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第8話 街の外れのエルフ
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ミオの知人の家は森の端にあった。その先に草原はきっと街から見た草原に繋がっているのだろう。さっきのナガザノチという魚の怪物との遭遇で、なぜ草原を渡ってはならないのかわかった気がした。
家は煉瓦の塀で覆われ、森にその赤がよく映えていた。庭には香草の匂いがたちのぼり、色とりどりの花が規則的に並んでいることから、よく手入れされていることがわかる。玄関先にシルクのようなものがぶら下がっていた。
「ミオ! こっちに戻ってきたのか?」
シルクが揺れたと思ったらそれは人であった。白く滑らかな髪、白い肌、それに人間離れした長い耳。服まで白いため、一反のシルクのようなのだ。
「レジー……エルフのサニア……昔からよく知っている奴だから……今日はここに泊めてもらって……」
白い陽炎のようなこの種族がエルフというのだろうか。俺がまじまじ見つめると、サニアはキョトンとしていた。
「サニア……帝国で名を馳せ、金獅子の双腕という称号を持つ……客人なんだ……彼の名はレシオン・ド・ミゼル。彼を一晩泊めてやってくれ……」
呻き声に近いミオの声を遮りつい口を挟んでしまう。
「ミオ、こんな体でどこへ行くというのだ。ミオこそ泊めてもらい、明日改めて用事を済ませば……」
「金獅子の双腕、ミオを気遣うのであれば、はやく解放してやった方がいい。私は長い付き合いだ。彼は貴方が心配するような事態に陥っていない」
サニアは俺の腕からミオを強引に奪って、彼を立たせた。ミオはしばらくサニアを見つめる。
「あ……あ……」
「わかっている。後で迎えに来るのだな?」
サニアの問いにミオはブンブン頭を縦に振ると、足早に森へ走り去っていった。一度も振り返ることなく去っていくミオに、不安が募る。
「随分、心配性ですね、レシオン・ド・ミゼル。ああ、称号で呼んでも構いませんか?」
妖艶で切長の目が長い髪の隙間から覗く。
「レジーとお呼びください。名も称号も長く面倒でしょう」
何色と称したらいいのかわからない瞳が細くなり、その拍子に長い耳が鳥の翼のように動く。
「エルフを見るのは初めてですか? この大陸では多い種族ですよ。むしろレジーのような人族の方が圧倒的に少ない」
サニアは笑いながら玄関扉を開けて俺を誘う。誘われるままサニアに近づいてみて、初めてその大きさに圧倒させられる。帝国でも大きい方だった俺をゆうに超えるその体躯に驚いていると、サニアはまた耳を動かした。
「エルフの雌は人族より小さいですが、雄は大体このくらいが平均的です。もっと巨大な者もいますよ? レジーは人族でも大きい方の雄なのではないですか?」
性別を雌雄で分ける物言いに驚きを隠せなかったが、その柔和な口調でそれが一般的なのだと知る。
「物好きなミオはあっちの大陸に渡っておりますが、私は一度も渡ったことがないのです。お茶を用意しますので、あっちの大陸の話をお聞かせいただけませんか?」
玄関に入った先は広々としたリビングだった。正面にキッチンとダイニングがあり、脇の暖炉には火が燻っている。帝国では伯爵程度の身分が住むような家だ。促されるまま暖炉の前のソファに座り、サニアの用意する茶を待つ。
その時、ダイニングの脇の僅かに開いた戸から、小さな少年が顔を出した。耳が丸いことから人の子だとわかる。歳はミオより少し下だろうか。戸の縁に両手をかけて、俺の方をじっと見つめていた。
「サニア殿。あちらのお子さんは?」
「サニアと呼んでください」
香ばしい匂いをたてたティーセットを運びながら、サニアは俺の視線の先を見やる。
「ああ、あれは商売道具です。普段は私が使っておりますが、時々人に貸しています」
「使う?」
眉をひそめサニアを見やると、彼はやれやれといった顔で、扉に顔を向ける。
「ダーニャ、褒美は夜。部屋に戻って寝ておきなさい」
ダーニャと呼ばれた少年は掴んでいた手をパッと離し、階段を上る音が響いた。
「ああみえてよく躾けられた方なんですよ」
「躾なんてそんな……」
「この大陸に渡ってくる人族は、帝国の犯罪者と聞きました。称号もある高貴なお方が国外追放なんて、一体なにをされたのです?」
それはつまり、ミオに突きつけられた言葉と同じだった。犯罪者が人を断罪する権利があるのか、と。
「突然不躾な質問でしたね。失礼しました。しかし先程も申し上げた通り、ここに流れ着く帝国の人間は、帝国の末端で細々と暮らしていたものばかり。レジーのような政治の中枢にいた方などお目にかかったことがない。この大陸に帝国のような秩序はありません。人族はどんなふうに統治され、共生しているのか、それに興味があったのです」
さっきの言葉を失言と捉えたのか、サニアは自身の興味の拠り所を弁明した。
「エルフ族にはそういった秩序や序列はないのですか?」
「家族という単位、それが発展して親族という単位でなら序列はありますが……最近はまとまって暮らしていると、純エルフの血が絶えることから、番であっても離れて暮らすことが多いのです。レジーは家族はいるのですか?」
「はい、父と父の後妻、その間に生まれた弟がいます。妻はおりません」
「そうですか……この大陸にも僅かにですが人族がおります。良き伴侶と出会えるといいですね」
サニアの口ぶりから、エルフ族にとって血を絶やさないことが命題なのだということを窺い知る。そのために秩序と共生に興味があるということを理解した。
「レジーは帝国では政治のどんな役割を担っていたのですか?」
「帝国軍の一兵卒でしたが、皇帝の相談役を務めるうちに……皇帝から様々な裁量を任されておりました」
「すごいではないですか! 人族もエルフ族も数が増えると気苦労が絶えないのは一緒です。人族は一体どんな問題を抱えていて、その局面をどう乗り切っているのですか?」
サニアはお茶も淹れずに前のめりで質問する。ポットの湯面がゆらりと揺れた光の屈折で、サニアは恥ずかしそうにお茶を汲む。ここから統治と帝国の歴史の質問が夜まで止まなかった。
家は煉瓦の塀で覆われ、森にその赤がよく映えていた。庭には香草の匂いがたちのぼり、色とりどりの花が規則的に並んでいることから、よく手入れされていることがわかる。玄関先にシルクのようなものがぶら下がっていた。
「ミオ! こっちに戻ってきたのか?」
シルクが揺れたと思ったらそれは人であった。白く滑らかな髪、白い肌、それに人間離れした長い耳。服まで白いため、一反のシルクのようなのだ。
「レジー……エルフのサニア……昔からよく知っている奴だから……今日はここに泊めてもらって……」
白い陽炎のようなこの種族がエルフというのだろうか。俺がまじまじ見つめると、サニアはキョトンとしていた。
「サニア……帝国で名を馳せ、金獅子の双腕という称号を持つ……客人なんだ……彼の名はレシオン・ド・ミゼル。彼を一晩泊めてやってくれ……」
呻き声に近いミオの声を遮りつい口を挟んでしまう。
「ミオ、こんな体でどこへ行くというのだ。ミオこそ泊めてもらい、明日改めて用事を済ませば……」
「金獅子の双腕、ミオを気遣うのであれば、はやく解放してやった方がいい。私は長い付き合いだ。彼は貴方が心配するような事態に陥っていない」
サニアは俺の腕からミオを強引に奪って、彼を立たせた。ミオはしばらくサニアを見つめる。
「あ……あ……」
「わかっている。後で迎えに来るのだな?」
サニアの問いにミオはブンブン頭を縦に振ると、足早に森へ走り去っていった。一度も振り返ることなく去っていくミオに、不安が募る。
「随分、心配性ですね、レシオン・ド・ミゼル。ああ、称号で呼んでも構いませんか?」
妖艶で切長の目が長い髪の隙間から覗く。
「レジーとお呼びください。名も称号も長く面倒でしょう」
何色と称したらいいのかわからない瞳が細くなり、その拍子に長い耳が鳥の翼のように動く。
「エルフを見るのは初めてですか? この大陸では多い種族ですよ。むしろレジーのような人族の方が圧倒的に少ない」
サニアは笑いながら玄関扉を開けて俺を誘う。誘われるままサニアに近づいてみて、初めてその大きさに圧倒させられる。帝国でも大きい方だった俺をゆうに超えるその体躯に驚いていると、サニアはまた耳を動かした。
「エルフの雌は人族より小さいですが、雄は大体このくらいが平均的です。もっと巨大な者もいますよ? レジーは人族でも大きい方の雄なのではないですか?」
性別を雌雄で分ける物言いに驚きを隠せなかったが、その柔和な口調でそれが一般的なのだと知る。
「物好きなミオはあっちの大陸に渡っておりますが、私は一度も渡ったことがないのです。お茶を用意しますので、あっちの大陸の話をお聞かせいただけませんか?」
玄関に入った先は広々としたリビングだった。正面にキッチンとダイニングがあり、脇の暖炉には火が燻っている。帝国では伯爵程度の身分が住むような家だ。促されるまま暖炉の前のソファに座り、サニアの用意する茶を待つ。
その時、ダイニングの脇の僅かに開いた戸から、小さな少年が顔を出した。耳が丸いことから人の子だとわかる。歳はミオより少し下だろうか。戸の縁に両手をかけて、俺の方をじっと見つめていた。
「サニア殿。あちらのお子さんは?」
「サニアと呼んでください」
香ばしい匂いをたてたティーセットを運びながら、サニアは俺の視線の先を見やる。
「ああ、あれは商売道具です。普段は私が使っておりますが、時々人に貸しています」
「使う?」
眉をひそめサニアを見やると、彼はやれやれといった顔で、扉に顔を向ける。
「ダーニャ、褒美は夜。部屋に戻って寝ておきなさい」
ダーニャと呼ばれた少年は掴んでいた手をパッと離し、階段を上る音が響いた。
「ああみえてよく躾けられた方なんですよ」
「躾なんてそんな……」
「この大陸に渡ってくる人族は、帝国の犯罪者と聞きました。称号もある高貴なお方が国外追放なんて、一体なにをされたのです?」
それはつまり、ミオに突きつけられた言葉と同じだった。犯罪者が人を断罪する権利があるのか、と。
「突然不躾な質問でしたね。失礼しました。しかし先程も申し上げた通り、ここに流れ着く帝国の人間は、帝国の末端で細々と暮らしていたものばかり。レジーのような政治の中枢にいた方などお目にかかったことがない。この大陸に帝国のような秩序はありません。人族はどんなふうに統治され、共生しているのか、それに興味があったのです」
さっきの言葉を失言と捉えたのか、サニアは自身の興味の拠り所を弁明した。
「エルフ族にはそういった秩序や序列はないのですか?」
「家族という単位、それが発展して親族という単位でなら序列はありますが……最近はまとまって暮らしていると、純エルフの血が絶えることから、番であっても離れて暮らすことが多いのです。レジーは家族はいるのですか?」
「はい、父と父の後妻、その間に生まれた弟がいます。妻はおりません」
「そうですか……この大陸にも僅かにですが人族がおります。良き伴侶と出会えるといいですね」
サニアの口ぶりから、エルフ族にとって血を絶やさないことが命題なのだということを窺い知る。そのために秩序と共生に興味があるということを理解した。
「レジーは帝国では政治のどんな役割を担っていたのですか?」
「帝国軍の一兵卒でしたが、皇帝の相談役を務めるうちに……皇帝から様々な裁量を任されておりました」
「すごいではないですか! 人族もエルフ族も数が増えると気苦労が絶えないのは一緒です。人族は一体どんな問題を抱えていて、その局面をどう乗り切っているのですか?」
サニアはお茶も淹れずに前のめりで質問する。ポットの湯面がゆらりと揺れた光の屈折で、サニアは恥ずかしそうにお茶を汲む。ここから統治と帝国の歴史の質問が夜まで止まなかった。
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