あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第29章-2

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「実家は横浜です。でも都内で仕事するときはウィークリーマンション借りてます。時間が読めないというか不規則なんで」
 北京研修中に家族の話を聞いたことを思い出す。
 父親が再婚して、家にはあまりいたくないようなことを言っていた。あれからすこしは関係改善したんだろうか。
「そうだよな、クライアント次第だもんな。観光案内とかもしてるんだっけ?」
「はい、たまに。中国にいる友人に頼まれてアテンドすることがほとんどです。だいたい買い物かディズニーか温泉かですけどね。買い物はつきっきりになりますけど、ディズニーと温泉は送り迎えだけなんでそんなにガイドすることもないんです」

「そうなんだ。なんか楽しそうだな。うちの仕事より観光客のアテンドのほうがいいなとか思わない?」
「私が対応するのはひと家族とか少人数のグループなんで手が回りますけど、ほんとのツアーガイドだと30人、40人を連れてなんで、とても無理だと思いますよ。毎日そんなんだとぶっ倒れそうです」
「確かに、一人二人でも手に負えないのにな」
 食えない中国人に振り回されている青木がぼやく。
「上野はうちで働いてもらうから、観光ガイドなんかしてる場合じゃないぞ」
 緒方が笑ってそれをいなした。

「高橋もひと月後くらいには北京勤務になるからな、そのつもりで。北京の準備室はそう長いこと使わないだろうから、あとの話は現地で進めてくれ。たぶん決まりになる」
「候補地、決まったんですか?」
 青木がちょっと身を乗り出した。
 今回の出張はそれが決まらずに振り回されたのだから、無理もないことだった。

「大連か瀋陽になりそうだな。おそらく大連の開発区で決まりだろう。高橋は南方ばかりに赴任してたから、北の寒さは大丈夫か?」
 緒方のからかい混じりの問いかけに、祐樹は澄ました顔で答えた。
「わかりませんけど、なんとかなりますよ。哈爾浜の有本さんが聞いたらぬるいって怒られそうですけど」
 大連か瀋陽か。
 北方の地の暮らしぶりは想像つかないが、どこでも構わない。孝弘と一緒に赴任できるなら。

 ひとまず準備期間は北京勤務、その後はプロジェクトの進行次第で大連か瀋陽に移ることになるのだろう。
 うれしくて頬が熱い。
 顔が赤いのを酔いのせいにできるのは幸いだった。
 これからまだ会社に戻るという緒方に礼を言って、残された三人はどうする?という感じで顔を見合わせたが、帰国報告のため残業続きだったので二次会はしないということになり、その場で解散となった。

 青木と別れて二人になった地下鉄のホームで、祐樹は孝弘に「すこし話をしたいんだけど」と声をかけた。
「もう一軒、どこかで飲んでいかない?」
 祐樹の誘いに、孝弘はあまく微笑んだ。
 二人のときにしか見せない、やわらかい表情に祐樹の胸がひとつとくんと鳴った。

「俺から誘おうと思ってたのにな」
 すねた口調で言いながら、すっかり大人の余裕を身に着けて、まっすぐに祐樹を見る孝弘に目線が吸い寄せられる。
 どうしよう。前はこんなふうじゃなかったのに。
 病院で付添いをしている間に、孝弘のことをたくさん考えたせいか、それ以来どうも孝弘を意識しすぎているのだ。

「でも、俺、このあたりの店を知らないんだけど、祐樹のおすすめはある?」
 孝弘のほうはふたりのときはすっかり名前呼びになっている。それなのに、意識しすぎて祐樹はそれもできないでいる。名前呼びに照れるほど子どもではないはずなのに。
「静かに飲めるバーは知ってるけど」

 心臓がバクバクいうのがうるさい。
 いまさらこのくらいのことで緊張するなんて。
 そう思いながらなるべくさらりと聞こえるように、なんでもない顔を作って続けた。
「ゆっくり話をしたいなら、うちに来る?」
 耳元で鼓動が鳴っているようだ。
 孝弘にまで聞こえている気がする。

 祐樹のセリフに孝弘はちょっと首をかしげて、困ったふうに笑う。
「それ、ちゃんと意味わかって言ってる?」
「…うん」
 途端に、孝弘の目に強い熱がこもった。
 祐樹は顔がさらに熱くなるのを自覚したが、年上の意地を総動員してどうにか平然とした顔をキープした。

 お互いにどういうつもりかを目と目で汲みあって、孝弘が試すように目を眇めた。
 祐樹はちいさく頷いてみせる。
「じゃあ、覚悟して」
 孝弘が低くささやく。
 頭のなかがじんとしびれた。

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