エレンディア王国記

火燈スズ

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第2章

92.嫌われ者の嫡男

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 ケルナ村の中心から少し離れた場所に、木で作られた小さな小屋があった。低い屋根、簡素な板張りの壁、窓からは子供たちの声が漏れてくる。まるで昔話に出てくる寺子屋のような空間だった。
 リアが扉を開けると、室内には十数人の子供たちが小さな机を並べて座っていた。紙の上にぎこちない字を書いたり、草花の絵を描いたりしている。その中心に立つのが、ティルナだった。二十代前半の女性で、腰まで届く栗色の髪を後ろでまとめ、清潔なエプロンをつけている。穏やかな声で子供たちの間を歩き、一人ひとりのノートを見ては優しく微笑んだ。
 授業が一区切りすると、ティルナはリアに気づき、少し驚いたように目を見開いた。そして子供たちに「今日はここまでですよ」と声をかけると、子供たちは元気よく挨拶して帰っていった。静かになった小屋の中で、ティルナは改めてリアの前に立った。

「……エレニア王家の方が、こんな場所にいらっしゃるなんて」

 リアは軽く首を振った。

「ただの散歩だ。少し話を聞きたくて」

 ティルナは少し照れたように笑い、机を片付けながら口を開いた。

「私は、この村が大好きなんです」

 彼女の声には、迷いのない響きがあった。

「子供たちを、正しく、優しい人間に育てていきたい。それが、この村をよくすることにつながるって信じています」

 リアはその言葉に静かに頷いた。

「いい考えだ」

 だが、ティルナは少し表情を曇らせる。

「……でも、悩みがあるんです」

「悩み?」

 ティルナは小さく息を吐いた。

「オグド家の御曹司、ウェデル様のことです」

 ティルナは机を拭きながら続けた。

「ウェデル様は……私に、言い寄ってくるんです」

 言葉の端に、諦めにも似た響きがあった。

「でも、ウェデル様は……正直、村では嫌われ者です。子供たちの前で、家柄を鼻にかけた言動ばかりで……悪い見本になってしまう。できるなら、ここから遠ざけたいと思っているんです」

 リアは頷き、腕を組んだ。

(……ウァリウスの息子か。近づいておきたいが、村の嫌われ者、か。)

 そのとき、外から甲高い声が響いた。

「──ティルナっ!」小屋の扉が勢いよく開いた。

 現れたのは、赤いマントを翻した青年だった。金糸で縁取られた服、胸元にはオグド家の紋章のブローチ。ウェデル=オグドだ。ティルナは思わず顔を曇らせた。

「ティルナ、今日こそ返事を聞かせてもらうぞ!」ウェデルはずかずかと歩み寄り、堂々と胸を張った。

「この村で俺にふさわしいのは、お前だけだ! 結婚してくれ!」

 ティルナは毅然とした声で返した。

「お断りします、ウェデル様」だがウェデルは聞く耳を持たない。

「何度断られても構わん! 俺はオグド家の跡取りだぞ! お前を幸せにできる!」

 リアは静かに様子を見ていたが、ウェデルの目がこちらに向いた。ウェデルの視線がリアに止まる。王家のペンダント──王家の光輪には気づかず、ただの“青年”と見ている。

「……誰だ貴様は?」

 リアは淡々と答えた。

「通りがかりだ」ウェデルの顔がみるみる険しくなる。

「まさか──ティルナに手を出す不埒者か!?」ティルナが慌てて首を振った。

「ちがいます! この方は──」だがリアは彼女の言葉を制した。

「──いい。言わなくていい」

 リアは一歩前に出て、まっすぐウェデルを見た。ウェデルは剣の柄に手をかけ、挑発的に叫ぶ。

「決闘だ! ティルナを奪うなら、この俺を倒してみろ!」

 ティルナが「そんなこと……」と声を上げるが、リアは片手を軽く上げて止めた。

「……分かった。受けよう」

 ウェデルは勝ち誇ったように笑った。

「言ったな! 逃げるなよ!」

 リアの口元に、ごく小さな笑みが浮かぶ。

(……相手をしてやるか)
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