あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第10章-2

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「天津に?」
「そう、あした、通訳として高橋と一緒に行ってもらえるかな?」
 安藤の言葉に孝弘はうなずいた。 
 港に着く急ぎの積み荷の受取りらしい。ほかのスタッフが出払っているので、祐樹が行くことになってしまったそうだ。
「わかりました」

 天津までは車で二時間ちょっとの距離だ。
 夕方までには帰ってこられるということで、資料を持って出かけたのだが。
「は? 着いてない?」
 天津港の事務所に着いて確認してみると、なぜかコンテナは届いていなかった。中国人の担当者は無責任に「我不知道ウォブジーダオ(知らないよ)」の一言で済ませて知らん顔だ。
 祐樹があちこちに電話をかけ、孝弘はそのたびに北京語と日本語で何度もやり取りをした。
 結局、中国側の手違いで別のところにコンテナが発送されたことが判明し、その返送手続きをしているうちに日が暮れた。

「はー、まじ疲れた。コンテナが行方不明ってけっこうあるの?」
「日本じゃそんなにないと思うけど、この国ではどうだろうね。あの対応じゃ、よくあることなんじゃないかな」
「でも、高橋さん、あんまり動じないね」
 何か所も電話をかけてコンテナの行方を捜しているあいだ、祐樹はほとんどうろたえることはなかった。その度胸というかジタバタしない態度に、孝弘は社会人ってすごいと感心していたのだ。
 通訳の孝弘は祐樹のいうとおりに話していればよかったが、一人だったらあんな冷静に相手の話を聞いて会話ができただろうか。

「んー、そんなことないよ。でもここで怒ったり焦ったりしても荷物が出てくるわけじゃないから、地道に探すしかないなって。見つかったから冷静でいられるけど、そうじゃなかったら相当焦ったと思うよ」
 涼しげな顔でそういわれても。焦った様子なんてこれっぽっちも見せなかった。
 中国人相手の仕事でははったりも必要だ。
 仕事をしている祐樹はかっこいいと思う。そしてなんだか悔しかった。大人の余裕を見せつけられた気がした。
 それなのに。

「上野くんのおかげだよ。やっぱ語学ができるってすごいな。すごく安心できた。ありがとう」
 真顔でそんなふうにストレートに信頼を示されて、孝弘は顔が赤くなるのを自覚した。
 ちょっと待って、そんな子供みたいな顔でありがとうとか。まじで照れる。
「いやいや、そんな。はいちゃーだゆえんな(まだまだですよ)」
 恥ずかしくて思わず棒読み北京語になってしまった。
 祐樹はそんな孝弘を見てにっこり笑う。だからその笑顔は反則だっての。

「ところで、あしたは用事ある?」
「大丈夫、一緒に来るよ」
 今からタクシーで帰ったらかなり遅くなる。あしたも朝イチで出発だろうと孝弘はそう返事したが、祐樹は首を横にふった。
「じゃなくて、昼にはコンテナが着くから、今から北京に戻るより、もうこっちで泊まったほうがよくない?」
 往復4時間以上かかるから、確かにそのほうがいい。

「いいの? 泊りでも」
「安藤さんもそうしろって。往復する時間もお金ももったいないから、天津で何かうまいもんでも食って来いって」
 トラブル慣れした安藤の言葉に、孝弘は笑った。
 そうと決まればと急いでショッピングセンターへ行って下着と替えのシャツを買い、夕食の店を探す。

「天津名物って何か知ってる?」
狗不理包子ゴウブリーパオズっていうのが有名だけど、食べてみる?」
「包子? ごうぶりーって何?」
「直訳すると、犬も食わない包子って意味になるけど、由来は知らないな。とにかく天津名物って言えばこれって聞くけど」
「そうなんだ。包子も悪くはないけど……あ、そうだ、天津飯は? こっちにおいしい店ってある?」
 祐樹の言葉に孝弘は笑いだした。

「天津飯って日本の食べ物なんだって」
「え?」
「中国に天津飯ってメニューはないんだって。俺も留学してきてから知ったけど」
「そうなの? えー、じゃあ日本でできた料理ってこと?」
「そう。ちなみに天津甘栗も中国にはないよ。そもそも天津に山なんてないし栗の産地でもないし」
「じゃあ、なんで天津甘栗なの?」
「天津港から出荷されるからだって」
 日本人にとって天津から来た甘栗なので、天津甘栗になったらしい。

「なるほどね。じゃあ栗はどこから?」
「山東省って聞いたな」
「じゃあ、本当は山東甘栗なんだ」
 天津ひとつ取っても、知らないことがたくさんあるなと、祐樹が笑いながらため息をついた。

 夕食は結局、地元の人間で賑わっている家常菜(家庭料理)と看板の出ている店に入った。
「当たりだね」
「地元っ子の人気店は間違いないな」
 二人でビールを飲みながら、きょうはお疲れさまでしたとねぎらいあった。あしたもあるけれど、ひとまず、きょうは乗り切った。

 夕食後にホテルを探した。歩き回る元気もないので、大通りにあった三つ星ホテルに入って部屋があるかを訊ねる。
「シングルは空きがないそうなんで、ツインでもいい?」
「いいよ」
 交代でシャワーを浴びて、テレビをつけてベッドに転がった。

 横を見るとまだ濡れた髪の祐樹が書類に目を通している。その真剣な横顔にどきりと心臓がはねた。仕事中の男の顔した祐樹は格好良かった。
 ホテルのオレンジがかった照明のなかで、祐樹のきれいな横顔がぼんやりとにじむように浮かんでいて、思わず手を伸ばしたくなる。
 いや、男の顔に見とれるとか。
 自分の気持ちがつかめずに、孝弘は戸惑う。なんだろう、このむずむずする感じ。
 夕食のビールが思ったより回っているのかもしれない。

 視線を感じたのか、祐樹がふっと顔をあげて孝弘を見た。
「眠いなら寝ていいよ。きょうは疲れたでしょ」
 そうか、眠いのかも。
 一日、しゃべりっぱなしだったし、緊張したし、中国人相手に怒ったりなだめすかしたり。
 仕事って大変なんだな。それがわかっただけでも、このバイトをしてよかったかもしれない。
 孝弘はそんなことを思いながら、いつの間にか眠りに落ちた。

 
 
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