あの日、北京の街角で

ゆまは なお

文字の大きさ
38 / 112

第11章-1 立ち聞き

しおりを挟む
 きょうは昼食のとき、前任者がおいていった雑誌や小説がたくさんあるからよかったら持って行ってと祐樹が声をかけてくれた。
 5時の定時には祐樹の仕事はまだ終わりそうになかったので、先に事務所を出た孝弘はスーパーで買い物をしてからマンションに来た。もう帰っているだろう。
 待ち合わせはマンションのロビーだったが、予定より早く着いた孝弘は部屋まで上がっていった。祐樹の部屋にはすでに何度も来ていて、もう慣れていた。

 部屋の前まで来て、チャイムを押そうとするとドアが細く開いていた。
 見ると玄関のドアのしたにキーホルダーが挟まっている。祐樹の鍵だった。不用心だなと思いながら、それを拾い上げた。
 ドアを開いて声をかけようとしたところで、祐樹の声が聞こえて、孝弘はかけようとした声を引っ込めた。
 誰か客が来ているのか。

「よかったじゃないですか。希望通りになったんでしょう」
 聞こえた声に孝弘は思わず目を瞬いた。
 めずらしくいらだったような感じの話し方だった。
 いつも落ち着いて穏やかな祐樹が感情を見せる相手ということだろうか。
「何いってんですか、こんな時期に。そんなのつき合いませんよ、もうすぐ辞令が出るはずでしょう」
 どこか皮肉な響きの声に驚いた。祐樹がこんな言い方をするのを聞いたのは初めてだ。

「わかってますか? そんなことを言ったらどうなるのか。彼女と別れる気はないんですよね? 余計な心配をかけることはしないほうがいいですよ」
 孝弘にはしたことがない、丁寧語なのにすこし投げやりな感じの、でもそれが許される親密さがにじみ出るような声で。
 初めて聞いたその声に、孝弘は思わず息を殺す。

 相手の声は聞こえない。どうやら電話で話しているようだ。
 立ち聞きなんてよくないとわかっていたが、そこから動くことができなかった。祐樹の声がふだんとまったく違っていたから。
 いつものやさしい声ではなく、感情のこもった声。
 どんな人を相手にこんな話し方をするんだろう。

「彼女と結婚して帯同して行くべきですよ。ヨーロッパならなおのことでしょ。彼女だってそのつもりでいるのに、この時期に別れるなんてありえない」
 会社の同僚だろうか。
 通話相手に海外転勤の話が出て、結婚するか迷っているという相談なのかもしれない。海外赴任をきっかけに結婚話を確認されると祐樹が言っていたことを思い出す。
「ええ、体の相性は悪くなかったです。おれが全部、初めてだったって知ってるくせに。でもこれ以上のつき合いを続けるつもりはないですよ」
 体の相性? おれが全部初めてだった?
 
「バカなことを。おれは既婚者とはつき合わない主義なんです、知ってるでしょ。奥さんのいる人と不倫なんてする気はないですよ」
 おかしなフレーズに、孝弘は眉をひそめた。
 どういう会話だ。通話の相手は男だと思っていたが、何かがかみ合わない。相手は祐樹と彼女を取り合った仲とか、そういう話? いやでも体の相性がどうとか言うんだから、通話相手は元カノなのか?

「今はだれもいませんし、探そうとも思ってません。でもあなたとは、もう寝ません。あなたは女性と結婚できるんだから、そうしたほうがいいに決まってる。こんないいチャンスを棒に振るつもりですか」
 いらだちを隠さない祐樹の声が、孝弘の耳を通り抜けていく。

 あなたとはもう寝ません?
 通話相手と?
 なんとも不可解な会話だった。
 そこからしばらくは混乱しすぎて、祐樹の声もまともに耳に入ってこなかった。電話のやり取りは続いていたが、頭が理解を拒否していた。
 あなたは女性と結婚できる? じゃあ高橋さんはできないってことなのか。
 ……つまり女性に興味がないってこと?
 急激に心臓がバクバク音を立てはじめる。

 やっぱり通話の相手は男なのか? その男と祐樹は関係があった? 
いやいや、これは本当にそんな話なのか。もしかしたら、なにか誤解しているのかもしれない。だって相手の声は聞こえないのだ。

「相変わらずですね、そういう押しの強いところ。でも会いませんよ、いまさら会ってもしょうがないし」
 玄関を上がった壁からそっと覗くと、祐樹は孝弘が想像したこともない表情をしていた。切ないような苦しそうな、なにかを振り切るような冷たい横顔。
 通話の相手はそんな顔をさせることができるのだと思うと、かっと体温が上がった。なぜか腹の底が焦げるように熱くなる。

 祐樹がふうと短いため息をついて、相手に言い聞かせるように告げる。
「まあともかく、ご栄転なんですから、おめでとうございます。バカなことは考えないでくださいね。何でもできる人だから何の心配もしてませんけど、今後のご活躍をお祈りしますよ」
 音を立てないようドアを閉めて、そっと廊下まで引き返す。頭が熱くなっていて、心臓が耳元で鳴っているみたいだ。
 何だったんだ、今の会話は。
 混乱した頭を落ち着かせないと、祐樹の顔を見られそうもない。廊下の壁にもたれかかって、孝弘は深呼吸して思考を整理しようとする。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

【完結】余四郎さまの言うことにゃ

かずえ
BL
 太平の世。国を治める将軍家の、初代様の孫にあたる香山藩の藩主には四人の息子がいた。ある日、藩主の座を狙う弟とのやり取りに疲れた藩主、玉乃川時成は宣言する。「これ以上の種はいらぬ。梅千代と余四郎は男を娶れ」と。  これは、そんなこんなで藩主の四男、余四郎の許婚となった伊之助の物語。

顔も知らない番のアルファよ、オメガの前に跪け!

小池 月
BL
 男性オメガの「本田ルカ」は中学三年のときにアルファにうなじを噛まれた。性的暴行はされていなかったが、通り魔的犯行により知らない相手と番になってしまった。  それからルカは、孤独な発情期を耐えて過ごすことになる。  ルカは十九歳でオメガモデルにスカウトされる。順調にモデルとして活動する中、仕事で出会った俳優の男性アルファ「神宮寺蓮」がルカの番相手と判明する。  ルカは蓮が許せないがオメガの本能は蓮を欲する。そんな相反する思いに悩むルカ。そのルカの苦しみを理解してくれていた周囲の裏切りが発覚し、ルカは誰を信じていいのか混乱してーー。 ★バース性に苦しみながら前を向くルカと、ルカに惹かれることで変わっていく蓮のオメガバースBL★ 性描写のある話には※印をつけます。第12回BL大賞に参加作品です。読んでいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします(^^♪ 11月27日完結しました✨✨ ありがとうございました☆

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

処理中です...