人を相手にこんな話し方をするんだろう。
「彼女と結婚して帯同して行くべきですよ。ヨーロッパならなおのことでしょ。彼女だってそのつもりでいるのに、この時期に別れるなんてありえない」
会社の同僚だろうか。
通話相手に海外転勤の話が出て、結婚するか迷っているという相談なのかもしれない。海外赴任をきっかけに結婚話を確認されると祐樹が言っていたことを思い出す。
「ええ、体の相性は悪くなかったです。おれが全部、初めてだったって知ってるくせに。でもこれ以上のつき合いを続けるつもりはないですよ」
体の相性? おれが全部初めてだった?
「バカなことを。おれは既婚者とはつき合わない主義なんです、知ってるでしょ。奥さんのいる人と不倫なんてする気はないですよ」
おかしなフレーズに、孝弘は眉をひそめた。
どういう会話だ。通話の相手は男だと思っていたが、何かがかみ合わない。相手は祐樹と彼女を取り合った仲とか、そういう話? いやでも体の相性がどうとか言うんだから、通話相手は元カノなのか?
「今はだれもいませんし、探そうとも思ってません。でもあなたとは、もう寝ません。あなたは女性と結婚できるんだから、そうしたほうがいいに決まってる。こんないいチャンスを棒に振るつもりですか」
いらだちを隠さない祐樹の声が、孝弘の耳を通り抜けていく。
あなたとはもう寝ません?
通話相手と?
なんとも不可解な会話だった。
そこからしばらくは混乱しすぎて、祐樹の声もまともに耳に入ってこなかった。電話のやり取りは続いていたが、頭が理解を拒否していた。
あなたは女性と結婚できる? じゃあ高橋さんはできないってことなのか。
……つまり女性に興味がないってこと?
急激に心臓がバクバク音を立てはじめる。
やっぱり通話の相手は男なのか? その男と祐樹は関係があった?
いやいや、これは本当にそんな話なのか。もしかしたら、なにか誤解しているのかもしれない。だって相手の声は聞こえないのだ。
「相変わらずですね、そういう押しの強いところ。でも会いませんよ、いまさら会ってもしょうがないし」
玄関を上がった壁からそっと覗くと、祐樹は孝弘が想像したこともない表情をしていた。切ないような苦しそうな、なにかを振り切るような冷たい横顔。
通話の相手はそんな顔をさせることができるのだと思うと、かっと体温が上がった。なぜか腹の底が焦げるように熱くなる。
祐樹がふうと短いため息をついて、相手に言い聞かせるように告げる。
「まあともかく、ご栄転なんですから、おめでとうございます。バカなことは考えないでくださいね。何でもできる人だから何の心配もしてませんけど、今後のご活躍をお祈りしますよ」
音を立てないようドアを閉めて、そっと廊下まで引き返す。頭が熱くなっていて、心臓が耳元で鳴っているみたいだ。
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