95 / 197
第2章
92.嫌われ者の嫡男
しおりを挟むケルナ村の中心から少し離れた場所に、木で作られた小さな小屋があった。低い屋根、簡素な板張りの壁、窓からは子供たちの声が漏れてくる。まるで昔話に出てくる寺子屋のような空間だった。
リアが扉を開けると、室内には十数人の子供たちが小さな机を並べて座っていた。紙の上にぎこちない字を書いたり、草花の絵を描いたりしている。その中心に立つのが、ティルナだった。二十代前半の女性で、腰まで届く栗色の髪を後ろでまとめ、清潔なエプロンをつけている。穏やかな声で子供たちの間を歩き、一人ひとりのノートを見ては優しく微笑んだ。
授業が一区切りすると、ティルナはリアに気づき、少し驚いたように目を見開いた。そして子供たちに「今日はここまでですよ」と声をかけると、子供たちは元気よく挨拶して帰っていった。静かになった小屋の中で、ティルナは改めてリアの前に立った。
「……エレニア王家の方が、こんな場所にいらっしゃるなんて」
リアは軽く首を振った。
「ただの散歩だ。少し話を聞きたくて」
ティルナは少し照れたように笑い、机を片付けながら口を開いた。
「私は、この村が大好きなんです」
彼女の声には、迷いのない響きがあった。
「子供たちを、正しく、優しい人間に育てていきたい。それが、この村をよくすることにつながるって信じています」
リアはその言葉に静かに頷いた。
「いい考えだ」
だが、ティルナは少し表情を曇らせる。
「……でも、悩みがあるんです」
「悩み?」
ティルナは小さく息を吐いた。
「オグド家の御曹司、ウェデル様のことです」
ティルナは机を拭きながら続けた。
「ウェデル様は……私に、言い寄ってくるんです」
言葉の端に、諦めにも似た響きがあった。
「でも、ウェデル様は……正直、村では嫌われ者です。子供たちの前で、家柄を鼻にかけた言動ばかりで……悪い見本になってしまう。できるなら、ここから遠ざけたいと思っているんです」
リアは頷き、腕を組んだ。
(……ウァリウスの息子か。近づいておきたいが、村の嫌われ者、か。)
そのとき、外から甲高い声が響いた。
「──ティルナっ!」小屋の扉が勢いよく開いた。
現れたのは、赤いマントを翻した青年だった。金糸で縁取られた服、胸元にはオグド家の紋章のブローチ。ウェデル=オグドだ。ティルナは思わず顔を曇らせた。
「ティルナ、今日こそ返事を聞かせてもらうぞ!」ウェデルはずかずかと歩み寄り、堂々と胸を張った。
「この村で俺にふさわしいのは、お前だけだ! 結婚してくれ!」
ティルナは毅然とした声で返した。
「お断りします、ウェデル様」だがウェデルは聞く耳を持たない。
「何度断られても構わん! 俺はオグド家の跡取りだぞ! お前を幸せにできる!」
リアは静かに様子を見ていたが、ウェデルの目がこちらに向いた。ウェデルの視線がリアに止まる。王家のペンダント──王家の光輪には気づかず、ただの“青年”と見ている。
「……誰だ貴様は?」
リアは淡々と答えた。
「通りがかりだ」ウェデルの顔がみるみる険しくなる。
「まさか──ティルナに手を出す不埒者か!?」ティルナが慌てて首を振った。
「ちがいます! この方は──」だがリアは彼女の言葉を制した。
「──いい。言わなくていい」
リアは一歩前に出て、まっすぐウェデルを見た。ウェデルは剣の柄に手をかけ、挑発的に叫ぶ。
「決闘だ! ティルナを奪うなら、この俺を倒してみろ!」
ティルナが「そんなこと……」と声を上げるが、リアは片手を軽く上げて止めた。
「……分かった。受けよう」
ウェデルは勝ち誇ったように笑った。
「言ったな! 逃げるなよ!」
リアの口元に、ごく小さな笑みが浮かぶ。
(……相手をしてやるか)
33
あなたにおすすめの小説
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
公爵家次男はちょっと変わりモノ? ~ここは乙女ゲームの世界だから、デブなら婚約破棄されると思っていました~
松原 透
ファンタジー
異世界に転生した俺は、婚約破棄をされるため誰も成し得なかったデブに進化する。
なぜそんな事になったのか……目が覚めると、ローバン公爵家次男のアレスという少年の姿に変わっていた。
生まれ変わったことで、異世界を満喫していた俺は冒険者に憧れる。訓練中に、魔獣に襲われていたミーアを助けることになったが……。
しかし俺は、失敗をしてしまう。責任を取らされる形で、ミーアを婚約者として迎え入れることになった。その婚約者に奇妙な違和感を感じていた。
二人である場所へと行ったことで、この異世界が乙女ゲームだったことを理解した。
婚約破棄されるためのデブとなり、陰ながらミーアを守るため奮闘する日々が始まる……はずだった。
カクヨム様 小説家になろう様でも掲載してます。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
私の薬華異堂薬局は異世界につくるのだ
柚木 潤
ファンタジー
薬剤師の舞は、亡くなった祖父から託された鍵で秘密の扉を開けると、不思議な薬が書いてある古びた書物を見つけた。
そしてその扉の中に届いた異世界からの手紙に導かれその世界に転移すると、そこは人間だけでなく魔人、精霊、翼人などが存在する世界であった。
舞はその世界の魔人の王に見合う女性になる為に、異世界で勉強する事を決断する。
舞は薬師大学校に聴講生として入るのだが、のんびりと学生をしている状況にはならなかった。
以前も現れた黒い影の集合体や、舞を監視する存在が見え隠れし始めたのだ・・・
「薬華異堂薬局のお仕事は異世界にもあったのだ」の続編になります。
主人公「舞」は異世界に拠点を移し、薬師大学校での学生生活が始まります。
前作で起きた話の説明も間に挟みながら書いていく予定なので、前作を読んでいなくてもわかるようにしていこうと思います。
また、意外なその異世界の秘密や、新たな敵というべき存在も現れる予定なので、前作と合わせて読んでいただけると嬉しいです。
以前の登場人物についてもプロローグのに軽く記載しましたので、よかったら参考にしてください。
『婚約破棄された聖女リリアナの庭には、ちょっと変わった来訪者しか来ません。』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
王都から少し離れた小高い丘の上。
そこには、聖女リリアナの庭と呼ばれる不思議な場所がある。
──けれど、誰もがたどり着けるわけではない。
恋するルミナ五歳、夢みるルーナ三歳。
ふたりはリリアナの庭で、今日もやさしい魔法を育てています。
この庭に来られるのは、心がちょっぴりさびしい人だけ。
まほうに傷ついた王子さま、眠ることでしか気持ちを伝えられない子、
そして──ほんとうは泣きたかった小さな精霊たち。
お姉ちゃんのルミナは、花を咲かせる明るい音楽のまほうつかい。
ちょっとだけ背伸びして、だいすきな人に恋をしています。
妹のルーナは、ねむねむ魔法で、夢の中を旅するやさしい子。
ときどき、だれかの心のなかで、静かに花を咲かせます。
ふたりのまほうは、まだ小さくて、でもあたたかい。
「だいすきって気持ちは、
きっと一番すてきなまほうなの──!」
風がふくたびに、花がひらき、恋がそっと実る。
これは、リリアナの庭で育つ、
小さなまほうつかいたちの恋と夢の物語です。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
追放貴族少年リュウキの成り上がり~魔力を全部奪われたけど、代わりに『闘気』を手に入れました~
さとう
ファンタジー
とある王国貴族に生まれた少年リュウキ。彼は生まれながらにして『大賢者』に匹敵する魔力を持って生まれた……が、義弟を溺愛する継母によって全ての魔力を奪われ、次期当主の座も奪われ追放されてしまう。
全てを失ったリュウキ。家も、婚約者も、母の形見すら奪われ涙する。もう生きる力もなくなり、全てを終わらせようと『龍の森』へ踏み込むと、そこにいたのは死にかけたドラゴンだった。
ドラゴンは、リュウキの境遇を憐れみ、ドラゴンしか使うことのできない『闘気』を命をかけて与えた。
これは、ドラゴンの力を得た少年リュウキが、新しい人生を歩む物語。
少し冷めた村人少年の冒険記 2
mizuno sei
ファンタジー
地球からの転生者である主人公トーマは、「はずれギフト」と言われた「ナビゲーションシステム」を持って新しい人生を歩み始めた。
不幸だった前世の記憶から、少し冷めた目で世の中を見つめ、誰にも邪魔されない力を身に着けて第二の人生を楽しもうと考えている。
旅の中でいろいろな人と出会い、成長していく少年の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる