亡国の王弟は女好きの騎士に溺愛される

コムギ

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18【死への恐怖】

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 翌朝もシモンは現れなかった。何の知らせもなく、また一日が過ぎた。

 夕食を終える頃には、外は雨風がけたたましく窓を叩いた。

 ルカーシュは寝台に横たわり、上体だけを起こす。気持ちを落ち着かせるように、本の表紙を撫でた。

 この本には特別な愛着があった。自分の身に何かあったときには、この本を読んでほしい。そう言付ける前に、シモンは発ってしまった。

 代わりにアルノシュトに言うのも違う気がして、黙っていた。

 燭台を手にしたアルノシュトは、部屋の隅にひかえていた。何も言わなかったが、太眉は雄弁だ。心配そうにひそめられている。あれこれと心を砕いてくれるのはありがたいが、あまりに熱量が違いすぎて、こちらが心苦しい。

 心配といえば、ルカーシュはゾルターンに言われていたことが引っかかっていた。

「シモンが優しくしてくれたのは、私に同情していただけだったのだろうか」

 独り言のつもりだったが、同じ空間にいる騎士の耳に届いたらしい。アルノシュトは「同情なんてそんなことは」と言葉を切ってから、頭を振った。そして、「シモン先輩のは、もっと深いと思いますよ」と笑ってみせた。

「先輩は優しい人です。親を亡くした子どもたちにも、私みたいな貴族出身の者でも、先輩は分け隔てなく接してくれます。私みたいのは、平民出身の騎士たちから冷たくされるんですよ。ここぞとばかりに嫌がらせしてくるんです。先輩はまったく変わりませんでした。むしろ、嫌がらせしてくる騎士たちを懲らしめたりして。そんな先輩だから、ルカーシュ様も心を許したんですよね」

 心を許すというのは、自分でどう努力しても難しいことだった。

 どれほど選び抜かれた正しい言葉よりもシモンの心からの言葉は、ルカーシュの意固地になっていた部分を解いていった。何年も積み重なり、固まった心をやわらかくしてくれたのは、シモンだった。

 ――もらった一輪の花か。それとも、はじめて会ったときの腕の温もりか。

 同情なんて、浅く簡単なものではない。そんな水面をさらっただけの心に、ルカーシュの心が揺れ動かされるわけがなかった。

 心がルカーシュ本人も辿り着けないほどの深海にあったとしても、シモンなら臆さず、探し当てるだろう。

「だから、どうか、先輩を信じてやってください」
「ああ、絶対に信じる」

 ルカーシュが力強く頷くと、アルノシュトは泣き笑いしそうな顔を浮かべた。



 久々に心も落ち着き、眠っていたところ、騒がしい音にルカーシュは目を覚ました。

「ルカーシュ様! 起きてください!」

 扉は開かれて、アルノシュトが開き切らないうちに、部屋に身体を滑り込ませた。手にした銀色の輝きは、騎士の象徴である。腰に帯びていた剣を抜いているということは、危機的状況なのを示していた。

「何があった?」
「ここは危険です。逃げましょう!」

 アルノシュトの必死な形相に、ルカーシュは頷かずにはいられない。

 服を着替える余裕もなかったが、咄嗟に本の頁を破った。文机の上にあった羽ペンで文字を書く。枕元にあった分厚い本に挟むと、アルノシュトの姿を追いかけた。

 通路は雷鳴に合わせて一瞬光るだけで、基本は暗かった。階段下にいたのは、剣を手に持ったゾルターンだった。足元には黒服の男たちが倒れている。

「ゾルターン!」

 アルノシュトの声にゾルターンが後ろを振り返った。いつもの小馬鹿にする笑いは引っ込めていて、真剣な眼差しでアルノシュトを見た。

「不意打ちでした。外は囲まれています。他の護衛は怪我をしていて、動けるものは限られています。ここもいつまでもつか」

 敵だけではなく、剣を支えに座り込んだ騎士たちもいた。シモンのいないときに襲撃とは、用意周到と言わざるを得ない。閉ざされた扉に衝撃が続く。ここが破られたら、一貫の終わりだ。

「とにかくルカーシュ様を連れて、安全な場所へ」
「しかし、どうやって?」

 アルノシュトは慌てていたが、どこまでも冷静さを欠かないゾルターンは、「調理場には裏口があるはずです」と助け舟を出した。

「なるほど、裏口から厩舎までそんなにかからないな」
「ここは私が、時間を稼ぎます」

 ゾルターンは初めからそのつもりだったのか、破られそうな扉に肩を押し付けた。

「早く行ってください!」

 アルノシュトはゾルターンに頷いて返すと、ルカーシュを伴って調理場に向かった。裏手には使用人が使っている扉がある。幸いにも敵はその扉を見つけていなかった。アルノシュトとルカーシュ以外、誰もいないはずだった。

「さあ、先に!」

 促され、ルカーシュが先に逃げようとしたとき、アルノシュトの頭上から鈍い音がした。驚愕に見開いた目を最後に、アルノシュトはその場に崩れ落ちた。

 敵はすでに屋敷の中にまで侵入していた。入り口を守っていたゾルターンはどうなったのか、考えるまでもない。ルカーシュを守る騎士たちは、皆、敵の前に倒れてしまった。

 ルカーシュは一人、生き抜かなければならない。ゾルターンとアルノシュトと他の騎士たちが残してくれた逃げ道だ。

 ――死ぬことなど、怖くはない。いつ死んでもいい。そう思っていたのに、今はまったく逆だ。

 ――死ぬことが怖い。シモンに会えなくなることが怖い。死にたくない。

 外に出て、雨風の中を駆けた。視界は塞がれて、何も見えなかった。

 ルカーシュは散歩したときの記憶を頼りに、厩舎を探した。追手の迫る足音に、自分の鼓動が混ざり、何をしていいのかわからなくなる。ただ、転びそうになる足で何度も踏ん張って、駆けた。
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