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第29章-1 帰国報告
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帰国後の三日間で祐樹は散々だった今回の出張報告をまとめあげ、今日の午後、責任者の青木とともに役員会での報告を終えた。
今までで最悪の出張だったと思うし、ほとんど結果は出ていなかったが、緒方がうまく根回しをしてくれており、それほど厳しい追及はなかった。
むしろ、今までの高橋の業績からみて、この結果ならほかのスタッフではどうなったことかという話になり、ひと足先に帰国していた技術スタッフの援護もあり、青木や高橋を責める雰囲気にはならなかった。
プロジェクト自体は続行のサインが出され、また候補地からの選定になりそうだ。
やれやれと青木とともにため息をつく。
その出張報告が終わった日の夜、緒方に誘われて、青木と一緒に飲みに行くことになった。
慰労の意味合いが強かったのだろう、緒方に言われて来た店は和懐石の老舗だった。
広めの座敷に通されると掘りごたつタイプの座卓のうえには四人分の用意があり、緒方以外にもう一人呼ばれているのだとわかった。
窓の外に見えるライトアップされた坪庭が涼し気だ。
6月の東京は梅雨入りしており、湿度の高さに不快感が増す。
からりと乾燥した北京の空気が懐かしいのはこんなときだ。
青木と席に着き、熱い黒豆茶と干菓子をいただいて待っていると、緒方は孝弘と一緒に部屋に入ってきた。
なんとなく予想できた展開なので、祐樹は動揺せずに会釈した。
「なんかお久しぶりな気がしますね。高橋さん、お体どうですか?」
孝弘が何食わぬ外向けの顔と声で訊ねてきた。
ちぇっと祐樹はその澄ました顔を一瞬だけにらんでやった。
孝弘もほんの一瞬目を細めたが、他の人もいる手前、祐樹は大人のあいさつを口にする。
「もう抜糸も済んでますから何ともありません。その節はお世話になりました。上野くんこそ、きちんと病院で診てもらいました?」
「はい、帰国後すぐに。念のため、精密検査してもらいましたが問題はなかったです」
「まあ今回はいろいろ大変だったな。青木も長期出張は久しぶりだったし、みんな、ほんとにお疲れさん」
緒方が言ってひとまずビールで乾杯する。
孝弘はうまそうに喉を鳴らしてそれを飲む。
ビール好きは相変わらずらしい。
「やっぱ冷えたビールですよねえ」
青木がしみじみ言い、祐樹と孝弘は苦笑する。
生ぬるい常温のビールも飲み慣れたら意外と平気なものだが、こうしてきんと冷えた生ビールはやっぱり格別にうまかった。
あとはなんだかんだと中国絡みの話で盛り上がった。
老舗店の料理は繊細な盛り付けと上品な味付けで日本食のよさをしみじみ実感させ、途中から日本酒も加わって、和やかに食事会はすすんだ。
ほどよく酒もまわったころ、青木が孝弘に訊ねた。
「ところで、上野くんは正式に契約ってことでよかったんですよね?」
それに答えたのは緒方だった。
「ああ、7月1日付けで契約だ。ちょうど来月から準備室を作るから、即北京勤務だけど、上野(シャンイエ)は平気だろ?」
青木と緒方の会話を耳に拾って、祐樹はうん?と首をかしげて孝弘を見やった。
孝弘は穏やかな笑みで緒方の問いに頷いた。
つまりうちと専属契約を結ぶってことらしい。病院で安藤が言っていた、孝弘とは長い付き合いになるうんぬんはこれかと納得する。
おそらく出張前から正式契約の話は出ていて、この出張が見極めだったようだ。
「いつでも大丈夫です。ていうか、中国にいすぎて、正直どこに家があるのかもわからない感じですよ」
「上野くんて、1年のほとんどは中国って言ってたよね? 日本に家あるの? 実家?」
青木が問いかけながら孝弘にビールを注ぐ。
祐樹は鱧の梅肉和えを食べながら、そういえば孝弘の住所さえも知らないことに気づいて愕然とした。
孝弘について知っているのは、名刺の情報だけだ。
名前とそれから仕事用の携帯番号。
え、まじでそれだけ?
でも実家がどこかも、今の北京の住所も知らない。ていうか、北京に家あるのか?
大学の留学生寮は出ただろうが、そのあとどこに住んでるんだっけ?
今までで最悪の出張だったと思うし、ほとんど結果は出ていなかったが、緒方がうまく根回しをしてくれており、それほど厳しい追及はなかった。
むしろ、今までの高橋の業績からみて、この結果ならほかのスタッフではどうなったことかという話になり、ひと足先に帰国していた技術スタッフの援護もあり、青木や高橋を責める雰囲気にはならなかった。
プロジェクト自体は続行のサインが出され、また候補地からの選定になりそうだ。
やれやれと青木とともにため息をつく。
その出張報告が終わった日の夜、緒方に誘われて、青木と一緒に飲みに行くことになった。
慰労の意味合いが強かったのだろう、緒方に言われて来た店は和懐石の老舗だった。
広めの座敷に通されると掘りごたつタイプの座卓のうえには四人分の用意があり、緒方以外にもう一人呼ばれているのだとわかった。
窓の外に見えるライトアップされた坪庭が涼し気だ。
6月の東京は梅雨入りしており、湿度の高さに不快感が増す。
からりと乾燥した北京の空気が懐かしいのはこんなときだ。
青木と席に着き、熱い黒豆茶と干菓子をいただいて待っていると、緒方は孝弘と一緒に部屋に入ってきた。
なんとなく予想できた展開なので、祐樹は動揺せずに会釈した。
「なんかお久しぶりな気がしますね。高橋さん、お体どうですか?」
孝弘が何食わぬ外向けの顔と声で訊ねてきた。
ちぇっと祐樹はその澄ました顔を一瞬だけにらんでやった。
孝弘もほんの一瞬目を細めたが、他の人もいる手前、祐樹は大人のあいさつを口にする。
「もう抜糸も済んでますから何ともありません。その節はお世話になりました。上野くんこそ、きちんと病院で診てもらいました?」
「はい、帰国後すぐに。念のため、精密検査してもらいましたが問題はなかったです」
「まあ今回はいろいろ大変だったな。青木も長期出張は久しぶりだったし、みんな、ほんとにお疲れさん」
緒方が言ってひとまずビールで乾杯する。
孝弘はうまそうに喉を鳴らしてそれを飲む。
ビール好きは相変わらずらしい。
「やっぱ冷えたビールですよねえ」
青木がしみじみ言い、祐樹と孝弘は苦笑する。
生ぬるい常温のビールも飲み慣れたら意外と平気なものだが、こうしてきんと冷えた生ビールはやっぱり格別にうまかった。
あとはなんだかんだと中国絡みの話で盛り上がった。
老舗店の料理は繊細な盛り付けと上品な味付けで日本食のよさをしみじみ実感させ、途中から日本酒も加わって、和やかに食事会はすすんだ。
ほどよく酒もまわったころ、青木が孝弘に訊ねた。
「ところで、上野くんは正式に契約ってことでよかったんですよね?」
それに答えたのは緒方だった。
「ああ、7月1日付けで契約だ。ちょうど来月から準備室を作るから、即北京勤務だけど、上野(シャンイエ)は平気だろ?」
青木と緒方の会話を耳に拾って、祐樹はうん?と首をかしげて孝弘を見やった。
孝弘は穏やかな笑みで緒方の問いに頷いた。
つまりうちと専属契約を結ぶってことらしい。病院で安藤が言っていた、孝弘とは長い付き合いになるうんぬんはこれかと納得する。
おそらく出張前から正式契約の話は出ていて、この出張が見極めだったようだ。
「いつでも大丈夫です。ていうか、中国にいすぎて、正直どこに家があるのかもわからない感じですよ」
「上野くんて、1年のほとんどは中国って言ってたよね? 日本に家あるの? 実家?」
青木が問いかけながら孝弘にビールを注ぐ。
祐樹は鱧の梅肉和えを食べながら、そういえば孝弘の住所さえも知らないことに気づいて愕然とした。
孝弘について知っているのは、名刺の情報だけだ。
名前とそれから仕事用の携帯番号。
え、まじでそれだけ?
でも実家がどこかも、今の北京の住所も知らない。ていうか、北京に家あるのか?
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