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19【魔女の末裔】
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どうにか厩舎に辿り着いて、馬の顔を見つけたとき、心底、安心感に包まれた。とりあえず、生きながらえたらしい。
しかし、別の問題が立ちはだかった。
アルノシュトに指定されて、ここまで来たものの、馬の乗り方などまったくわからない。素人が何も装備されていない状態で乗ることなどできるのだろうか。
途方に暮れていると、すぐ後ろで足音が聞こえてきた。
追っ手が来たものと考えて、ルカーシュは厩舎の奥に逃げようとした。慌てて動かした足がもつれる。身体の均衡を崩して、無様にも地面に尻もちをついた。
寝間着を泥まみれにしながら、顔を上げる。思いがけず見知った声が降ってきた。
「ルカーシュ様、ご無事だったんですね」
「君こそ、無事だったんだな」
そこにはゾルターンが立っていた。敵にやられたものと踏んでいたが、目立った怪我はしていないようだ。もしかしたら、アルノシュトも無事なのだろうか。
転んだルカーシュに向かって、手を伸ばしてくる。咄嗟に手を掴むと、ゾルターンはルカーシュの身体を引き上げてくれた。
「あなたを追っていた敵は私がやりました。でもまだ安心はできません。早くここを離れましょう」
ルカーシュは疑問のやり場を失って、頷くだけ頷いた。
「乗るのは、私の馬でいいですね」
着々と馬に馬具を装着していくゾルターンに、ルカーシュは次々と疑問が浮かんでくるのを止められなかった。自分の手を見下ろして、何度も息を呑んでから、ゾルターンの後頭部を睨んだ。慎重に言葉を選ぶ。
「ゾルターン、君は何者なんだ?」
ルカーシュの手袋のしていない手を、ゾルターンは確かに触れた。触れるどころか、握ってもいた。ルカーシュの手はまったく反応しなかった。つまり、ゾルターンはルカーシュと同等の力を持っている。もしかしたら、それよりもっと強い力かもしれない。
「嫌だなぁ、そんな怖い言い方をして」
ゾルターンの戯けた様子も今の空気を変えられない。一つの疑念が生まれると、また一つ疑念が積み重なっていく。振り向こうとしないのも不信感に繋がった。やましさを感じているのではないのかと、疑いたくなる。
「質問に答えろ。君は、何者なんだ?」
「そんな質問で、はい、私はこういうものですと話し始める人がいますか?」
後ろを振り返ったゾルターンは目を細めて、口角を上げていた。瞳は血潮を受けたように赤く光っている。人間とは程遠い色をした瞳に、ルカーシュは確信もなく、「魔女、なのか?」とたずねた。
「まだマシな質問ですね。そうです。あなたと同じ、魔女の血を引いています」
周りの馬たちが怯えたようにいなないた。ルカーシュ自身もじりじりと距離を詰めてくるゾルターンから逃げるように後ずさる。
考えれば、わかることだ。アルノシュトを裏口に誘導したのも、そこに敵が隠れて待ち構えていたのも、ルカーシュだけが厩舎に辿り着いたのも、すべてゾルターンの仕業だとしたのなら、説明がつく。
「なぜ、逃げるのですか?」
「アルノシュトを襲ったのは、君の仲間か?」
「仲間というのは、誤解ですね。私には仲間などいませんから。雇ったというのが、一番正しいです」
どれだけ真実を暴こうとしても、ゾルターンは冷静さを欠かない。余裕を持った笑みは、開き直っているのかもしれない。
「なぜ、こんなことをするんだ?」
「あなたを取り戻すためです。覚えていないでしょうが、死神事件で地下牢からあなたが出てきた時、私はその場にいたのです」
まったく心当たりがなかった。シモンのこと以外、思い出せない。
「一目見て、魔女の末裔だとわかりました」
ゾルターンの指はルカーシュの首筋を通り、顎に触れる。触れられたくなくて、顔を遠ざけた。無理矢理に顎を捕らえられて、視線を固定させられた。
「そろそろあなたは自覚すべきです。魔女とは存在するだけで人を惑わせるもの。力を有して、仲違いを起こし、破壊を誘発します。あなたがいるだけで、人であるシモンは苦しむでしょう。その苦しみはあなたといる限り終わらない」
厩舎の壁に身体を押し付けられた。雨で濡れた顔に、真新しい涙が流れていく。ルカーシュの中に暗闇が迫ってくる。足掻こうとすればするほど、沼に足を取られて、身動きが取れなくなっていく。突っぱねようとした腕は力なかった。
「あなたがいない方がシモンは幸せでしょう。今は恋で周りが見えなくても、彼は家族を欲します。だから、あなたが家族になることは不可能です」
想像するのは難しくなかった。シモンの隣に女性が立っていて、二人は寄り添うように顔を寄せる。腕の中の我が子を見て、笑っている。シモンに似た男の子は、きっと両親に見守られて幸せだろう。そんな我が子を抱けて、シモンも幸せに違いない。
「シモンが手紙すら寄越さないのも、ここには戻りたくないという意思表示です。あなたはシモンに捨てられたのです」
通常に判断できれば、否定はできただろう。そんなことはないと断言できるし、シモンのことを信じている。それなのに。
ゾルターンは言葉で人を惑わす。小さな闇を抱かせて、増幅させるのだ。きっと随分前から、刷り込みが始まっていたのだろう。
「シモンはあなたのもとには帰らない」
ルカーシュの心は壊れた。涙が胸いっぱいにまで溜まっていき、呼吸をするのが困難なほど苦しい。抗えない痛みに、目の前が暗くなる。
「あなたは私のものです」
ゾルターンが本当にそう言ったのかはわからない。もはや、ルカーシュは意識を保っていられずに、その場に崩れ落ちていた。
しかし、別の問題が立ちはだかった。
アルノシュトに指定されて、ここまで来たものの、馬の乗り方などまったくわからない。素人が何も装備されていない状態で乗ることなどできるのだろうか。
途方に暮れていると、すぐ後ろで足音が聞こえてきた。
追っ手が来たものと考えて、ルカーシュは厩舎の奥に逃げようとした。慌てて動かした足がもつれる。身体の均衡を崩して、無様にも地面に尻もちをついた。
寝間着を泥まみれにしながら、顔を上げる。思いがけず見知った声が降ってきた。
「ルカーシュ様、ご無事だったんですね」
「君こそ、無事だったんだな」
そこにはゾルターンが立っていた。敵にやられたものと踏んでいたが、目立った怪我はしていないようだ。もしかしたら、アルノシュトも無事なのだろうか。
転んだルカーシュに向かって、手を伸ばしてくる。咄嗟に手を掴むと、ゾルターンはルカーシュの身体を引き上げてくれた。
「あなたを追っていた敵は私がやりました。でもまだ安心はできません。早くここを離れましょう」
ルカーシュは疑問のやり場を失って、頷くだけ頷いた。
「乗るのは、私の馬でいいですね」
着々と馬に馬具を装着していくゾルターンに、ルカーシュは次々と疑問が浮かんでくるのを止められなかった。自分の手を見下ろして、何度も息を呑んでから、ゾルターンの後頭部を睨んだ。慎重に言葉を選ぶ。
「ゾルターン、君は何者なんだ?」
ルカーシュの手袋のしていない手を、ゾルターンは確かに触れた。触れるどころか、握ってもいた。ルカーシュの手はまったく反応しなかった。つまり、ゾルターンはルカーシュと同等の力を持っている。もしかしたら、それよりもっと強い力かもしれない。
「嫌だなぁ、そんな怖い言い方をして」
ゾルターンの戯けた様子も今の空気を変えられない。一つの疑念が生まれると、また一つ疑念が積み重なっていく。振り向こうとしないのも不信感に繋がった。やましさを感じているのではないのかと、疑いたくなる。
「質問に答えろ。君は、何者なんだ?」
「そんな質問で、はい、私はこういうものですと話し始める人がいますか?」
後ろを振り返ったゾルターンは目を細めて、口角を上げていた。瞳は血潮を受けたように赤く光っている。人間とは程遠い色をした瞳に、ルカーシュは確信もなく、「魔女、なのか?」とたずねた。
「まだマシな質問ですね。そうです。あなたと同じ、魔女の血を引いています」
周りの馬たちが怯えたようにいなないた。ルカーシュ自身もじりじりと距離を詰めてくるゾルターンから逃げるように後ずさる。
考えれば、わかることだ。アルノシュトを裏口に誘導したのも、そこに敵が隠れて待ち構えていたのも、ルカーシュだけが厩舎に辿り着いたのも、すべてゾルターンの仕業だとしたのなら、説明がつく。
「なぜ、逃げるのですか?」
「アルノシュトを襲ったのは、君の仲間か?」
「仲間というのは、誤解ですね。私には仲間などいませんから。雇ったというのが、一番正しいです」
どれだけ真実を暴こうとしても、ゾルターンは冷静さを欠かない。余裕を持った笑みは、開き直っているのかもしれない。
「なぜ、こんなことをするんだ?」
「あなたを取り戻すためです。覚えていないでしょうが、死神事件で地下牢からあなたが出てきた時、私はその場にいたのです」
まったく心当たりがなかった。シモンのこと以外、思い出せない。
「一目見て、魔女の末裔だとわかりました」
ゾルターンの指はルカーシュの首筋を通り、顎に触れる。触れられたくなくて、顔を遠ざけた。無理矢理に顎を捕らえられて、視線を固定させられた。
「そろそろあなたは自覚すべきです。魔女とは存在するだけで人を惑わせるもの。力を有して、仲違いを起こし、破壊を誘発します。あなたがいるだけで、人であるシモンは苦しむでしょう。その苦しみはあなたといる限り終わらない」
厩舎の壁に身体を押し付けられた。雨で濡れた顔に、真新しい涙が流れていく。ルカーシュの中に暗闇が迫ってくる。足掻こうとすればするほど、沼に足を取られて、身動きが取れなくなっていく。突っぱねようとした腕は力なかった。
「あなたがいない方がシモンは幸せでしょう。今は恋で周りが見えなくても、彼は家族を欲します。だから、あなたが家族になることは不可能です」
想像するのは難しくなかった。シモンの隣に女性が立っていて、二人は寄り添うように顔を寄せる。腕の中の我が子を見て、笑っている。シモンに似た男の子は、きっと両親に見守られて幸せだろう。そんな我が子を抱けて、シモンも幸せに違いない。
「シモンが手紙すら寄越さないのも、ここには戻りたくないという意思表示です。あなたはシモンに捨てられたのです」
通常に判断できれば、否定はできただろう。そんなことはないと断言できるし、シモンのことを信じている。それなのに。
ゾルターンは言葉で人を惑わす。小さな闇を抱かせて、増幅させるのだ。きっと随分前から、刷り込みが始まっていたのだろう。
「シモンはあなたのもとには帰らない」
ルカーシュの心は壊れた。涙が胸いっぱいにまで溜まっていき、呼吸をするのが困難なほど苦しい。抗えない痛みに、目の前が暗くなる。
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