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9章:帰りたい場所
6話:姿無き殺人鬼
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翌日、ファウストはやはり引っかかりが取れずにいた。ブルーノ・シーブルズという名を思い出そうとしているのだが、どうにも霞みがかっている。
それでも黒幕の名が出た事は有り難く、すぐに内務への書類を起こしシウスのいる執務室へと持っていった。
「ランバートの情報網は優秀ぞ。民の生の声がこれだけ拾えるとは」
早い段階で相手が分かった事にシウスは感心し、すぐに部下を呼んで内務に届けるよう走らせた。
その側でファウストは浮かない顔だ。自然とシウスもそれに目が行く。
「何か気がかりが?」
「シウス、このブルーノという男の名に覚えはないか?」
「ん? そういえば」
そう言って悩みはするが、やはりシウスも思い出せない様子だ。眉根が寄り、不快そうな顔をする。思い出せないということがこの男にとって何よりのストレスなのだ。
「大分古い記憶だろうとは思うが……なんだったか。いや、思い出せぬなどということがこの私にあってなるものか。確か、何かの調書だったはずだ」
「古い調書……!」
ファウストは思い当たり、即座に走った。行き先は騎士団の書庫。そこには蔵書だけではなく、騎士団が関与した事件の調書も保管されている。その中でも特別な棚へと一直線に向かったファウストは、既に埃を被ったファイルを引っ張り出してめくる。そして程なく、ブルーノ・シーブルズという名を見つけた。
「見つけたのかえ?」
後を追ってきたシウスが側に立つ。薄暗い書庫のなか、窓から差す明かりの中に立ったファウストはシウスにも見えるようにファイルの表を見せた。
「『ブラッドレイン事件』か」
苦い表情を浮かべるシウスに、ファウストも同じような顔で頷く。記憶は五年前に遡っていく。調書をめくりながら、凄惨な光景が目の前に蘇った。
『ブラッドレイン事件』は、今から五年前に発生した。
当時はとにかくてんてこ舞いだった。カール四世即位、相次ぐテロ事件。その中で騎士団は新たな形となったばかりで、まだ統率すらも上手く取れていない状態だった。
そんな時に、この忌まわしい事件は起こった。
現場は西地区、ほぼ全域。事件は全部で五回だった。当時まだ勢いのあった貴族の家から、「息子が帰らない」と怒鳴り込むような捜索依頼が入った。そこで捜索してみると、前日の夜に「とある建物でお楽しみがある」という証言があった。
騎士団がその建物を調べて見つかったものは、あまりに凄惨な光景だった。
地下に作られた小さな部屋は床が一面水浸しになっていた。だが壁や天井は赤黒く変色し、飛び散った無数の血がベタベタと壁を伝い落ちた跡が残っていた。
とても一人の血液ではない。被害者は複数いただろう。
こんな事件が二週間の間に五件。西地区は恐怖のどん底に落ちた。
分かっている事は複数ある。息子が帰らないと訴え出た貴族はみな、酷い地上げや引き抜き、嫌がらせにも似た営業妨害を行い自身の利益を上げていた事。息子達の言う「お楽しみ」というのが、どうやらスラムから人を攫って痛めつけ、暴行死にまで発展していたこと。そしてこの全員がロトに土地を売却していたこと。
そして分からない事も多数。犯人の痕跡が水浸しになったことで一切分からない事。惨殺の現場はあっても、そこに死体がないこと。そして、何人が一度に殺されたかが分からない事。
ブルーノ・シーブルズの名は、被害者と思われる五人と面識のあった人物からの証言と、ロトというキーワードから浮かんできた。殺されたと思われる五人の仲間だったのだ。そしてブルーノの親もまた、ロトに土地を売却している。
だがこの男は最初の事件の時に王都から逃げ出して、両親にも「探さないでくれ」と一文があり、持てる財産を持って出ている事から家出という扱いになった。
だからこそ生き延びたのだろう。
この事件は未だ解決していない。否、解決のしようがない。現場はあっても死体がなく、証拠がない。過去に何人かが犯人として聴取されたが、どれも動機があっただけでそのような事が出来る人物とは考えられなかった。
そしてこの事件で最も疑わしいと言われたのが、ロト・ヒンスだった。
当然聴取されたが、騎士団にやってきたのは品のいい杖をついた老人。確かに彼がロトであった。戸籍などを改めてもそれは偽りがない。あの事件が老人によって行われたなんて誰も思わなかった事で、早々に容疑者から外れた。
だが、違うのだ。あの老人はその名と戸籍を貸し、表に出る時だけそのように振る舞っていたに過ぎない。あの老人の裏にいたのは。
「状況が、今回の事件と似ておるの」
「え?」
ドキッとして、ファウストはシウスを見る。真剣な面持ちのシウスがファウストの手からファイルを取り上げ、側の椅子に腰を下ろす。
「被害者とおぼしき者達の親が行っていた悪行は、そのまま現在西地区で行われている悪行と重なる。このブルーノという男が行っているのであれば、親を真似たか」
「シウス」
「血の雨が降らねばよいが。そう、西地区の者も不安そうにしていると聞く。犯人が捕まっていない以上、ないとは言えぬ」
心臓が不安に悲鳴を上げている。ファウストはそれをしっかりと自覚している。
ロトの影にランバートがいる。そして五年前。スラムで起こっていた暴行死。符号は見事に一致して見える。ランバートはロトであると、ジンも無言で認めた。ならばこの事件の背後にも、奴はいるんじゃないのか?
「ファウスト、何を知っている?」
じろりと睨むような薄い水色の瞳に、ファウストは僅かにたじろいだ。だが、直ぐに表情を変える。首を振り、知らぬを通す。
「調書に書かれた事以上の事は分からない。だが、懸念はしている。この事件と今の事件がリンクするなら、弟が巻き込まれる危険はある。そうなったとき、俺は冷静でいられるか分からないからな」
「お前の弟は無防備で楽観的じゃからの。性善説を地でゆくような者では、お前も苦労が多かろう」
「少しは懲りてくれるといいんだが、期待が薄い。事態が早く終わりを迎えてくれる事を祈るが、正直胃が痛いんだ」
何よりブルーノが早々に内務によって聴取され、捕まれば血の雨など降らない。罪人に正しい罰が下ればそれで終われる話だ。
何より過去の事件があいつと関わっていたとしても、もう誰もそれを証明できない。死体はない、証拠もない、そして被害者の家族も既にどこかへ行ってしまった。証言だけで犯人と決めつける事は難しい。何より誰も証言などしないだろう。
ランバートが行った事だとしても、協力した者がいたとしても、誰も口を割らない。そういう絆がランバートと東地区の者の間にはあるのだから。
◆◇◆
その夜、ファウストはなかなか寝付くことができなかった。本当は事件の調書を部屋に持ってきたかったのだが、シウスの動きが気になってそうはしなかった。
あの事件は騎士団創設後、最初の未解決事件だ。
調書などなくても思い出した今ならばありありと光景が蘇る。騎兵府団長となって組織を立て直し、部下を統率するのに苦労していたさなかの事件。
当時、エリオットがまだ騎兵府副団長で、現在の師団長達が平だった時代。現場に立たされた皆が足を踏み込む事を躊躇った。
水浸しの床には壁や天井から滴ったと思われる赤い揺らめきがあった。ちょうど、水は踝あたり。床の血痕や、足跡などは全てが流されてしまっていた。
そして、そこにあるはずの被害者の死体はたとえ肉片一つだって見つからなかった。
「犯人は恐ろしく冷静で、正確で、冷酷ですね。これだけ天井や壁を染めるなんて、一人二人の被害者ではありません。最低五人は殺しています」
「手口は?」
「天井や壁にまで吹き上がっている事を考えると、頸動脈の切断だと思います。恐ろしく正確にそこだけを狙っているのだと思います。これだけの数ですから」
「腕が立つな」
むせかえるような錆びた臭いが狭い部屋に充満し、戦場に出たこともあるような者が気分を害して外へと走っていく。
部屋の中は赤一色、というよりは既に黒と言ってもいい。そんな状況だ。
「目撃者はない。そして、被害者だと言う者もおらぬ。この犯人、誰一人逃がさなかったと見える」
聞き込みをしていたシウスが中の様子を見て眉根を寄せる。こいつも肝の据わった男だが、それでもこの現状は酷いのだろう。
「複数犯……ではないな」
「この部屋を見ればおのずとな。見張りなり協力者なりがいた可能性はあるが、この光景を作り上げたのはおそらく一人。この部屋は狭い。被害者が最低五人と考えて、複数犯では動き回る事も容易でなくなる。この部屋以外に血痕すらも残されて無いとなると、犯行は全てこの部屋で行われた。犯人は、この部屋から誰一人逃がしておらぬ」
部屋は十人入れば窮屈そうな部屋だ。ここで大立ち回りとなれば、狭く感じるだろう。確かに、複数は考えづらいか。
「今でこそ天井の血が乾いておるが、事件の最中は雨のように降ったであろうの」
天井を見上げたシウスが瞳を厳しく細める。ファウストもそれは思った。どす黒く、既に塗るところの見当たらない血天井が鮮血に塗られたその時には、滴る血が雨のように降っただろう。
『ブラッドレイン』といつしか呼ばれた殺人鬼は、その後同じような惨殺現場を計五つ作った後、ぱったりと姿を見せなくなった。
ファウストは知っている。今は更に力をつけたが、入団直後でもランバートの剣は鋭く正確だった。動きは柔軟で、複数相手でも十分に立ち回れた。
ファウストは知っている。ランバートが持つ暗い殺気。それは情のある人物が被害に遭うと発せられる。ロッカーナで感じた底冷えのするような悪寒は、歴戦の騎士でも尻込みする不気味さと暗さがあった。
ファウストは知っている。ロトという人物はランバートと密接であり、ランバートを助けるような人物が複数いて、たとえ犯罪でもそれに手を貸すだろうこと。
ランバート一人にこれだけの事件が起こせたとは考えられない。実行したのはあいつでも、それだけの死体を運び出す事は容易ではない。ジン達が手を貸した可能性は高い。転がった死体を運び出し、現場を水浸しにする事で証拠を消した。人数がいなければ迅速にはできない。
スラムの暴行死。それを解決できなかった国の責任は重い。耐えかねてやったのかもしれない。
「……だめだ」
考えれば考えるほど、これが正しいと思えてくる。全ては推測だ、何の証拠もない。所詮は動機があっただけ。実行しうる力はあっても、実行したと断定する事はできない。
何よりこの事件を今更掘り返して誰が喜ぶ。名前の分かる被害者の親は既に没落して生存しているかも分からない。名前の分からない被害者などどうすることもできない。死体もない。証拠もない。証言もない。誰が証明できる。
分かっている、ファウストはランバートを心の中で擁護している。彼だと本能的に分かっているのに、必死に理由をつけて否定している。違ってほしい、そう思っている。
だが同時に、ランバートはまだ冷静だとも感じている。もしもランバートが過去の獲物を見つけ、復讐を再開しようとしているならファウストに黒幕の名前など教えはしなかっただろう。知らん顔で過ごし、消して終わる。奴なら簡単な事だ。だが、そうではない。黒幕の名を教え、自分は大きく表に出ずにルカの側にいる。
奴が正当な罪に問われれば、ランバートは動かない。これも直感だ。過去の復讐よりも今を大切に思っているからこそ、ファウストに託したのだ。
そうであってもらいたい。
何にしても内務が迅速に動き、一日でも早く当人達が捕まればそれで解決。ファウストもその一点と、ランバートを気に掛ける事くらいしかできなかった。
それでも黒幕の名が出た事は有り難く、すぐに内務への書類を起こしシウスのいる執務室へと持っていった。
「ランバートの情報網は優秀ぞ。民の生の声がこれだけ拾えるとは」
早い段階で相手が分かった事にシウスは感心し、すぐに部下を呼んで内務に届けるよう走らせた。
その側でファウストは浮かない顔だ。自然とシウスもそれに目が行く。
「何か気がかりが?」
「シウス、このブルーノという男の名に覚えはないか?」
「ん? そういえば」
そう言って悩みはするが、やはりシウスも思い出せない様子だ。眉根が寄り、不快そうな顔をする。思い出せないということがこの男にとって何よりのストレスなのだ。
「大分古い記憶だろうとは思うが……なんだったか。いや、思い出せぬなどということがこの私にあってなるものか。確か、何かの調書だったはずだ」
「古い調書……!」
ファウストは思い当たり、即座に走った。行き先は騎士団の書庫。そこには蔵書だけではなく、騎士団が関与した事件の調書も保管されている。その中でも特別な棚へと一直線に向かったファウストは、既に埃を被ったファイルを引っ張り出してめくる。そして程なく、ブルーノ・シーブルズという名を見つけた。
「見つけたのかえ?」
後を追ってきたシウスが側に立つ。薄暗い書庫のなか、窓から差す明かりの中に立ったファウストはシウスにも見えるようにファイルの表を見せた。
「『ブラッドレイン事件』か」
苦い表情を浮かべるシウスに、ファウストも同じような顔で頷く。記憶は五年前に遡っていく。調書をめくりながら、凄惨な光景が目の前に蘇った。
『ブラッドレイン事件』は、今から五年前に発生した。
当時はとにかくてんてこ舞いだった。カール四世即位、相次ぐテロ事件。その中で騎士団は新たな形となったばかりで、まだ統率すらも上手く取れていない状態だった。
そんな時に、この忌まわしい事件は起こった。
現場は西地区、ほぼ全域。事件は全部で五回だった。当時まだ勢いのあった貴族の家から、「息子が帰らない」と怒鳴り込むような捜索依頼が入った。そこで捜索してみると、前日の夜に「とある建物でお楽しみがある」という証言があった。
騎士団がその建物を調べて見つかったものは、あまりに凄惨な光景だった。
地下に作られた小さな部屋は床が一面水浸しになっていた。だが壁や天井は赤黒く変色し、飛び散った無数の血がベタベタと壁を伝い落ちた跡が残っていた。
とても一人の血液ではない。被害者は複数いただろう。
こんな事件が二週間の間に五件。西地区は恐怖のどん底に落ちた。
分かっている事は複数ある。息子が帰らないと訴え出た貴族はみな、酷い地上げや引き抜き、嫌がらせにも似た営業妨害を行い自身の利益を上げていた事。息子達の言う「お楽しみ」というのが、どうやらスラムから人を攫って痛めつけ、暴行死にまで発展していたこと。そしてこの全員がロトに土地を売却していたこと。
そして分からない事も多数。犯人の痕跡が水浸しになったことで一切分からない事。惨殺の現場はあっても、そこに死体がないこと。そして、何人が一度に殺されたかが分からない事。
ブルーノ・シーブルズの名は、被害者と思われる五人と面識のあった人物からの証言と、ロトというキーワードから浮かんできた。殺されたと思われる五人の仲間だったのだ。そしてブルーノの親もまた、ロトに土地を売却している。
だがこの男は最初の事件の時に王都から逃げ出して、両親にも「探さないでくれ」と一文があり、持てる財産を持って出ている事から家出という扱いになった。
だからこそ生き延びたのだろう。
この事件は未だ解決していない。否、解決のしようがない。現場はあっても死体がなく、証拠がない。過去に何人かが犯人として聴取されたが、どれも動機があっただけでそのような事が出来る人物とは考えられなかった。
そしてこの事件で最も疑わしいと言われたのが、ロト・ヒンスだった。
当然聴取されたが、騎士団にやってきたのは品のいい杖をついた老人。確かに彼がロトであった。戸籍などを改めてもそれは偽りがない。あの事件が老人によって行われたなんて誰も思わなかった事で、早々に容疑者から外れた。
だが、違うのだ。あの老人はその名と戸籍を貸し、表に出る時だけそのように振る舞っていたに過ぎない。あの老人の裏にいたのは。
「状況が、今回の事件と似ておるの」
「え?」
ドキッとして、ファウストはシウスを見る。真剣な面持ちのシウスがファウストの手からファイルを取り上げ、側の椅子に腰を下ろす。
「被害者とおぼしき者達の親が行っていた悪行は、そのまま現在西地区で行われている悪行と重なる。このブルーノという男が行っているのであれば、親を真似たか」
「シウス」
「血の雨が降らねばよいが。そう、西地区の者も不安そうにしていると聞く。犯人が捕まっていない以上、ないとは言えぬ」
心臓が不安に悲鳴を上げている。ファウストはそれをしっかりと自覚している。
ロトの影にランバートがいる。そして五年前。スラムで起こっていた暴行死。符号は見事に一致して見える。ランバートはロトであると、ジンも無言で認めた。ならばこの事件の背後にも、奴はいるんじゃないのか?
「ファウスト、何を知っている?」
じろりと睨むような薄い水色の瞳に、ファウストは僅かにたじろいだ。だが、直ぐに表情を変える。首を振り、知らぬを通す。
「調書に書かれた事以上の事は分からない。だが、懸念はしている。この事件と今の事件がリンクするなら、弟が巻き込まれる危険はある。そうなったとき、俺は冷静でいられるか分からないからな」
「お前の弟は無防備で楽観的じゃからの。性善説を地でゆくような者では、お前も苦労が多かろう」
「少しは懲りてくれるといいんだが、期待が薄い。事態が早く終わりを迎えてくれる事を祈るが、正直胃が痛いんだ」
何よりブルーノが早々に内務によって聴取され、捕まれば血の雨など降らない。罪人に正しい罰が下ればそれで終われる話だ。
何より過去の事件があいつと関わっていたとしても、もう誰もそれを証明できない。死体はない、証拠もない、そして被害者の家族も既にどこかへ行ってしまった。証言だけで犯人と決めつける事は難しい。何より誰も証言などしないだろう。
ランバートが行った事だとしても、協力した者がいたとしても、誰も口を割らない。そういう絆がランバートと東地区の者の間にはあるのだから。
◆◇◆
その夜、ファウストはなかなか寝付くことができなかった。本当は事件の調書を部屋に持ってきたかったのだが、シウスの動きが気になってそうはしなかった。
あの事件は騎士団創設後、最初の未解決事件だ。
調書などなくても思い出した今ならばありありと光景が蘇る。騎兵府団長となって組織を立て直し、部下を統率するのに苦労していたさなかの事件。
当時、エリオットがまだ騎兵府副団長で、現在の師団長達が平だった時代。現場に立たされた皆が足を踏み込む事を躊躇った。
水浸しの床には壁や天井から滴ったと思われる赤い揺らめきがあった。ちょうど、水は踝あたり。床の血痕や、足跡などは全てが流されてしまっていた。
そして、そこにあるはずの被害者の死体はたとえ肉片一つだって見つからなかった。
「犯人は恐ろしく冷静で、正確で、冷酷ですね。これだけ天井や壁を染めるなんて、一人二人の被害者ではありません。最低五人は殺しています」
「手口は?」
「天井や壁にまで吹き上がっている事を考えると、頸動脈の切断だと思います。恐ろしく正確にそこだけを狙っているのだと思います。これだけの数ですから」
「腕が立つな」
むせかえるような錆びた臭いが狭い部屋に充満し、戦場に出たこともあるような者が気分を害して外へと走っていく。
部屋の中は赤一色、というよりは既に黒と言ってもいい。そんな状況だ。
「目撃者はない。そして、被害者だと言う者もおらぬ。この犯人、誰一人逃がさなかったと見える」
聞き込みをしていたシウスが中の様子を見て眉根を寄せる。こいつも肝の据わった男だが、それでもこの現状は酷いのだろう。
「複数犯……ではないな」
「この部屋を見ればおのずとな。見張りなり協力者なりがいた可能性はあるが、この光景を作り上げたのはおそらく一人。この部屋は狭い。被害者が最低五人と考えて、複数犯では動き回る事も容易でなくなる。この部屋以外に血痕すらも残されて無いとなると、犯行は全てこの部屋で行われた。犯人は、この部屋から誰一人逃がしておらぬ」
部屋は十人入れば窮屈そうな部屋だ。ここで大立ち回りとなれば、狭く感じるだろう。確かに、複数は考えづらいか。
「今でこそ天井の血が乾いておるが、事件の最中は雨のように降ったであろうの」
天井を見上げたシウスが瞳を厳しく細める。ファウストもそれは思った。どす黒く、既に塗るところの見当たらない血天井が鮮血に塗られたその時には、滴る血が雨のように降っただろう。
『ブラッドレイン』といつしか呼ばれた殺人鬼は、その後同じような惨殺現場を計五つ作った後、ぱったりと姿を見せなくなった。
ファウストは知っている。今は更に力をつけたが、入団直後でもランバートの剣は鋭く正確だった。動きは柔軟で、複数相手でも十分に立ち回れた。
ファウストは知っている。ランバートが持つ暗い殺気。それは情のある人物が被害に遭うと発せられる。ロッカーナで感じた底冷えのするような悪寒は、歴戦の騎士でも尻込みする不気味さと暗さがあった。
ファウストは知っている。ロトという人物はランバートと密接であり、ランバートを助けるような人物が複数いて、たとえ犯罪でもそれに手を貸すだろうこと。
ランバート一人にこれだけの事件が起こせたとは考えられない。実行したのはあいつでも、それだけの死体を運び出す事は容易ではない。ジン達が手を貸した可能性は高い。転がった死体を運び出し、現場を水浸しにする事で証拠を消した。人数がいなければ迅速にはできない。
スラムの暴行死。それを解決できなかった国の責任は重い。耐えかねてやったのかもしれない。
「……だめだ」
考えれば考えるほど、これが正しいと思えてくる。全ては推測だ、何の証拠もない。所詮は動機があっただけ。実行しうる力はあっても、実行したと断定する事はできない。
何よりこの事件を今更掘り返して誰が喜ぶ。名前の分かる被害者の親は既に没落して生存しているかも分からない。名前の分からない被害者などどうすることもできない。死体もない。証拠もない。証言もない。誰が証明できる。
分かっている、ファウストはランバートを心の中で擁護している。彼だと本能的に分かっているのに、必死に理由をつけて否定している。違ってほしい、そう思っている。
だが同時に、ランバートはまだ冷静だとも感じている。もしもランバートが過去の獲物を見つけ、復讐を再開しようとしているならファウストに黒幕の名前など教えはしなかっただろう。知らん顔で過ごし、消して終わる。奴なら簡単な事だ。だが、そうではない。黒幕の名を教え、自分は大きく表に出ずにルカの側にいる。
奴が正当な罪に問われれば、ランバートは動かない。これも直感だ。過去の復讐よりも今を大切に思っているからこそ、ファウストに託したのだ。
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何にしても内務が迅速に動き、一日でも早く当人達が捕まればそれで解決。ファウストもその一点と、ランバートを気に掛ける事くらいしかできなかった。
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