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第11章-2
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つまり高橋さんには男の恋人がいたということなのか? いまのは別れ話だった、のか?
そう思ったとたん、むかむかとなにかがこみ上げてきた。祐樹に恋人がいた、それも男の。そう思っただけで、腹の底が熱くなって息が苦しい。
そのくらいのことで、なんでこんな気持ちになるんだ。
祐樹がゲイだからショックなのか。いいじゃないか、寮にだってゲイを公言している留学生はいる。恋人が男であっても、なにも問題はない。
でも祐樹に男の恋人がいたと思うと、こんなにも動揺している。
ふと以前、新疆食堂で恋人がいるかと訊いたことを思い出した。祐樹はその問いに答えず、べつの質問で返してきた。
はぐらかされたのだと、いまになって理解した。
廊下に立ち尽くした孝弘は、長々とため息をついて、ようやくじぶんの気持ちを自覚した。
そうか、俺は高橋さんが好きなんだ。
さっきから感じている焼けつくような胸のむかつきは、これは嫉妬だ。顔も知らない電話の相手に、強烈な嫉妬を感じた。
祐樹にあんな顔をさせる誰か。その体に触れたことのある誰か。祐樹の初めての相手で、体の相性がよかった誰か。
たぶん年上で、ヨーロッパに赴任する男。
一体どんな男だろう。仕事ができて、クールな感じ? 女性とも付き合っているような話だった。誰とでも付き合うような遊び人タイプ?
なにをどう考えていいのかわからず、白い壁の廊下に立ち尽くしていると、どのくらいたったのか、ドアが開いて祐樹が出てきた。
「あれ、上野くん、来てたんだ」
廊下に突っ立っている孝弘を見て、驚いた顔になる。
手に財布を持っているから、1階の売店に行くつもりだったのか。いや、待ち合わせがロビーだったから迎えに出ようとしたのかもしれない。
「ああ、うん」と微妙な返事をした孝弘に、祐樹はふわりと笑いかけた。
きちんと計算されて人に不快感を与えない控えめな笑顔、に思えた。
いままで、そんなことを思ったことはなかったのに。
「買い物、してきてくれたんだ」
そういえばと思い出して、買ってきたハイネケンの缶を渡した。きっとすっかりぬるくなっている。
「うん。時間あったから」
「ありがとう。暑かったでしょ」
さきほどの会話などなかったかのように、いつもの穏やかな表情だった。そのまま部屋のドアを開けて、なかに戻ってしまう。
「どうぞ入って。こっちの部屋にあるから適当に見繕って、気に入ったものは持って行ってかまわないから。前任者もその前の人も片づける時間がないからって、置いて行っちゃったみたいで」
うながされるままリビングにリュックを置いて、玄関脇の部屋に通される。
数年分の蓄積らしく、本棚にぎっしり雑誌や小説がつまっていた。
ぼんやりとそれを眺めて、ああよかったと心の底から思う。本をもらいに来たのだから、本棚を見ていても怪しまれない。
「けっこうあるね」
なんの興味も持てないまま、本の背表紙に目を向ける。
「うん、そうなんだ。好きなの、持って行っていいよ」
「ありがとう。見てから考えるよ」
「いいよ、ごゆっくり」
いま祐樹の顔を見たら自分が何を言いだすか、孝弘はまったく自信がなかった。
何人かの好みが入り混じっているので、太宰治、宮部みゆき、村上龍、池波正太郎、東野圭吾とあまりにも統一感のないラインナップ。吉川英治三国志とドラゴンボール北京語版は勉強のために誰かがそろえたのか。
とにかく無心になろうと本棚を見つめ、背表紙を端から端までひたすら読んで、どうにか気持ちを落ち着かせていると、部屋着に着替えた祐樹が顔を出した。
「上野くん、辛いの平気だったよね?」
「火鍋(フオグオ)ほどじゃなければね」
案外、ふつうの声が出たことにほっとする。
「夏バテ防止にピリ辛にしようかと思って。味噌ベースかしょうゆベースだったらどっちがいい?」
「うーん、きょうはしょうゆかな」
「了解」
祐樹が用意したのはキャベツとモヤシとニラがたっぷりの水餃子鍋だった。
冷凍の水餃子は孝弘もちょくちょく買っている。インスタントラーメンに一緒に入れて食べるのが好きなのだ。
エアコンをきかせた部屋で、ピリ辛の鍋はビールによく合い、ついつい酒がすすむ。口を開けばよけいなことを言いそうで、孝弘はおいしいとだけ言って何度もおかわりした。
「どうかした? きょう、なんか変だね。悩み事でもある? 仕事が大変?」
ふだんはあれこれと留学生の日常を話して祐樹を笑わせる孝弘が、やけに口数が少ないので祐樹は心配そうに尋ねた。
目を合わせるとおかしなことを口走りそうだ。
孝弘はあわてて首を振って、視線をそらした。
すでに腹いっぱいだったが、豆腐をすくって取り皿に入れる。祐樹がふしぎそうに見ているのはわかったが、どうしても平気な顔をできる気がしなかった。
「仕事は楽しい。会社ってこんなふうなんだって、知らないことばっかですごい楽しいよ。勉強になるっていうか、目標ができるっていうか、学校の勉強とはぜんぜん違ってて」
「そう。だったらよかった」
やさしい声を掛けられているのに、さっきのぞんざいな声を聞いてみたいと思う。
あんな言い方を許される仲って、どんな相手? その人のどこが好き? 何がよかった? 何年くらいつき合ってた?
どのくらい好きなんだろう? 別れてあげようと思うくらい? 結婚を勧めるくらい? おめでとうって言っても平気なくらい?
……ああやばいな。
気持ちを自覚した途端、思考がどんどん突き進んでいくような気がする。
それがいい方に進むのか悪い方に進むのかがよくわからない。じぶんの気持ちをどうしたいのかさえつかめなくて、孝弘は途方に暮れた。
そう思ったとたん、むかむかとなにかがこみ上げてきた。祐樹に恋人がいた、それも男の。そう思っただけで、腹の底が熱くなって息が苦しい。
そのくらいのことで、なんでこんな気持ちになるんだ。
祐樹がゲイだからショックなのか。いいじゃないか、寮にだってゲイを公言している留学生はいる。恋人が男であっても、なにも問題はない。
でも祐樹に男の恋人がいたと思うと、こんなにも動揺している。
ふと以前、新疆食堂で恋人がいるかと訊いたことを思い出した。祐樹はその問いに答えず、べつの質問で返してきた。
はぐらかされたのだと、いまになって理解した。
廊下に立ち尽くした孝弘は、長々とため息をついて、ようやくじぶんの気持ちを自覚した。
そうか、俺は高橋さんが好きなんだ。
さっきから感じている焼けつくような胸のむかつきは、これは嫉妬だ。顔も知らない電話の相手に、強烈な嫉妬を感じた。
祐樹にあんな顔をさせる誰か。その体に触れたことのある誰か。祐樹の初めての相手で、体の相性がよかった誰か。
たぶん年上で、ヨーロッパに赴任する男。
一体どんな男だろう。仕事ができて、クールな感じ? 女性とも付き合っているような話だった。誰とでも付き合うような遊び人タイプ?
なにをどう考えていいのかわからず、白い壁の廊下に立ち尽くしていると、どのくらいたったのか、ドアが開いて祐樹が出てきた。
「あれ、上野くん、来てたんだ」
廊下に突っ立っている孝弘を見て、驚いた顔になる。
手に財布を持っているから、1階の売店に行くつもりだったのか。いや、待ち合わせがロビーだったから迎えに出ようとしたのかもしれない。
「ああ、うん」と微妙な返事をした孝弘に、祐樹はふわりと笑いかけた。
きちんと計算されて人に不快感を与えない控えめな笑顔、に思えた。
いままで、そんなことを思ったことはなかったのに。
「買い物、してきてくれたんだ」
そういえばと思い出して、買ってきたハイネケンの缶を渡した。きっとすっかりぬるくなっている。
「うん。時間あったから」
「ありがとう。暑かったでしょ」
さきほどの会話などなかったかのように、いつもの穏やかな表情だった。そのまま部屋のドアを開けて、なかに戻ってしまう。
「どうぞ入って。こっちの部屋にあるから適当に見繕って、気に入ったものは持って行ってかまわないから。前任者もその前の人も片づける時間がないからって、置いて行っちゃったみたいで」
うながされるままリビングにリュックを置いて、玄関脇の部屋に通される。
数年分の蓄積らしく、本棚にぎっしり雑誌や小説がつまっていた。
ぼんやりとそれを眺めて、ああよかったと心の底から思う。本をもらいに来たのだから、本棚を見ていても怪しまれない。
「けっこうあるね」
なんの興味も持てないまま、本の背表紙に目を向ける。
「うん、そうなんだ。好きなの、持って行っていいよ」
「ありがとう。見てから考えるよ」
「いいよ、ごゆっくり」
いま祐樹の顔を見たら自分が何を言いだすか、孝弘はまったく自信がなかった。
何人かの好みが入り混じっているので、太宰治、宮部みゆき、村上龍、池波正太郎、東野圭吾とあまりにも統一感のないラインナップ。吉川英治三国志とドラゴンボール北京語版は勉強のために誰かがそろえたのか。
とにかく無心になろうと本棚を見つめ、背表紙を端から端までひたすら読んで、どうにか気持ちを落ち着かせていると、部屋着に着替えた祐樹が顔を出した。
「上野くん、辛いの平気だったよね?」
「火鍋(フオグオ)ほどじゃなければね」
案外、ふつうの声が出たことにほっとする。
「夏バテ防止にピリ辛にしようかと思って。味噌ベースかしょうゆベースだったらどっちがいい?」
「うーん、きょうはしょうゆかな」
「了解」
祐樹が用意したのはキャベツとモヤシとニラがたっぷりの水餃子鍋だった。
冷凍の水餃子は孝弘もちょくちょく買っている。インスタントラーメンに一緒に入れて食べるのが好きなのだ。
エアコンをきかせた部屋で、ピリ辛の鍋はビールによく合い、ついつい酒がすすむ。口を開けばよけいなことを言いそうで、孝弘はおいしいとだけ言って何度もおかわりした。
「どうかした? きょう、なんか変だね。悩み事でもある? 仕事が大変?」
ふだんはあれこれと留学生の日常を話して祐樹を笑わせる孝弘が、やけに口数が少ないので祐樹は心配そうに尋ねた。
目を合わせるとおかしなことを口走りそうだ。
孝弘はあわてて首を振って、視線をそらした。
すでに腹いっぱいだったが、豆腐をすくって取り皿に入れる。祐樹がふしぎそうに見ているのはわかったが、どうしても平気な顔をできる気がしなかった。
「仕事は楽しい。会社ってこんなふうなんだって、知らないことばっかですごい楽しいよ。勉強になるっていうか、目標ができるっていうか、学校の勉強とはぜんぜん違ってて」
「そう。だったらよかった」
やさしい声を掛けられているのに、さっきのぞんざいな声を聞いてみたいと思う。
あんな言い方を許される仲って、どんな相手? その人のどこが好き? 何がよかった? 何年くらいつき合ってた?
どのくらい好きなんだろう? 別れてあげようと思うくらい? 結婚を勧めるくらい? おめでとうって言っても平気なくらい?
……ああやばいな。
気持ちを自覚した途端、思考がどんどん突き進んでいくような気がする。
それがいい方に進むのか悪い方に進むのかがよくわからない。じぶんの気持ちをどうしたいのかさえつかめなくて、孝弘は途方に暮れた。
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