あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第10章-1 日系企業のアルバイト

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 アルバイトは夏休み期間の毎週火・木・金、朝9時から夕方5時までが勤務時間と決まり、7月最初の金曜日の朝、孝弘は事務所が入る20階建てのビルを訪れた。
 日系企業や外資系企業が多く入っているそのビルには、スーツ姿の会社員が闊歩していて、孝弘は場違いだなと思いながらエレベーターに乗って18階に上がった。
 服装自由と言われていたし、一応は気を遣って開襟シャツと綿パンツにしてきたのだが、まあアルバイトだしこれでいいかと開き直った。
 何か言われたら一着くらいジャケットなりスーツなりを買ってもいい。今後も必要な場面が出てくるかもしれないし。

 北京办公室(北京事務所)とプレートのついたドアをノックすると、「请进チンジン(どうぞ)」と返事があり、安藤が迎えてくれた。
「上野くん、久しぶり。元気そうだね」
「はい、お久しぶりです。今回はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく。小趙シャオジャオ、こっちへ」
 はいと声がして小柄な中国人男性が立ち上がった。30歳位だろうか、眼鏡をかけていて鋭い目つきをしている。

「今日からアルバイトに入る上野孝弘くん。留学生だから北京語も話せるし、英語もけっこう話せるんだったよね。いろいろ教えてあげて」
趙英明ジャオインミンです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。大趙ダージャオ(趙さん)と呼べばいいですか?」
 年上の男性を小趙とは呼べない。
「いいですよ、私も上野シャンイエでいいですか」
 笑うと意外と人好きのする顔になった。
 基本的には孝弘は趙に仕事を教わることになるらしい。かなり日本語も話せるようだ。初めてのアルバイトで緊張していたが、すこし安心する。

 安藤のほかに出張中の鈴木と原田という三十代の男性、中国人の趙英明、孝弘が代わりに入ったインターンの五名が北京事務所のスタッフで、そこに半年研修で祐樹が加わっている。
 日本人スタッフは事務所にはいないことも多く、趙英明が常時留守番状態で待機している。孝弘は趙から仕事を教わりながら、電話番や書類整理や郵便を出したりといった雑用をこなした。
 祐樹は語学学校もあっていたりいなかったりだったし、ほかの社員も同様だが、どのスタッフも事務所にいればまだ学生の孝弘になにかと声をかけてくれた。

 安藤は自宅に呼んで奥さんの手料理をふるまってくれたりもした。久しぶりに食べる日本人が作る家庭料理は懐かしくておいしかった。
 もう一人の社員の鈴木は「女の子が必要ならいつでも言って」と悪い笑みで孝弘を誘う。どんなものかと興味がわいて、一度誘いに乗って行ってみたら、女の子が刺激的なサービスをしてくれる店に連れて行かれ、なかなか得難い経験をさせてもらった。
 そのことが安藤にばれて「上野くんに変な遊びをおしえないよう」にと鈴木はがっつり怒られていた。懲りない鈴木はこっそり「また行こうな」と言ってくれたが、孝弘としては「もう十分」といったところだ。
 原田のほうは中国赴任以来、太って仕方ないとぼやいている小太りな男性だがフットワークは軽く、仕事が好きで楽しいと見ているだけでもよくわかる人だった。
 
 祐樹とは仕事帰りによく食事をした。事務所で独身は祐樹だけなので、仕事の上がりが合えばどちらが誘うともなく、自然に一緒に食べる流れができていた。外で食べる日もあれば、祐樹のマンションで鍋の日もあった。
 土日に一緒に出掛けることも増えていた。
 北京の観光地だけでなく、旧市街を散歩したり市場へ買い物に行ったり夜遊びをして部屋に泊めてもらったりと、いつの間にか本当に友人のようなつき合いになっていた。

 初めての職場は刺激的だった。物怖じしない孝弘はいらない遠慮をしないので、趙にどんどん質問して仕事を覚えていき、気づけばけっこう頼りにされるようになっていた。
 仕事は学校の勉強とは違って、新鮮で面白かったのだ。
 工場からのサンプルを確認してFAXや電話のやり取りを通訳したり、通関書類をそろえたりとするうちに、貿易用語や社内用語も徐々にわかるようになってきた。
 職場の祐樹は今までの孝弘と遊んでいるときとは違っていて、スーツ姿って3割増しだなと孝弘は祐樹を眺めた。



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