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ご『“友だち”の有効活用/ふれる冬』
14 ヘンショク
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4丁目の交差点を曲がって、賑やかな住宅地を少し進むと見えてくる小さな公園。さらに奥へ、ゆるい坂を上ったところの川沿いに、アパート「蓬莱荘」がある。
小さな紙袋片手にその坂を上っている途中、自転車を立ち漕ぎして河川敷の方へ向かう笑顔の少年たちに軽々と追い抜かれた。
「元気でようござんすねぇ……おじさんにちょっくら分けてほしいよ……」
薄い水色の空の下、はしゃぐ少年たちを横目に蓬来荘を見上げた田儀は、肩をすぼめながら白い息を吐く。
『今週末うち来てよ、約束の手料理ご馳走するから。時間はまたあとで連絡しますんで』
田儀は腕をサッと曲げて、ステンカラーコートの袖口からのぞく腕時計を見る。時計の針は、あの後に届いたメッセージに記されていた、約束の時間の11分前を指している。
重い足取りで蓬来荘の階段を上がって、9分前。3階の彼女の部屋の前に立って、インターホンを押すまでに一体何分経っただろうか。
(意識してんのはどうせ俺だけだろうな……)
時計を見れば、約束の時間をとっくに過ぎていた。
「これ以上待たせるわけにはいかねぇよなぁ……」
時間に後押しされ、腹をくくってインターホンを押す。
ずれたサングラスを上げて待っていると、ドアの向こう側からこちらへ近づく足音が聞こえてきて、心臓の鼓動が速まった。
──ガチャッ──
ドアが半分開き、出迎えたのどかと目が合う。
「あー……」
と、田儀はすぐになにか言おうとしたが、
「おかえり」
そう投げかけられた予期せぬ言葉に、頭の中でなんども予行演習した返答が全て吹っ飛んだ。
「なに、どしたの?」
眉をひそめるのどかに顔を覗き込まれ、目をぱちくりさせた田儀は、顔をふいと逸らして後頭部をかいた。
「いや……おかえりって言うもんだから……」
「うん、一回言ってみたかったんだ~。てか寒いからはやく入って」
涼しい顔で笑うのどかに促され、おぼつかない足で彼女の部屋に踏み入った。
「お邪魔しますよ」
玄関からリビングに入るのはあっという間だったが、その間、前を歩くのどかの後ろ姿をまじまじと見つめていた。
マッシュショートと言っていた髪型の襟足はやはり少し刈り上げられていて、そのあらわになった細い首筋に、思わず喉が鳴る。
「ん?」
ふいに振り向いたのどかの長い前髪が揺れた。真正面から見ても、控えめな体型と相まって、やはり華奢な男の子にしか見えない。
「お、そうだ、これお土産」
田儀はマフラーを外しながら小さな紙袋を手渡す。紙袋の表面には筆で書かれた『あんのたまくしげ』の文字。
「あ! もしかしてたい焼き?」
「そです。俺が食いたかったやつ」
紙袋を軽く開いて中身を覗くと、1匹ずつ紙に包まれた茶色い魚が4匹いた。
「お~、ここのたい焼き美味しいよね」
「ん? 食ったことあんの?」
「ナスの近くの、坂あがったところにある、和菓子屋さんのでしょ?」
「うん、そこ」
「超ウマイよね」
「俺食ったことないんですが」
「……まじ?」
「マジ」
「へぇ、あたし何回も食べてる」
「うわズリィ~こいつ。なんで俺に教えてくれねぇんですかい」
「オジサンあっこらへんウロチョロしてんじゃん? だから知ってると思ってたしズルくないし。てか今超人気だよね。最近若い子多くてさぁ、行きづらくなってたから嬉しい! オジサンありがとねー」
「いえいえ……」
「あ。あったかいうち食べる? って、もう冷めてるわ。外寒かったでしょ」
「寒かった。さすがの俺でも風邪引くかも」
「うん、それはない」
腕を擦って寒いアピールする田儀に対し、のどかは心配する様子を1ミリも見せずきっぱりと否定して、紙袋を持ったまますぐ横のキッチンへ向かった。
「先お昼用意するから、手洗ってきて」
「はい……」
「あとサングラス似合ってない」
「……マジで?」
のどかに奪われてから新しく買った、ボストン型のライトグリーンレンズのサングラス。ファッションで、というよりは日差しよけのためにかけているも、またもはっきりと「似合わない」と言われると、それなりに身なりを気にしてしまう。
田儀は見向きもしないのどかの横顔をチラッと見て、外したサングラスを近くの棚の上に置いた。
「おにぎり2個と、鮭の塩焼きと、メインディッシュの豚汁です」
ソファ前の折りたたみローテーブルの上に並べられた一人前のご飯を一目した田儀は顔を上げ、向かい合うのどかを見つめた。
「昼飯……俺一人で食うの?」
「うん。一人分しか作ってない。豚汁なら少し残ってるけど……」
「なら豚汁持ってこい」
「えー?」
「一緒に食べよう」
「めんどくさ……」
頬杖をついていたのどかは重い腰を上げ、背中に視線を受けながらキッチンへ向かい、残りの豚汁をお椀によそう。
箸と一緒に豚汁を持って、田儀が待つテーブルに戻る。
「よし、いただきますしよう。ほら、手を合わせて」
満足げに笑って手を合わせる田儀に、のどかは不愉快そうな顔をして渋々手を合わせる。
「はい、いただきます」
「……いただきます」
のどかは箸を掴み、先に豚汁を口にする田儀の様子をそっと眺めるも、そのままなにも言わずに食べ進める姿に、目を細めて堪らず聞く。
「……どうですか? あたしの手料理の味は」
「うん、普通にウマイ」
「……それだけ?」
「え? ああ。熱くてウマイよ」
そう言って表情一つ変えずに食べる田儀。のどかは「あっそ」と口を尖らせ手元に視線を移し、豚汁を入れた器を両手で持ち上げた。
表面に豚肉の破片が浮いている。
湯気を浴びながら一口飲む。
「……まあまあかな」
「そうか?」
「うん、まあまあ」
箸で軽くかき混ぜると、その渦の真ん中で豚肉の破片がクルクルと回った。
そのまま邪魔な湯気をフゥーと吹き飛ばし、具の足りない豚汁を一気に飲み干した。
「ごちそうさま」
「はやっ」
「だってこれだけだし」
「おにぎり食うか?」
「いらない」
「……なんだ、食欲ないのか?」
「このご飯はね、あたしがオジサンのために作ったんだから、ありがたく食べて」
そう言って、のどかはテーブルに手をつき立ち上がる。
「どこ行くんだよ」
「片付けようと思って」
と、空いた器と箸を掴む。
「あとでもいいじゃないか、ここに座れ」
「……たい焼き食べたいから、温め直すついでに片付けるの」
「ダメだ、俺が食い終わるまでここにいろ」
「えー……なんでぇ……?」
「一人で食うより二人の方がウマイだろ?」
「食べてるのオジサンだけなんですけど……」
「いいから、ここにいろって。居てくれるだけでも違うんだ」
見上げる田儀がそっと微笑む。
のどかは渋々座り直し、テーブルに頬杖をついて、自分の手料理を食べる田儀の姿をぼんやりと見ていた。
キッチンに置いておいた『あんのたまくしげ』の紙袋を開き、冷めたたい焼きを取り出す。たい焼きを包んでいる紙には、手書きで味が表記されていて確認すると、つぶあん二つに、カスタードクリームとチョコレートが一つずつだった。
のどかはオーブントースターの網の上にたい焼き二つ並べて、ツマミを回しタイマーをセットする。
「ねぇ、カスタードとチョコはどうする?」
「お前どっち食いたい?」
「そんなのどっちもに決まってんじゃん」
「俺もどっちも食いたい。分けっこしようか」
「どうやって切るよ」
「そりゃ真ん中だろ」
「真ん中……横?」
「腹と背じゃねぇよ。頭と尻尾に分けんだよ」
のどかはオレンジ色の光を放つオーブントースターの中を覗く。
「……くびれ部分ムズくない?」
「なにが」
「尻尾のとこくびれてんじゃん? そこ計算して均等に切るの超ムズいって。横で、真ん中から切ったとしても、上の方がくびれてるからね」
「相場は頭と尻尾って決まってんだ」
「……あ、わかった!」
「なにが」
「表と裏で分けたらいいんじゃない? このくっついてるとこ切り離してさ……しかも表から見れば一匹に見える。あたし超冴えてるわ」
「いやいや、中のクリーム溶けてんだぞ? 垂れて大惨事になるからやめとけ。おとなしく頭と尻尾に分けろ」
「じゃあ尻尾の方少し大きめに切ろーかなぁ……。頭と尻尾どっち好き?」
「俺は尻尾」
「あたしが大きめに切るって言ったからでしょ」
「……んな大人げねぇこと言わんよ。普通に尻尾が好きなの。カリカリしてて好きなの」
「ちくしょう、あたしも尻尾派なんだよなぁ……こうなりゃじゃんけんで決めましょうや」
「いや、俺頭でいいよ」
「そんなわけにはいかぬ」
「いいって。俺が土産で持ってきたんだ、そこは譲るよ」
「うわなにー? その大人の余裕、みたいな態度。しゃくにさわるわぁ。そんなん言われたらさぁ、あたしがダダこねてる子供みたいじゃん」
「……譲るっつってんだから素直にありがたくいただけ」
「ならあたしが尻尾譲るわ。それで文句ないっしょ?」
「だから俺頭でいいつってんだろ?」
「はいはい、オジサンも素直じゃないですねぇ」
「あーあーわかった! わかったよ! 2個あるから頭と尻尾繋げて1匹にしよう。それでいいだろ?」
「じゃあ、あたしが切るから、オジサンが頭と尻尾、好きな方選んで」
「へいへい了解しやした」
──チンッ!──
「あっちぃっ」
のどかは温め直したたい焼きの熱さに耐えかねて皿に戻した。田儀は熱がりながらも逆さまにして持つ。
「尻尾から食べる派なんだ?」
「そっすね」
尻尾までぎっちりと詰まったあんこが、かじりついた瞬間に飛び出し「あつぁっ!」と思わず叫んで口を離した。
その様子にのどかはケラケラと笑って、少し焦げついたたい焼きの頭に歯を立てる。
「お前はあれだろ。イチゴのショートケーキに乗っかってるイチゴ、最後に食うタイプだろ」
「残念。イチゴは合間に食べるタイプでーす。普通に食べてって、甘くなったらイチゴかじってリセットして、またケーキ食べて……甘い甘い甘酸っぱい、甘い甘い甘酸っぱいのループ」
「箸休めのお漬もんみたいな食い方だな」
「オジサンは?」
「俺はー……最初にイチゴで、ショートケーキの表面に塗られてるクリームをこそげ落とすっつーか、周りのクリームを全部イチゴにくっつけて、それを先に食う」
「きもちわる!」
「どこがだよ」
「え、じゃあなに? スポンジ丸見えで食べるってこと?」
「まあ、そうだな」
「きもちわる!」
「気持ち悪いってんなら、お前の食い方の方が変だからな?」
「どこが?」
「中華まんだよ、中華まん。そのまんま食わずに半分にして、先に中身全部食ってからガワ食うだろ」
「だって“まん”が美味しいんだもん。中華まんの“まん”が美味しい。あれだけ食べたい」
「なんだよ“まん”って……」
「中が中華なら外はまんでしょ」
「中華まんのまんは、マントウのまんだよ」
「そうなの?」
「あと中は具な」
「確かに。ピザとかあるし、一概に中華とは言えないもんね。で、マントウってなに?」
「マントウっつーのは、具の入ってない中華まん……蒸しパンのことだ」
「え? ってことはさ、中華まんの皮を“まん”って呼ぶの合ってるってことだよね?」
「……ん? そうなるか……そうか。でもなんかヤだなぁ」
「てか、別に食べ方変じゃなくない? 一万歩譲って変だとしても、中華まんだけでしょ」
「だけじゃねーぞお前、たこ焼きもだ。食う前にタコだけほじくり出して、しかも8個全部出してから、ガワだけ食うだろ。職人さんが一個一個丁寧にな? タコを包んでクルクルしてんのによぉ、お前はそれをぐちゃぐちゃにしてんだぞ? 冒涜だ冒涜」
一匹平らげた田儀は、まだ温かさが残っているチョコレートたい焼きに手を伸ばす。
「だってタコ好きじゃないんだもん。だから先に抹殺すんの」
「だったら食わなきゃいいだろ」
「それは違うじゃん? たこ焼きの焼きの部分は好きだから食べたいの」
「じゃなんだ、たこ焼きの中がタコじゃなかったらお前はそのまんま食うのか?」
「うーん……肉でも出すかも。焼きだけ売って欲しい」
「黙ってお好み焼き食ってろ」
「なに言ってんの? お好み焼きとたこ焼きは全然違うじゃん。あたしはたこ焼きの焼きが好きなの」
「なんだ“焼き”って……いや、そんなことはどうでもいい。で、俺は気づいたんだよ。お前はガワが好きなんだなって。そしたら食パンの耳は先に食うだろ?」
「しょうがないよね」
「いいか? お前は中身を先に食うって法則ができてんだよ」
「あのね、食の好みに法則なんてないんですよ」
のどかは持ち上げたたい焼きの切り口から溢れ出るカスタードクリームを舐めとる。
「……外側といえば、カップアイスも周りから食うよな。外堀作ってカップの真ん中に丸く残して……誰かに攻め入られんのか?」
「周りの方が溶けやすいんだから、理にかなってる食べ方でしょー?」
「そうだ、アイスで思い出したが、ピザにアイス乗っけて食ってたよな。元々甘いピザとかじゃなく、普通のマルゲリータに乗せて」
「うん。甘じょっぱくて美味しいよ?」
「お前のヘンショクは変な食い方と書いて変食だな」
田儀は残りのたい焼きを二口で食べ切り、のどかは指についたカスタードクリームをティッシュで拭い取って、チョコレートが詰まった尻尾を掴む。
「……チューブの練乳直飲みしてたときはびっくりしたぞ」
「いつもじゃないし、残り少ないときにしかしないし」
切り口から噛みつく。ドロリと口の中に流れ込んでくるチョコレートは、すっかり冷めていた。
「てかあたしのこと見すぎじゃない?」
尻尾をくわえながら視線を向けると、バッチリ目が合った。
「エッチ」
その言葉に目を丸くする田儀は、くわえた尻尾を噛みちぎるのどかを見つめたまま、ぎこちなく聞き返す。
「……エッ、エッチ?」
「そうじゃん。人が食べるとこじいっと見て……なに考えてんの?」
「なにって……なにも……」
「だったら見ないで」
「なんだよ今さら……。別に見たっていいだろ~? 俺ぁ人が飯食ってるとこ見んのが好きなんだよ」
眉をひそめたのどかは、にへらと笑う田儀から視線を逸らして歯形のついた尻尾を口へ放り込み、咀嚼しながら「ヘンタイ」と呟いた。
またも目を丸くする田儀。その視線をさけるように、のどかは目をつむり、「ごちそうさまでした」と丁寧に手を合わせた。
スッとまぶたを開いて目を向けると、やっぱりまだこちらを見ていた。のどかはそのまま田儀の目を見つめ、「じゃ、帰って」と素っ気ない言葉を吐いた。
「食べ終わったんなら帰って」
ぽかんとした顔をする田儀に、のどかは繰り返し言う。
「……食ったばっかなんだからも少し休ませろよ」
「無理。これからデートだから」
たい焼きの破片が乗っている皿を重ねて立ち上がるのどかを、田儀はおもむろに見上げた。
「……デート? 誰が」
「あたしが」
「誰と」
「ダーリンと」
それを聞いて、片膝を立てて座り直した田儀が鼻で笑う。
「お前にダーリンなんているわけねーだろ」
のどかはせせら笑う様子を横目で見て、キッチンへ向かう。
シンクに置いておいた汚れた食器に目を落とすと、「足立か!?」と張り上げる声がして、顔を上げるとまた目が合った。
「……ダッチー? ないない。まあ、話してみると意外と面白い人だけどさー……ありえない」
のどかは首を横に振って、蛇口のレバーを上げる。洗い桶に水を溜めながら、食器を洗い始めた。
「あーそういえば、ダッチーと一緒に歩いてるとき、知らねーじいさんに夫婦だと思われてさ、マジでショックだったの」
「そういう年ってことだろ?」
「いや、年齢じゃなくて」
「ん?」
「……異性と一緒にいるだけで、他人からそういう風に見られるんだって思ったらさぁ……すっごいショックだったの! もうすっごい! ……なんで決めつけるんだろうね……」
うつむくのどかの憂いを帯びた目を見て、田儀は視線を逸らし、後ろに手をついて天井を見上げた。
「つーことは、俺と歩いてるときも夫婦に見られてる、ってことか」
独り言のように発した田儀の言葉に、のどかは口の端をニヤッとゆがめ、呆れたようにため息を吐く。
「ないわー」
「はは、ないな。冗談です」
田儀は目を細めてうっすらと笑い、あぐらを組む。
「……じゃあ、たかしくん?」
「違います」
「え? たかしくんじゃないのか? だったらたかしくんどうすんだよ」
「どうするってなにが」
「……だから、たかしくんはその気になってるんじゃないのか?」
「そんなの知らん」
「知らんってお前……んな無責任な……」
「あのねぇ、あたしは他人気にするほどよゆぅ……優しくないから」
洗い物を終えたのどかが蛇口のレバーを下げると、絶えず流れていた水の音が止んだ。
のどかはタオルで濡れた手を拭き、あぐらを組む田儀へ近づく。
「もういい加減帰ってくれない?」
「へっ、まだいいだろ?」
微笑みながら見上げる田儀に、のどかはそっと首を横に振る。
「オジサンとの約束は果たしたんだから、もう用はないでしょ? お願いだから帰って」
そう突き放す言葉をかけたのどかの表情は穏やかだったが、まっすぐと向けられる真剣な眼差しはどこか儚げで、思わず笑顔が消えてしまった田儀の心が騒ぎ出す。
・・・
『1月1日より敷地内全面禁煙となります』
コンビニで買ったホットドリンク片手に、だだっ広い公園の隅っこにあるベンチに腰を下ろす。田儀はため息を吐いて、コートのポケットに手を突っ込みタバコを取り出した。
彼女の部屋を出たあと、4丁目の交差点まで戻ったが、なんだか帰るに帰れずそのまま街をうろつき、どこかの飲食店にでも入ろうかと考えたがどこもかしこも全席禁煙で、しかたなくこの寒空の下、公園で一息つくことにした。
ホットドリンクを股の間に挟んで、タバコを吸っていると、着信音が鳴った。
まさかと期待感を抱き携帯電話を開くと、表示されていた名前は『ママちゃん』だった。
「……はい、なにか用か?」
タバコをくわえながらため息混じりに問いかけると、『パパぁ?』と返ってきた声は幼く、口元をゆるめた田儀は唇からタバコを離して、背もたれに寄りかかった。
「おう、コウキか。どうした?」
『パパ何時に帰ってくる?』
「んー……そうだなぁ……」
一応腕時計で時刻を確認するも上の空で、返答を迷っていると『はやく遊ぼー?』と催促された。
「ごめんなぁコウキ。もう少しかかりそうなんだよ」
『えーすぐ帰るって言ったじゃん』
「あん? そうだっけ? ちょっと出かけてくるとは言ったけどねぇ……」
『ちょっとってどのくらい?』
「ちょっとは……ちょっとだよ、ほんのすこーし……」
灰が落ちそうなタバコを一口だけ吸って、 ベンチの脇にある吸殻入れに捨てた。
『じゃあ今帰ってくる?』
「……今は~……無理だなぁ。悪い、もう少し待ってて」
『パパはうそつきだあ!』
「ぇえ? ……嘘はついてないだろ~……?」
『だっておれと遊ぶ約束したのにすぐ帰ってこないじゃん!』
「いや、うん……そうだった……」
『今すぐパパと遊びたいのー! 今すぐ帰ってきてよお!』
「……だから今すぐは無理だって……」
電話口から聞こえる駄々をこねる声がヒートアップし、思わず耳元から受話口を離した。背中を丸めた田儀はうつむき、膝に肘をついて、こめかみを押さえるように手のひらで目元を覆う。
『……パパ……パパさん? ……丈、さん?』
気づくと電話口の声は変わっていて、その呼びかけに田儀は再度受話口を耳に当てた。
「……ああ、奈々子さんか」
『ごめんなさい、コウくんが勝手に電話かけちゃって……。私の方で言っておきますので、ゆっくりなさってくださいね』
「いや、いいよ。帰るから」
そう伝えると、返事を返す奈々子の声のトーンが上がった。
田儀は電話を切る前に「すぐ帰る」と改めて言い、股に挟んだホットドリンクの緑茶をコートのポケットに無理やり突っ込む。
いたるところに立てられた喫煙禁止を煽る看板を横目に、一番遠回りになる出口を目指しておもむろに歩いていると、枯れた噴水が目に留まった。
噴水の中央には、手を繋ぐ二人の裸の天使像がある。空を見上げて背伸びをする翼を広げた天使と、隣を見上げて座っている翼をたたんだ天使。タイトルは『天翔る友よ』。
なんとなしに写真を一枚撮ろうと、噴水に近づき携帯電話をかざしていると、通りすがりに立ち止まった女性二人の会話が、背中越しに聞こえてきた。
「見てみて撮ってる」
「うわっ、オモロ」
「有名なのかなぁ」
「ちゃうやろ。ここめっちゃ通るけどこんなん撮ってる人見たことないで」
「面白いね」
「オモロイな」
「私も撮ろうかな」
「やめとき」
「一枚だけ……」
「アカンて。仲間や思われるで?」
「大丈夫、私はあの人を撮るから」
「なおさらアカンやん!」
「景色撮ってる風に見せかけて撮るのがコツだよ」
「あんた常習者やろ」
「うん、いつもミッチャン撮ってるの」
「うちならええけど……」
「あ。ねぇねぇあれさ」
「なに?」
「あの銅像見てて、今ふと思ったんだけどね?」
「うん」
「立ってる子が座ってる子の手を引いて一緒に飛ぼうとしてるのかなぁ、って思ってたんだけどさ」
「うん」
「座ってる子が立ってる子を引っ張ってるのかなぁ」
「なんで?」
「『空を飛ぶなら服を着なさい!』って」
「フフッ。それ言うんやったら、飛ぶ飛ばん関係なしにお前も服着ろし。ここ外やで?」
「寒そうだよねー」
「うんめっちゃ寒い。天使も風邪引くわ」
「……ほんなら、ミッチャン風邪引かへんように、私がくっついてあげたろうかー?」
「誰が天使やねん。てかその言葉遣いやめぇや。あげ太郎って……」
「ミッチャンと一緒にいたら移ってしもたねんやんかー。ミッチャンのせいやでー?」
「うちのせいちゃうし、そんなキモッチワルイ言い方せぇへん」
「そうでっしゃろかー」
「……もうええからはよ帰ろ、寒い」
「だねー、はやく帰ってあったまろー」
田儀は撮った写真をざっと確認して、遠ざかる声のする方へ見向く。
一人はベージュのチェスターコートの裾からはみ出た白のスカートを揺らして、もう一人はカーキのショート丈モッズコートにタイトなスキニーデニムを着こなしスマートに歩いている。二人は手を繋いでいて、その対照的な後ろ姿はカップルに見えた。
声から得たイメージとだいぶ違う二人に向かって、田儀は携帯電話をかざし、今撮った天使像の写真と照らし合わせる。
写真の二人は、空を目指す天使が友の手を引いて、共に大空へ舞い上がろうとしている。だが、田儀の目には座り込む天使が、旅立つ友を引き留めている様に見えていた。その結果二人は石化し、時が止まった。もし、共に旅立つ選択をしていたのなら……。
「……お前はこれでよかったのか?」
その視線の先に映る遠ざかる二人は、離れたりくっついたり、それでも手は握ったままで、ときおり見つめ合って笑い合う。
田儀は携帯電話をケツポケットにしまい、腕時計で時刻を確認する。長針は彼女の部屋を出てからもうすでに一周していた。
小さくため息をつき、無意識にポケットに入れた手がタバコの箱を掴む。
吸ったところで、このモヤモヤはスッキリしない。その原因はハッキリしている。だから解決法も端からわかっていた。
禁煙を促す看板を少し眺めて、緩めた手をポケットから抜いた。
「……行くか」
田儀は枯れた噴水に背を向け、ここから一番の近道となる出口を目指し、地を駆ける。
振り返ることなく、先を行く楽しげな二人を追い越して……。
「見てみて走ってる」
「うわっ、オモロ」
「ジョギングしてるのかなぁ」
「あの格好でジョギングはないやろ。急用できたんちゃう?」
「やっぱりあの人面白いね」
「うん、オモロイ。これはオモロイ記念に写真撮りたなるなぁ」
「せやろー」
「せやなぁ」
「あとで送るね」
「……いつの間に撮ったん!?」
小さな紙袋片手にその坂を上っている途中、自転車を立ち漕ぎして河川敷の方へ向かう笑顔の少年たちに軽々と追い抜かれた。
「元気でようござんすねぇ……おじさんにちょっくら分けてほしいよ……」
薄い水色の空の下、はしゃぐ少年たちを横目に蓬来荘を見上げた田儀は、肩をすぼめながら白い息を吐く。
『今週末うち来てよ、約束の手料理ご馳走するから。時間はまたあとで連絡しますんで』
田儀は腕をサッと曲げて、ステンカラーコートの袖口からのぞく腕時計を見る。時計の針は、あの後に届いたメッセージに記されていた、約束の時間の11分前を指している。
重い足取りで蓬来荘の階段を上がって、9分前。3階の彼女の部屋の前に立って、インターホンを押すまでに一体何分経っただろうか。
(意識してんのはどうせ俺だけだろうな……)
時計を見れば、約束の時間をとっくに過ぎていた。
「これ以上待たせるわけにはいかねぇよなぁ……」
時間に後押しされ、腹をくくってインターホンを押す。
ずれたサングラスを上げて待っていると、ドアの向こう側からこちらへ近づく足音が聞こえてきて、心臓の鼓動が速まった。
──ガチャッ──
ドアが半分開き、出迎えたのどかと目が合う。
「あー……」
と、田儀はすぐになにか言おうとしたが、
「おかえり」
そう投げかけられた予期せぬ言葉に、頭の中でなんども予行演習した返答が全て吹っ飛んだ。
「なに、どしたの?」
眉をひそめるのどかに顔を覗き込まれ、目をぱちくりさせた田儀は、顔をふいと逸らして後頭部をかいた。
「いや……おかえりって言うもんだから……」
「うん、一回言ってみたかったんだ~。てか寒いからはやく入って」
涼しい顔で笑うのどかに促され、おぼつかない足で彼女の部屋に踏み入った。
「お邪魔しますよ」
玄関からリビングに入るのはあっという間だったが、その間、前を歩くのどかの後ろ姿をまじまじと見つめていた。
マッシュショートと言っていた髪型の襟足はやはり少し刈り上げられていて、そのあらわになった細い首筋に、思わず喉が鳴る。
「ん?」
ふいに振り向いたのどかの長い前髪が揺れた。真正面から見ても、控えめな体型と相まって、やはり華奢な男の子にしか見えない。
「お、そうだ、これお土産」
田儀はマフラーを外しながら小さな紙袋を手渡す。紙袋の表面には筆で書かれた『あんのたまくしげ』の文字。
「あ! もしかしてたい焼き?」
「そです。俺が食いたかったやつ」
紙袋を軽く開いて中身を覗くと、1匹ずつ紙に包まれた茶色い魚が4匹いた。
「お~、ここのたい焼き美味しいよね」
「ん? 食ったことあんの?」
「ナスの近くの、坂あがったところにある、和菓子屋さんのでしょ?」
「うん、そこ」
「超ウマイよね」
「俺食ったことないんですが」
「……まじ?」
「マジ」
「へぇ、あたし何回も食べてる」
「うわズリィ~こいつ。なんで俺に教えてくれねぇんですかい」
「オジサンあっこらへんウロチョロしてんじゃん? だから知ってると思ってたしズルくないし。てか今超人気だよね。最近若い子多くてさぁ、行きづらくなってたから嬉しい! オジサンありがとねー」
「いえいえ……」
「あ。あったかいうち食べる? って、もう冷めてるわ。外寒かったでしょ」
「寒かった。さすがの俺でも風邪引くかも」
「うん、それはない」
腕を擦って寒いアピールする田儀に対し、のどかは心配する様子を1ミリも見せずきっぱりと否定して、紙袋を持ったまますぐ横のキッチンへ向かった。
「先お昼用意するから、手洗ってきて」
「はい……」
「あとサングラス似合ってない」
「……マジで?」
のどかに奪われてから新しく買った、ボストン型のライトグリーンレンズのサングラス。ファッションで、というよりは日差しよけのためにかけているも、またもはっきりと「似合わない」と言われると、それなりに身なりを気にしてしまう。
田儀は見向きもしないのどかの横顔をチラッと見て、外したサングラスを近くの棚の上に置いた。
「おにぎり2個と、鮭の塩焼きと、メインディッシュの豚汁です」
ソファ前の折りたたみローテーブルの上に並べられた一人前のご飯を一目した田儀は顔を上げ、向かい合うのどかを見つめた。
「昼飯……俺一人で食うの?」
「うん。一人分しか作ってない。豚汁なら少し残ってるけど……」
「なら豚汁持ってこい」
「えー?」
「一緒に食べよう」
「めんどくさ……」
頬杖をついていたのどかは重い腰を上げ、背中に視線を受けながらキッチンへ向かい、残りの豚汁をお椀によそう。
箸と一緒に豚汁を持って、田儀が待つテーブルに戻る。
「よし、いただきますしよう。ほら、手を合わせて」
満足げに笑って手を合わせる田儀に、のどかは不愉快そうな顔をして渋々手を合わせる。
「はい、いただきます」
「……いただきます」
のどかは箸を掴み、先に豚汁を口にする田儀の様子をそっと眺めるも、そのままなにも言わずに食べ進める姿に、目を細めて堪らず聞く。
「……どうですか? あたしの手料理の味は」
「うん、普通にウマイ」
「……それだけ?」
「え? ああ。熱くてウマイよ」
そう言って表情一つ変えずに食べる田儀。のどかは「あっそ」と口を尖らせ手元に視線を移し、豚汁を入れた器を両手で持ち上げた。
表面に豚肉の破片が浮いている。
湯気を浴びながら一口飲む。
「……まあまあかな」
「そうか?」
「うん、まあまあ」
箸で軽くかき混ぜると、その渦の真ん中で豚肉の破片がクルクルと回った。
そのまま邪魔な湯気をフゥーと吹き飛ばし、具の足りない豚汁を一気に飲み干した。
「ごちそうさま」
「はやっ」
「だってこれだけだし」
「おにぎり食うか?」
「いらない」
「……なんだ、食欲ないのか?」
「このご飯はね、あたしがオジサンのために作ったんだから、ありがたく食べて」
そう言って、のどかはテーブルに手をつき立ち上がる。
「どこ行くんだよ」
「片付けようと思って」
と、空いた器と箸を掴む。
「あとでもいいじゃないか、ここに座れ」
「……たい焼き食べたいから、温め直すついでに片付けるの」
「ダメだ、俺が食い終わるまでここにいろ」
「えー……なんでぇ……?」
「一人で食うより二人の方がウマイだろ?」
「食べてるのオジサンだけなんですけど……」
「いいから、ここにいろって。居てくれるだけでも違うんだ」
見上げる田儀がそっと微笑む。
のどかは渋々座り直し、テーブルに頬杖をついて、自分の手料理を食べる田儀の姿をぼんやりと見ていた。
キッチンに置いておいた『あんのたまくしげ』の紙袋を開き、冷めたたい焼きを取り出す。たい焼きを包んでいる紙には、手書きで味が表記されていて確認すると、つぶあん二つに、カスタードクリームとチョコレートが一つずつだった。
のどかはオーブントースターの網の上にたい焼き二つ並べて、ツマミを回しタイマーをセットする。
「ねぇ、カスタードとチョコはどうする?」
「お前どっち食いたい?」
「そんなのどっちもに決まってんじゃん」
「俺もどっちも食いたい。分けっこしようか」
「どうやって切るよ」
「そりゃ真ん中だろ」
「真ん中……横?」
「腹と背じゃねぇよ。頭と尻尾に分けんだよ」
のどかはオレンジ色の光を放つオーブントースターの中を覗く。
「……くびれ部分ムズくない?」
「なにが」
「尻尾のとこくびれてんじゃん? そこ計算して均等に切るの超ムズいって。横で、真ん中から切ったとしても、上の方がくびれてるからね」
「相場は頭と尻尾って決まってんだ」
「……あ、わかった!」
「なにが」
「表と裏で分けたらいいんじゃない? このくっついてるとこ切り離してさ……しかも表から見れば一匹に見える。あたし超冴えてるわ」
「いやいや、中のクリーム溶けてんだぞ? 垂れて大惨事になるからやめとけ。おとなしく頭と尻尾に分けろ」
「じゃあ尻尾の方少し大きめに切ろーかなぁ……。頭と尻尾どっち好き?」
「俺は尻尾」
「あたしが大きめに切るって言ったからでしょ」
「……んな大人げねぇこと言わんよ。普通に尻尾が好きなの。カリカリしてて好きなの」
「ちくしょう、あたしも尻尾派なんだよなぁ……こうなりゃじゃんけんで決めましょうや」
「いや、俺頭でいいよ」
「そんなわけにはいかぬ」
「いいって。俺が土産で持ってきたんだ、そこは譲るよ」
「うわなにー? その大人の余裕、みたいな態度。しゃくにさわるわぁ。そんなん言われたらさぁ、あたしがダダこねてる子供みたいじゃん」
「……譲るっつってんだから素直にありがたくいただけ」
「ならあたしが尻尾譲るわ。それで文句ないっしょ?」
「だから俺頭でいいつってんだろ?」
「はいはい、オジサンも素直じゃないですねぇ」
「あーあーわかった! わかったよ! 2個あるから頭と尻尾繋げて1匹にしよう。それでいいだろ?」
「じゃあ、あたしが切るから、オジサンが頭と尻尾、好きな方選んで」
「へいへい了解しやした」
──チンッ!──
「あっちぃっ」
のどかは温め直したたい焼きの熱さに耐えかねて皿に戻した。田儀は熱がりながらも逆さまにして持つ。
「尻尾から食べる派なんだ?」
「そっすね」
尻尾までぎっちりと詰まったあんこが、かじりついた瞬間に飛び出し「あつぁっ!」と思わず叫んで口を離した。
その様子にのどかはケラケラと笑って、少し焦げついたたい焼きの頭に歯を立てる。
「お前はあれだろ。イチゴのショートケーキに乗っかってるイチゴ、最後に食うタイプだろ」
「残念。イチゴは合間に食べるタイプでーす。普通に食べてって、甘くなったらイチゴかじってリセットして、またケーキ食べて……甘い甘い甘酸っぱい、甘い甘い甘酸っぱいのループ」
「箸休めのお漬もんみたいな食い方だな」
「オジサンは?」
「俺はー……最初にイチゴで、ショートケーキの表面に塗られてるクリームをこそげ落とすっつーか、周りのクリームを全部イチゴにくっつけて、それを先に食う」
「きもちわる!」
「どこがだよ」
「え、じゃあなに? スポンジ丸見えで食べるってこと?」
「まあ、そうだな」
「きもちわる!」
「気持ち悪いってんなら、お前の食い方の方が変だからな?」
「どこが?」
「中華まんだよ、中華まん。そのまんま食わずに半分にして、先に中身全部食ってからガワ食うだろ」
「だって“まん”が美味しいんだもん。中華まんの“まん”が美味しい。あれだけ食べたい」
「なんだよ“まん”って……」
「中が中華なら外はまんでしょ」
「中華まんのまんは、マントウのまんだよ」
「そうなの?」
「あと中は具な」
「確かに。ピザとかあるし、一概に中華とは言えないもんね。で、マントウってなに?」
「マントウっつーのは、具の入ってない中華まん……蒸しパンのことだ」
「え? ってことはさ、中華まんの皮を“まん”って呼ぶの合ってるってことだよね?」
「……ん? そうなるか……そうか。でもなんかヤだなぁ」
「てか、別に食べ方変じゃなくない? 一万歩譲って変だとしても、中華まんだけでしょ」
「だけじゃねーぞお前、たこ焼きもだ。食う前にタコだけほじくり出して、しかも8個全部出してから、ガワだけ食うだろ。職人さんが一個一個丁寧にな? タコを包んでクルクルしてんのによぉ、お前はそれをぐちゃぐちゃにしてんだぞ? 冒涜だ冒涜」
一匹平らげた田儀は、まだ温かさが残っているチョコレートたい焼きに手を伸ばす。
「だってタコ好きじゃないんだもん。だから先に抹殺すんの」
「だったら食わなきゃいいだろ」
「それは違うじゃん? たこ焼きの焼きの部分は好きだから食べたいの」
「じゃなんだ、たこ焼きの中がタコじゃなかったらお前はそのまんま食うのか?」
「うーん……肉でも出すかも。焼きだけ売って欲しい」
「黙ってお好み焼き食ってろ」
「なに言ってんの? お好み焼きとたこ焼きは全然違うじゃん。あたしはたこ焼きの焼きが好きなの」
「なんだ“焼き”って……いや、そんなことはどうでもいい。で、俺は気づいたんだよ。お前はガワが好きなんだなって。そしたら食パンの耳は先に食うだろ?」
「しょうがないよね」
「いいか? お前は中身を先に食うって法則ができてんだよ」
「あのね、食の好みに法則なんてないんですよ」
のどかは持ち上げたたい焼きの切り口から溢れ出るカスタードクリームを舐めとる。
「……外側といえば、カップアイスも周りから食うよな。外堀作ってカップの真ん中に丸く残して……誰かに攻め入られんのか?」
「周りの方が溶けやすいんだから、理にかなってる食べ方でしょー?」
「そうだ、アイスで思い出したが、ピザにアイス乗っけて食ってたよな。元々甘いピザとかじゃなく、普通のマルゲリータに乗せて」
「うん。甘じょっぱくて美味しいよ?」
「お前のヘンショクは変な食い方と書いて変食だな」
田儀は残りのたい焼きを二口で食べ切り、のどかは指についたカスタードクリームをティッシュで拭い取って、チョコレートが詰まった尻尾を掴む。
「……チューブの練乳直飲みしてたときはびっくりしたぞ」
「いつもじゃないし、残り少ないときにしかしないし」
切り口から噛みつく。ドロリと口の中に流れ込んでくるチョコレートは、すっかり冷めていた。
「てかあたしのこと見すぎじゃない?」
尻尾をくわえながら視線を向けると、バッチリ目が合った。
「エッチ」
その言葉に目を丸くする田儀は、くわえた尻尾を噛みちぎるのどかを見つめたまま、ぎこちなく聞き返す。
「……エッ、エッチ?」
「そうじゃん。人が食べるとこじいっと見て……なに考えてんの?」
「なにって……なにも……」
「だったら見ないで」
「なんだよ今さら……。別に見たっていいだろ~? 俺ぁ人が飯食ってるとこ見んのが好きなんだよ」
眉をひそめたのどかは、にへらと笑う田儀から視線を逸らして歯形のついた尻尾を口へ放り込み、咀嚼しながら「ヘンタイ」と呟いた。
またも目を丸くする田儀。その視線をさけるように、のどかは目をつむり、「ごちそうさまでした」と丁寧に手を合わせた。
スッとまぶたを開いて目を向けると、やっぱりまだこちらを見ていた。のどかはそのまま田儀の目を見つめ、「じゃ、帰って」と素っ気ない言葉を吐いた。
「食べ終わったんなら帰って」
ぽかんとした顔をする田儀に、のどかは繰り返し言う。
「……食ったばっかなんだからも少し休ませろよ」
「無理。これからデートだから」
たい焼きの破片が乗っている皿を重ねて立ち上がるのどかを、田儀はおもむろに見上げた。
「……デート? 誰が」
「あたしが」
「誰と」
「ダーリンと」
それを聞いて、片膝を立てて座り直した田儀が鼻で笑う。
「お前にダーリンなんているわけねーだろ」
のどかはせせら笑う様子を横目で見て、キッチンへ向かう。
シンクに置いておいた汚れた食器に目を落とすと、「足立か!?」と張り上げる声がして、顔を上げるとまた目が合った。
「……ダッチー? ないない。まあ、話してみると意外と面白い人だけどさー……ありえない」
のどかは首を横に振って、蛇口のレバーを上げる。洗い桶に水を溜めながら、食器を洗い始めた。
「あーそういえば、ダッチーと一緒に歩いてるとき、知らねーじいさんに夫婦だと思われてさ、マジでショックだったの」
「そういう年ってことだろ?」
「いや、年齢じゃなくて」
「ん?」
「……異性と一緒にいるだけで、他人からそういう風に見られるんだって思ったらさぁ……すっごいショックだったの! もうすっごい! ……なんで決めつけるんだろうね……」
うつむくのどかの憂いを帯びた目を見て、田儀は視線を逸らし、後ろに手をついて天井を見上げた。
「つーことは、俺と歩いてるときも夫婦に見られてる、ってことか」
独り言のように発した田儀の言葉に、のどかは口の端をニヤッとゆがめ、呆れたようにため息を吐く。
「ないわー」
「はは、ないな。冗談です」
田儀は目を細めてうっすらと笑い、あぐらを組む。
「……じゃあ、たかしくん?」
「違います」
「え? たかしくんじゃないのか? だったらたかしくんどうすんだよ」
「どうするってなにが」
「……だから、たかしくんはその気になってるんじゃないのか?」
「そんなの知らん」
「知らんってお前……んな無責任な……」
「あのねぇ、あたしは他人気にするほどよゆぅ……優しくないから」
洗い物を終えたのどかが蛇口のレバーを下げると、絶えず流れていた水の音が止んだ。
のどかはタオルで濡れた手を拭き、あぐらを組む田儀へ近づく。
「もういい加減帰ってくれない?」
「へっ、まだいいだろ?」
微笑みながら見上げる田儀に、のどかはそっと首を横に振る。
「オジサンとの約束は果たしたんだから、もう用はないでしょ? お願いだから帰って」
そう突き放す言葉をかけたのどかの表情は穏やかだったが、まっすぐと向けられる真剣な眼差しはどこか儚げで、思わず笑顔が消えてしまった田儀の心が騒ぎ出す。
・・・
『1月1日より敷地内全面禁煙となります』
コンビニで買ったホットドリンク片手に、だだっ広い公園の隅っこにあるベンチに腰を下ろす。田儀はため息を吐いて、コートのポケットに手を突っ込みタバコを取り出した。
彼女の部屋を出たあと、4丁目の交差点まで戻ったが、なんだか帰るに帰れずそのまま街をうろつき、どこかの飲食店にでも入ろうかと考えたがどこもかしこも全席禁煙で、しかたなくこの寒空の下、公園で一息つくことにした。
ホットドリンクを股の間に挟んで、タバコを吸っていると、着信音が鳴った。
まさかと期待感を抱き携帯電話を開くと、表示されていた名前は『ママちゃん』だった。
「……はい、なにか用か?」
タバコをくわえながらため息混じりに問いかけると、『パパぁ?』と返ってきた声は幼く、口元をゆるめた田儀は唇からタバコを離して、背もたれに寄りかかった。
「おう、コウキか。どうした?」
『パパ何時に帰ってくる?』
「んー……そうだなぁ……」
一応腕時計で時刻を確認するも上の空で、返答を迷っていると『はやく遊ぼー?』と催促された。
「ごめんなぁコウキ。もう少しかかりそうなんだよ」
『えーすぐ帰るって言ったじゃん』
「あん? そうだっけ? ちょっと出かけてくるとは言ったけどねぇ……」
『ちょっとってどのくらい?』
「ちょっとは……ちょっとだよ、ほんのすこーし……」
灰が落ちそうなタバコを一口だけ吸って、 ベンチの脇にある吸殻入れに捨てた。
『じゃあ今帰ってくる?』
「……今は~……無理だなぁ。悪い、もう少し待ってて」
『パパはうそつきだあ!』
「ぇえ? ……嘘はついてないだろ~……?」
『だっておれと遊ぶ約束したのにすぐ帰ってこないじゃん!』
「いや、うん……そうだった……」
『今すぐパパと遊びたいのー! 今すぐ帰ってきてよお!』
「……だから今すぐは無理だって……」
電話口から聞こえる駄々をこねる声がヒートアップし、思わず耳元から受話口を離した。背中を丸めた田儀はうつむき、膝に肘をついて、こめかみを押さえるように手のひらで目元を覆う。
『……パパ……パパさん? ……丈、さん?』
気づくと電話口の声は変わっていて、その呼びかけに田儀は再度受話口を耳に当てた。
「……ああ、奈々子さんか」
『ごめんなさい、コウくんが勝手に電話かけちゃって……。私の方で言っておきますので、ゆっくりなさってくださいね』
「いや、いいよ。帰るから」
そう伝えると、返事を返す奈々子の声のトーンが上がった。
田儀は電話を切る前に「すぐ帰る」と改めて言い、股に挟んだホットドリンクの緑茶をコートのポケットに無理やり突っ込む。
いたるところに立てられた喫煙禁止を煽る看板を横目に、一番遠回りになる出口を目指しておもむろに歩いていると、枯れた噴水が目に留まった。
噴水の中央には、手を繋ぐ二人の裸の天使像がある。空を見上げて背伸びをする翼を広げた天使と、隣を見上げて座っている翼をたたんだ天使。タイトルは『天翔る友よ』。
なんとなしに写真を一枚撮ろうと、噴水に近づき携帯電話をかざしていると、通りすがりに立ち止まった女性二人の会話が、背中越しに聞こえてきた。
「見てみて撮ってる」
「うわっ、オモロ」
「有名なのかなぁ」
「ちゃうやろ。ここめっちゃ通るけどこんなん撮ってる人見たことないで」
「面白いね」
「オモロイな」
「私も撮ろうかな」
「やめとき」
「一枚だけ……」
「アカンて。仲間や思われるで?」
「大丈夫、私はあの人を撮るから」
「なおさらアカンやん!」
「景色撮ってる風に見せかけて撮るのがコツだよ」
「あんた常習者やろ」
「うん、いつもミッチャン撮ってるの」
「うちならええけど……」
「あ。ねぇねぇあれさ」
「なに?」
「あの銅像見てて、今ふと思ったんだけどね?」
「うん」
「立ってる子が座ってる子の手を引いて一緒に飛ぼうとしてるのかなぁ、って思ってたんだけどさ」
「うん」
「座ってる子が立ってる子を引っ張ってるのかなぁ」
「なんで?」
「『空を飛ぶなら服を着なさい!』って」
「フフッ。それ言うんやったら、飛ぶ飛ばん関係なしにお前も服着ろし。ここ外やで?」
「寒そうだよねー」
「うんめっちゃ寒い。天使も風邪引くわ」
「……ほんなら、ミッチャン風邪引かへんように、私がくっついてあげたろうかー?」
「誰が天使やねん。てかその言葉遣いやめぇや。あげ太郎って……」
「ミッチャンと一緒にいたら移ってしもたねんやんかー。ミッチャンのせいやでー?」
「うちのせいちゃうし、そんなキモッチワルイ言い方せぇへん」
「そうでっしゃろかー」
「……もうええからはよ帰ろ、寒い」
「だねー、はやく帰ってあったまろー」
田儀は撮った写真をざっと確認して、遠ざかる声のする方へ見向く。
一人はベージュのチェスターコートの裾からはみ出た白のスカートを揺らして、もう一人はカーキのショート丈モッズコートにタイトなスキニーデニムを着こなしスマートに歩いている。二人は手を繋いでいて、その対照的な後ろ姿はカップルに見えた。
声から得たイメージとだいぶ違う二人に向かって、田儀は携帯電話をかざし、今撮った天使像の写真と照らし合わせる。
写真の二人は、空を目指す天使が友の手を引いて、共に大空へ舞い上がろうとしている。だが、田儀の目には座り込む天使が、旅立つ友を引き留めている様に見えていた。その結果二人は石化し、時が止まった。もし、共に旅立つ選択をしていたのなら……。
「……お前はこれでよかったのか?」
その視線の先に映る遠ざかる二人は、離れたりくっついたり、それでも手は握ったままで、ときおり見つめ合って笑い合う。
田儀は携帯電話をケツポケットにしまい、腕時計で時刻を確認する。長針は彼女の部屋を出てからもうすでに一周していた。
小さくため息をつき、無意識にポケットに入れた手がタバコの箱を掴む。
吸ったところで、このモヤモヤはスッキリしない。その原因はハッキリしている。だから解決法も端からわかっていた。
禁煙を促す看板を少し眺めて、緩めた手をポケットから抜いた。
「……行くか」
田儀は枯れた噴水に背を向け、ここから一番の近道となる出口を目指し、地を駆ける。
振り返ることなく、先を行く楽しげな二人を追い越して……。
「見てみて走ってる」
「うわっ、オモロ」
「ジョギングしてるのかなぁ」
「あの格好でジョギングはないやろ。急用できたんちゃう?」
「やっぱりあの人面白いね」
「うん、オモロイ。これはオモロイ記念に写真撮りたなるなぁ」
「せやろー」
「せやなぁ」
「あとで送るね」
「……いつの間に撮ったん!?」
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